2020年03月

必要な事

物質重視だったこれまでの世界観から 次に移行するのは

霊性と波動を見るようになる世界です。

高い波動は心地よく幸福で平和ですので、欠乏とか苦悩というものには無縁です。

 

物質重視の人々は 物質を確保することに夢中になります。

お金は特殊な形ですが、これもエネルギーと時間が変換された物質とみなします。

その物質を将来的にも確保しようと人間は必死になってしまいます。

これは欠乏の怖れからやって来ます。

まだ起きていない欠乏の幻想です。

過去に欠乏した時の痛みの記憶

それは怖れや不安として内側から湧き上がります。

私は戦後の日本のカルマは 多くが戦争によって作られたと思っていました。

戦争による負の体験、恐怖と欠乏の体験が 人々を貪欲にさせました。

それをしないと生き残れないという危機感は、戦争が終わって復興以上の発展を成し遂げた後も、なかなか手放せず、その世代は獲得のために人生を過ごしました。

でも、戦争を知らない世代は、そのカルマを引き継ぎつつも、

その行動に疑問を持ち始め、更にその下の世代になってくると

貪欲さ自体に疑問を持ち始めます。

 

そう、人は、過剰な資本や財産を持っていなくても、生き延びていけることに少しづつ気付き始めています

でも、すでに多くのものを持っている人々は、それを失う恐れを持っていますので、なかなか偏った構造を手放せません。

引き剥がされ、奪い取られるまでそれらを自分のものだと信じて 守り維持しつづけようとあがくのです。欲と執着です。

世界は バランスの悪いエネルギーは平均化させる法則を持っていますので

その歪みは世界からの圧によって押し流されてしまいます。

態勢が崩れる というのは 積み上げすぎた積み木が崩れるようなものです。

容器を傾けるとその中の水は流れて低い所に行くように、

それを塞いでいる壁に圧がかかるように、

せっかく作ったダム湖が堆積物で埋まってしまうように

圧がかかりすぎると それはやがて崩壊していきます。

小さな土台の上に巨城を築き上げることはできません。

 

自然が作った地表を塗り固めて我が物顔で増えていく人間

私たちが自然と調和しないで生きていくのは 問題があります。

それをしたいならしてもいいのですが、世界が持っているエネルギーの対流の上に生かされている ということは自覚しておかねばなりません。

 

この世界で、与えられたもの 奪われるもの

来るもの 去るもの があります。

世界の都合は 私達人間の意思とは関係ないことも多いですが、完全に無関係ではありません。

与えられても求めていないものもあります。

欲しくても来ないものや、もぎ取られるものもあります。

選ぶもの 選ばないもの は自由です。選べないもの もあります。

無意識に選んで引き寄せているものもあります。

本当は選んでいるのに自覚がないと なかなか大変です。

選び方さえ理解していれば、 あなたはもっと欲しいものを手にしやすくなりますし、

手に入ることがないものを無駄に欲しがることもなくなるでしょう。

 

今の時代は 科学や理論を頼りにしていますが、

まだ解明されない微細なエリアの波長の影響にはとんと無頓着です。

もうすでに多くの人々がそれに気付き始めていますが、

あなたが 過去の世界観を握りしめているうちは 

新しい世界観は現れないで、現世の混乱を目にします。

 

新しい世界観、悟りの目覚めを経験した人は

同じものを見ても、そこに苦悩を生じませんし、

トラブルはすり抜けていきます。

この感覚は手にしてみないと理解できない というのが

壁が高く見えてしまう原因です。

本当は壁などそんざいしませんが、

心の中の幻想の古い世界観という壁が立ちはだかっているからです

壁、あるいは、飛び越えられない谷 みたいな感じで

それらの幻想があなたに恐怖を与えます

 

