2020年06月

手放す

時代(次元)の転換期である今

手放すこと は 新しい世界の始まりを意味します

私たち人間の苦しみは、過去の記憶や観念を握りしめていることから起こります。

これは 内側にある感情のエネルギーが未消化なまま内側に残ると、そのエネルギーが内側で暴れることで起こります。

 

子供の頃、何の良い悪いも判断しないまま ただ泣いたり怒ったりあるがままの感情を表現しているうちは 感情はすっかり発散されてしまうため、内側に残りません。

でも、大人に怒られたりして感情を封じられると 幼児期の感情も未消化になって心の奥底に残ってしまいます。

内なる未消化のネガティブ感情は どうにかして外側に出ようとしますので、本来の自然なふるまいに歪みを生じさせます。

 怒り 悲しみ

不安や怖れ、孤独、愛の欠乏

それらに圧がかかってくると 不信感や猜疑心、敵意、自己防衛、自己否定、自己嫌悪、妄想、幻想 などなどへとカルマは変容します・・・。

いつのまにか そんなものが内側にあり 

生きることが辛い事辛い事。 ((TдT)) 

そんなにこじれてしまっている方は本当にお疲れ様でした。

それはあなたではありませんし、あなただけのカルマでもないのです。

今はまさに  そんな内なるカルマたちにさよならを告げる時なのです。

本当にそんな時代がやって来ました。(アセンションの時代)

 

自分が 我慢してようやく均衡を保っている現状、

ギリギリでキープしていて、もう持ち堪えられないかもしれない と 思ったら、

それはもう すでにバランスは破綻している状況です。

あなただけが頑張って破綻のほころびを繋いでいるとしたら、

それをキープするのは無茶なこと。

ボロボロになるまで頑張らないでください。

なるようになれ、と 手放すのです。

あなたが頑張ったところで、それはいつか決壊しますから

今 決壊しても それはあなたのせいではありません。

 

平和とは 何の力も入れずに 調和している状態ですので、

ユニバースはそれを邪魔しているものを押し流して崩壊させてしまうのです。

無理な現状を維持しようとしないでください。

あなた一人で ユニバースの流れを止めることなどできません。

 

あなたから出てくるカルマもまた 止めることはできないのです。

カルマは出て行ってなくなり、消えます。

但し、カルマのエネルギーを他者にぶつけないでください。

せっかく終了できるカルマを 他人に受け取らせてしまうと

人はそれをまた誰かに回してしまうでしょう。

カルマの共有はもう終わり。

ここで手放せば終わりです。

瞑想がその手放しをできるお手伝いをするのです。

瞑想中に自然に抜けていくカルマのエネルギー

あなたは風のようにカルマを手放すこともできるのです。

ただ 毎日瞑想するだけでよいのです。

手放したいこと 手放したくないこと ありましょうが、

手放せないものが あなたを苦しめます。

それを「執着・こだわり」 と呼びます

何ものにもとらわれない生き方は

まずは 手放すことから始まります。

大いなる流れは調和の海へと向かう

コロナ対策について各国の方針の違いや 結果の違いが出てきて、

現在は日本がとても死亡率が低く評価されています。

これは日本のやり方が正しかったのだ と喜ぶ人や

日本の民意は高い!と自慢げに言う方などが出ていますが、

実際のところ 本当に一番的確なのはどの国か(あるいは誰か?)ということは

まだはっきりしていません。

人(マインド)は 何かとすぐに判断を働かせ 結論めいたことを口にしがちですが、

実際は 何が正解で 何が正解でないか は短期の展望ではわかりません。

この世界(ユニバース)すなわち3次元の現象界で、私たちが目にするのは

とても表面的な事象です。

でも 表面の下に潜むエネルギーや波動や関係性は とても複雑で

細かいところまで 正確に把握する ということは不可能なんです。

もし、実際に起きていることをそれに近い状態で把握したい場合は

物事を大きな塊でざっくりととらえ、「こういう傾向」「そういう傾向」ととらえるならばそれは間違いにはなりにくいでしょう。

でも、細かいトラップ(ひっかかり)も 決して無視することはできないのです。

瞑想マスターは言います。

この世界のことを私たちが全てわかることは不可能なのだ

いや、何もわかっていない。わかることなどできないのだ。

我々人間がしっていることは、表面の一部に過ぎない。  と。

 

