2018年06月

正義について

人は勧善懲悪のドラマは大好きですよね。

最期は善が悪をやっつける爽快なドラマ

正義の味方は戦います。悪を懲らしめるために。

善と悪のに二極化 という単純な構造は理解しやすいですし、自我は自分の正当性が欲しいので自分を善のグループに入れる考え方をしたいものです。

私はこれでいい  私は正しいことをしている

 

かつて 正義のヒーローが 悪い怪獣をやっつける時

怪獣にはどんな罪があったでしょうか?

 

この世は善と悪がきれいに分かれてできているわけではありません。

私たち人間にも 善意と悪意  つまり 愛とエゴが同居しているのです。

 

エゴは自分をエゴだ とは思いたくないので

エゴに正義を主張したり、モラルを持ち出して他をやっつけたりしたがります。

 

私は正しい、お前は間違っている。

マインドは無意識のすり替えにより、 愛でない行動にフィルターを被せて自覚を消してしまいます。

 

私たち あなた方は どんなことをしていますか?

 

私たち人間の意識の中の正義は 時代や地域によって変化します。

どこからどこまでが許されて、どこからどこまでがアウトなのか?

自然の中に境目などありません。 

境目を作るのは人間の観念です。

 

現代の日本の社会は、民主主義であり、資本主義社会です。

お金を多く獲得した者が有利になるため、お金を最優先して生きる人々が増えてきました。

発展や生産に価値を置かれます。

 

私たち あなた方 人間は 何をしていますか?

 

その前は民主主義に移行しつつも、まだ階級社会でした。

権力のある地位にいる人が発言権、支配権を持っていました。

貴族や支配者は地位や権力があり、下層階級には権利がありませんでした。

富裕層は支配と同時に帰属する下層の人々を養う社会的義務も負っていました。

 

その前は封建社会です。江戸時代ですね。

君主(幕府や藩主)がいて、領民がいて 下の階級の者は上の身分の支配者に忠義を示さねばなりません。その忠義が美徳とされました。 君主の命により切腹さえします。

領主は 領民を養ったり、采配する義務がありました。

民衆の幸福は領主の匙加減でもありました。

支配者に逆らえば身分をはく奪されたり殺されることも。

その前は戦乱の時代で長らく武力の強いものが支配権を持っていました。

殺し合いによる権力の奪い合いの世界です。仏教で言う修羅界ですね。

敵対する兵を多く殺して手柄を立てた者が英雄です。殺人は手柄でした。

人権などという言葉も存在しません。

生き残るためには命がけです。

命すらも補償などされない世界です。

それが人間の世界でした。

 

今の日本は 昔に比べ 多くの人々の人権が保障されるようになり かなり平和になりました。かつて命さえ守れない時代のことを思うと、なんと平和で安全に変化してきているでしょうか?

でも完璧な社会ではありません。まだまだ多くの苦悩する人々がいます

居住する家があり、飢えることはなくなった今の社会で

人々は なぜ 幸福ではないのでしょうか?

 

幸せは 状況によるものではない ということに そろそろ気付かねばならない時代がやってきています。

 

エゴは自分の都合を優先します。

エゴが増大すると パワーで他者から奪うことを始めます。

法律で禁じられていることは、自分に不利ですからしませんが、

法律で禁じられていないことはエゴイスティックです。

時には正義を笠に着て。

 

エゴは自分を護りたいのです。

エゴは自分の正義を守りたい。

 

それが結局は自分の首を絞めたり、不安定なところへ追いやることでも

目先のものしか見えず、突き進んでしまうのです。

なせなら 怖いからです。怖れや不安から自分を護りたい。

そして 愚かなことをしてしまいます。

 

真理を知らないまま 流れに逆らい、 自分の思いが違う方向を向いてしまっている

ということを思い知るまで 自我は抗います。

 

これが人生という学びの場です。

 

幸福になるための方法を見つけるまで それは何代も続いてきたのです。

そろそろ 本当に幸福で調和する世界を見つけたいのです。

 

仏教は 苦悩について どう取り扱うかを説いています。

全ての魂は成長しています。 成長する機会は 日々のいろんな出来事と

我々のいろんな思いにヒントが満載なのです。

 

思いが掴みたい 理想を 一度手放して

ニュートラルに ただ 今を感じてみてください。

 

あなたの命は 今を輝きたがっています。

そのために足らないことなど 何もないのです。

あなたが 今 ここに存在すること そのものが 輝きなのですから。

 

更に輝くために 戦う必要はありません。

ただ、 愛の光を放てばいいだけです。

裁く必要もありません。

あなたの優しさを使ってください。

愛の光

葛藤で起きている事

あなたはストレスを抱えていますか?