怖れや不安は 幻想です。

これを克服するには

今 偏見にとらわれることなく ただ世界の真実を観察してください。

ブッダの眼は、あなたの内側から世界を見ています

ブッダの眼で見てください

ブッダの眼

ブッダの眼はこの世界のすべてを見ています。あなたの内側も。

ネパール寺院

ウイルス

コロナウイルスの影響が続きますね

このところ第2波といわれる感染拡大が起きています。

どのくらい拡がるのか、被害が影響するのかははっきりわかりませんが、

すぐに以前の生活に戻れそうにはない様相です。

狼狽えることはしないでください。何もいいことがありません。

どんな展開になるにしろ、私たちは冷静に善処していくしかないのです。

人間にとっては 現状が維持できないことはとても困ったこととしてとらえられますが、

実際は悪い方向に向かっているのではないんですね。

この世界は、人間だけのものではありません。

人間のエゴの思い通りになるもの ではないのです。

私たち人間がこの世界の一部で、

私たちが本体の地球や他の生命を蝕む過剰な勢いの存在 であれば、

全体に淘汰されていくのは仕方がないことです。

人間の繁栄が長らく続き、維持できないほど活動が大きくなりすぎた場合、

世界全体のバランスが崩れて 崩壊が起きます。

 

もう何年も前、

「私たち人間がしていることは 高速道路の1km先に子供を立たせて

アクセル全開で走っている車のようなものだ」 と言っていた方がいました。

お名前は忘れましたが、海外の研究者の方だったと記憶しています。

地球資源を貪り、無駄なものを製造しては廃棄する消費社会、

お金 というものを生み出すために、地球を貪っているのは我々人間の日常生活です。

人間の中でも搾取が起きているので、

お金を集める1%の人と 生産して吸い上げられる99%の人 という対比があるそうです。

1%の人がお金の流れを操って作る社会のシステムの中で

99%の人間は生産物であるお金を算出する土壌として扱われます。

こんなアンバランスな世界が安定するわけがありません。

 

私達多くの人間が無自覚に摂取してきた毒も問題です。

そう、化学物質と それから電磁波。

これらのものは即座には影響がありませんせんが、長年に渡って浴びることによって 私たちの身体を弱らせ免疫力や生命力を低下させる作用があります。

もう私たちは本来の生命力を取り戻すために自然体に戻る必要があります。

 

西洋医学で、薬品やホルモン剤やビタミン剤など 元気になるものを提供してもらいながら、身体を大事にしない働き方や意識の持ち方をしていることにも 

気付いていかなければなりません。

 

これまでの漫然と歪んだまま成り立っている状態から 

出来事や 試練に 冷や水を浴びせかけられて、

私たちの意識は 本当に大切なものは何かを気付いて行く必要があるのです。

 

では、本当に大切なものとは何か

それは 一言で言うと「愛」ですね。

思い遣り、慈悲、助け合い、無償の愛 です。

全体は個のために働き、個は全体のために働き、

尊重し合い、支え合う 

怖れや欲や執着に支配されず、平和と調和で維持される世界

 

これは義務ではありません。

全ての人に同じ行動を求めるものでもありません。

愛の大きな人が全体を導きます。

 

そして、今回のウイルスは 毒素を排出するもの とも言われています。

波動の毒、ネガティブ波動ではないでしょうか。

心に毒を持つ方は それを手放してください。

心の毒とは 怖れ、不安、エゴ、執着です。

 

心が平安な方は このウイルスは発症しにくいのです。

瞑想はあなたと、あなたをとりまく環境を浄化します。

強力な浄化をもたらすELM瞑想 ぜひ お役立てください。

 

ただ、静かに自分自身と世界を見つめる時間

何もしない時間 は 大切です。

 

世界観

アセンション と言われる意識のシフトアップ、

『悟り』という意識に目覚めることは 世界観が大きく変わります。

しかしながら、まだ悟りがこれから という方にとっては

これまでの物質重視の世界観から スピリチュアルの霊性、波動で成り立つ世界観に移行することは、まるで青天の霹靂 のようにショッキングなことだと思います。

現実の生活の中で、苦しさや生きづらさを感じて 悟りに憧れる方々の中で

なかなか『悟り』というものが掴み切れず、色々話を聞いたり実践したりしてもなお、なかなかわからない という方、

こういう方、実はとても頭の良い方が陥りやすいジレンマなのですが、

頭で考えるということが先行してしまうため、実践中にやはり色々考えてしまうんですね。

そして 「どうしてまだ自分は楽にならないんだろう? なぜ自分にはわからないんだろう?」と

答えを考えてしまう ということがよくあります。

このタイプの方は 感じる ということが苦手です。 

感じることは 嫌な気持ちや苦しさが先に来るので感じるのが苦手なんです。

それで 楽になることに憧れますが、感じることを考えることで紛らわすのが癖なので 感じるよりも先に考えばかり出てきてしまいます。

 

