2018年10月

黒猫が捨てられる理由

先日、TVで、
インスタ映えしないという理由で
黒猫が捨てられる率が激増しているという話を聞きまして
何だかやりきれない気分でfacebookにそのことを投稿しましたら
たくさんのリアクションをいただきました。
特に黒猫を飼ってるお友達はみなさん怒りを覚えたことでしょう。
 
じゅんみな2018108212025.jpg
我が家のにゃんこ、黒猫じゅんくんと黒っぽいキジ猫みなちゃん、
仲良し兄妹です
みなさんにも とても可愛がっていただいています。
 
本当のことを話します
 
この子たちを選んだのは夫なんですが、彼らを最初に見た時、
色柄が暗いな  と思った私がいました。
ほんとは白地に斑の子を選びたいと思ってしてました。
ちょっとある目的があったんです

お腹と足が白くて背中がグレーの子を探してたんです。

キジトラハチワレ

猫を飼おうということになってから、ネットで情報を見てました。
子猫が沢山いる猫カフェさんに探しに行った時
お目当ての柄の子もいたのですが、その子はうんと小さくてお世話に手がかかることが懸念されました
月齢やおとなしい性格ということで今のじゅんくんみなちゃんを選んだのでした。
夫が「この子たちに決めよう」と言いました。
「ん~」と思いましたが 夫がこの子たちがいいというので決めました。
夫が彼らを選んだ理由は、最初に私たちに寄ってきてくれて一番愛想の良い二匹兄弟だったからです。
みなちゃんが私に懐いたからだと言っていました。
 
じゅんみな201810821257.jpg
じゅんくんの寄り目も、最初見た時は catface 圏外でしたが、coldsweats01
みなちゃんが可愛かったので二匹にホームステイに来てもらいました。
一週間のお試しのあと 正式譲渡になる という猫カフェさんとのお約束でした。
それはとても安心できるシステムでした。
 
時間が経てば経つほど、この二人が二人ともとてもいい子で 可愛くて愛情深いことに気付かされます。
 
迎えてからは 二人(2匹)が安心できる環境を作るように気を付けました。
私の作品をいたずらされないかかなり心配だったので、作品や材料にカバーをかけたり予防策をとりました
でも、いたずらや悪さはしなかったんです。
むしろ、こちらが困らないように気を使っているのがわかります。
こちらが強い視線を向けただけでビクッとして退散します。
なので強い視線を向けないように気を付けました。
大きな声も禁物です。
触ったらダメなものは片づけます。
 
にゃんこたちは分かってます
彼らは言葉を使いませんが いろんなことを理解しています。
愛情や喜怒哀楽やお行儀のこともわかっています。
私たち人間の機嫌なんてすっかりお見通しです。
好きな人の嫌がることはしません。
それでもやっちゃうときは何か理由があるのです。
嫌なことをされたら嫌がるし
ムシャクシャしてる時はちょっと暴れます。
 
そう、
本当はノラ猫さんだって愛情をもらって育てば可愛いにゃんこなるはずです。
でも、育つ環境や体験は本人には選べません。
 
ていうか、
人間も同じかな と 思ったりします。
実際には 扱いやすい扱いにくいはあります。
でも、存在の尊さは同じなんです。
 
心は
育って行く過程でどんな人間関係に出会うかで変化します。
嫌なことが多いと警戒心や恐れや不安を持つようになってしまいます。
 
それを 性格が悪いと責めるのはもしかしたらちがうのかもしれない と思ったりします。
 
神様は どんな命も愛します
ただ、周囲と摩擦を起こしちゃう個体は 生きづらいのです。
人が嫌がることを頻繁にしてしまうと つまはじきにされることもあります。
本人はわざとやっているわけじゃありません。
 
傷が深いと 恐怖や痛みが消えず 信頼がなかなか持てないんです。
心の中についてしまった傷は 意識とは別に痛がって暴れます。
これがカルマと呼ばれる感情のエネルギーです。
 
 
本当に優しいってどういうことだろう?と よく思います
 
自分も罪深い部分はあるし、
 
誰も責めることは出来ないんじゃないか  と。
 
命に優しい事と できることとできないこと・・・
したいけど できないこと・・・
必要なことが罪でもある時・・・
私たちはどうすればいいか とても悩みます。
この世には 白と黒では分けきれないものが とてもたくさんあるのです
 