ストレスは外的要因で起こるばかりではありません。

あなたの内面の戦いで起きる摩擦、

マインドとハートの意向の相違による摩擦は あなたにストレスを与えます。

行動するしないに関わらず その葛藤はあなたを疲れさせるのです。

 

頭、思考というマインドと、ハートの魂の声が逆のことを主張しますと

内部で葛藤が起こります。 身体の中で真逆の方向性が引っ張り合い、摩擦を起こします。

その距離が遠ければ遠いほど、抵抗が大きければ大きいほど

欲求が強ければ強いほど 摩擦は大きくなります。

 

これは苦しいです。

行け! というハートの声 と、 行くな!というマインドの声

耐えろ! というマインドの声 と もう嫌だ! というハートの声

したい!というハートの声 と ダメ!というマインドの声

マインドが 本当に大事なものが何か?を理解していないと

マインドはことごとくハートを無視・抑圧しようとします。

ハートの声は次第に罪悪感になります。

 

自分にダメ出し 

この思いがフィルターになって 外部から否定されているように感じてしまうのです

これは 真理を知らない時によく起こります。

マインド重視で成長してきた現代文明に起きる現代病の原因でもありますね。

 

私たちは自然物です。 人間という自然物です。

マインドは人工物のようにこの体もコントロール下に置きたがりますが、

自然物は自然の流れに沿った命を生きようとします。

マインドが支配しきれるものではないのです。

それは無秩序 ということではありません。

自然と 人工(マインド)の 共存が必要なのです。

自然にもっと優しくなってください。

神の目になれば 全ての物は 慈しまれることが理解できます。

 

あるがままの姿であることを邪魔しないで

干渉は最小限に。

神は あるがままにさせておく愛です。

 

支配したい傲慢なエゴの増長はやがて 折れます。

永遠なるものは自然の流れです。

 

この世に キラキラと煌めく エネルギーの光。活動のエネルギー

輝かしく光って 生きていることを謳歌してください。

そして 花は次の世代へと移りゆきます。

 

個の意識はやがて拡散し 全体に統合され そしてまた

新しい個へと生まれ変わるのです。

 

愛 という土壌を耕すことが あなたのいる世界を豊かなものへと変えてゆきます。

 

肉体には制限がありますが、意識はどこまでも拡がることができます。

あなたの意識を狭い所に閉じ込めないでください。

 

瞑想によって あなたの意識は自在となってゆくのです。

この素晴らしい世界を あなたの自由な意識でとらえてください。

あなたが世界の輝きそのものとなるでしょう。

鶯は鶯として歌い、メジロはメジロとして歌います

それぞれに命を生きること あなたの幸せを生きる事、今を懸命に生きる事をしてください。

あなたはあなたの歌を歌い、あなたの花を咲かせます

桜とメジロ

意識

あなたの意識はどこにあると思いますか?

頭? 身体? ハート? それとも 違うところ?

 

マインドは頭で考えます。脳の前頭葉 ここは思考の計算機、あるいはコンピューターのように システマチックに規則に基づいて結論を出していきます。

ルールがないと考えられませんので、ルールを欲しがります。

 

身体に意識はないでしょうか?

あります。感情は身体から出てきます。 かぁーっと内側から絶対的な熱量を持って頭に血が上ったりしませんか? 

身体が固まるとか 身がすくむ

頭ではないどこからやって来る感情なんでしょう。体のあちこちが痛む場合もそうです。

心身症は身体に出ます。また、特定の感情を司る臓器たちがあります。

 

ハートは 愛やあなたの望みを感じます。胸にハートチャクラがありますけども

ハートはどこでもないあなたの奥に存在するように思います。

 

あなたの愛はハートより湧き上がります。

ハートはあなたの人生の方向性を知っています。

人生・命 の羅針盤なのです。

あなたに必要な体験の方向に行きたがります。

 

あなたの意識は どこにありますか?

