2019年08月

人生いろいろ

このところ、表具師のお師匠さんのお引越しの手伝いが続いています。

70代にして初独り暮らし。 身体が不自由なのですが、一人暮らし。

最初は不安や寂しさなどがあったと思いますが

最近は 色々 面白がっている様子もあり

いつものお師匠さんに戻ってきました。

上段をよく言う茶目っ気のあるおじいちゃんです。

(おじいちゃんと言うと怒られるかも?)

 

3年前に右半身が不自由になって 表具師を引退されたのですが、

お仕事を引退されてからは 動くことにけっこう不自由そうにしていた はず なんですが・・・

人間、状況が変わると 力を発揮するのでしょうか!?

不自由そう と おもいきや、、、意外と、動く動く。

一体どうやってその体で あの荷物を片付けたのか??? すごい謎なんですが

ものの3,4日で引っ越し荷物&段ボールたちがキレイに整頓されてしまった!!

 

うわ~、我々健常者のメンツはもはや 無い! 

 

で、元々のきれい好きが炸裂しまして・・・ 

今日の買い物では 入居したアパートの共用廊下を掃除するためのデッキブラシが買われました。ww

 

ちょっと愉快な今日この頃です。

 

人生のピンチはチャンス!  かもですねぇ~ (笑)

 

 

していいことと悪いこと

先日のブログ 『意味付けに必要なストーリー』で 基準とか意味付けに 大して意味がない と書きました

その続きを 書きそびれておりました。

ちょっと時間が経ちましたが 意味がないという話をしてみたいと思います

 

意味がない と言われると 何を基準にしていいかわからなくなり、混乱する方がいらっしゃると思います

言葉というものはしばしば面倒なもので 一つの言葉にいろんな意味を含んでいますので、

言葉尻を捕らえると うがった解釈も出て参りますので 更に混乱したり 全く違う意味が出てきたりもします。

 

一つの出来事にいくつものストーリーやいくつもの意味が生産されます。

十人十色の体験やストーリーが生じるのです。

 

起きたことは一つで 真実も一つなのですが、

それぞれの人が自分の納得のいくように色付けしたストーリーを頭の中で組み立ててしまいます。

ここが 解釈の違い・価値観の違い・誤解の生じる地点です。

 

そう、人は自分のストーリーの中で出来事と戦っています。

 

そのストーリーを構成する重要な役割がルール です。

していいことと、しちゃダメなこと。

これらは多くの人間や生き物が同じ場所で共存するために

摩擦を少なくするための知恵でした。

喧嘩にならないように。

そのルールを大事に守ってきたわけですね。

ですから、そのルールという「意味」を 失ってしまうと

人間たちの欲望が 歯止めなく溢れて 世の中は無法地帯になるのでは・・・?  ( ̄へ ̄;)  

 という 不安を持たれる方も少なくないでしょう。

 

それは、 そのルールがないと そうなっちゃうよね?とネガティブなイメージと共に長年刷り込まれてきた成果です。

 

ところが、困ったことに、ルールというものは 一つの基準だけじゃないんです。

 

日本人の基準、アメリカ人の基準、タイ人の基準、インド人の基準

お国が変われば基準は変わる。

更に日本でも、東京の基準、大阪の基準、京都の基準、名古屋の基準、福岡の基準、鹿児島の基準、宮崎の基準  

都道府県でも 変わってきますし、

同じ県内でも住むエリアで変わってきますし、 

職業で基準や価値観の傾向が変わりますし、

育った地域、環境、家庭でも それぞれに価値観が違いますし、

それぞれの人の性格によっても 好みや良しとする基準は変わります。

 

更に、時代で社会のルールも変わり、世代で価値観や常識が変化します。

 

価値観や意味って とっても流動的なんですね。

 

そんな不確かな基準を 盾にしても あまり意味がないと思いませんか??

基準・ルール・規則・法律・意味

この中で普遍的なものは何もありません。

 

そういう意味では 何もなかった原始時代と 大して変わらないんですね。

 

私が若者だった頃、このことに気付くと、

大人や社会が言う 正しさ という観念がまるで煙のようなつかみどころのないものに思えてきました。

 

普遍的なもの、どの時代も変わらない 人間にとって 善い というものはなんだろう?