願わくば 恵まれない命、苦しむ意識が救われますように と願うのです
 
 
愛ある交流は それだけで 私たちに幸福を感じさせます。
上手くいかなくても 一生懸命生きています。
 
この世界を 何も責めないでおきたいと思いました。
 
 
綺麗な事ばかりではないこの世の中の 愛を体験したいと思うのです。

マインドフルネス瞑想会

本日10月7日はマインドフルネス瞑想会の日でした。

インターネット ZOOMを利用しての全国同時瞑想会です。

日本と韓国とタイとアメリカで同時中継しながら20か所ほどのサンガがネットで繋がります。

 

横臥の瞑想と 

呼吸の瞑想 

そして

マインドフルネス瞑想会10/7

ティク・ナット・ハン師の姪のアン・フーンさんのお話

とても愛に溢れています。

参加者の質問に 深い愛の観点のダルマトークをされます。

今回は とても深いお悩みの方もあり、参加者全員が心を一つにしました。

 

このあと、ランチの時間に 食べる瞑想をして

と、、しまった!ランチタイムの写真を撮ることを忘れてしまいました (;´∀`)

無念 (-_-;)ゞ

 

気を取り直して、

食後は、座談会  

いろんなお話が出ます。

今日はテーマがあって どんな瞑想会がいい? というテーマ

 

最期にまとまった意見は

おうちに帰るような場所 

  おかえりなさい   ただいま

マインドフルネスの基本精神ですね!

 

そういえば、この座談会の時に

なんと、しばらく前に モヤモヤしていた疑問の答えがわかりました!!!

何かあるんだけども なんなのかわからない というモヤモヤしたものがなんなのか??

これ、話し出すと長くなるので 後日書きます (笑)  

実を言うと 分かったものの まだ晒すのを抵抗しております。

そうやって また隠しちゃうんだろ~ とツッコミ (苦笑

いやいや、後で書きます(^_^;)

 

それから、歩く瞑想

歩く瞑想は 歩いている ということ、歩いている 今 を全身で感じながら歩く 動の瞑想です

桜坂住宅街

一歩一歩を感じながら 

足の裏の感触

道端の草の形 色

吸い込む空気

樹々の生命力を感じます。

そして 人々の生活と息吹も感じます。

 

住宅街を歩いていると

金木犀

あちこちで金木犀の香り lovely

そして

20181080313.jpg

20181080344.jpg

 近くの神社 古小烏神社まで行きました。

この古小烏神社はこの地警固村の産土神社です。

かなり古くからある神社です。

福岡市内にありながら、緑の森です。

 

ゆっくりゆっくり歩いて30分の歩く瞑想でした。

 

マインドフルネスに 足と地面を感じながら

そして金木犀の空気を感じながら

しっかりと感じる素敵な時間を満喫しました。

 

来月も第一日曜日11月4日にマインドフルネス瞑想会があります。

世界を感じる日です。

 

 

 

 

 

支え

人間は集団で生活するようにできている生き物です。

家族やコミュニティの単位で行動するように本能が設定されているので

基本的に孤独は苦手です。

 

ですが、内側にカルマがたくさんあると、関わり合いの中で摩擦をおこしてしまい、

人と関わることが苦しいものになってしまいます。

やさしさではなく、否定や敵意ばかりが前面に出てきて、傷付け合ったり、嫌な気持ちになってしまうのです。

 

現代の日本は核家族化が進み、家族もまとまらず、バラバラで生活してしまうことも多くなりました。

心のバランスを崩す人たちも増えているようです。

かかるストレスが昔より多いのか?と言うと、それはそうでもなく、

昔よりは平和で安全で、人権も尊重される社会になっています。

 

それでも、以前より生きづらいのは 人との関わりを回避できるようになって その試練を越える機会が減っているのです。

試練から逃げてしまうと 同じ刺激は全部逃げるようになってしまい

人と関わる時のバランスがわからないまま、苦手から逃げることで疲れ切ってしまうのです。

 