 

あなたを少し高い所から見て、あなたを客観的に観察している意識はどこにいるでしょうか?

あなたを評価することなく、見ている意識 見守っている意識

それは神の意識です。

神の意識はあなたを裁いたりしません。 ただ あなた という命を見ています。

あなたの存在を慈しんで見守っています。

あなたが意識をそこに合わせると あなたの意識は神の意識を感じることができます。

 

神の意識は いつでもどこでもどこにでも 私たちと共にあります。

私たちの根源である神の意識は 埋もれていることはあっても、無い ということがありません。

それは命の根源だからです。

 

見守っていてくれると言っても 全然助けてくれないじゃないか!!と思う人もいるでしょう。

神は私たち人間の意識が自由に自分の人生を選択できる その選択を邪魔せずに見守っているのです。

ですから、私たちの意識が 神の意向(つまり自然のルールや法則性)に沿う時、あなたの状況や流れは追い風を受けます。

流れに逆らっている時、神はそれをただ、眺めているのです。

 

思考は 自我の意識から始まり、人間のルールを先に取り入れますので

神の意向は 置き去りになっています。

経験的に 危険を回避するシステムがこの体に備わっているのです。

自我の意向は個体を守ること、私たちの安全を守るために いろんな危険回避の条件を作ります。(自然の都合は無視されがちです。)

思考が掴んでいるルールは狭い経験値からのルールで 雄大な自然の力を考えていません。それらをも支配できると勘違いしていたりもします。

自然の声にもっと寄り添えば 人間は世界と調和することができます。

 

思考が掴んでいる狭いルールは 一度 手放してください。

もっと大事なものがあるのです。

 

魂の声には根拠が伴いません。 ですが知っているんです。 行くべき方向を。

 

魂の声を聞いてみたいと思いませんか?

瞑想はマインドを緩め、カルマの汚れを落とし、本来のあなた自身を浮上させてくれます。

あなたは この世を天国にしたいと思いませんか?

それはあなた自身が作り出すことができるのです。

エゴを手放し、怖れや不安を手放し、意識は自由になることができるのです。

衛星写真 地球

 

新しいもの

みなさま、毎日を楽しくお過ごしでしょうか?

私は 人と関わるのが好きなので この瞑想のお仕事は楽しくて仕方がありません。

かつて 対人恐怖症になったことがある人間とは思えない 今日この頃です。

対人恐怖症になったのは10代~20代の頃でした。

なぜ 対人恐怖症になったか  う~ん と 古い記憶を思い出してみますと、

最初は 10歳の時に蕁麻疹が出るようになりました。

蚊に噛まれた後みたいなふくらみがどんどん広がってまだらな地図のようになっていくタイプのじんましん です。

顔に出ると 目も口も腫れあがってお化けみたいになりました。

学校で 授業中などに出てきてしまうと もう拷問のようでした。 

かゆくてたまらないのはもちろん、腫れた醜い顔を見せたくない。

自分の姿を恐れるようになりました。

それから 13歳中学一年の時、男子のからかいのターゲットになり

1日中 「ブス、死ね!」などと言われ続けて2ヶ月ほど経ちまして、死にたくなってしまいました。

それから 男性が怖くなります。

人に見られるということを極度に恐れるようになりまして、それから暗黒の時代が続きます。(苦笑 coldsweats01

いじめの環境はほどなく改善しましたが、恐怖心が抜けませんでした。crying

 

20代半ばまで人が怖かったですね。野犬みたいに尖った目つきをしていたかもしれません。

 

でも 今は そんな遥か昔の話は 取るに足りません。(笑) 自分の話だというのがウソのように私は人が大好きです。

 

自分は自分のままで生きても大丈夫 (どの人も自分らしく生きていい)ということがわかるようになって

私は自然体でも友達ができるようになりました。

いえ、むしろ 飾らない欠点だらけの自分でもいいのです。

飾ることよりも飾らないことの方が 愛すべき友達ができるということがわかりました。

飾らない 自分も他人もコントロールしない・支配しない それだけでいいのです。

 