ユニバースは 今大きな転換期(アセンション)に入って、

世界全体を根こそぎ 新しい変えてしまう という仕事をしています。

(ここ数年はピークだと思われます)

今までの価値観や常識はもう意味を成しません。

激動の現代にいて、私たちが平和に生き延びる方法は

柔軟で軽い心 なのです。

欲、執着、こだわり を 手放すことが必要です。

それをすることによって、苦しみは消えていきます。

そしてあなたに残るものは 『愛』

愛 は 物質や次元を超えて 魂を繋ぎます。

世の中の摩擦は愛のつながりの間をすり抜けて行くでしょう。

物質や執着が壁だとしたら、愛は網戸のようなもので 風通しが良いのです。

 

そして愛や瞑想の高い波動は、私たちを高い波動で包みますので、

そこにネガティブは入り込めなくなってしまうのです。

どんな状況もいたわり合い、与え合い、愛の温かさ実感し幸福を感じることができます。

愛の発信源は もちろん あなた です。

私 から 世界に愛を。

得る愛・奪う愛 から 際限なく沸き起こる愛をふりまく存在へと変容します。

まずは あなた自身を100%愛せることがスタートになります。

これはカルマを解放しきった時、それが可能になります。

カルマが残っているうちは それが邪魔して

あなたは100%輝くことが難しいのですが、

カルマの解放が進んで手放して行けば 終わってしまいます。

起きることに抵抗しないで ただ感情と共に手放してください

ユニバースに良い悪いの区別はありません

必要な解放が起きて、カルマは終わります。

それに抵抗しないことが早く終るコツなのです。

感情はジタバタしても、あなたという存在はどっしり構えてください

ストーリーや正義を手放して この世界をただ眺めていれば

真実はおのずと見えてくるのです。思考する必要はありません。

むしろ 思考は状況を自分ルールに歪めてしまうので 真実を知ることができません。

私たちにできる一番簡単な方法は ただ自分が愛であるかどうか、内側をたしかめるだけなのです。

愛でないもの『カルマ』は当然ありますが、それは否定するものではなく、ただ終わっていくものとして、「ありがとう、さよなら」を言えばいいだけなのです。

カルマが出て行く過程を恐れないでください。

それができれば、あなたの周りにある愛を沢山見つけられるようになります。

あなたの愛が大きいほど、共鳴する愛は大きくなるものです。

元々の存在が愛ですから あなたは愛でないものを手放せばいいだけ なのです

 

 

コロナに学ばされること

街に人と車が戻って来て、

街って前もこんなに賑やかだったんだ と改めて驚くような次第です。

火曜日は久々のランチタイム瞑想会、お二人がご参加くださいました。

先日の1日瞑想会から、食事を出す時もバイキング形式はやめて 小分けにして袋詰めしたりラップをかけたりして 衛生的に食事ができるよう色々と工夫つつ 食事を楽しんでいただいています。

