2020年03月20日

百聞は一見に如かず

経典のお勉強で理論をどれだけ読んでも

体験しないことには 悟りは理解できません。

 

リンゴの味は リンゴを食べないとわからない のと同じようなもので

悟りという体験は 体験しないとその感覚を理解することができません。

でも、わかってしまうと、とても普通のことで 特別でもなんでもない。

リンゴを食べることはそれほど難しくないのと同じように

悟りを体験することも ほとんど難しくありません。

 

食べても美味しさがわからない とか、

どうしたら分かるのが難しくなるか? 

ちょっと考えて見ました(まだ リンゴの味 に例えてます)(笑)

激辛の唐辛子をぶっかけてる食べ物ばかりいつも食べてる口 とか

口内炎で荒れきっている口 とか

味覚を失ってしまった舌 などでは 味わえないかもしれません。

 

先日 何気にダイエットスープの話題が出ていた時に、

腸をお掃除するダイエットスープ食事療法とかファスティング(断食)をした後、

食べ物の味がこれまでと違って 素材の味をしっかり味わえるようになる と

経験者の方が言っていました。

野菜などの味が 甘く 濃く 美味しく感じるのだそうです。

化学調味料や 砂糖、や 添加物が沢山入ったジャンキーな食品に慣れてしまった口には、素材のみは刺激がなくて美味しいと思えないかもしれません。

特に調味料が加わらない食べ物そのものの味・・・

本当は美味しいのです。

自然を感じられる身体に戻すには

身体を自然体に戻す習慣も必要になってきます。

味覚 旨味を感じさせる化学調味料

それと同じような作用のジャンキーな観念が

私たちの意識を自然にいさせる邪魔になっているかもです。

ジャンキーな社会通念て どれのことでしょうか。

慣れ切って それに違和感を感じなくなっているものです 

 

面白いことに、瞑想を続けていると、

余計なものを排除する流れに遭遇します。

これには、ちょっと霊的な意図を感じることもありますが、

身体自体が自然に戻ろうとする時に、自分でそういうことを起こすエネルギーが発生するのかな? と思ったります。

真実は神のみぞ知る ということかもしれませんが

いずれにせよ

私たちが自然体に戻り、更に 真我の愛にふれる という方向性は 定まって参ります。

それを感じ始めた時、

真我の愛 悟り というものがいかにゆるぎない幸福であるかを実感するようになります。

あるがままの美しさ

たんぽぽ