もちろん、それじゃOKをくれない人も世間にはいます。

でも、それでも そんなあなたがいいよ と言ってくれる人もいるのです。

そのままでOKだよ と言って友達になってくれる人と友達になれば 私は本当に飾る必要はなくなりました。

その場所のルールや習慣を知れば そのことは尊重します。

出来ないこともありますが、できることはします。無理なく喜んでできるようにします。

そして 私も人にそのままでいいよ と思うのです。

足らないところを責めないのです。

いろいろ 癖はそれぞれですが 人生において 人は不完全なものです。

責め合うのではなく 労わり、支え合うことが愛。

個を尊重する 全体の調和です。

 

スピリチュアルの法則や 瞑想を知るようになって

完璧であることよりも 愛であることが大事だとわかってきました。

自分の中に取り込んでしまっているジャッジやこだわりを外していけばいくほど

純粋な愛になっていくことができます。

世界が未熟な私たち人間に多くを与えてくれている愛を感じながら 生きます。

 

エゴは頑固です。

でも、執着するものは奪われる結果になる 

そこにエネルギーの歪みを作ってしまうからです。

 

本当に必要な体験がやってきて、エゴは手放し、 私が愛になればなるほど 

私を取り巻く世界は調和していくのです。

 

エゴの願いは叶いません。

愛が拡がっていくだけです。

愛の中で生かされていきます。

愛という新しい人生を生きてください。

 

shineheart01shine

 

そうそう、新しいものがやってきました。

瞑想サロンに 全世界を繋ぐ道具がきました!

ディスプレイ

40インチのディスプレイ!!

これで世界中継の瞑想会が可能になりました!!

さっそくですが、7月1日日曜日 10時から マインドフルネス瞑想会 全国&世界同時開催の瞑想会です。

福岡会場はアトリエ霽月です。

初めての方でもご参加いただけます。

ワシントンDCにいらっしゃる ティク・ナット・ハン禅師の姪のアン・フーン女史が

講話をしてくださいます。質問も可能です。

参加費は1000円、それとアン・フーン女史への寄付(ドネーション)をお願いしています。

お昼ご飯をお持ちください。 できれば菜食のお弁当が理想的です。

食べる瞑想をご指導します。

その後、アトリエ霽月近くの南公園へ プチハイキングなお散歩。歩く瞑想です。

大体15~16時くらいで解散です。途中までのご参加でも構いません。

お誘いあわせの上おこしください。

参加申し込みは お問合せフォームからおねがいいたします。 

旧友

ご無沙汰いたしました。3日ぶりの更新です。

 

今月は盛り沢山な月です!happy02

合宿を終えた翌日、大学時代からの大親友が福岡を訪れました。

普段は あまり会う機会がないのですが、1,2年に一度くらいのペースで会う機会があります。

いつもは私が今日でお世話になるのですが、今回は親友の2度目の福岡滞在でした。

京都から共通の友人と共に 日常を離れて 瞑想伝授がてらこちらに来てくれたのです。

そして、マニアック パワスポ ツアー (自分が一番好きなところに行く)

 

私の友人は純粋な人が多く、そして とても真摯に物事に取り組む職人気質の人が多いのですが 今回来てくれた親友は特に 大学時代からの純粋さを一切失わずにいる 素敵な友人です。

アーティストでいられることの幸せを感じます。

自分らしさを失わないことは素晴らしい!

 

そして共通の友人も交えて 50代の女子会になりました。

いくつになってもフィーリングや関係性が変わりません。感性はとてもピュアです。

アーティストたちは素敵です。(変人さもぶれません。わたしもですが(笑))

いろんな悩みも踏み越えて 美しい50代を輝かせています。

 

かつて こんな女性のように年齢を重ねたい と思っていた そんな女性になれたでしょうか。

もし勇気づけられる存在であれれば こんな幸せな事はありませんよね!

