ダルマ

人間という奇跡

私たち人間はこの世界を謳歌してきました。

色んな夢を膨らませ、いろんな功績を積み上げ、

色んなものを得たり、失ったり、

そしていろんな感情を味わって生きています。

この変化こそが人生の旅路です。

善きにつけ悪しきにつけ、それらの変化は 人生の彩りです。

もし 今、

あなたが、あなたの人生を気に入ってなかったとして、

何でこんな風なんだろうとか、

自分に与えられたのはなぜこんなものなのか?

と 思う方もあるかもしれません。

それは、

ありとあらゆるバリエーションの中から、あなたの魂が選んだ環境やご縁でした。

自分が選んだ記憶などはありません。
ですが、あなたの魂はそこに生まれてくることを承諾したみたいです。

え~、こんなのなんて知らなかったよう!ひどすぎる!

って思ったとしても、 たぶん、

「うん、それでいい」って言っちゃったんでしょうね (;´∀`)

何度も生れ変る輪廻の体験の一つです。

ここで、何かを掴んで帰るもよし、

まぁ、無駄な時間だったかもな なんてこともあるかもですが、、、

いえいえ、決して無駄なものなどないんです。

だって、それは貴重なデータの一つなのですから。

薬品開発のエビデンスも大いに越したことは無いですし。

魂の記憶のバリエーションも検証するデータが多ければ多いほど

正確な結論が出せるというもの。

そしてまた、すごく貴重な 例外を体験するのもまた

大変興味深いことなのです。

どんな人生も貴重な体験です。

そこで学ぼうと思えばいくらでも 愛 を学べます。

だってここには多くの人間や生き物が生きている世界で、

あなたが愛を渡したり、受け取ったり、

奪ったり、奪われたり、拒否ったり、拒否られたり、 と

様々な体験ができるのです。

愛とエネルギーの法則

スピリチュアルに関心が高い方はもうご存知でしょうが

最初は、「なんだよ、そんなルール(法則性)あるなんて聞いてねーよ!」とか

やさぐれそうになっちゃうんですけど、

それが分かった時、

「ええ~、知らんで損したぁ~~」って叫びつつ

自分を使って検証するわけですが、

これがもう最高に面白くてシビア。

全ての人間、いや人間だけじゃなくて全ての存在に対して平等にはたらいてるんですよね。法則性は。

ただ、その本人がどんなエネルギーや波動を発しているかの自覚があるかないか は違いますけど。

降り立った地と、オリジナルの装備(正確とか体質とかの個性)と 自分の波動(思いや生き方)で なにがしかの作品を紡ぎ出しているわけです。

気がつけば、無意識にやってきたことも多く、

実は自分のことが一番わからない。

だけど、この世界を自分の身体を使って どう生きるかを選びだしたら

今までになかった面白い人生が展開していくのです。

 

今の時代は幸いです。

こんな面白い事が分かり始めて、それがじわじわと多くの人々に拡がって知られるようになりました。

まだ知らない、知りたい!という方はぜひ アトリエ霽月にご連絡ください。

この新しい世界観に必要なのは内側のお掃除です。

多くのものを抱え込んでいる状態では 新しい贈り物を受け取ることができないですから

頭の中に一杯になった未消化の感情を浄化するためにELM瞑想がとてもお薦めなのです。

瞑想を始めているけど まだわからない という方は 荷下ろしがまだ終わっていないですので そういう場合にも瞑想教師との対話をお薦めいたします。

人生の行き詰まりを感じたら、チャンスです
新しい世界へ進む扉の前に立っています。

あなたからのご連絡をお待ちしております。

瞑想伝授、瞑想セッション、カウンセリングのご用命は

お問合せフォームからご連絡ください。
お急ぎの場合はお電話でご連絡くださいませ。
電話に出られない場合はお問合せの旨留守電メッセージをお残しください。手が空き次第コールバックいたします。

アトリエ霽月 戸村寿子

愛の波動

人を動かしたり変えたりする原動力は

怖れ か 愛 のどちらかです。

カルマ か 愛 か

この 愛 は 恋愛や執着を含まない エターナルラブ 永遠の神の愛 のことです

人間の本質にある 優しさや慈悲の心で それは見返りを期待する意識はありません。

日本人はこの愛「困っている人があれば助ける」という意識を持った人が多いので

全世界から賞賛されることも多いようです。

日本の文化は素敵です。

でも、エゴはあらゆる隙間に入って来ては
意識に我を混ぜ込んでしまいます
これは肉体を持つ生き物の防衛反応なので仕方がないのですが、
エゴの意識は 全体を見渡す余裕が無い ということと
愛ではない波動(怖れ)を持ち込み始めるので せっかくの愛の波動を下げてしまうのです。