心は自分の苦しさから逃げたいので、逃げ道の方へ逃げ道の方へと思考が進みます。

何を考えているかは 意識しているわけではありません。無意識の自我がやっていますので、楽になろうと 原因を探したり、自分の罪悪感や否定から逃れようと、ものすごいスピードとエネルギーでMAXに思考が働いています。

言い訳が多い方と、自分のことを話したがる方によく見られます。

このタイプの方は 恥の意識が大変強く、プライドがとても高いです。

そして、ジャッジする識別が多く、自分も他人も裁いてしまうので

自分が許せない状態になっていることも多いです。

許せないけれども、否定すると生きにくいので

否定せずに済む理由を全身全霊で考え抜いているのです。

 

大変疲れます。

 

これは私もそうだった頃があったので どんな気持ちがよくわかります。

怖いのです。

自分の存在と、真実が怖い。

自分の基準では自分が生きていてOKにできないのです。

 

本当にお疲れ様です。

その判断、幻想です。 あなたが握りしめてしまった幻想が
あなたを生きづらくしてしまっているのです。
しかも、あまりにも無意識にそれが世界の基準だと思い込んでしまっているために、
その外側から物事を見ることができなくなってしまっています。

いえ、外側がある なんて考えられない状態かもです。

それで、自分の理解する範囲内で理解しようと思うので無理になってしまうのです。

 

まずは 自分が正しいと思っている事、価値基準、好み を

それは本当にそれがいいことなのか? と 疑問を投げかけ、

一度、価値とか判断をつけないで見る という新しい癖を作っていく必要があるのです。

そう、あるがままを ただ受け止める ということ。

こちらの胸の内にどんな感情が渦巻こうが、

ただ、あるがままを受け止める。 何もしない。そのままにさせる。

 

自我はしばらく悶絶するかもです。sad

 

でも、それができて初めて見えてくる景色があります。

 

まだこれから という方はぜひ チャレンジされてみてください。

それが悟りの入口ですから。

カモメ

 

clover

意識や価値観の外し方、

やり方がわからない という方は アトリエ霽月のセッションをお受けください。

コロナ騒動で 外出禁止令?出てき始めたので、 オンラインセッションでも対応します。

ライン、もしくは facebook のメッセンジャーのテレビ電話、
あるいはzoomで対応できます。(要予約です。)

ご希望の方はお問合せください。

(当日はメールチェックがすぐに出来ないこともありますので、お電話ください。)

オンラインカウンセリング 60分 6000円 (以降、15分毎に1000円)です。
スマホでカウンセリングを受けられます。

『食』のイメージ

私達人間は 思いにとらわれています。

傷付くこと、悲しみ、怖れ、怒り、うらみ、劣等感

プライド、損得、所有、優越感

常識、正しさ、理想、夢、希望

これらはみな 私たちをとらえている心の中のイメージです。

つまり 真実 ではなく 幻想

心の中だけにある存在感です。

 

真実とは 一瞬一瞬変化して流れている 今 という瞬間です。

そこにはこの瞬間の身体と、この瞬間の世界の状態という 存在 そのものです。

そこに意味や解釈を付け加えて着飾ったり誤魔化したりできない 真実そのものが存在しています。

存在にイメージを付け加えて、都合のいいように味付けしてとらえているのは 人間たちです。

 

先日の出来事ですが、買い物に行く途中、車の助手席に乗っていて何気に見た居酒屋の のぼり に

『朝引き鶏』って書いてありました。

一瞬意味がわからず、次の瞬間に「ああ、」と思いました。

隣にいる夫に「朝引きだって、」と言いました

「何を引くと思う?」

夫「苺とか?」 「魚かな?」

私「鶏 って書いてあった」

夫「あーね。」

私「朝、殺した鶏って」

夫「殺した って言うな~!」

言葉が変わると印象が変わります。罪悪感が減る。

殺す という言葉には罪の感情がくっついています。

それと、焼き肉店とかお肉屋さんの看板で

ナイフとフォークを持って笑っている牛さん豚さんのイラストが描いてある看板も激しい違和感がありますね。泣いてるんじゃないんだ~crying

泣いてる絵を描いたら売れませんけどね

調べて見たら同じ違和感を持ってる人が沢山いました。

違和感キャラ 豚のパーティ

このブタさんたちは何の肉をたべているのだろう・・・?