実際のところ、参加者のみなさんは、瞑想者ばかりですと、健康面が強化されて免疫力が高いので、コロナを怖がっていない方がほとんどです。

発症する気が全くしません  と発言してしまうと物議を醸しだすかもしれないので、みんながそう とは言いませんが、内心そう思っています。

それはコロナを軽く見ている というわけではなく、自分たちがコロナで重症化する気がしないだけで、それでもキャリアにはなりうるわけですので、

高齢のご家族と同居している方はもちろんのこと 体力の弱い人に移さないような注意は 常々心がけて怠らないよう努めていらっしゃる方が殆どです。

世間ではコロナを怖れたり不安に思っている方が、無防備なことを敵視して

コロナ差別などが発生しているとも聞きますが、

本当に大事なことは 盲目的に恐れることではなく、

事実を確かめつつ、臨機応変に的確に対応する ということなのです。

無駄に恐れることは 的確な対応ではありませんし、むやみに楽観視することも 的確な対応とは言えません

事実をありのままに受け止め、冷静に慎重に 対処する のみです。

仏教の無明 は 真理を知らないことによる 心の闇のことを言いますが

現代でも無明であることは とても生きづらいことになるのです。

協力し合えるはずの人間関係を敵とみなして孤立したり、争ったり、傷付け合ったりしてしまうのです。

私達人間同士が なぜ傷つけあってしまうのか それは怖れやネガティブ感情、

つまり、カルマが摩擦を起こして痛みを創り出してしまうのですが、

そのことをも毛嫌いしたり排除しようとしたりすることもまた 愚かしい判断である と気付く必要があります。

カルマの摩擦は カルマのあるところに生じます。

流れに逆らうものが流れと摩擦を起こすのがカルマです。

でも、そのカルマは結局、大いなる流れに押し流される運命にあります。

大いなる流れの方が圧倒的に大きな力だからです。

そんな大きな力を どうすればいいのか?

それはもう流れの方向に進めば 摩擦は起きようがない。

その大いなる流れの方向を知ることが 悟り でもありますので

瞑想を通じて それを 見つけることで

身の回りの摩擦を消していくことができるのです。

摩擦のエネルギーは外ではなく、内にあります。

ただ、内側と向き合って、内にある摩擦のエネルギー、負の感情を手放してください。

そう、ただ、それが出て行くままにしておけばいいだけなのです。

止める必要はありません。

あなたの感じるままに感じて、そして手放してください。

 

摩擦のエネルギーは出て行ってしまえば消えてしまいます。

何度も繰り返し感じるのは 戻ってきているのではありません。

出し惜しみした 残りがまだ終わっていないだけのことなのです。

本当の感情を 感じないうちは 終わることができないからです。

あるがままに感じてください。

仏画教室

本日は仏画教室の1日でした。 

昨日に引き続き 写真撮影をすっかり失念 shock 

なぜか その時していることに夢中になってしまうようで、直前まで撮ろうと思っていても終わるまで意図が戻って来ません。(歳のせい?)coldsweats02(いやいや、撮る必要がないから忘れるのだ)といつもの気休めをば。。(笑)


中央市民センターでの仏画教室が 諸事情により今月から全面的にアトリエで開くことになったので

生徒さんのソーシャルディスタンスを護るために 定員を設け、教室日を増やし、

月2回月曜日 は 午前10~13時の枠 と 午後13:30~16:30の二枠、

それ以外に、月2回火曜日 午後13:30~16:30 

1ヶ月に最低6回の教室枠を作りました。

(アトリエですとTea time あり)

定員5名で、ご予約制ですので 毎回 来られたい日時をお知らせください。

写仏体験も可能です。(しばらくは 定員内で講座をしますので、定員になり次第、スケジュールカレンダーに満席の表示をいたします)

 

ご都合が合わない方は お問合せフォームからご相談ください。

スケジュールの許す限り レッスン日を増設したいと思います。

 

そして、教室後の夕方、

買い物に出ましたが、町に人が大勢出ていて驚きました。

自粛が解除になったから 当然ではありますが、coldsweats01 

「人が沢山歩いてる」 ということに驚く というのが ちょっと面白いな と思っていました。

私は 気分で言うと、人は少な目の方が気分がいいです(笑)

広い というのがいいのでしょうか?

混み合っているより ゆったりがいいし、 騒がしくない というのも好きかもしれません。

ちょっと田舎生活に憧れる今日この頃なんですが、

羽のある虫とか 地べたを這う虫とか 足がいっぱいある虫とか 毛がある虫とかは 得意とは言えないので(笑)(ほぼ虫のみ。爬虫類と両生類は大丈夫。)

田舎生活ができるかどうかは 怪しいものなのですが。。。

そういえば、チェンマイでの教師トレーニングコースでは 部屋に小さな虫が入れるドアの隙間 は普通だったので 

あのくらいなら いけるかもしれません。(笑)

チェンマイでは土いじりは 全くしなかったですが、(瞑想しかしていないです)