愛でないものは摩擦を生みます。
摩擦が生じた時に、愛はその摩擦を溶かしますが、
愛でないネガティブな波動は 火に油を注ぎます。

なので、事が起きた時は特に 波動を愛に戻す ということが必要なのです。

他者のエゴが あなたの何かを奪ったとしても、
あなたは愛でいたほうがいいのです。

あなたの持つ波動は あなたに次の豊かさをもたらします。
物質的豊かさとは限りません。
あなたが満たされる状態になっていくのです。

そういうことを説いている宗教や宗派は多いので 
それで救われる人々も沢山おられるでしょう。

ただ、人間の心には隙間に染み込むエゴと潜んでいるカルマがありますので
きがつかないうちに怖れを元にした考えが発生してしまいます。

危険なものは回避すべきですが、行動のベースが怖れになっているなら
あなたは 愛を忘れているかもしれません。

宗教は、真理を教えとしているものも多く、それを手掛かりに幸せな生き方ができるようになることも多いです。
何か心強いよりどころを感じて安心することによって、怖れから離れ、波動が上がります。
でも 宗教 という仕組みに問題があって、
教えを理解する前に、戒律という形にとらわれ、怖れてしまうことや
それで他者を裁き始めることなのです。
それをせずに 愛がベースで快く戒律を守って暮らすことには何の問題もありません。
(怖れを煽って信者を集めている宗教はこの限りではありません)

波動を愛にする ということがどういうことか を理解した時
多くの宗教が 真理を見ている ということに気付きます。

教えや戒律の表現はそれぞれに違っていたり、時には何かにとらわれたものもあるかもしれません。
摩擦を回避することに熱心になりすぎて 人間の本質を忌避したり、悪を生み出したりすることもあります。
でもそれは怖れに他なりません。

大事なのは 愛 に戻ることです。

そうしなければならない のではなく、そうした方が幸せに生きられるからです。

目先の問題ではありません。

おうちの中や家の周りを掃除するのと同じです。

綺麗な場所で気持ちよく暮らす 

(笑) 片づけられなくても 愛に満ちた波動ならば
それはそれでいいですよ。

笑顔のある生活を。

本質に気付く

10月も後半に入り、ずいぶん涼しくなってきましたね。
そりゃあそうだ と思いながらも
毎年今日は暑い、今日は寒いと言いながら
季節が」変わっていきます。
1年が早く感じるのは歳のせいでしょうか(笑)
ホントに早いです。個展まであと5ヶ月ほどしかない!ヤバいです。

御多分に漏れず、お尻に火がついて焦る性分は直らないというか進行してます(苦笑)
そんなこんな 普通の人間の生活。焦っても仕方がない。
できるようにやろう。というところにいつも落ち着きます。

さて、話は変わりますが
皆さんは 宗教に対してどんなイメージをお持ちですか?

私は30代くらいから仏教に興味があったので、
いくつかの仏教系の宗教団体とかお寺にお説法を聞きに行ったりした時期がありました。
今は行ってないです。お説法はYouTubeで聴けますからね。

36歳の時に福岡に引っ越してきて、ママ友さんからスピリチュアルを教えてもらってからは
特定の宗教団体に入ろうとは思わなくなりました。でも『真理』というものはあるんです。

神 とか 仏 という意識の存在もあると思います。
私にはその声は言葉では聴こえないのですが、
意思や感情は分かる気がします。
なんで神仏がいると思ったのか というと、

それらの意思表示を示してくる時があります。
これはどうしても それ としか思いようが無いだろう!というほど、
はっきりしたものを示してくることがあるんです。

でも、そういうものに気付く ということをしなければ見逃したり、
気のせいだ と思ってしまうものなのでしょう。
流れの方向性や法則を知らないうちもそれは見分けがつかないかもしれません。

ただ、私達人間の在りように合わせて、それに意思表示してきます。
そして、それを感じ取る私達自身のことをハイヤーセルフ と呼びます。

私たちの内側にハイヤーセルフの声を聴く

この世界の動きを見てユニバースの意思を読み取る

そして、ハイヤーセルフやユニバースの喜ぶように生きれば
神仏も私達自身も幸福を感じて生きることができます。

でも、身体の方のシステムの方が強いんですよね。
危険回避のシステム、未知のものを恐れるシステムです。

知らないものが怖い というのは それは敵かもしれない という怖れなのですが
その時に、それが味方や守護だ という可能性は切り捨てちゃうんですよね。

危ないいからチャレンジしない というやり方です。

私の個人的な体験では 未知のものが怖い と思っていた時期は、生きることそのものが恐ろしかったです。

私は不幸になるかもしれない とか、まだやったことも無い事をうまくやれる気がしなかった。

それをやってみたこともないくせに なにもせずに 最初からうまくやろうと思っていたのでしょうかねぇ?
笑っちゃいますよね。当時のプライドはすごく思いあがっていたのかも? 
あるいは ちゃんとできないと愛してもらえない と思っていた とか。