目指しても間違わないもの・・・

 

それが知りたくてしょうがなかったんです。

 

それから 悟り という心の揺るがない境地があることを知って それを知りたいと思ったし、

精神世界を知るようになってから さらにその中の正解を探していました。

これも理解するのに時間がかかったんです。

人は ついつい、正しさを追ってしまう。

 

違うんですよ。正しさなんて無いんです。

 

それぞれの正義と都合があるだけ

 

それを双方が理解した上で歩み寄ったり、労わり合ったり、共存したり

助け合ったり、与え合ったりすること

 

それが愛だと 知りました。

 

人と人、あるいは 人と世界が摩擦を起こすことを苦悩と呼ぶならば、

人は人や世界と戦っても 幸福は手に入りません。

戦いは摩擦そのものだからです。

 

仏教の六道で言うと、人間界の50%と、修羅界の戦いと

畜生道の弱肉強食、餓鬼界の貪り、地獄の苦痛の責め苦と恐怖

 

苦がないところは 天国だけ。

ん?そうかな、畜生界なんて差別的な名前つけられちゃってますが、

動物の世界は むしろ 人間より愛に満ちていたりするかも。

動物は本能の愛情と 自然界の秩序の通りに生きてる

弱肉強食があるということでは 人間界と同等なのかもですよ。

人間の 愛と我欲 ・ 動物界の生存本能

どちらも 愛があり、無慈悲なこともある。

愛があり、苦悩もある。

六道の順番を書き換えたいですね。

①天界 ②動物界 ③エゴがある人間界 ④争う修羅界 ⑤貪る餓鬼界 ⑥苦痛に満ちた地獄界

天界は思いやりで出来ているので 美しいところですが 

生れ変りで再び 他の六道に戻ることもあるので それもまた 永遠の平和ではないようです。

 

真の幸福は これらの六道から輪廻から外れて 仏の心(つまり悟り)に至ることだと 仏教では説かれています。

人は生きながらにして 六道から離れ、仏の心に繋がることができます。

 

その手段の一つとしてELM瞑想による空(くう)からのアプローチです

もちろん 一朝一夕にはいきません。

でも、これは悟りへの最短ルートだということを

私は確信しています。

 

瞑想であなたも 空(くう)の体験をしてみてください。

そこには悩みはありません。

 

 

アトリエ霽月 体験瞑想会 9月7日(土)10:00~12:30

参加者受付中です。

お話講座

先日、瞑想仲間さんからお声かけいただき、

仏画のお話講座をさせていただきました。

 

瞑想仲間さんが 天国社という葬儀会館でイベント企画のお仕事をされるようになり

私の話が面白いのでお客様に受けるのではないか  ということで企画してくださいました。happy01

 

1時間のお話とご質問タイムで一時間半ほどの講座

天国社講座2019のサムネイル画像 天国社講座中

参加者アンケートでは90%が大変満足しました(10%は満足しました でした) というご回答をくださいまして、嬉しい限りです。

仏画に関連したお話は、基本的な知識から あんなこんなエピソードまで ネタは尽きないのでございます。

むしろ、色々話したいことが多すぎて 何を話そう ということを悩みますので、

いつも話しながら聞かれる方の反応を拝見して 何を話すか 決めています。

 

仏画の事、 仏像の事、 修復業務の事、 仏さまのこと、 仏教の事、 悟りの事、 瞑想の事、 心の事、 日常の思い、

なぜ仏画を描くようになったのか? 美術のこと、 芸術家の事、 絵の見方、 

心理学の事、 心理療法の事、 心と体の関係、 魂の事、 この世とあの世の関係、 神仏の事、 高次元の意識、 宇宙の法則 

 

あら、テーマだけ考えても無数に出てきますね(笑)

 

clover 講演、講座、写仏ワークショップのご依頼、歓迎でございます。clover

  ご興味を持たれましたらぜひshine

 

詳細情報のご請求につきましては、お問合せフォームでご連絡ください。

メール もしくは お電話で対応させていただきます。

 

肉体労働

暑い日が続きますね

みなさま、お健やかにお過ごしでしょうか

 

私はこのところ 師匠のお引越しに駆り出されて暑い最中、肉体労働の日々でごさいます(笑)

久々に 滝の汗を体験中 coldsweats01sweat01sweat01sweat01

ホットヨガでもこうはいくまい  いや~久々。

 

それもまた けっこう爽やかなものです(笑)  冷房が最高にハッピーに感じる今日この頃。

 

うちのビルの4階から預かり荷物を下ろす作業で 再び足腰が鍛えられておりますね。

階段昇降 何往復だろう 

私って力持ち。 体力健在ですわ。 まだまだ体力ありです。

普段、楽をしていると 動くことが嫌になりがちですが、

前向きだと 不思議なほど動けます。

やっぱり自主的にするかどうかは とても重要だと感じております。

 

