2020年03月01日

幸福のありか

愛されると幸せですね。

人は無意識のうちに愛されることを求めています

でも、愛されすぎたり、望んでいない愛 というものは

好ましく感じません。

それは 愛のように見える執着だからです。

本物の愛 というのは 存在をあるがままで受け止める ということです。

自分の好みに変えようというのは、愛ではありません。

また、自分の価値観に当てはめようとすることもまた 愛ではありません。

護りすぎて 相手の体験を奪うことも

相手の試練を肩代わりしてしまうことも

愛のように見えて 愛とは違うものになっている場合もあります。

人は試練によって魂が磨かれていきます。

これまで周りの人々に沢山護られて沢山甘やかされてきた人はそれからの苦労が多いです。

だって 試練を自分の力で乗り越える経験が無いのですから

いろんなことを恐れ、いろんな人に依存しなければならなくなってしまいます。

成功することや 何かを多く得ることが幸福なのではありません。

あなたという人間を生かしていく自信が自分にあるかどうか

あなた自身に愛を向けている実感が自分にあるのかどうか

あなたがあなたを好きでいるかどうか がとても大事です。

神はあなたの中にあり、あなたの真我が神の意識です。

真我を見失ってしまうのは 神の愛を見失っているということなので

あなたは 真我と出会うことで あなたが愛されているということを確信できるようになります。

瞑想は隠れた真我を輝かせるツールです。

あなたは 存在しているだけで尊いのです。

今以上に何者かにならなくても あなたは充分素晴らしい存在。

そのことに気付くことが 真の幸福なのです。

ですから、自分が正しいかどうか 

ちゃんとしてるかどうか

基準に達しているかどうか

確かめようとしなくても大丈夫だし、

他者の足らないところを突っ込んで 矯正しようとしなくていいのです。

人はそれぞれに自分に丁度いい生き方をするものです。

お互いに自分らしい生き方を尊重し合いましょう。

それができるようになると

本当に 私は幸せだな と実感するようになります。

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自分らしく生きる

試練も踏み越えて。