で、まだやってみたことがないことは 最初は上手に出来ないものですよねぇ。普通は。
それを最初からうまくできないと投げ出したら もう何にも出来るようになんてならないですよね(笑)
頑張って褒めてくれる人がいてくれないと成り立たない。
周りの大人に恵まれなかった人は苦労します。
スタートがマイナスだもんね。(^_^;)

でも、やってて楽しい事はそんな評価とか割とどうでもよく何度もやって気が付いたらちょっと人より上手になっていて
また気分良くなってますます上達していきますよね。

だから好きな事をした方がいいんです。

でも、そのことに興味が無い他人は、それを評価しません。

興味が無いんですから 当然です。みんな、興味の対象は違うんです。

なので あなたの好きな事をしてください。 とことん。

そうすると 自分のしていることを楽しめて ハッピーになって他人にも笑顔を見せたり
親切にしたりするようになるんです。
身内に脚を引っ張る人がいる場合は苦労するかもしれません。
その人は たぶん、育っていく過程で 自分が否定されたんだと思います。

その戦いが 敵がいなくなっても続いてしまうのでしょうね。
自分が否定されたくないために他人を否定する という、
誤った方法を取ってしまっているのです。

だから否定しないであげてください。

もちろん、自分も否定しなくていいんですよ。

誰も間違ってはいないのです。一生懸命生きただけ。

そういうことがわかって、あなたが大きな愛に気付くと
世界はあなたを祝福し始めます。

それはやがてリアルな体験をすることになります。

そういうものが 真理として宗教が立ち上がるのですが、
どういうわけか 教えを語り継ぐ間に、本質の愛の意識が空洞化してしまうようです。

それが形骸化した宗教です。

あなたは本質を知るだけで 真理を体験します。

この世界は愛でできていますので、
人間の怖れや我欲、恨み を手放してしまえば
愛しか残りません

何が愛で 何が愛でないのかを 私たちは学んでます。

宗教の教えは 縛るものではありません。

それを頼りに愛を見つけていくためのものなのです。

縛り始め当た時、本質を見失います。

体験を通じて 人間の我と愛を見極めていくのです。
あなたは 愛を体験してください。

愛を選べばよいのです。

物理法則とスピリチュアル

スピリチュアルって以前は非科学的なものとして扱われていましたよね。
超常現象 って表現されたり。

でも、知れば知るほど、物理法則どおり。
今は物理学的にも意識の波動とか証明されちゃったので
いろんなところでいろんな人が引き寄せの法則とか意識が現実化することを発信していますね。

面白い時代になったものだと つくづく感じます。

ちょっと考えてみると、昔(ちょっと前まで)は
自分たちが知らない物理法則は 超常現象 って言ってたのか・・・ 
非科学的とか迷信 なんて言い方もあるけど。

その昔、地球が平らなお盆のようなものだと思われていた時に
地球は丸い!と言った人を「頭がおかしい」って周りのみんなが言ってたのと同じ。
当たり前 ってのは「正解」とは限らないのですよね。

面白いですよね。

人間ってどれだけ自分を賢いと思いたいのか? って笑っちゃいますよね。

正義を振りかざす っていうのも同じですよね。

主人に滅私奉公したり、君主に忠義を誓うのがカッコイイ生き方だと思っている人、現代はもういませんしね。
いるのかな? いないと思うけど。

あ、いや、いるかも。
社畜と呼ばれるみなさん、滅私奉公しちゃってる。
でもこれは 主人にじゃなくて、給料に滅私奉公してるんですかね。
資本主義社会 というのはそういう社会。

これは人間が幸せになれそうにないシステムみたいですね。
お金の奴隷にはならない方がいいし。

でも、お金を持っていないと生きづらい都会に人間が集まっちゃって
お金が無いと生きにくい生活を続けようと必死に労働して お金を流通させてる。

これ、「六道輪廻から抜けられないよう~」っていうのと
同じ構造じゃないかな?