これが一旦 嫌だ になると たぶん途端に全部が嫌になるので

休養を取りつつ 無理をしない心掛けも大切です。

もちろん、頑張りすぎや欲を出すと失敗します。

身体の声に耳を傾けて 身体の都合をよく聞いてあげてください。

 

怠け者の意識が優勢だったり、 他人に依存してやってもらおうと思うと

これもまた動けなくなるのでしょうが、

人生は自分の力で切り開く、

あるいは、自分のやったことはずべて 後に返って来る と思うと

怠ける選択肢は消えていきます。

嫌だと思うなら それはきっとやらなくていいこと なんだろうと思いますので

必要に迫られる 必要最低限をめいっぱい頑張ればよいのだと思うのです。

 

で、私は自分の用事ではなく 師匠のお引越しを手伝っているわけですが、、、

師匠は身体が不自由ですので 師匠の出来ないことだけ 私がやって、

出来ることは手伝わないように気を付けているのです。

やったことがなくてできないことは、ぼちぼち できるようになってもらいます。

たとえ師匠であろうとも  甘やかさない主義  (笑)

 

前向きに生きることに 積極的な今日この頃です。

これが一段落したら 制作業務再開しなきゃです。

(;^ω^)sweat01

宿命はとっとと越えましょう 

この世界で起きる出来事、それに一喜一憂する我々人間たち・・・

 

あなたの周りではどんなことが起きていますか?

 

奇跡的なことが起きても 起きなくても

いろんな小さな出来事まで 起きては 過ぎ去っていきます。

 

細かいことは 大したことじゃない と 気にも留めずにすぐに忘れてしまいます。

私は記憶力がいいのよ っていう人でも 起きた出来事について全部 ずっと考えてるわけじゃあありません。

思い出さない時は それは頭の中から消えています。

そう 過ぎ去ったこと

 

いま、ここにあるのは 今起きているこの瞬間のこと

頭の中には それを見ているか あるいは 別の事を考えていて

心ここにあらず か。

頭の中は インパクトの強かったその出来事のことにずっと意識を向けているかも。

心配性のあなたは、

もしかしたら、その 頭の中にあるそのことは まだ起きていない?

もし まだ起きていないことへの不安や恐怖を 持っているとしたら

それは困ったことです。

だって そのことはまだ起きていないので 処理できないんですね。

そしてもう一つ、

魂が試練として選んできている宿命は 絶対に避けることができないんです。

逃げたと思ったその先で 材料を変えて 同じことが起きる

 

ですから 宿命からは逃げることができないんです。

起きることはどうしたって起きるし、起きないことは起きません。

この世界で起きる事はすべて 神が為す、 つまり 自然な流れで起きるのです

その宿命に その時その時 全力で向かえばいいだけ。

 

ええ、なんとかなりますよ。 

神も仏も ずっとあなたを見守っているのですから。

アセンション

前回のブログの続きを書きかけて 睡魔に負けました。

手がかかりそうな文章なので日を改めます ((;^ω^))

 

昨日は1日瞑想会の日でした。

このところ、1日瞑想会の内容が濃くなっている気がします。

何が変わったのか? 大きくは変えていないのですが 空気が変わっていることは確かです。

参加者も、私も? たぶん 世界も かもしれません。(笑)

 

中身が濃い という体感です。

しばらく遠ざかっている方はぜひご参加ください。

 

個人的にこのところ、車いすを押す時間が長くなっています。

表装のお師匠さんが かなり大きな試練に直面しておりまして、

74歳にして 新しい境地を生きることに覚悟を決めました。

身体が不自由になって 74歳で人生初の一人暮らし!

 

すごい運命を選んできてる?

もともと、すごい人だな と思って尊敬していたのですが、

すっごい人生の激震に見舞われ thundertyphoonwave 一度は人生終わったか? と思いきや、

新たなスタートを歩み始めることになりました。

 

もう弟子としては最大限に後押しなのでございます。

 

1ヶ月ほど苦悩しておられましたが、抜けましたね。

いくつになっても 悟れるのだと 感無量でございます。shine

 

手放せば 何も怖くない。

世界に守られる感動の体験をいたします。fuji

 

手放した人にしかわからない この自由さを 楽しんでいただきたいものです。

 

shineようこそ こちらの世界に!shine 

 

意味付けに必要なストーリー

出来事は ただ起きているだけ

 

それらに意味はありません。

人が出来事に意味をつけています。

意味が見いだせないと 苦悩したりしていますが、

元々意味はないのですから 実に無駄な葛藤です。

 

面白いのは、意味付けによってストーリーが生じることです。

意味をつける時に ストーリー仕立てにするので、

人は皆 すごい脚本家だと思うんですね。

それぞれの人が 出来事という材料を用いて、いろんなストーリーを考え出す。

 