この画像の下に養豚場の画像もありましたが、

貼るのをやめました。 見ると少なからず凹みます。

人間は欲望のために感性を麻痺させて鈍感になっていきます。

 

15年ほど前、狂牛病という牛の病気が流行った時、感染した農場の牛たちがまとめて殺処分になったことがありました。

多くの人が心を痛めてその事態を見ていましたが、

牛にとってはどうでしょう?

病気で死ぬか屠殺場で殺されるかの違いしかありません。

殺処分を命じられた酪農家の人が、インタビューで

「この子たちは可哀想に。お肉になって食べてもらうことができないなんて」

と言っておられたのを、激しい違和感を感じて聴いたのを思い出します。

大量殺処分も屠殺場も アウシュビッツ と大して違わないんじゃないか

と不思議に思うことがあります。

人間は欲望のために感性を麻痺させてエゴイスティックになっていきます。

良いとか悪いとかいうのではなく、自分たちがしていることに無自覚だ ということです。

 

私も牛豚鶏を食べることがあるんですよね。 お肉は美味しいと思いますよ。

滋養 って表現を昔の人はしました。

パワーの元 でもあるんですね。

 

現代人は、スーパーからスライスされた肉片を買って来て調理したりします。

買う時は肉片ではなく、食べた時の味を感じているのかも。

子羊や子ウサギをみて「美味しそう」って言っちゃうおじさんみたいな感覚なのかな。

年齢と共に、それと瞑想するようになってから

食の好みが変わり、あまり食べなくてもよくなりました。

ストレスを作らず、自然な在り方に戻ると、本当に必要な量というのはそれほど多くないことがわかってきます。

最近は そこまで動き回らないので、ベジタリアンになってもいいかな と 思いますが、

徹底まではしていません。

人間は雑食性の生き物でもありますし、現代でそれを取り除くことは かなり手間のいる作業でもあります。

 

食べる という行為が他の命の犠牲の上に成り立っている ということは 理解する必要があると思います。

なので、食べ残しを捨てる とか 売れ残った商品を廃棄する なんてことは

殺した命に対して許されるのかな? と思うことがあります。

人間は傲慢で都合が良い生き物です。私も含めての話です。

鈍感になりすぎてはいけないな と 時折思い出します。

 

でも、なんでもかんでも罪悪感を持つのも違うと思っています。

この世界では他の生き物を食べるサイクルで成り立っています。

食べたり食べられたりしています。そうやって肉体を維持する世界にいます。

ただ、享楽のために大量に無駄に殺すということを許される と思っているということは、

自分たちが他の生命体に虫けらのように殺されることも 仕方ない と考えるのと同じ と思います。

していることに気付かず、されたことだけを恨みに思うのはおかしい のです。

 

世界(ユニバース)にとっては、牛も豚も鹿も魚も人間も虫もウイルスも同じ

命という存在なのでしょう。

大量発生して 淘汰されるもの

増えすぎたら世界がバランスをとるために減らされる現象が起きます。

人間は 自分たちの都合でかなり自然のバランスを操作するように文明を発達させました。

そのおかげで世界のアンバランスは更に増大し、

最終的には 大きなダムが決壊するように全体が0に戻ろうとします。

 

この歪みを感じなくなっている人間はその時にパニックになるでしょう。

私たちは今、人間が何をしているのかを冷静に見て 理解する必要があります。

そこに良い悪いはありません。

ただ、原因と結果が存在し、ただ全体が存在しつづけるだけのことなのです。

生き物たちはそれぞれ、与えられた生命を生ききるだけのことですが、

生きて増えることがアンバランスを生じ、そのまま突き進むのみなら それはいつか世界(全体)がバランスを取るために それらは淘汰されます。

 

これを『神の意思』と呼んでいます。

信じている世界

まだネガティブから離れられずにいる方へのメッセージです。

あなたの中のネガティブな思い 頭の中にあるネガティブな記憶は

今は存在しない 過去の幻影です。

そのイメージがずっとあなたにその景色を見せ続けています。

あなたの世界観にあなたのイメージを投影した世界です。

 