年齢は関係ありません。 いつでも今を幸せに生きたいのです。

その時々の自分を輝かせてこれからの60代も70代も 笑って生きたいものです。

 

独りで閉じこもっている暇はないほど、やりたいことだらけで

これからもチャレンジして参りたいと思います。

 

もしも、煮詰まっている方がおられましたら、

アトリエ霽月で ご一緒に瞑想を始めましょう。

あっけらかんと笑う方法も伝授です(笑)

 

日々の小さな喜びがちりばめられた 素敵な人生を送りましょうshine

今週は伝授が5件 素敵な瞑想者が誕生しています。bud happy01heart04

キラキラ笑顔輝かせてくださいませshine wink

 
 
 
 
 

 

 

 

 

高千穂瞑想合宿

瞑想合宿

瞑想合宿から返って参りました。

総勢40名のコースでした。 久々に会う教師仲間とも嬉しい交流でした。

コースの前後に 希望者が高千穂の神社巡りなども案内してもらい 高千穂満喫のツアーとなりました。

 

コース会場は 高千穂の瞑想教師&ヒーラーの 飯干和久さんのご実家の五ヶ瀬産業作業所を解放してくださり、コースのためのセミナールームを設営してくださいました。高千穂の自然に囲まれてコースが進んでいきました。

上級ニューライフマントラ と スートラ 伝授&実践でした。

上級瞑想ですが、瞑想を始めてまだ日の浅い方々もとても良い時間を過ごしてくださり、とても嬉しい限りです。

長期コースは 深く考えることよりも、深い体験が大事です。

表面的な意識に関わらず、魂の奥で感じる変化は 言葉にし難いものがあります。

 

深い所での理解と変化を得て 皆様のギフト(才能)が輝き出すことと思います。

 

マインドにとらわれることなく、命を輝かせて今を生きる

愛の源であることを常に意識し、温かいまなざしでいることを選択します。

 

コースから帰り また日常生活に戻ると 今までの自分を見る自分がいて、

そこを変えたくもなり、必然的にも変化してゆきます。意識が拡大しますと もう元の枠の小さい自分には戻りたくなくなります。

勇気を持ってニューライフを生きてください。

翼を広げて 羽ばたけるのです。

 

だれという基準でもないあなた自身を生きてください。

あなたの生き方はあなたが決めるのです。

そして意識が愛になると 言動が変わっていきます。

自分を大切にすると同時に 他人の意思も大事にしてください。

合わせることよりもそれぞれの自由を生きる事ができます。

 

人や物、自然、 全てに愛と慈悲の心を向けてください。

それができるように無意識の領域を整えることができるELM瞑想です。

まだ未体験のかたはぜひELM瞑想を始められてください。

 

瞑想経験者の方は 更なる気付きの機会になりますので ぜひ瞑想会にご参加ください。

 

体験瞑想会は7月7日?10時~12時です お気軽にご参加ください。

瞑想会は

今月26日?ランチタイム瞑想会、 来月15日? 1日瞑想会があります。

瞑想実践者の方々は 再確認のためにもぜひご参加くださいませ。

高千穂コースのエッセンスをお伝えしたいと思います。

 

お問合せフォームよりお申込みくださいませ。

 

ボブ・フィックス氏の合宿瞑想コースは 次回は10月に富士山麓で行われるそうです。 詳細が決まりましたら 順次告知いたします。

 

まずはご報告まで。

マインドが黙る時

マインドとは思考のことです。

あなたには思考が黙っている時間はありますか?

 

私たち人間はリラックスしている時は思考していないことが多いです。

お風呂に入って 「はぁ~いい湯だな~」とくつろいでいる時は今を味わっています。

大自然の中で雄大な風景に感動している時、

大自然の空気を満喫している時、

私たちはいまここを満喫しています。

 

思考は 頭がいい と言われる人ほど、沢山活動します。

思考は 何か緊張感をみつけると、とっさにスイッチが入ります。

何かを見つける前から 何かを見つけようと目を光らせていたりもします。

 

あなたが 人生をくつろげるものだと思っていない時

あなたが生きている環境でくつろげる場所を見つけていない時

思考 マインドは常にスイッチが入っています。

 