お金の崇拝をやめないと経済六道輪廻から抜けられない
つまり、天国になったり地獄になったりの綱渡りが続く ってことですね。

お金と文明、お金が無くなることへの不安から
増やそうとして 無くしたり、取られたり、
なかなかに怖い六道輪廻かも。

そういう時、不安をあおる原因の一つに
病気になったらどうしよう とか 死んだらどうしよう 
路頭に迷ったらどうしよう っていうの がありますね

これ、魂は死なない ということがわかると、途端に怖くなくなっちゃうんですよ。

身体が死んだって私はいるんですもの。存在するんです。意識が。

そしてまたどこかに生まれるかもしれないし。生まれないで見てるだけをするかもしれないし。

その意識の状態が かつて戸村寿子だったことを覚えているかどうか なんてことはどうでもいい。

それはほんのひとときの経験でしかないのだから。

人生なんて本当に一時の経験でしかないです。 
というのはもう残りの方が少ない人間だからそう思うんですけど。(笑)

確実にある期限を見てそれが来るのを恐れる というのは なんか面白くないですよね。
それは、死 というのがあまりにも未知だと感じているからでしょうね。

知らないものは怖い。
だから使い勝手が悪くても知っているものの方が安心 なだけで。

資本主義社会は、それを操っている人のためのもので、
お金は単なる手段で神ではない。

道具に命をかけたり、道具のために魂を売ったりするのは
悪魔に魂を売るのと同じに思えるのだけど。

それが正しいことだと信じていたり、嫌だけどそれでしか生きられないと思い込んでしまっていたら、
かなり生きづらいだろうな と 思うのです。

この世界の人間が作ったシステムだけを見るのではなくて、

もう少し元からある自然の流れや意識の持つ力のことを知って
この世界を生きやすい生き方をしてみませんか? と私は大きな声で言いたいのです。

で、それが知れ渡るのが次世代の人間の生き方。

新しい時代の到来なのです。

宗教性と科学は融合するでしょうね。
誤った宗教性も淘汰されるんじゃないかな と 思っています。

でも、人間は間違ってみないとわからないので、
どれもが必要なプロセスなんでしょうね。

妄信は危ういです。「間違った考え」という表現は微妙なんですけど、
妄信って何世代にも渡って引き継がれちゃうものですしね、
気が付いたら幸せになれないものにしがみついてる。

何が違うのか というと、
摩擦を起こす行動は生きづらく、摩擦を手放すとスムーズ。
(だけど慣れない生き方は怖いみたい)

そもそも、なぜわざわざ生きづらい生き方を選んで来たか ですが、
人間はスムーズだけだと刺激が足らなくて退屈するみたいで
欲にかられたりして いろんな摩擦に飛び込むんですよね。
たぶん、今生で魂がそれをやりたかった ってことみたいですが、
それが嫌になったら、止めていいんですよね、本当は。
(だけど、慣れない生き方は怖いみたい)

いつだって 本当は選択は自由。

ただ、集団の妄信は沢山犠牲を出すので
早めに大勢が目覚めて欲しいなぁと思うのでした。

戦争なんてのも集団自殺みたいなものです。

まだ寿命でもない生きているものを殺すのは本当に大きなエネルギーが要る。

そんなところにエネルギーを使わないで
分け合って多くの命を育むことに使って欲しいですよね。ほんとに。。

現代人のテーマも同じです。

分け合って多くの命を育む というのは

自分の命も守られる ということです。

私がするから 私もされる。 それしかないのです。 エネルギーだから。

愛の波動はピンク色 だそうです。
ピンク色の中で喧嘩しにくいですよね(笑)

あ、これは桃色かなぁ(笑) 概ねピーチのペールピンク🍑
個人的にはこのピンクが好きだけど
ボブさんはマジェンダのピンクって言ってたので

👇こっちですね

これでも少々 私の好みに寄せてます(笑) 色ね。

新しいステージ

今、起きている変化や苦境は

これまでの古い生き方や古いシステムの終焉です

これまで積み上げてきた常識やシステムが崩れる時

それに慣れ親しんだ意識は慌てるでしょう。

見知らぬ新しさなどは まだどんなものか分からないわけですから
不安を感じる人も少なくありません。

でも、この世界は刻々と変化しつづけるのです。

積み木も一つ一つ積み上げて、随分と積みあがって来たら
上の方を支えきれなくなって崩壊する時があります。

たとえ接着剤で固めていたとしても、
頭でっかちになれば頭の重さに耐えきれなくなってひっくり返ってしまいますし、
樹木のように生きているものも 巨樹、古木になっていくと共に
古い部分が朽ちて崩れ落ちてしまう時が来るのです。

この世界のものは不変のものはありません。

旧体制が終わる時、 それは新しい世界の始まりです。

古いやり方の悪しき部分はいつしか不必要になっていくでしょう。

私は高度な文明というのは、
「宇宙人アミ」の世界だと思います。

自分たちの世界が安定して生きやすい世界を作れることが
文明の進化の目指しているものだと思います。

目先の欲望に飲まれて罪を犯すことが身を亡ぼすことだと
気付ける理解力をもつこと。

自分たちの住む場所を安全でクリーンにしておくという事がどういうことなのか?

