愛の波動

人を動かしたり変えたりする原動力は

怖れ か 愛 のどちらかです。

カルマ か 愛 か

この 愛 は 恋愛や執着を含まない エターナルラブ 永遠の神の愛 のことです

人間の本質にある 優しさや慈悲の心で それは見返りを期待する意識はありません。

日本人はこの愛「困っている人があれば助ける」という意識を持った人が多いので

全世界から賞賛されることも多いようです。

日本の文化は素敵です。

でも、エゴはあらゆる隙間に入って来ては
意識に我を混ぜ込んでしまいます
これは肉体を持つ生き物の防衛反応なので仕方がないのですが、
エゴの意識は 全体を見渡す余裕が無い ということと
愛ではない波動(怖れ)を持ち込み始めるので せっかくの愛の波動を下げてしまうのです。

愛でないものは摩擦を生みます。
摩擦が生じた時に、愛はその摩擦を溶かしますが、
愛でないネガティブな波動は 火に油を注ぎます。

なので、事が起きた時は特に 波動を愛に戻す ということが必要なのです。

他者のエゴが あなたの何かを奪ったとしても、
あなたは愛でいたほうがいいのです。

あなたの持つ波動は あなたに次の豊かさをもたらします。
物質的豊かさとは限りません。
あなたが満たされる状態になっていくのです。

そういうことを説いている宗教や宗派は多いので 
それで救われる人々も沢山おられるでしょう。

ただ、人間の心には隙間に染み込むエゴと潜んでいるカルマがありますので
きがつかないうちに怖れを元にした考えが発生してしまいます。

危険なものは回避すべきですが、行動のベースが怖れになっているなら
あなたは 愛を忘れているかもしれません。

宗教は、真理を教えとしているものも多く、それを手掛かりに幸せな生き方ができるようになることも多いです。
何か心強いよりどころを感じて安心することによって、怖れから離れ、波動が上がります。
でも 宗教 という仕組みに問題があって、
教えを理解する前に、戒律という形にとらわれ、怖れてしまうことや
それで他者を裁き始めることなのです。
それをせずに 愛がベースで快く戒律を守って暮らすことには何の問題もありません。
(怖れを煽って信者を集めている宗教はこの限りではありません)

波動を愛にする ということがどういうことか を理解した時
多くの宗教が 真理を見ている ということに気付きます。

教えや戒律の表現はそれぞれに違っていたり、時には何かにとらわれたものもあるかもしれません。
摩擦を回避することに熱心になりすぎて 人間の本質を忌避したり、悪を生み出したりすることもあります。
でもそれは怖れに他なりません。

大事なのは 愛 に戻ることです。

そうしなければならない のではなく、そうした方が幸せに生きられるからです。

目先の問題ではありません。

おうちの中や家の周りを掃除するのと同じです。

綺麗な場所で気持ちよく暮らす 

(笑) 片づけられなくても 愛に満ちた波動ならば
それはそれでいいですよ。

笑顔のある生活を。