瞑想は思考から離れる時間ですが、

入り口ではまだ思考が見えていたり、うるさいと感じることもあるかもしれません。

でも、ELM瞑想では 瞑想中に空のエリアに行くので それらの思考に影響されなくなっていきます。

なにか、いまここにくつろぐことに不安を持っている意識は 思考を手放すことが不安なのです。

 

目をつむって 瞑想に入るとき、あなたは何者にも脅かされません。

あなたの中の意識の喧騒を瞑想中に手放してゆくのです。

 

その喧騒で あなたが傷つくことはありません、

過去の傷を癒しているのです。

 

意識の中から不安や緊張が出て行けば

普段の日常の意識も 平和になってゆくのです。

 

瞑想も王道はありません。

それぞれに必要なプロセスを経て あなたはクリアリングされてゆくのです。

一人一人にふさわしいプロセスで 掃除がなされます。

ただ 身を任せて ゆだねきってください。

ELM瞑想は 30分の瞑想で あなたが綺麗になってゆきます。

内側から美しく 変化していきます。

毎日少しずつ。

 

一気に大掃除したい方は 集中瞑想コースが年に何度か行われますので

参加してみてください。

 

今回の高千穂瞑想コース  40名の方がご参加されています。

 

瞑想で内面を清めましょう。

あなたの気分を支配する無意識下の意識が重要なのです。

ELM瞑想は無意識下の領域を動かします。

あなたが意識する以上のことが変化します。

葉衣観音

自我の幻想

本日から長期瞑想に入りましたので 事前に書いておいた記事をアップいたします。

長期瞑想のご報告はまた後日に改めて。

しばし瞑想に没頭いたしますね。

 

 

先日 youtube動画で 沢山の人生相談を聞くことがありました。

人々のお悩みに どんな回答が出るのか という興味がありました。

お悩みは それぞれにいろいろ。

悩んでしまう というお気持ちはとてもよく分かります

それを悩むのをやめるのが瞑想者のスタンスなのですが

人生相談のお答えの多くはそんなこと悩まないで別の明るいことに目を向けよう

という方向性の回答もとても多いです。

 

特に 自信が無くて不安な方は 

行動を起こすことが怖くてたまらない という心理状態です。

全力でやれるだけやればぜったいできるよ! と言いたくなるようなお悩み 

どんな風に言葉がけするのだろう?と興味深々なのです。

1回の失敗であきらめるな! どうせとか 私なんか なんて言うな!

解決は やる気だけのことなのです!

今の私ならそう言うけど、

かつての私は 急に怖くなる ということが頻繁に起きていました。

なぜ、そんなに怖くなるのか 自分でもわからないのです。

これには本当に本人も困惑なのです。coldsweats01

 

心理カウンセラーの回答者の方は 自信が持てない原因になってる深層心理を上手に説明されたり、本人が気付かない複雑な心のもつれを ていねいにもつれを解いて相談者に納得させていく様子は しばしば感動的であります。

 

自我は自分の問題点を直視することはとても苦手なのです。

 

それは 自信を持てる自分でいなければならない。他に誇れる自分でないといけない という思い込みがあるからでしょうね。

無意識の思い込み  ベースに潜んでいるもの

 

かつて、できないことを馬鹿にされたり、蔑まれた心の傷、そのことで親に疎まれた体験などが いろんな否定感や拒否反応を作ってしまいます。

嫌な思いをした出来事に絡めた縛りができてしまうのです。

 

ちゃんとしないとダメよ とか

いい子にしないとダメよ とか

ダメといわれる子は嫌われる とか

恥ずかしくない生き方をしなさい とか

 

そういう縛りを握り締めてしまうのです。

 

ではこれらは無いのがいいのか?ダメなのがいいのか? と聞き返したくなる人もいるかもしれません

 

この世界は両極の二つで出来ているのではなくて

ただ、基準と しばりは別物だ ということなのです

 

マインドは平面的に物を見がちですが、世界は立体的 多面的なのです。

 

そりゃ ある意味 いい子にした方が、そうでないより幸せがあつまりやすいかもしれません。

でも、そうできないことっだってありますし、

それ(いい子)をすることが限りなく苦痛なことだって あるのです。

どんな場面もいい子でいられないこともあるのです。

 

正解は一つではないです。

 

あなたが 今どうすれば一番いいのか?