幸せと言うのはどうやって作り出すのか?

本当の豊かさに気付けること。

これには知能と広い視野が必要です。

沢山のとらわれがあり、狭い視野でしか物事を見られないうちは、
真理は見えません。

世界はそれらのとらわれを外そうと、我々人間を揺さぶっていきます。

また若い意識は、旧体制の生き方を見て学ぶのです。
反面教師も教師です。

とらわれは外れます。

それが必要ないものだと理解した時

そのとらわれは持ち続ける必要はなくなります。

それに気付くための変化はいずれやってきます。

 

お金の奴隷になることを止め、

プライドにとらわれることを終了し、

戦う虚しさに気付きます。

 

私たちが古い感情を出し切ってカルマが内側から消えた時、

私たちはもう無駄な苦しみを背負う必要がなくなるのです。

カルマがなくなった今は、あった時の感情はもうありません。

それは最初からなかったのと同じレベルです。

カルマは実体の無い幻想のようなものです。

ただ、衣服の上についたホコリのようなもので、払えば落ちてしまうようなものなのです。それはあなたの性格でも何でもありません。
ただのカルマです。

手放しきってしまえばよいだけです。

芽は、大木になれるかなんて気にしていません。

ただ、伸びるだけなのです。

草も、冬に枯れることを嘆きません。

また春に発芽するからです。

私たちもやがて肉体を脱いで、また新しい命に宿ります。

命とはそういうものです。

生きている今を愛にします。

愛になればなるほど、その魂は幸福に生きられます。

罪と罰

本日のタイトル、かの文豪の歴史的文学小説のようですが
すみません、それとは関係ありません。

最近はTVはほとんど見ないのですが、ネットでニュースなどを見ます。このところは長年隠蔽されてきた罪が暴かれて問題になっている事件などがありますね

犯罪の被害者と加害者 という関係、
迷惑をかけられたものとかけたもの という関係性において
怒りや恨みの気持ちをどう取り扱えばいいか ということについて
ちょっと書いてみます。

怒りの感情は 誰にでもあります。
理不尽な怒りならいざ知らず、当然の怒りも起こります
怒りに良い悪いは本当は無いのですが、正当に思える怒りは
復讐してもいい、あるいは賠償してもらっていい という認識があったりします。法律で決められていることもありますしね。

昔の時代と違って、武士はそれ以下の民が気にくわなかったら切り殺していい なんて法律はもうなくなりましたけど、
それを思うと、法律の正しさなんてわからないものだ ということは理解できるでしょう。

魂とか神レベルでのお話をします。

私は神ではありませんので断定はしませんが、
この世界の道理 としての法則 でこういうのもある ということなので理解して損にはならないでしょう。

今 理不尽に迷惑をかけられている関係がある時、

それは前世での関係が起因しているそうです。
それは、

迷惑をかけられている場合は、前世に自分がその人に同じ迷惑をかけていたことの報い だそうで、
今生で迷惑をかけられていることで前世の自分の罪が帳消しになる
そうなのです。

自分のカルマを解消するために、今人に与えたものを受け取って±0に戻している。 ということらしい。

そんな、、前世のことなんて覚えてない~っ!

と思うのは当然なんですが、覚えてなければそれが無くなるということにはならないので、どうとらえたとしても起きることは起きるのです。
ほんと、そういうのは科学的に確かめようがないですしね。
前世自体もほんとうにあるかどうかわからない と言ってしまえばおしまいですが、この世界はそういうものらしい。

そういうと、魂自体、個別にずっと存続するわけじゃないので

私と言う個人は、神に戻り、また神の一部としてこの世に戻って来る仕組みから考えると、

人類が為した罪を人類である子孫は負う ということになりますね。

この世に罪がある限り、子孫たちはそれを癒すしかない。

なので仕返しをするのは 罪や遺恨を終わらせない方法でしかないので、

私たちに戻って来る罰は終わらないわけです。

でも、個々が担当するカルマの解放は、
今生持ってきて担当する分だけの苦しみを体験して解放してしまえば、とりあえず自分のカルマは終わる そうですし、

他者の解放や癒しを手伝うと、光貯金が増えてカルマはどんどん昇華されますし、親族や先祖の分まで問題やしこりを解決していくと、

自分個人だけでなく所属するコミュニティの範囲までの私たちをどんどん浄化していくことになります。

あなたがいる環境を浄化していく ということはそういうことなんですね。

物質的にお掃除するのと同じように
エネルギー的に浄化していく これをする人としない人の人生が違うのは当然です。

自分の環境がよろしくない というのは
これまでの先祖が行いを怠ってきた とか 罪を重ねてきた
ということで、この因果応報は子孫に請け負わされるのですが、
魂はその学びの系列に再び生まれ変わる という性質があって
自分が自分の子孫の系列に再生する なら、それはやはり自分の罪を今生で浄化していくことに他なりません。