日本で田舎生活をすると たぶん畑仕事が必須と思われるので その辺も (できるかどうか)怪しいものです(笑)直射日光に弱い orz

今年のチェンマイの教師トレーニングコースは タイへの観光ビザでの渡航が解禁になるようなら 開催されるとのことです。10名ほどの受講希望者がおられるとのこと。

開催実現するといいですね。

日本でのリトリートは 現在 検討中です。どこで出来るかを探しているところです

場合によっては早く実現するかも。。乞うご期待。。

活動再開

私のマインドは いろいろ欲張りがちですが、

ある程度で手放すようにしています。

必要な事はユニバースが整えていく そういう確信と共に 生きています。

希望は 発信したらすぐに手放す というのが 引き寄せ的にベストだそうです。

必要なものは必ず与えられるので 信頼して待つことがポイントです。

あっても良し無くても良し 来たら嬉しいな いつもありがとう?

という感じです。

毎日 常に今が過ぎていきます。

どんな時も 真我を感じて 今この瞬間を楽しんで下さい。

瞑想シルエット

活動

しばらくご無沙汰してしまいました。みなさまお元気でしょうか?

 

本日は全国的な自粛があけて初の瞑想会でした。

しばらく瞑想会に来ることを控えていた方もいらっしゃり、活動再開という実感です。

ソーシャルディスタンスの意識も高まっておりますので 瞑想室を片付けて参加者のみなさんがゆったりと間隔をあけて座れるよう椅子の配置を工夫したり、ちょっとスタイルを変えるなど 工夫をしてみました。

瞑想室全面に拡がって等間隔で椅子を配置したところ、なんとか7名までご参加いただけるかと思われます。

来月もこのスタイルで行いますので 7月以降も瞑想会参加ご希望の方はお申込みのご連絡をお願いいたします。

ランチは マインドフルネス式の食べる瞑想の時間をちょっと長くとりまして、20分の無言の時間を作りました。

より食べる瞑想を実感しやすくなり 良い感じです。

 

1日瞑想会の瞑想は 回数が増えていくと、本当に深い瞑想感覚に入るので 私にとってもこれがとても楽しみとなっています。

しかしながら、参加者の定員はそれほど増やせないので もし 希望者があふれるようなことになるようなら瞑想会の回数を増やすか、zoomでのご参加も募集しようと思います。

もしzoomなら参加したいという方があれば、機会を作りますので、ご連絡ください。

体験瞑想会に関しては 音源を工夫しないと音楽の配信が厳しいようなので、これもどうすれば可能なのかを勉強しなければ です。

zoomでの音源の接続などに詳しい方があれば ぜひご助言いただけますとありがたい次第です。
(一人で調べていてもわからないことが多すぎて 挫折中ですので)coldsweats01

こういった現代の機器を扱えない ということに直面しますと

さすがに年齢を感じますね。今時の機材はすごいですが 新しい技術について行けない世代 というものを感じます。

若い頃に 父や母が家電を扱えないことに呆れていたこともあったのですが、今は逆の立場です(苦笑)ほんと、若い人たちはすごいです。

歳のボヤキはこのくらいにして(笑)

とにもかくにも 世界が大きく変化しようとしているこの時代に立ち会いまして思うことは、

古い観念にしがみつかない ということですね。

何が正しくて 何が当たり前なのか ということは 決して固定されるものではありません。

様々なバリエーションが 大きく花開こうとしている今、

私たちは様々な存在の一人として 自分自身をよりしっかりと感じて

自分自身のより本質的な意識を知っていく必要があります。

何ものにもとらわれず、今という瞬間、この体をしっかりと感じてみてください。

あなたそのものは あなたのマインドすらも知らないことだらけ。

いえ、それは決して知り尽くすことなどできないものなのです。

今 必要な答えは 外側ではなくあなたの中にあります。

どうすればそれを知ることができるのか

あなたが瞑想をして あなたの深い部分に入り、感じてくることが一番の近道なのです。

 

瞑想会にもぜひおいでください。

カレンダーに合う予定が見当たらない場合はお気軽にご相談ください。

zoomやライン電話、Facebookのメッセンジャーで、オンラインでface to faceつながることもできます。

激動の時代を悠々と眺めてみませんか。。。

アトリエ霽月でお待ちしています。

梅雨

雨が降ると涼しいので この時期の雨は割と好きだったりします。

雨上がりに晴れると一気に蒸し暑くなりますが、

現代はエアコンがあって 現代人はあまり困りません。

 