人間関係は それぞれののカルマがぶつかり合うと摩擦が生じます。

摩擦が起きますと 内側にあったカルマが解放され(感情が内側から外に出て)感情を体験し、

カルマは内側からなくなりますが、自我が抵抗して勝とうとしますと、出て行こうとするものを抑え込んでしまうのです。

マウンティング という状態を取って、自我はカルマのエネルギーを保持してしまいます。

 

でも、実際は勝ち負けなど存在せず、 ただ、譲りたくない意識だけが戦っています。

心ならず譲らされると 負けた と感じてしまうんです。

 

安定して成熟した大人の意識 ワンネスの意識 悟りの意識 では 譲ることは苦痛や負け ではないんです。

なぜなら、与えることは 愛 だからです。

 

大人になってからの人間関係で、信頼関係を持てる人がいると その子供の部分は さほど不安がることはありませんが、

信頼関係を持てないままずっと生活しますと、 孤独感や疎外感を感じて とても生きにくい という感覚を持ってしまいます。

 

知らない人や慣れない人を過剰に恐れる人も 人を信頼することが難しいので そのようになりやすい傾向にあります。

 

この 『怖れ』 も カルマの感情です。

カルマの感情は 私たちを生きづらくさせます。

 

成熟した大人の意識は、特に子供時代に信頼できる大人と接し、愛を感じて育つことができた人間は 

愛が育ち 心が安定します。

こういう人たちは 自己肯定ができているので 自立した意識を持っていて 孤独な状態にも耐性があります。

これは心の中に自分以外の存在感を感じているので 心が孤独ではないのです。

こういう安定した意識の方は 人間関係の距離の取り方が上手です。

また 物惜しみもあまりしません。

 

ですが どのように育てられたか は 本人の選択できるものではないですので

愛が 足らずに 寂しさを感じている方は 自分自身を愛し、承認することを積極的にすることで

自分自身を育てます。

 

カルマを克服するのは 理性で意識を変えようとしても、できません。

意識や思考では扱えないエリアに 恐れのエネルギーがあるからです。 

身体の 細胞の中に。

 

これは 瞑想で手放すことができます。

ただ、  黙って目をつむるだけの瞑想ではなかなか進みません。

とても長い時間がかかってしまうのです。

 

これらのカルマのエネルギーを大きく動かせるのが ELM瞑想で伝授する『波動』です。

 

この ELM瞑想の波動は 実際体験するまではなかなか信じがたいものでしたが、

実践してみると 効果の大きさに驚かされます。

 

この瞑想の仕組みや 何が起きるか ということをお伝えしないで伝授し瞑想して頂いても 効果が現れるのです。

これは ご本人は何が起きているか まだよくわかっていません。

ですから、瞑想を進めながら 瞑想効果を実感していただき、 よりスムーズに効果があがるよう、さらにポイントを押さえていただくのです。

 

とてもスムーズな方は1年もすると すっかり意識が変わって 悟りの境地まで体感される方もあります。

瞑想を伝授してコツコツと真面目に瞑想を続けていく方は 久しぶりにお会いしても

本当に驚かされるのです。

 

そこまで 自然の流れで気付くことができるのか と 教師の私が驚くことも少なくありません。

 

フルフィルメント瞑想から ELM瞑想に進化して 更に効果が大きく上がりました。

この差が歴然としている事にも驚かされます。

 

目に見えない領域のことなので、まだ実践していない方はこんな話を聞いてもにわかには信じにくいかもしれませんが、

それを私もこの目で自分自身の変化や、多くの瞑想者が変化していくのを見て参りました。

心が平安になるのに重要なのは 無意識層に潜むカルマの解放なのです。

 

もし、あなたが ご自身の可能性や真我を実感したいと思われるのでしたら ぜひELM瞑想を実践されてください。

効果が最大に発揮できるよう サポートさせていただきます。

積極的にご質問やアドバイスを求める方は 多くの気づきを掴みます。

どうぞご遠慮なく ご質問ください。

個人セッションでは相談しにくいお悩みのカウンセリングをしたり、それぞれの方に合うアドバイスに務めております。

 