なので、嫌なことがあったら、これまでの身に覚えのある罪もない罪もがここで終わりにしてもらえるということなので

それ以上に人に痛みを与えたり罰をあたえたりする必要が無い。

罪を犯した人や他者に痛みを与えた人はその人の人生においていずれその応報を受け取ることになるので放っておけば流れに任せておけばいい ということなのです。

もちろん、出たがるものは出して構いません。それも流れです。
嫌なものは嫌と言います。降りかかる火の粉は払います。
怒ってもいいし言いたいことを言ってもいい。

そうして過ぎていく時の中で

いつまでも恨みを持続する必要は無いし
あなた自身はあなた自身を癒して心安らかに生きるだけですべてが健やかに巡っていくのです。

あなたが好きな気持のよい風景と空を眺めましょう。

距離感

みなさん、毎日ご機嫌よく過ごされていますか?

「はい!」と言える方、素晴らしいです。もうそのスタンスでずっと行ってください。(≧∇≦)b

そう簡単に「はい」とは言えない方、あなたは標準的な日本人です。人付き合い って、楽しいこともあれば、疲れることもありますよね。

気が付くと、自分はとても気を使っているのになんだか悩ましい事ばかり なんてこともあるでしょう。

それはすごく普通な感覚です。でも いくら普通でも心地よくないことは終わらせていきたいものです。

この世界は 私たちの理想通りではありません。
他人の求めるものは、自分の求めるものとは同じでもありません。

単に好みの違いでも意見は相違しますし、
利害が対立することだってある。
自分の動きが他人に影響を及ぼすこともあれば、他人の行動の余波が自分に被って来ることもある。

そんな事象にイライラしていますと、

キリがありません。

私たちは外側の余波を受けながらそれを上手にかわしながら生きるように出来ているのです。

波に揉まれるより波乗りになって波を楽しみましょう。

正面から波を受けて 戦っては負けます。すごい圧ですからね

それはミリの差でかわすだけで受けずに済みます。

スルー。

それだけでも随分と摩擦は減ります。

お仕事関係は波というよりは雨みたいなものでしょうか。

あるいは洪水の水。溜まって来た水は外に出さないと溺れちゃう

もうダメ~処理できない!となると、自分の力の問題ではなくなってくるし、洪水対策してもらえない時は 引っ越しするしかない。

そうだ、丘へ逃げましょう。

生きられるように生きる というのは 自分の知っている範囲だけでしか生きていけないわけじゃない。

もしかして、あまりにも狭い世界で生きていたんじゃないか ということに気付いてもいいかもしれないんです。

自分がいる世界を狭く囲い込んでいるのは他ならぬ自分自身ですから、どんな生き方ができるのか いろんな経験談を聴いたり読んだりしてみてくださいね。

私は九州に住んでからは、自然と近い生き方に憧れています。

今の所まだ都市部に住んでおりますが、自然が近いのでその恩恵を沢山受けることができています。

これからの時代、若い意識はもっともっと自然と共存できる社会に移行していくのではないか と感じます。

都市部の反映は最盛期を過ぎ、空洞化していきます

この社会という生き物の生命を思うと、生まれ変わりの時期は遠くないという事がわかります。旧体制の意識の終わりです。
価値観が変わります。

なので、あなたの無意識の価値観も 時代遅れになっていくかもしれないのです。

ルールにとらわれず、今この瞬間に 愛があるのかないのかを見極めてください。愛ある決断は癒しが起き、世界を調和させます

神様の手足

善い生き方ができると良いですよねぇ

人に優しくできると良いですよねぇ

清く正しく生きられたらいいですよね

でも、でもでも なかなかそれが出来ないのが人間。

愚痴なんて言うもんじゃないって常日頃思っているし人にもそう言うくせに
気が付くと 愚痴っちゃったり、

人に迷惑かけたくないのにかけてしまったり、

自分が許せない~ なんて思ってしまうくらいの人はまだいい方で
自分のしたことはなかったかのように振舞ってる人だっているし、
あっ と気付けば 自分だって忘れてた。 なーんてね

うん、人間ってそういう生き物なんですよ。

全然完璧じゃない、

むしろ未熟すぎる生き物。

自分の事を棚に上げて人を非難したり
誰かより自分が偉いなんて思ってみたり

いつのまにかやっちゃってる

でも、いいんじゃないですか?

生きるのに一生懸命 ジタバタしながら生きてます。

滑稽だけど健気(けなげ)

ケージの中のハムスターを見てる時に、

もしかしたら神様は人間のことを こんな風に見てるんじゃないか?なんて思ったりしません?