今はまだエアコンをつけるほどでもないなぁ、と思いつつ

エアコンをつけずに絵の制作などしておりますと、睡魔が襲ってきますね(笑)

暑いとなぜ眠たくなるのだろうなぁ と いうのがこのところの大きな疑問なのです。(笑)

 

ニャンコも暑い日は昼寝の時間が長いです。

 

自粛以来 籠りっぱなしな生活に馴染んでおりまして これが割と快適だったりします。

頑張って仕事をしなければいけない という考え方が 新しい時代には崩壊するのですが、

これは何もしない 怠ける といういみではなく、必要な事を自分のペースでできる ということなんですが、

早く社会全体が自然と共に生きる生き方(サイクル)に移行すればいいなぁ と思っているのです。

と言っても、私自身も都会生まれの都会育ちなので これまでずっと田舎の生活に憧れていた などということもなく、都会生活しかできたことがないのですが、

私が知ってる範囲の田舎の人が自由に暮らしておられたか?というとそうでもなく、

田舎は田舎のしがらみにがんじがらめな皆さんも多くおられました。

やはり、都会から田舎まで 漫然と今まで通りに生きているだけでは新しい時代は来ないようで、

これまでの 何が要らなくて新しく何が必要なのか を理解することも必要だと感じるのでした。

先日の瞑想マスター ボブのお話では 

ダルマの知識を理解する必要がある と言われていましたが、

これは本を読めばわかる ような理論などの知識ではなく

私たちのハート真我が神の意識と繋がっている というこの世界の構造を体感する といった感覚 や 体験での理解ですので、

それを体験するためには やはり 瞑想は欠かせない と言われます。納得。

 

なにはなくとも、日々瞑想 が大事ですね。

今日も瞑想で平和に触れて来ましょう。shine

心の平和は どんな環境でも あなたの内側に存在するのです。 

どこにいても平和。調和。

瞑想中

どう思われるかを気にする を手放す話

昨日の福岡地方、夏日でした。

33℃まで上がったとか? え? ホントかしら・・・ 本当なようです(;^ω^)

本日も30℃を越えるそうな。

アトリエは、南北の窓からの風通しが良いので 窓を開けていると けっこう快適で 今は最高に気持ちいい風を楽しんでいますが。

日が高くなって気温が上がってしまうと 暑いということよりも 眠気がやってきて仕事ができなくなってしまいますね(笑)

急ぎでなければお昼寝して 夜に作業します。

心地よい暑さを越えると エアコン様頼み となりますが。

晴耕雨読のように生活したい。(ん?昼寝は入ってない?かな?(笑))

 

今日の話題は 人からどう思われる というテーマ

この呪縛からすでに逃れた人は なんだそれ? って笑うかもしれませんが、

日本人の大多数の方は 人からどう思われるか をとても気にします。

自分が外側からどんな風に見えて どんな評価を得ているか がとても気になるのです。

それによって自分が得る利益も変わって来るから でしょうが

実際は 自分がどうしていようが、他者はそれぞれに好きな見方、好みの価値観で様々な見解を持ちます。

私が人からどう思われるか ということを機にするのを止めたのは あるきっかけからでした。

福岡に引っ越してきて 生まれて初めて知らない土地で暮らす ということになった時、そこで受け入れてもらえるかどうか とても大きな問題 と 感じていた頃でした。

ママ友さんたちの反応 をビクビクしながら伺っていました。

来て早々、あるご年配の方に「あんだ、福岡で関西弁で話さん方がいいよ。福岡の人間は関西の人間をあまりよく思っとらん。バブル期にあくどい商売をしたやつが沢山いたからな」と言われたのも長らく引っかかっていたからでしょうか。