それは他人が決めることではありません。

ワガママは 自我は納得するでしょうが 周囲は摩擦を感じるかもしれません。

我慢は 周りは納得するかもしれませんが、自分が納得できない我慢は 生きる意欲を奪います。

 

あなたが今どうすることを選びたいのか 自分で選んで自分で結果に責任を取る

それが正しい体験の仕方です。

ハートで選ぶ というのはこのことを言っています。

頭で考えるからわからなくなったり 葛藤してしまったりします。

 

別の言い方をしますと 結果を自分の責任を持って受け止めれば あなたはあなたの未来を好きに選ぶことが出来るのです。

 

エゴはその責任を取りたくないために他人のせいにする準備をしてしまいがちです。その無意識の癖を気付くために あらゆる摩擦やトラブルが起きて あなたにそれを知らせてくれます。

私たちは体験によって多くのことを学びます。

 

私たちが 自分のしていることを 本当に客観的に見ることが出来れば

私たちは道を誤りはしません。

カルマの感情に押し流されることなく

自分と人々の幸福を見つけることができるのです。

そのために心の中をクリーニングする瞑想をお勧めしています。

頭を悩ませるよりも内面のお掃除 瞑想をしたほうがずっと早いのです。

 

もし あなたが これまでの考え方や方法にしがみついているとなかなか新しい境地へは進めません。

困惑したときは 保守的立場をとるのではなく、サレンダー(降参)して

ゆだねてみてください。

流れは驚くべき解決手段を使います。

体験

私たち人間が恐れる事の一つが 『知らない』 ということです。

安全であるかどうかわからない ということです。

この体を守るマインドのシステムとしては 危険なことは避けろ という指令が出ますので、

危険アラーム(怖れ)を発生させて回避させようとします。

 

でも、それは知らないだけで 実際に危険かどうかは まだわからないのです。

夜中に恐怖したお化けの正体は 枯れすすきだった というようなものです。

 

それとは逆に、真実を確かめたい 知らないエリアを探検したい という

チャレンジを好む魂があります。

特に若い世代は体験を増やさねばなりませんから、

大人から見ると 無謀に見える冒険をしたがります。

そのチャレンジやスリルを楽しめる生命エネルギーを持っているので できるのです。

むしろしなければエネルギーの消費場所がなくなって困るくらいです。

今時の子供が悩みを抱えてしまう多くの原因が 

大人が子供のチャレンジを禁じてエネルギーを封じてしまう ということです。

 

大人は かつて子供時代青春時代の生命エネルギーから、緩やかな変化をしてきました。

変化は緩やかなため エネルギー安定の時期 衰退の時期に移行していくことをついつい自覚しないで 最初から今の自分でいたり気がしています。

そして今の自分を基準にして 若者へ意見していまうのですが

 

特に若い命には チャレンジさせてください。

 

自分がしたことがない驚くようなチャレンジでも

その子が望むなら チャレンジさせてください。

むやみにこちらがその体験を選ばなくていいのです。

あらゆる体験そのものが 魂を大きく成長させます。

 

そして

もし、あなたがすでに大人でも

チャレンジはどんどんしてください。

ほんの些細なチャレンジでもいいのです。

新しい体験はあなたの意識を拡大させます。

 

自由に とらわれずに  保守にこだわらないでください。

生きている実感が味わえます。

 

また、毎日が同じようなものと思っている場合でも

日々新鮮な朝を体験しています。

一日たりとて同じ日を体験しません。

あなたの意識が同じようだと退屈しているなら

新しい今日を生きてみてください。

そこにある水や光や 空や空気は 昨日のものとは違うのです。

今日の私の身体も 昨日の私の身体と同一ではない。

 

日々の生命活動を楽しんで 今日できる新しい体験を楽しんでください。

 

常に 今ある材料で 新しい今日を作り上げるあなたがいます。

芽

この世界は無限の未知で出来ています

とても感動的ですshine

 

6月15日から高千穂にて瞑想合宿に行ってまいります。

今月の1日瞑想会はお休みです。

 

 

鏡の法則

以前 同じテーマで書いたことがありますが、

またお伝えしたくなり書いております。

 