あ、そっちは違うよ!こっちだよ! あー、あー、ちがうのに。バカだなぁ~。
美味しいオヤツ食べ損ねてやんの。www

なーんてね。

目の前に美味しいオヤツあるのに全然気づかないまま別の場所必死で掘り堀りしちゃって
透明アクリル板越しにキーキー言ってるとか。そんな感じ。

ルートが違うんだよ、行き方があるんだよ

って人間の言葉で言っても通じないしさ。

いくらでもあるのに、目の前のおやつを奪い合ったりなんかして。
分け合うってことを知らねぇのか~! なんて言いたくなったりしてさ。

人間も同じなんだろうなぁ~ って思うよね。

本当は透明のケースの外に神様がいて ちゃんとエサも用意されてるかもしれない ってのに

独占して意地悪なあいつは このケージの中を住みにくい場所にしちゃったりして、

いつも噛んだりキーキーいって周りから嫌われたりなんかして

結局個室に入れるしかなくなるんだよね。

ほらほら、神様の手も嚙んじゃったりして もうおやつとか手渡しでなんかやれないよね~
おやつ上げるの楽しくないよね~ ってなるよね。

いつもおどおどして攻撃的なのはカルマ(トラウマ)のせいなんだけど、
それを受け止めてくれるキャパの大きな神様にしか手に負えないよね。

普通の神様は キーキー攻撃的なハムちゃんはもうそっとしとこう って 構わなくなるよね。

愛され上手は 穏やかでゴキゲンな子。

いつも ありがとう!ありがとう!神様大好き!って短いしっぽでもフリフリなハムちゃん

この世界の構造は 概ね同じなんだよね。

ゴキゲンでいると 神様も喜ぶ!のですよ。

可愛いなぁ!もっと喜ばせちゃう! ってなります。

あなたが 神様側になるとしたら、どれだけハムちゃんになついてもらえるか?
っていう楽しみ方もできるんですよ。

だって、私達一人一人は神様の天使のようなものだから。

神様の代わりに人に親切になれる。

そして笑顔を一緒に楽しめます 😊😇😊😇

未熟でも神様のお手伝い できます。

ここでいう神様は 「大いなる意識」魂の源 のことです。

私がわたしであること

私はどう生きたらいいんでしょう? というご質問があります

人は時に生き方に迷う時があります。

今まで信じてやってきたことが なんだか違うんじゃないか?

と 気付いたり、

この生き方が幸せになると信じて採用していたライフスタイルが崩れてきた時、

しまった、間違えたかも・・・? って思う。

こんな時はチャンスです。あなたはより本当の答えをみつけやすくなります。

そういう時、自分の信じていたものが崩れ、じゃあどうしたらいいか?と困り果て

誰かに「私はどうなるのでしょう?どう生きたらいいのでしょう?」と尋ねたくなってしまいます。

でも、その本当の答えは 他人の中にはありません。

あなたがどうしたいのか、何を選ぶのか で決まります。

実の所したいことはあるけど無理だと思ってしまっている方も少なくありません。

諦めたら、実現は不可能です。

実現自体に価値があるというわけでもありません。踏み出す行動が大事なのです。

これまでの基準をつかっていては今までの延長なので変わらないし、いずれ来る崩壊は免れません。

チャレンジに慣れていない方は、チャレンジが恐ろしく感じるでしょう。

その方法で成功するとは確信が持てないのです。

心もとないから宗教とかスピリチュアルとか宇宙の法則に頼りたくなります。

どんなツールも山を登る時の道標や杖と同じ、

それにつれていってもらうのではなく、

あなたがそれを使って山を登り、山頂での感動をゲットするのです。

それは、未知の山頂なので、あなたが思い描いているような目的地とは違うかもしれません。

でも、あなたが想像しているよりもっと感動します。

(成功だけが幸せなのではなく、そのルートが次につながることに重要)

