本質に気付く

10月も後半に入り、ずいぶん涼しくなってきましたね。
そりゃあそうだ と思いながらも
毎年今日は暑い、今日は寒いと言いながら
季節が」変わっていきます。
1年が早く感じるのは歳のせいでしょうか(笑)
ホントに早いです。個展まであと5ヶ月ほどしかない!ヤバいです。

御多分に漏れず、お尻に火がついて焦る性分は直らないというか進行してます(苦笑)
そんなこんな 普通の人間の生活。焦っても仕方がない。
できるようにやろう。というところにいつも落ち着きます。

さて、話は変わりますが
皆さんは 宗教に対してどんなイメージをお持ちですか?

私は30代くらいから仏教に興味があったので、
いくつかの仏教系の宗教団体とかお寺にお説法を聞きに行ったりした時期がありました。
今は行ってないです。お説法はYouTubeで聴けますからね。

36歳の時に福岡に引っ越してきて、ママ友さんからスピリチュアルを教えてもらってからは
特定の宗教団体に入ろうとは思わなくなりました。でも『真理』というものはあるんです。

神 とか 仏 という意識の存在もあると思います。
私にはその声は言葉では聴こえないのですが、
意思や感情は分かる気がします。
なんで神仏がいると思ったのか というと、

それらの意思表示を示してくる時があります。
これはどうしても それ としか思いようが無いだろう!というほど、
はっきりしたものを示してくることがあるんです。

でも、そういうものに気付く ということをしなければ見逃したり、
気のせいだ と思ってしまうものなのでしょう。
流れの方向性や法則を知らないうちもそれは見分けがつかないかもしれません。

ただ、私達人間の在りように合わせて、それに意思表示してきます。
そして、それを感じ取る私達自身のことをハイヤーセルフ と呼びます。

私たちの内側にハイヤーセルフの声を聴く

この世界の動きを見てユニバースの意思を読み取る

そして、ハイヤーセルフやユニバースの喜ぶように生きれば
神仏も私達自身も幸福を感じて生きることができます。

でも、身体の方のシステムの方が強いんですよね。
危険回避のシステム、未知のものを恐れるシステムです。

知らないものが怖い というのは それは敵かもしれない という怖れなのですが
その時に、それが味方や守護だ という可能性は切り捨てちゃうんですよね。

危ないいからチャレンジしない というやり方です。

私の個人的な体験では 未知のものが怖い と思っていた時期は、生きることそのものが恐ろしかったです。

私は不幸になるかもしれない とか、まだやったことも無い事をうまくやれる気がしなかった。

それをやってみたこともないくせに なにもせずに 最初からうまくやろうと思っていたのでしょうかねぇ?
笑っちゃいますよね。当時のプライドはすごく思いあがっていたのかも? 
あるいは ちゃんとできないと愛してもらえない と思っていた とか。

で、まだやってみたことがないことは 最初は上手に出来ないものですよねぇ。普通は。
それを最初からうまくできないと投げ出したら もう何にも出来るようになんてならないですよね(笑)
頑張って褒めてくれる人がいてくれないと成り立たない。
周りの大人に恵まれなかった人は苦労します。
スタートがマイナスだもんね。(^_^;)

でも、やってて楽しい事はそんな評価とか割とどうでもよく何度もやって気が付いたらちょっと人より上手になっていて
また気分良くなってますます上達していきますよね。

だから好きな事をした方がいいんです。

でも、そのことに興味が無い他人は、それを評価しません。

興味が無いんですから 当然です。みんな、興味の対象は違うんです。

なので あなたの好きな事をしてください。 とことん。

そうすると 自分のしていることを楽しめて ハッピーになって他人にも笑顔を見せたり
親切にしたりするようになるんです。
身内に脚を引っ張る人がいる場合は苦労するかもしれません。
その人は たぶん、育っていく過程で 自分が否定されたんだと思います。

その戦いが 敵がいなくなっても続いてしまうのでしょうね。
自分が否定されたくないために他人を否定する という、
誤った方法を取ってしまっているのです。

だから否定しないであげてください。

もちろん、自分も否定しなくていいんですよ。

誰も間違ってはいないのです。一生懸命生きただけ。

そういうことがわかって、あなたが大きな愛に気付くと
世界はあなたを祝福し始めます。

それはやがてリアルな体験をすることになります。

そういうものが 真理として宗教が立ち上がるのですが、
どういうわけか 教えを語り継ぐ間に、本質の愛の意識が空洞化してしまうようです。

それが形骸化した宗教です。

あなたは本質を知るだけで 真理を体験します。

この世界は愛でできていますので、
人間の怖れや我欲、恨み を手放してしまえば
愛しか残りません

何が愛で 何が愛でないのかを 私たちは学んでます。

宗教の教えは 縛るものではありません。

それを頼りに愛を見つけていくためのものなのです。

縛り始め当た時、本質を見失います。

体験を通じて 人間の我と愛を見極めていくのです。
あなたは 愛を体験してください。

愛を選べばよいのです。