2019年08月17日

意味付けに必要なストーリー

出来事は ただ起きているだけ

 

それらに意味はありません。

人が出来事に意味をつけています。

意味が見いだせないと 苦悩したりしていますが、

元々意味はないのですから 実に無駄な葛藤です。

 

面白いのは、意味付けによってストーリーが生じることです。

意味をつける時に ストーリー仕立てにするので、

人は皆 すごい脚本家だと思うんですね。

それぞれの人が 出来事という材料を用いて、いろんなストーリーを考え出す。

 

それらは 自動反応的にも出来上がりますし、

自分の都合の良いように力技で 事実を歪曲させていしまうこともあります。

 

また、カルマが覆いかぶさって カルマを通したストーリーを仕立ててしまうと

すごい苦悩を体験することになります。

 

ドMです  (笑)

 

本人はあまり自覚がありません。

 

前の回に 私が嘘つきだった と書いたことがありましたが、

あれは 自分が作り出したストーリーで悶絶すると それをさらに歪曲して

内側では自分が罪人で 外側ではそれを隠している ということが起きる時に

本当のひどい自分を 隠して 良い人に見せようと苦心惨憺する状態 のことを言っています。

 

本当の自分を否定する自分が 自分を許せずに そうでない人のようにふるまう

ってことをするんですが、 他人にとってはどうでもいいことで

むしろ、その嘘に付き合うのが非常に面倒  と感じられてしまいます。

 

「ちがうやろ」  人様からは丸見えです(笑)

 

でもみんなは大人なので 本人が嫌がる 本当の自分が見えていることは あまり指摘しません。

 

だけど 時々、とても純粋で正直な人がいると 本当のことを言ってしまうので

トラブルになります。

 

自我は「そんなんじゃない!!」 と 大騒ぎしますが、

大なり小なり そんな です。

 

認めてしまうと 摩擦は起きなくなってしまいます。  (笑)

 

「まあ、そんなとこもあるかな」  (笑)

 

「そこまでひどくないけど?」

「そんな言い方はやめて。。」

「いいとこもあるんだよ」

「みんな変わらないよ?」

「あなたもね」

 

そう、みんなそんなに変わりません。

 

人を批難する時は 大概、自分の事は棚に上げてますから。

それに、批難 って その基準とか 意味付けも  大して意味ないんです

 

あなたの都合に悪いだけ。。。

 

ただ 起きることが起きてるだけ。

 

どうせなら そこでもハッピーでいましょうよ。

それ、意外と簡単なんです。

 

今の私が ハッピーで居ることを選択するだけです。

わんにゃん

信頼すればいいんだよね。

 

たぶん、今回のブログはツッコミたい人もいっぱいいると思うので続きをまた書きますね