あなたの人生に寄り添う 友人でありたいと願っています。

心の苦しみから解き放たれて 自分の内にある真我を見つけ 生きる事の幸せを手にしていただきたいのです。

心の傷の癒し方

心が傷付くと とても痛いです。

身体の傷ではなくて 目に見えない傷 それは身体の傷以上にとても痛くて苦しいものなのです。

心が傷付くと 身体に反応が出ます

胸と心臓が ぎゅっと縮み 息苦しくなって 身体全体もぎゅっと萎縮してしまいます

血管も縮んでしまい、血行が悪くなって 身体が冷たくなっていきます。

ぎゅっ  

 

悲しみは心だけで感じているのではありません。

身体全体も悲しみます。

そして体はその体感を覚えているのです。

悲しみのエネルギーは身体を震わせて痛みを感じつつ外に出ていきます

 

 

しかし、その時に悲しむ機会を逃してしまうと もうその悲しみのエリアには怖くて入れません。

「いやだ!」「見たくない」「もういい」

外界から心の窓を閉ざし 外部の刺激を遮断して自己の中に閉じこもります。 

奥深いエリアに隠れてしまいます。  岩戸に隠れるアマテラスのように。

 

悲しみの感情は、外にあふれ出れば、内側に悲しみのカルマのエネルギーはこもらず、涙とともに流れ洗い流されますが

傷を抱えたまま 深くに籠ってしまうと 出ていくことが恐ろしくなってしまいます。

「もう傷つくのは二度とイヤ」  心が傷付くことを恐れてしまいます。

癒えない傷に誰かが触れたり またあの痛みを感じるのは もう恐ろしくて仕方ないのです。

そうしてカルマのエネルギーは内側に封印されてしまうのです。

 

これは人の心の中で起きる出来事です。

長い人生の中で 誰にでも起きます。

 

傷付いた感情をしっかりと悲しむことができれば、涙があなたを癒します。

泣いて、怒って その出来事を受け止め どうにもならないんだ ということを受け入れることができるのです。

しっかりと涙があなたを洗い、カルマが抜けてあなたの心は平静になってゆきます。

苦悩の感情がとれ、ただ起きたできごとだけがそこに残り、これはこれで仕方がない と

あなたはそこから立ち去ることができるのです。

 

カルマの解放は あなたの真我の意識が表にでてくることを促します。

自我の感情は自分の都合、 自分にとっては都合が悪かったけれども 実際は誰も悪い人はいなかった 

 ということがわかります。

悲しみや怒りを内側にもったままだと、その出来事のきっかけや原因を作った人が悪者に見えてしまうのです。

でも、その人物はただ偶然にそこにいて本人の普通にしていただけだったりします。

悪意を持っている人は本当にごくわずかです。 出来事は偶然のいたずらのようなものです。

ただ、条件が合致した時に事が起こります。

その条件が揃いやすい環境であった ということです。

まだ誰も波動を整備できていなかった か

環境のパワーバランスが崩れていた か

そんなことが起きると思っていなかった か  

みんなのストレスが溜まっていた あるいはみんなとても疲れていた か です。

殆どの人間は次に起きることは予想できないんです。

 

霊能者なからわかるとお思いでしょうか?

いえ、霊能者や超能力者ですら 自分の運命は完全に予言できないのです。

 

人生の試練は 必要があってあなたのところにやって来ます。

それはただの悲劇ではありません。

 

その出来事を通して この世のネガティブな要素を体験し、深い理解へと変えていく

あなたの魂の成長を進める 大切な体験なのです。

試練があるほど、樹は深く根を下ろします。

 

もし、あなたが傷付いたことがあったなら、素直に悲しんでください。

悲しんだり怒ったりすることを後ろめたく思わないでください。

 

ただ、それは人にぶつけない方がいいんです。

傷付く人に向けないでください。

悲しむことは 一人でもできますが、一番いいのは

ただ寄り添って見守ってくれる人の存在感を感じる時です。

あなたは決してひとりぼっちではないのです。

あなたを見守る意識があります。

物質的な身体がなくても、あなたの幸せを願う意識があるんです。

慈悲の観音菩薩の意識です。あるいは あなたを大切に思う人の魂かもしれません。

「この苦しさを救ってください」という願いを受け取って 癒しをもたらします。

目では見えずとも あなたに寄り添って 抱きしめてくれています。

その存在感は 心の目で感じ取れることもあります。

あなたが心を拡げた時、または あなたの真我が目覚めた時に。

 