それらは 自動反応的にも出来上がりますし、

自分の都合の良いように力技で 事実を歪曲させていしまうこともあります。

 

また、カルマが覆いかぶさって カルマを通したストーリーを仕立ててしまうと

すごい苦悩を体験することになります。

 

ドMです  (笑)

 

本人はあまり自覚がありません。

 

前の回に 私が嘘つきだった と書いたことがありましたが、

あれは 自分が作り出したストーリーで悶絶すると それをさらに歪曲して

内側では自分が罪人で 外側ではそれを隠している ということが起きる時に

本当のひどい自分を 隠して 良い人に見せようと苦心惨憺する状態 のことを言っています。

 

本当の自分を否定する自分が 自分を許せずに そうでない人のようにふるまう

ってことをするんですが、 他人にとってはどうでもいいことで

むしろ、その嘘に付き合うのが非常に面倒  と感じられてしまいます。

 

「ちがうやろ」  人様からは丸見えです(笑)

 

でもみんなは大人なので 本人が嫌がる 本当の自分が見えていることは あまり指摘しません。

 

だけど 時々、とても純粋で正直な人がいると 本当のことを言ってしまうので

トラブルになります。

 

自我は「そんなんじゃない!!」 と 大騒ぎしますが、

大なり小なり そんな です。

 

認めてしまうと 摩擦は起きなくなってしまいます。  (笑)

 

「まあ、そんなとこもあるかな」  (笑)

 

「そこまでひどくないけど?」

「そんな言い方はやめて。。」

「いいとこもあるんだよ」

「みんな変わらないよ?」

「あなたもね」

 

そう、みんなそんなに変わりません。

 

人を批難する時は 大概、自分の事は棚に上げてますから。

それに、批難 って その基準とか 意味付けも  大して意味ないんです

 

あなたの都合に悪いだけ。。。

 

ただ 起きることが起きてるだけ。

 

どうせなら そこでもハッピーでいましょうよ。

それ、意外と簡単なんです。

 

今の私が ハッピーで居ることを選択するだけです。

わんにゃん

信頼すればいいんだよね。

 

たぶん、今回のブログはツッコミたい人もいっぱいいると思うので続きをまた書きますね

解放して爽やかに

ある可愛い方が、 なぜかとっても自己評価が低くて

とても素晴らしい才能とインテリジェンスを持っているにも関わらず

「私なんか」という言葉をしばしば口にされるのが とっても不思議だったんですね。

本来なら 天狗になってもおかしくないような恵まれた状況なのに

なぜかいつも悲しんで寂しがっていました。

 

原因は親から愛された という記憶がほとんど無い ということ。

 

大事にされたという記憶が とても少なかったこと。

 

本当にそうなのかな?

 

表面的にはそうだったのかもしれない。 

お母さんに こっちを向いて笑って欲しかったのに

お母さんはいつも笑わなかった。体がしんどかったのか もしかしたら鬱だったのかも。

愛せる余裕が少なすぎる大人もいる いろんな境遇でそんな風になってる人

 

だけど、 外から見ると すごく恵まれてる

とっても勉強ができて 簡単に入れない学校に行くことができて 裕福な家庭で 立派な職業につき

キュートで可愛らしくて みんなから愛されても全然不思議じゃない

だけど 本人はそう思えない。

 

ふと 思い出したことがあります

私も若い頃は自己否定ひどかったな。

兄弟4人の中で一番可愛くなかったし。(若い頃可愛かった母は父親似の私を絶対可愛いって言わなかった)

顔が大嫌い、体形が大嫌い、性格が大嫌い、情緒不安定、嘘つき、根暗、生きてるのがイヤ、もう内側が真っ黒けだよ~ なんて

そんな時代もありました(笑)

今はまるで反対。

自分のことは大好き。自分が大好きになれることしかしない。

できないことは許す。誰にも得意でないことはある。 最初からうまくやれることばかりじゃない。

私にはできることと出来ないことがある。

そんな私でも好きでいたいと思うようになったんです。

 

完璧な人なんてないない。

完璧に見える人は隠してるだけかもしれないし、

そのことだけはすごいだけかもだし

私みたいに失敗しても騒がないで黙ってるだけかもしれないし、

失敗しても面白がって笑ってるのかもしれないし。

失敗したら気恥ずかしくてカッコわるいけど、 隠すのはもっとダサい

笑い飛ばそうぜ!