今、世界中に拡がっている不安や恐怖もそれです。

コロナウイルスを拡げないことは必要な事です。

でもそれに不安や恐怖を持ち込む必要はないのです。いや

くっつけてはいけないのです。

冷静な判断ができなくなり 無駄のパニックを起こしたり、

ストレスを増大したり、免疫力を落としたり

良い事は何も起きません。

私達に必要な事は、最適なことをするのみです。

怖れから事態を悪化させるのは愚かなことです。

それに気付けなくなる不安は 破壊的なエネルギーを持っています。

必要な事は 冷静に観察し、何が本当に必要なのかを見極めることなのです。
そのためには 中途半端な情報で狼狽えるのも愚かしいし、
イライラして喧嘩したり、我先に物を奪い合って更なる不安を創り出すことも愚かしいことです。

不安に煽られない自分でいることは 瞑想者にとっては難しい事ではないのです。

いつも瞑想で 真の自己と向き合う時間を持ち続ける人は

立ち止まって見ることができるようになるのです。

より 静かに。

より 何物にもとらわれずに

真実を 見つめることができるようになる。

 

それは ブッダの眼差しでもありましょう。

あなたの中にある 仏陀の眼を目覚めさせる瞑想

それが Eternal Love Meditation ELM瞑想です。
修行僧にならなくても 本物の瞑想ができます。

激動の時代を 明鏡止水の心で アクティブに生きる

それは可能です。瞑想と共に。あなたの人生をあなたらしく、

命を輝かせてください。

思い通りでなくても、何も思い通りになどする必要がないことに気付きます。

出来事の一つ一つが それを私たちに教えてくれるようになるのです。

私はそれを 師匠のボブ・フィックスに教わりました。

深遠な宇宙の原理 私たちの世界の本質を知っているマスターです

 

 

ボブ・フィックス氏のリトリートと瞑想会は5月にあります。

チャネラーとしても世界的に有名なボブの個人セッションも見逃せません。
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ボブ・フィックス壱岐ソーマリトリート

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ボブ

ニューライフ*新しい人生

人生の中にはいろんな出来事があります。

幸せなことばかりならいいですが、辛い事や困ったことなども起きます。

辛いことに見舞われた時は、どうしてこんなことになるのだろう?

どうしてこんな思いをしなければならないのか?

などと恨めしい気持ちになることもあると思います。

でも、そういう時は、立ち止まり、自分自身と向き合う 大切な時間となります。

 

これまで当たり前だと思っていたことは 当たり前なことではなかったかもしれない。

これまで自分が正しいと思っていたことは 本当に正しいことなのか?

これまで当然あると疑いもしなかったことが なくなることは 珍しい事ではない のです。

そんな風に あなたの世界観が崩れていくのに直面した時、あなたはどんな生き方をするのでしょうか?

 

悲しみに暮れ、苛立ち、怒り、 怒りの矛先を誰かに向ける

人はしばしば そんなこともします。子供ばかりでなく、大人も。

怒りを誰かにぶつけるとその瞬間はスッとするかもしれません。

でも それでよかった と思えることなどないのです。

あなたはその後も やはり、受け入れがたい状況と直面し続けなくてはなりません。

受け入れがたい状況があるとしたら・・・

それはあなたに与えられる運命の 今 そのものです。

あなたの今は いまここにしかありません。

それ以上でもそれ以下でもない

あなたのいる世界。

 

ここを否定しても しょうがないんです。

もし、この先にもっといい今を見つけたかったら、

今を踏み越えて、明るい今を手に入れる 明るいあなたでいる必要があります。

 

暗い気持ちや 恨みの気持ち で 明るい次の瞬間を引き寄せることはできません。

 

顔を上げて 心を開いて、あなたの中に愛を発生させてください。

あなた放出する愛のエネルギーが あなたの幸せな次の瞬間

あなたを包む世界を作ります。

 

あなたの今をネガティブなエネルギーで汚し続けないでください。

もし、内側に怒りや悲しみが渦巻いていたら、

それは発散して外に出してしまう必要があるのです。

「内側に怒りがある」「内側に悲しみがある」

その感情と向き合って 封じ込めていた感情を感じて味わいきって手放してください。

そうやって 負の感情は解放され、内側から出て行ってしまいます。

内側の負の感情(カルマの)エネルギーは 

外に出される必要があります。

誰かが悪いのではありません。

ただ 負の感情が 内側に在り、それが外に出るきっかけの出来事や思いがあるだけなのです。

 

感じて そして 消えて行きます。

 