いつでもあなたを癒そうとしてくれています。

怖れ

ごく普通に生活している人々のうちけっこう多くの方が 

自分自身の意識の深い部分の闇と向き合うのを恐れています。

 

普段、その闇の部分は深い所に隠れてしまっていて 表面へはあまり出てきません。

そんな時、当の本人は 「そんなものはないよ?」と思っています。

意識の表面に出てこなければ闇などないと同じです。

 

でも、ふとした拍子に闇が飛び出してくると、戸惑い混乱します。

闇、カルマのことです。

思いもよらないカルマを自分の中に見つけてしまうと、最初はそんなものはない!と思おうとします。

行動を改めたり、別の理由などを探して それが自分の闇ではない と思おうとします。

でも、隠しきれないほどに大きくなってしまうと、今度は人にそれを知られないようにしようと頑張り始めます。

それがバレることがどんどん怖くなってきます。

 

でも、心配しないでください。もうバレてますから隠そうとしても手遅れです。

周りの人は 殆どが親切ですから、それに触れないでおいてくれますが、

中には嘘が付けない人がいて、バッチリ指摘してしまったりします。

もう、滅茶苦茶腹が立ちます。

「そんなんじゃな~~い!!」 なんてひどいこと言うの!? なんて感じるかもしれません。

 

言われたことを必死で否定したくなりますが、 その行為、「そうです」と肯定しているのと一緒です。

心あたりがあるので、違う!と言いたくなるんです。 自分自身の嫌いなところ。

自分に禁じたこと。

そうではないと言ってもらいたい

 

周りのみんながそうじゃないことに全力で同意してくれないと愛されていると思えない なんて

面倒なことはもうやめましょう。

そんな手順を踏まなくても、最初から愛されてるんですから。。

自己イメージを飾っても 外側から見えてしまうのは真実なんです。

バレたと荒れるのはやめましょう。 最初からバレてます。

誰しも見せたくないものを暴かれるのはイヤですから そっとしておいてくれるんです。

隠さないと楽ですよ。

真実のままでいいじゃないですか。

 

条件が満たされていないと 愛されないと思い込んでいるのは あなた自身だけ なのです。

もしかして、 あなたが 条件を満たさない人は愛せない と思っていたのなら仕方がありません。

周りもあなたと同じことをするでしょう。

でも、それを責める事なんてできないんです。

だって それはあなた自身なのですから。

 

自分にも 他人にも 条件付けするのはやめましょう。

みんな 存在しているだけで尊い命だということを思い出してください。

 

あなたが 人をどう扱うか で あなたの扱われ方が変わります。

 

どんな目で見られるか と どんな目で見るか は 同じなんです。

 

だから いつも 愛 でいてください。

そして いつも笑顔を見せてください。

人もあなたに笑顔を返してくれることでしょう。

 

人を信頼することと、自分を信頼することは同じなのです。

人間は完璧にはなれません。

でも完璧でなくても 愛されるのです。

沢山の愛を知っている人ほど 沢山の愛が集まってきます。

 

恐れる必要などないのです。

ただ愛せばいいだけです。

 

幸せになる条件なんてないんです。

あなたに愛があれば どんなところでも幸せになれます。

あなたの中に愛を感じてください。

否定せず、あるがままを受け止めるだけでいいんです。

 

悟りとは ただあるがままを受け止めるだけです。

どんな感情もただそこにあるだけなんです。

あなたの魂は汚れようもなく清らかなんです。

カルマの感情に飲まれて 苦しむのはもう終わりにしましょう。

カルマの感情で 行動するのは もう終わりにしましょう。

あなたは 愛 です。 

あなたの真我も 愛で出来ているんです


若葉

瞑想で真我に出会ってください。

新しい今を選択する 

悟り とか 真理の理解 というものは 

私たちの人生そのものの質を地獄から天国へと上昇させるほど 大きな課題です。

それはまだ理解する前は まるで雲の上の事のように感じるかもしれませんが、

実際は、お隣のおじちゃん、いつもとても良い事言うんよ~ くらいの身近にある当たり前のものです。

ですから それが心地いいと感じている人はすでに悟りへのルートを歩き始めています。

 