この世界は自分自身の意識を反映した鏡である という宇宙の法則

類は友を呼ぶ という言葉もありますね。

この世界は 自分と同じ波動の人や 自分の学びのテーマに相応しい役割の人が 目の前に現れるという法則がある と言われています。

これは いたってスピリチュアル的見方でもありますが、

例えば 自分が修正した方がいい行動パターンも持っていると

同じことをする人が目の前に現れて、あなたのしていることは外から見るとこんな風に見えてますよ というようなメッセージとして

見せられるという体験をする という法則がある のです。

何も知らない最初の頃はマユツバ的に聞いていたこの法則の話

実際自分の行動をそのように見ていくと なぜか 本当に思い当たることだらけで

疑う余地がなくなっていきました。

最初は 私はそんなひどいことまでしない!と思うのですが、

程度はちがっていても、似たようなパターンの行動を ちがう材料でやっているのです。

 

最初は全然気づかず、自分のしていることは棚に上げて 他人の批判をするわけですが、

腹を立てている間はなかなか気づかないのですが

相手を悪者にして人を指さすとき、

指差し

中指薬指小指の三本は自分を指しているじゃないか というように

人に向ける思いは 自分自身の事だったりする 人の事は言えないよ ってことを

ついつい 思い出してしまうようになりました。

 

もしかしたら まだやっていないかもしれないことかもしれません。

でも、その要素が自分の中にある ということで 自分の中を探してみるのです。

 

無い 絶対ない、断じてない!!! と反応する時は そのことへの拒否感と嫌悪感が存在します。

 

自分はそれに当てはまりたくない

でも、当てはまるかもしれない いや、ぜったいそれになりたくない

という 自分に対する恐れみたいなものが反応して拒否として現れるようで

自分の中にない要素に対しては 反応しないんだそうです。

心当たりがあるから 全否定したい 認めたくないこと  ということですね。

そのことを禁じられたので嫌悪するのかもしれません。

 

そうわかり始めてから 世界はそのように 自分の中にある要素を見せてくる世界だ と思って観るようになりました。

 

そうするうちに、他人の失態など 自分にも起こりうることだ と受け止めた時は

また 腹が立たなくもなります。

だれだって、一歩間違えれば または条件が揃えば そうなりかねないのだ

と、そう理解していれば 失態を犯す ということを受け止めるキャパが出来、

他人をむやみに責めたり嫌悪したりしなくなるのです。

 

どうやらその意識の変換 他への理解が 魂の成長 ということのようです。

 

もし、何かに腹が立ったら、その行為は どこかで自分も同じパターンを持っていて

それを拒否する気持ちの現われだろう と思って 内省してみるのです。

 

人間という生き物への理解が生まれます。

 

私の表具の先生はとても成熟した人物で尊敬しているのですが

私が作業に失敗したときに怒りません。

職人ですから、厳しく叱咤されて学ぶものだと飛び込んだ世界でしたが、

うっかり間違って切ったり、言われていたことを間違えてしてしまったり、不注意で失敗したときなど、叱られると身をすくめていると

「今、失敗しといてよかったな。 これでこの作業の注意するところをしっかりおぼえておけるだろ? もししっぱいしていなかったら、あなたはこのことにきをつけられないままだったかもしれない」

これを最初に言われたときは感激でした。

そうか 失敗は学びなんだ。

 

我々人間は愚かしくも健気で愛すべき存在です。

自分を守るために他を攻撃したり、

自分の立場を守りたくて自己正当化するのは 

自分を孤立させるだけだということに気付いてください。

 

あなたの魂が成長すればするほど、この世界は愛おしい存在になってゆきます。

全ての命に愛を向けることができた時

あなたの中には恐れや不安は存在できなくなるでしょう。

あなたの中で反応する自我の意識も愛すべき存在です。

自我を包む客観的意識 それを神意識と呼びます。

あなたの中に神が存在する というのは

私たちは神の分け御霊 神の分身である ということです。

全ての生命は神と呼ばれる命の源から来た存在です

 

全ての人は同じものからできています。

気付くのにそう長い時間は必要ありません。

鳳凰の空