感じきった時、それらは 本当になくなります。

瞑想でもその感情は外に出て行きます。

 

あなたは発散して出すか

瞑想して出すか

選ぶことができます。

人生をお掃除して

晴れやかに生きていきましょう。

 

ELM瞑想 は とても早く あなたを浄化します。

ラブマントラが、新しい人生の始まりです。

そして

ニューライフ(新しい人生)に進んでください。

蓮のつぼみ

失敗

日本人は 失敗を恥じたり恐れる人が多いのですが、

私の人生は 概ね 失敗だらけです。(笑)

子供の頃から そそっかしい、おっちょこちょい と言われ、coldsweats01

怪我が絶えない子供時代

 

いろいろと、一々やらかすので、

その度にけちょんけちょんに言われるのが嫌で、

自分の失敗に気付いたときは

周囲にバレないように声を出さないようにしていました。 coldsweats02

で、内心焦りながら必死で修復にかかるのですが。。。

 

隠し切れないので 身内には大概バレています。

昨日は、

大阪のボブのワークショップに参加して

(とても興味深い内容でしたので、またそれは別の機会にゆっくりシェアします)

日帰りで福岡に戻る予定でしたが、

なんと、最終の新幹線に乗り遅れてしまいました。wobbly

切符を見て出発時刻を確認したはずが、

どういうわけか、時刻を見間違い

最終が行ってしまいました。。。

変更不可のチケットだったのに。。。crying

無理矢理日帰りにしたのも、翌日の予定があってのことで、、、

大ピンチ!!!shock

 

大ピーンチ!!! shock

 

今夜中にどこまで帰れるのか・・・みどりの窓口で夜行列車がないのか聞いてみるものの 玉砕。

広島までしか行きません とのこと。

翌朝の始発?

夜行バス?

巻き巻きで調べます。最寄りの夜行バス発着所の最終バスが あと15分で、

これはもう無理。(電車で2駅先)

しかし!市内で1時間後に出発する夜行バスを見つけて そちらに向かいました。
移動中ネット予約 (;´・ω・)σポチポチ

 

まさかの夜行バスで帰って参りました。

夫は呆れ果てていることでしょう。gawk

 

失敗してもなんとかなる  が、信条でございます。

途中でゴミと間違えてパンを捨てたり とか。crying

数々のツッコミどころ満載な 珍道中。

無事帰れてよかったです。

 

深刻に考えないと、流れはいつも味方してくれます。

(呆れつつも)責めないで見守ってくれる家族と関係者の皆様に感謝shine

予定通りでなくても  大丈夫です。

本日はアトリエ仏画教室 clover お待ちしています

 

 

教室

週末21日はNHK文化センターの仏画教室でした。
NHK文化センターでは初歩の仏画をご指導しています。

毎月第3土曜日で、4月からの生徒さんを募集しています。

これ以外にアトリエと中央市民センターで主に月曜日に教室を開いています。

この場をお借りしてちょっとお知らせをさせてください。

3月31日(火)は当初市民センターで行われる予定でしたが、市民センターに来られる方がほとんど3月をお休みされるので、アトリエでの教室に切り替えました。

コロナ騒ぎなどもありますので、当分の間は急なお休みなどでも遠慮なくお申し付けください。キャンセル料などはいただきません。

キャンセル料と言えば、5月8日のボブさんの瞑想会で 他地域に倣って事前支払いで直前はキャンセル料を頂く設定にしておりますが、コロナウイルスの影響や体調不良で見合わせる方はキャンセル料は頂きませんので ご理由を明記の上 お知らせください。対応させていただきます。

そんなこんなの まだまだ続きそうなコロナ騒動ですが、
働きすぎ & とらわれすぎ の日本人にとっては、

生活スタイルを変える 絶好のチャンスにもなるようです。


これまでできなかった働き方改革が 外出しにくいこの状況でどんどん実践されていますね。通勤ラッシュを避けるための時差出勤とか、在宅勤務、テレワーク、オンラインワークがどんどん導入されている とか。

あ、そうそう、アトリエ霽月も オンラインセッションも もっと活用したいと思っているんですよね。

ご希望の方があれば どうぞご利用下さい。

ラインかメッセンジャーのTV電話、あるいは zoom が利用できます。


オンラインセッションのお値段は、

カウンセリング、EFT療法は

60分までは10分毎に1000円、60分以降は15分毎に1000円頂戴いたします。

瞑想セッションは、90分5000円です。 

 