一人一人は自分の中の観念を通して世界を見ていますので

世界がひどいものだったり、どうしようもないものだったり、最悪だと感じてしまうかもしれませんが、

実際は 大したことがなくても悲惨さを感じている人たちと、

けっこうひどい状況でも 満たされたり愛を感じている人たちがいます。

幸福かどうか は 状況では測れないのです。

 

自分は虐げられてあまりにも悲惨な状況を強いられて不幸でたまらない!!と何か保証を要求している人たちは

自分の不幸の感覚がお金で埋め合わせできるような気がしています。

もちろん、自分を不幸にした相手や団体に賠償金を払わせて 痛手を負わせて気が済んだ と感じるかもしれません

それは 恨みを終わりにするきっかけにはなるでしょう。

でも、お金をもらっても幸福になるわけではありません。 ただ、苦悩をぶつける相手がいなくなるだけです。

相変わらず、その出来事のせいで不幸なままかもしれません。

 

過去に踏ん切りをつけて前に進むのに 必要な条件など 本当はないんです。

自我は、踏ん切りをつけてしまうとなんだか損をしたような気がしてしまうんですね。

貧乏くじを引いたような・・・despair こんな運命 受け止められない

誰かが悪いに違いない  と 犯人捜しと過去を握りしめたくなるんです。

 

もう過ぎ去った過去にとどまる必要はありません。

あなたは今 この瞬間からでも 幸福を選択することができるんです。

幸せに生きる決意 幸福の選択です。

それはあなたにしかできません。

カルマの感情に埋もれている間は そこからなかなか脱出できません。

 

瞑想があなたの人生を軽くします。 もう思い過去は要りません。

ELM瞑想があなたをサポートします。

 

自我の芽生え 

赤ちゃんが生まれると、親たちはその初々しさと愛らしさと生命力に感動します。

親以外の人々も 赤ちゃんの存在感と清らかさに感動します。

守り育てなければ! と感じてしまうんですね。

それは強い衝動で 私たち人間の身体に備わった 本能 です。

そんな無垢で か弱い赤ん坊を 育てて参りますと、益々愛着と愛おしさが増して もうこの世で一番守りたいものになっていきます。

そんな赤ちゃんたちは微笑むだけで大人は幸せな気分になるのです。

「か、可愛いっ!!」 ((〃T ▽ T〃))

 

赤ちゃんは、生まれてから2年目にさしかかりますと、必ずやって来るものがあります。

自我の芽生え です。

これはこのような形で表現されます。

「いやっ!」 angry 「イヤッ」 pout 「イヤ~ッ、ギャ~」 (*´Д`)

何を言ってもイヤイヤ とりあえずイヤ なにはともあれイヤ 

お前はイヤしか言えんのか!! ((-_-メ)) 

そうです。イヤしか言わない イヤイヤ期、自我の芽生えですね。

自我は自分で選びたい のですが、 判断できるはずもなく。。。

うまくいかなくてまたイライラいやいや  「あ~ん」sweat01

 

神様から見た人間も 似たようなことかもしれません。

gawk「やだっ」

shine「?」

think「やだっ!こっちのほうがいい!!」

shine「これがいいよ?」

angry「いやだ!絶対こっち!!」

shine「マジか~」

pout「これがいいんだよぉぉ~~」

shine「あーあ、それ やっちゃうか~」(^_^;) 

shine「まぁやりたいならやってみなさい」「懲りんとわからんのだろうな・・・」 

crying「ギャーン」「何でとめてくれなかったんだよっ!」

shine「君がどうしてもそれがいいって言ったんじゃん」(-_-;) 

shine「じゃあ、もうオススメとかしないから 最初から自分で選びなさい」

 

 なーんて神様コント よくあります。

 

一度自我を体験して 真我に戻るんですね。体験の幅は広い方がいいんです clover

 