 

ここまで反対になれたのは瞑想のおかげ。

元々あった カオスな私の内面は、鬱積したエネルギーの塊だったんでしょうね。

自分のやることなすこと全てに ? をつけて、どんどん自分を嫌いになっていったけど、

それって基準を外に作っちゃったから。

何か外のものと自分を比べて、いつもいつも比べて、一喜一憂してたんだな。

比べられないものを比べて?つけ。

相当つまらない作業を一生懸命やっちゃってたわけですね。

これは内側に渦巻くエネルギーが出口を失うと中でグルグルしちゃいます。

そんな逃げ場のないエネルギーを解放してくれるのが瞑想。

だから、時々瞑想は心地悪い時もあるんです。

ネガティブが去る時 それらは表面を通って外に出て行きます。。。

道を横切る牛の群れ・・・

通り過ぎるまで気長に待つことにしましょう。

 

今は 自分の感性に注意深く

何が心地よいのか 何が丁度良いのか 何が好きなのか 何がハッピーなのか

感じて選んでる。

 

そして出た結論は 愛 っていいなぁ  です。

 

純粋に 自分の命が 愛で出来ていると実感する時、

私はいつもハッピーなのです。

 

私は 愛 を選びます。


 

嵐はドゥルガー

台風が 通り過ぎましたね。

福岡市内はしとしと梅雨のような空模様でした。

嵐の前の静けさか? と思いきや、今回はさほど荒れず胸をなでおろした次第です。

 

嵐の前の静けさで 思い出しましたが

嵐の前と後 というのは雰囲気に違いはありますが、いずれも静かなものです。

人間模様も同じでしょうか。

 

嵐の前ははちきれそうな緊張状態

一旦 口火を切ると 詰まっていたエネルギーが放出され 全体が荒々しくかき混ぜられます。

表面は吹き飛ばされ引き剥がされ、底にあった泥が露呈して舞い上がります

どこもかしこも泥まみれ、木々の枝は折れ、満身創痍

深い爪痕を残して 嵐は去り、

停滞していた流れは再生に向かうのです。

 

芽吹く生命力

 

破壊の後は再生のドラマがスタートします。

古く朽ちかけたものは消滅し、新しい時代の準備をします。

 

破壊の女神カーリーのお役目ですね

カーリー

このカーリー女神、一旦スイッチが入ると、空(くう)であるシバ神が足元に滑り込むまで止まりません。

カルマの法則*インド神話より

 

 

 

頭の中のストーリー

私たちは自分の意思で生きていると思いますか?

意識的にやっていること、無意識にやっていること いろいろあると思います。

自我の意識はいろんなことをコントロールしようとするので、

仕事や他人の行動はもとより、自分の行動や自分の体も意図どうりにしたいと思ってしまいます。

 

しかし、それをやっていると気付きませんか?

思い通りにはいかない いろんなこと。

ふと、いろんな意図を手放して眺めていると いろんなことに気付き始めます。

怪我をした傷を眺めていると、その傷を治したのは 自分の意思ではなく、身体だ ということに気付きます。

この体は 私の意思とは別に生きています。

身体は 私じゃないのか??  不思議な疑問が湧いてきます。

気持ちを裏腹に 身体が動かない  意図すれど出来ないこと、 意図せずに勝手に成ること

意図せずに 引き込まれる自分の運命・・・

なんだか不思議に思うことはありませんか?

私たちは 生きています。

いえ、生かされています。 この体は自然物です。

その身体に宿った意識が私たちです。

 

意識はいろんなアイデンティティをつかみます。

自分の存在意義です。

 

自分が存在していい条件を自分で設定してしまうと、

その条件を満たさない状況に陥ると、生きていることが許されないように思えてしまいます。

自分で作ったハードルです。

 

本当は自然界には そんなハードルはありません。

 

命は 発生して 生命を維持して いろんな体験をして そして老いてやがて自然に帰ります。

種が子孫を残し 永遠に紡ぐ生命のダイナミックスを想像してみてください。

私たちはその一端に過ぎません。

どんな体験をしたかったのでしょうか?

やって来る状況や宿命は私たちにはコントロールすることができません。

私たちはやって来る状況の中で生きているのです。

 

ただ、その風景の中を どんなふうに旅するかは自分次第です

あるものを見て、

「美しい」と感じるか、「なんだ、食べられないのか」と思うのか

「心地いい」と思うのか「退屈」と思うのか

イヤイヤやるのか 前向きにやるのか

逃げるのか 立ち向かうのか

感情移入するのか 傍観するのか 

 

なんだって自由です。

 

あなたの人生は あなたが作ります。

与えられる条件の中で あなたは何を選びたいのでしょうか。。。

 

人生を面白がって 楽しみませんか?

思い込みを手放すと 変化に富んだ 実に面白い人生です。