本当に確実に新しい時代の波を ウイルスがもたらした と言えますね。

これは世界の意図 でもあります。

つまり大いなる存在(神)の意図

世界の観点から見れば起きることに無駄は無いんですね。

人間にとって都合が悪いことだとしてもです。

 

今年の後半からは、食料品の廃棄を止める、食糧難が来そうですし、

本当に 困った というよりは 新しい波と、より自然な生き方がどんどん身近になっていくような気がしています。

昔は当たり前だった リサイクルの意識も もっと戻って来ると思います。

無駄なく、この世界のあらゆる命は全体の幸福を増やしていくようになります。

 

ですから、世界に優しくない在り方は 淘汰されていきます。

 

教室の話から だいぶ 話題がそれてしまいましたが、

そんな気ままさも OK ということで (笑)

その時その瞬間を生きております。

 

 

百聞は一見に如かず

経典のお勉強で理論をどれだけ読んでも

体験しないことには 悟りは理解できません。

 

リンゴの味は リンゴを食べないとわからない のと同じようなもので

悟りという体験は 体験しないとその感覚を理解することができません。

でも、わかってしまうと、とても普通のことで 特別でもなんでもない。

リンゴを食べることはそれほど難しくないのと同じように

悟りを体験することも ほとんど難しくありません。

 

食べても美味しさがわからない とか、

どうしたら分かるのが難しくなるか? 

ちょっと考えて見ました(まだ リンゴの味 に例えてます)(笑)

激辛の唐辛子をぶっかけてる食べ物ばかりいつも食べてる口 とか

口内炎で荒れきっている口 とか

味覚を失ってしまった舌 などでは 味わえないかもしれません。

 

先日 何気にダイエットスープの話題が出ていた時に、

腸をお掃除するダイエットスープ食事療法とかファスティング(断食)をした後、

食べ物の味がこれまでと違って 素材の味をしっかり味わえるようになる と

経験者の方が言っていました。

野菜などの味が 甘く 濃く 美味しく感じるのだそうです。

化学調味料や 砂糖、や 添加物が沢山入ったジャンキーな食品に慣れてしまった口には、素材のみは刺激がなくて美味しいと思えないかもしれません。

特に調味料が加わらない食べ物そのものの味・・・

本当は美味しいのです。

自然を感じられる身体に戻すには

身体を自然体に戻す習慣も必要になってきます。

味覚 旨味を感じさせる化学調味料

それと同じような作用のジャンキーな観念が

私たちの意識を自然にいさせる邪魔になっているかもです。

ジャンキーな社会通念て どれのことでしょうか。

慣れ切って それに違和感を感じなくなっているものです 

 

面白いことに、瞑想を続けていると、

余計なものを排除する流れに遭遇します。

これには、ちょっと霊的な意図を感じることもありますが、

身体自体が自然に戻ろうとする時に、自分でそういうことを起こすエネルギーが発生するのかな? と思ったります。

真実は神のみぞ知る ということかもしれませんが

いずれにせよ

私たちが自然体に戻り、更に 真我の愛にふれる という方向性は 定まって参ります。

それを感じ始めた時、

真我の愛 悟り というものがいかにゆるぎない幸福であるかを実感するようになります。

あるがままの美しさ

たんぽぽ

経典

このところ 瞑想マスターの系譜に関する資料を読んでおりまして

今まで聞いたことはあったけど、よくわかっていなかったお話に没頭しています。

ヴェーダ とか バガヴァッド・ギータ というインド古代の経典です。

経典の翻訳は 日本語で和訳されているものもあるのですが、言語がわかって読んでも難解なのだそうですが、最初に書かれた経典を後のマスター達が解説を交えて読み解いて、より理解しやすいものへと編纂しなおす ということが為されています。

それらの古代からのサンスクリット語の文章が英語になり、更に日本語になり

私たちの眼に届くのですが、これらの資料の共有や編集が現代のオンラインの技術により目覚ましく進化している ということにも驚きと感動を感じています。

私は文字を読むのはそれほど得意ではない方なので ちょっと時間がかかってりますが、経典の内容が立体的なイメージとして把握されてくると わかりやすく皆さんにお伝え出来るかもしれません。