神様は親切なので 自分でやりたい人には介入しないようなんです。

だからそっとしておいてくれる

信じる者 信頼してくる者にしか手助けしないんです。

これ、人間も同じかもしれません。

だって無理に介入したら「お節介せんで!」って 怒るじゃないですか 「放っておいて!」と。

 

だからいつも自分でやるって決めてる人には 神様も放置モードなんですね。

「だって手伝ったら文句言うんだもん」 と

そんなこと言ってるかもしれません。

 

神様にはお任せモードしか通用しませんのです。

 

ああ、お祈りしなくちゃ。 shine(ー人ー)shine

私たちを育んでくれる世界も大切にしますshine よろしくおねがいしますshine


グリーンタラ

グリーンターラはいつでも出番を待っているそうです。 

思い通りにならないこと

月曜日のブログが 遅くなってしまいました。

(ノд-。)あぅ。。

実は、書き上げたブログを公開直前に すっ飛ばしてしまいまして 少々やさぐれています。(苦笑

 

もう一度同じ内容は書けない!!

テーマは降りてくるので 同じものは書けません。。。

・・・ というわけで 少々やさぐれつつも どうしても朝までに書きたい私がいます(苦笑

think    think    gawk

で、何を書くんだよぉ~ (*´Д`)~3

 

この世界は しばしば 、いや、頻繁に 予想外のことを起こします。

そんなもんです。(笑)  

書き上げたブログが 消滅するなんて 珍しくもありません。。(^_^;)

台風とか地震で起きる何十年に1度レベルの災害に比べたら 砂粒ほどのこともないのでございます。

(実は辛すぎないことの方が余計に腹が立ったりなんかしますが・・・  )

 

ふと あることを思い出しました。

スピリチュアルにハマる人や 引き寄せの法則を実践しはじめた方の多くに

この世界で自分の思い通りに世界を動かす手段や、困難が起きない手段として法則を使おうと思っている方がいらっしゃるのですが、

実際は 法則を実践して波動を高くしていても、何の罪も犯していなくても、悟りを得ていたとしても

辛い出来事や試練の出来事は、起きる時は起きます。

災害とか 事故とか 何か突発的な出来事は あちらこちらで起こります。

 

そんなんじゃ意味ないじゃん  なんて言わないでください。

事が起きた瞬間とその後が大事なんです。

要は 起きた出来事をいかに引きずらないでいるか  です。

 

今のあなたの気分の波動が 外に影響を及ぼすのです。

いつまでもイライラしたり 腐っていては そういうことの種を蒔き続けることになります。

内側にカルマがあって、苦しみ続ける というのは このネガティブ波動を出し続ける ということです。

ネガティブ感情は 人間なら誰にでもあり、何かの拍子にピュッと外に出ます。

イラッとしたり、ムカッとしたり ムッとしたり です。

それはただの反応です。

その感情が外に出てしまうと自分の内側からなくなるので 基本的には外に出したいのです

が、人にぶつけるとグルっとまわって戻って来てしまいますので、

誰も傷つけないように自分だけで処理してスッキリしてしまいます。

出る時はとっとと出してその後スッキリして引きずらないのです。

 

内側に沢山の怒りをため込んでいる人は ちょっとしたほころびからズルズルと怒りが流出して収拾がつかなくなります。

こういう方は 特に瞑想をなさってください。

そうでないといつまでもネガティブのループにはまってしまいますから。

 

内側にカルマが少ないと 出るものも少しなのですぐにスッキリします。

ちょっとプンプン怒ると すぐに笑えてきて 機嫌が直ります。

 

そんなこともあるさ と思えます。

 

とっても辛いことでも、 思いっきり泣いたら スッキリするんです。

 

なかなか上手に感情の処理ができない と 思われる方は 一度アトリエ霽月にご相談ください。

瞑想をしている方でもしていない方でも ちょっとした工夫でとても生きやすくなったりします。

 

瞑想もあなたを助けますし、日常の工夫もあなたの日常を楽にします。

 

お悩み事をお持ちの方は お気軽にご相談くださいね。

 

毎日を笑って生きましょう。

 

いろんなことがあるけれど、素敵なこともたくさんあるこの世界です。

あなたの人生が 感動の光でキラキラと輝きますように。shine

葉