山頂に到達した時、あなたは自分を信頼することと、自分自身を愛する能力をゲットしています。

あなたは 自分が幸せであるために どんなことをしたらいいか 本当は知っているのです。

ただ、怖れがあなたにブレーキをかけます。

チャレンジしてください。今あるものを手放して新たなものを掴んでいいのです。

家族やまわりの人々に尽くしすぎている人は、まわりの手助けをしすぎてはいけません。

あなたがその人の課題を肩代わりすると その人は楽をして成長の機会を失います。
そしてあなたに依存します。

ちょっと今の状況はまずいぞ と思ったなら、
ルーティンを変えてください。

それはあたりまえでないことを気付かせるチャンスを作ります。
手を引く ということをします。
最初は一瞬でもかまいません。

ちょっと今できないから自分でやってね。

そんな一言でもいいのです。

怒るかもしれません、それは第一関門です。その人にとっての気付きのプロセスです。

問題が自分だけのことなら、新しいやりたい事にチャレンジします。

今までにないパターンを作っていきます。

あなたがワクワクするように 自分を動かしてください。

今まで休めなかった人は休んでください

逆に怠惰になってしまっていたら、トレーニングから始めます。

簡単なチャレンジからでよいのです。

能力は使わなければ弱くなります。

鍛えることは大事です。時間をかけても良いのです。

あなたを押さえつけるものは回避してください。

威圧や暴力は一番野蛮な方法です。

支配してはなりません。

それぞれが自由にいるには自立が必要です。

相互依存があるにしても、不自由や苦痛があるなら解かねばなりません。

あなたは 自分がしたくてしている事だけをしてください。

誰かには頼れるかもしれないし頼れないかもしれないのです。

本当はあなたが一人で出来るのですが、自分を貶めてできないことにしています。

最初はやれるようにで良いのです。

完璧や多くを望まず、出来たことを褒めてください。

子育てと同じです。

ちょっとできたら褒めて、またちょっと出来たら褒めて、

失敗してもいいんだよ。何回でもやり直すことができる。

自分のペースでいいんだよ。急がなくていい。出来たら嬉しいね!

自分が一番喜びが多いことを沢山してください。

周りの人と賞賛し合えれば助け合うことが喜びのなかでしていけるのです。

傷付けてくる人やしないしようとして来る人は回避してください。

あなたを生贄にしてはなりません。

あなたが喜びに生きた上であなたが溢れる愛を配る人になります。

他者の依存から逃れるためには、あなた自身の依存も手放さねばなりません。

それは難しくありません。

対象は あるべきものならなくなりませんし、

あなたにとって必要ないものなら過ぎ去ります。

そしてもっとふさわしいものが現れます。

依存の対象ではなく、自立したあなたに相応しい安定した関係です。

 

今後変化していくこの世界では、あなたが自分らしく生きているかどうかが重要になります。

どういう形化はわかりませんが、天国へ行くか地獄へ行くかのような二極化があると言われています。

悟れるかどうかは大事な事なのです。

焦る必要はありません。 ある意味悟りは一瞬で完了します。気付けばいいだけですから。

そのために邪魔なのはカルマの感情(怖れや憎しみトラウマ)

これらは瞑想で癒せます。

平和な心は 心の浄化が必要です。

瞑想したり、涙を流したり、デトックスしたり、癒されたり、喜びに包まれたり、愛を感じたり、感謝を感じたり。

あなたは自由なのです。

正義の概念

自我は正義が大好きです。

私は正しい。
私は間違っていない。
私はちゃんとしてる。

これがあると私は愛される価値があると感じるのです。
それは、あなたが他者を見る時にその物差しを使っているからでもあります。

価値基準は自分が作ったものというより、
育つ環境の中で培われていきます。
親や教師が言い聞かせてきたこと、
自分が見たり聞いたりして取り込む価値観もあります。
親が反面教師だとその反対側に振れます。
色んな関係性や体験から生き方やルールを学び取り込んでいきます。

なので、そのルールや価値観は様々です。

時代が違えば殺人者が英雄であったり、
上の身分の者が人を切り殺すことが許可されていたりしますし、
君主の下僕として生きることが美徳とされた時代も長くありましたし
今では野蛮に見える奴隷制度もかつては当たり前だった。

それらは現代では犯罪です。

まだまだ人間の意識は未熟ではあると思いますが、時代と共に徐々に野蛮さを脱皮して行ってると思います。
古き良き時代 という表現がありますが、その頃の男尊女卑を想像するとその時代には生きたくない気がします。
未来から現代を見てもそう思うのかもしれません。

高度な文明というのは 野蛮さを落とした全体意識なのではないか と思うのは私だけでしょうか?

狭い正義、独自の正義から視野が広がり、全体が見えるようになる。
意識の成長は、豊かさの質を見分けることもできます。
つまり、エネルギーのアンバランス (お金もエネルギーです

搾取や独り占めした富の行方が崩壊につながることを知らないお金持ちはいずれ没落します。
それは自然法則を知らず、流れを無視した人のやらかす失敗です。お金だけしか見ていないとそれ以外のものが見えなくなってしまいます。(資本主義社会)

真の豊かさは大きな循環です。循環は終わりがありません。

物だけではありません。愛や思いやりもエネルギーです。

愛の循環は幸福です。全てを癒し、調和させます。

正義というものが愛の循環を止めるようなことがあれば、それは存続しません。
そして古い価値観は終わってゆくのです。

真の平和と調和を学ぶ世界に移り変わるでしょう。
それがサステナブルです