 

これらの古代の経典に書かれていることは、すなわち 「悟り』 についてです。

悟りの為し方 

瞑想 と 手放すこと に尽きます。

元々私たちが身体と心を持って生まれてきた時に、この体に備わっている性質にエゴや執着や本能の衝動というものがありますので、

何も意識することなく心の赴くままに生きていきますと、最初はエゴが発揮されて周りとの衝突(エゴ同士の衝突が起きます)

これはとても自然な流れです。

でもその衝突と摩擦で 苦しみや怒りや悲しみが生じてしまうんですね。

これがカルマ

エゴをもっと強くして 奪うということで それらのネガティブな感情を減らそうとしても 解決はしません。

奪えば奪うほどに 外側に犠牲と更なるカルマが増大して

やはりカルマに包まれてしまうからです。

それではどうしたらいいか?

それは

奪う ということを放棄して、

自分の欲望そのものを 放棄してしまうこと と 経典には書いています。

そうしますと、摩擦が起きない

 でも、これは一足飛びにこの境地には 及びませんよね。

手放す意味を納得せずに手放すことは至難の業です。

 実際は 手放しきってみるとその意味がよく分かるのですが、

手放したことがないマインドは 手放すことは 自分の身を危険に晒すことと感じています。

特に自分自身の一代だけのカルマ だけでなく、先祖から何代にもわたって受け継いできているカルマが強力な負のイメージを持っているので

そちらの方が正しい見方だと思い込んでしまっているからです。

常識とかルールとかになっている場合もありますし、世界観そのものをネガティブに作ってしまっている 幻想の世界観を生きてきた人々にとっては、真実が信じられない という感覚になります。

これを読んでおられる皆さんは もうすでにその幻想から脱却した方も多いので

ああ、それは そういう人もいるね

という感想をお持ちになるかもしれません。

でも、まだもう少し その世界観はあなたの中にも残っていますので

これらから自由になるために 毎日の瞑想をなさってください。

瞑想すればするほど、あなたのカルマは薄れていくからです。

 

瞑想時には あなたの意識はカルマに絡まれない世界にいます。
それは違う世界というのではなく、

カルマがある世界の外側にいる つまり 

神の領域に 意識が拡がっている ということなんですね。

その領域は霊界の外側でもありますので あなたはそこではカルマの無い世界を体験します。

自覚があるかどうかは問題ではありません。

瞑想中のカルマの掃除が騒がしい状態でも、30分の瞑想時間中に 

あなたの意識はカルマの無い領域『空』を体験しています。

 

その『空』に馴染むようになると、

あなたの意識は 不安や怖れや欲、罪悪感 などの強いネガティブ感情が絡みにくくなります。

いつしか あなたは それらの感情があなたの意識の邪魔をしなくなる体験をするようになります。

 

もし、あなたが、いずれかの感情で 強い苦しみを抱えていらっしゃるなら

アトリエ霽月までご相談ください。

カルマの殻を脱ぎ捨てるのは あなたの意図次第です。

 

悟りは 古代のマスター達だけのものではありません。

現代ではその教えを理解する人々が増え続けています。

きっかけは 人生の行き詰まりです。

 

一人一人の人間が 苦を手放し

幸福感を感じながら生きる生き方を選ぶことができます。

あなたがそれを望むならば 難しい事ではありません。

 

難しい経典を読み解かなくても、

あなたの感覚が悟りを掴みます。

マントラは ただ、執着や怖れを排出させてあなたを進化させます。

あなたはどのような状態でも、ただ、起きている事を観察してください

ビシュヌ ナラヤナ

瞑想、特にELM瞑想はとても簡単です。

マントラと共に リラックスして  空(くう) に浮かびます

あなたの中から カルマが抜けていきます。

 

ELM瞑想ご教授いたします。アトリエ霽月にご相談ください。

それと、

停滞を感じておられる瞑想者がおられましたら 

突破のチャンスですので 一度ご連絡下さいませ。


他の教師から伝授を受けた方や 他の瞑想法を実践されている方でも

ご相談に応じます。

宗教や宗派などに関わりなく 瞑想をすることができます。

ELM瞑想はどこの宗教団体にも所属しておりません。

すべての宗教は 真我-大いなる存在 に通じています。

それを古代インドでは ナラヤナ と呼んだのでしょうか。