とても気を使ってPTAにも参加して受け入れてもらえるよう一生懸命暮らしていた頃です。

親切にしてくれたり顔見知りのお母さんができて、ちょっと馴染んだ頃のことでしょうか。

親しくしていたママ友さんが私に 別の方が私の悪口を言っている と言って来られたんです。

内容は「自分の子供を自慢してる、なんて人なのかしら(笑)」とのこと

Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン ショック~  でした。

身に覚えが無い。 ママ友さんによると、

なんでも、私はお世辞を言われた時に褒め返すことが上手でないらしく、

実際 褒められ慣れていないので お世辞を言われると困惑しておったのですが(;^_^A

習慣としては 自分のことは謙遜して相手のことを倍ほど褒めると合格なんだそうで、 冗談で自分を上げて言う大阪文化はあり得ません。

住んでいる地域で大きく常識が違うんですね。同じ日本なのに。

その時、常に人の価値観に合わせる ということをしようとしていた私は、とても混乱しました。

ああすればこう言われ、こうすればああ言われ、

「どないせい、っちゅうねん~!」と 頭を抱えてしまいました。

ママ友さんは 「あなたは 人から批難されるようなことを全くしてないからそんなことを引き合いに出してケチをつけるのよね、あの人はあなたが良い人だから妬んでるんだと思うわ」

と私に言ってくれたのですが、電話を切った後、ひとしきり悶絶

良い人 というより、欠点だらけなのを隠してるだけなので「やばい~バレてもた~」という方が正確で

「どうすればいいんだ~。陰で言ってるその人の口をふさぐことも出来ないし、直接言われたわけでもないし、なんでそれを私に教えてくれちゃったの?」などなど、

しばらく悶絶していたわけですが、

丸1日くらい落ち込んでいたでしょうか、

急に あることに気付いたのです。

欠点で文句を言われることはもちろんだけど、上手に出来たことに対しても面白くなく感じる人がいて、

私がどんなふうにしていようと、それを良く言う人もあれば悪く言う人もある

全ての人に肯定的に評価されることは無い

全ての人にOKを出してもらうには正反対の要素を同時に持たなければ不可能でそんなの無理 

みんなの要求を聞き入れていたら、操り人形みたいにグダグダになっちゃう

それはそれでもっとイタい。

「こりゃ~、気にしたら負けだな、悩むのや~めた!」と なったのです。

他人にケチをつけたい人はどんな人にもケチをつけたがるし、

私自身は長短併せ持つ人間で、むしろ欠点の方が多いから

そんな私でもキライじゃないよ~ って言ってくれる人と友達になろう と思ったんです。

キライ って言う人は嫌っててくれていいので、迷惑をかけるかもしれないので あまり近づかないようにしてね。 という気持ち。

なので、自分の本質を隠さない方がいいだろう という結論に達しました。

「こんな私やけど、ええかなぁ~、ごめん~。」てへぺろ です。(困ったさんかもですがこんな生き方しかできません。上手?には生きられません。)

それ以降、自分がされて嫌な事は絶対しない という基本姿勢で、

ただ、自分が平気な事はしてしまって 人に嫌な思いをさせることもあるかもしれないので、その時は謝るから ちゃんと嫌な事は嫌 って言ってね。

と思って生きるようになりました。

後になってから ああ、あの時はやらかしてたな と思うことも多々ですが

やらかしてしまった時はもう、ただ謝るしかないです。

良いか悪いか なんて基準はそれぞれで曖昧だし、ただ、

「あなたのご期待や好みに合わせられなくて ごめんなさい」

なのです。あなたが簡単で黄出来ることでも私には簡単でないことも多々。

逆もまたしかり。

やらかすのが基本ですので、できるだけ人の失敗も許して、どんな人にも親切にしよう と思うようになりました。

自分が自分を好きでいられるには 自分が好きと思える行動を取る に限ります。

最初は試行錯誤ですが、自分がどう感じるかは 人それぞれですので 正解などありません。

なので人に文句を言うのをやめて、自分の生きたいように生きればよい と思われます。精神的自立が ネックです。

ただし、一緒に生活をしたり、協力が必要な関係の人とは、互いの違いを理解し合って 無駄な摩擦を回避する必要がありますので 

決して自分の正義を押し付けることなく、違いを認識したり、どうすり合わせたらうまくやっていけるか というコミュニケーション(穏やかな話し合い)が必要です。

自分の価値観だけに合う世界は存在しません。

自分の価値観に合わない要素もあるこの世界そのものを愛することを

真実の愛 と呼んでいます。

 

もしあなたが 真実の愛を掴むことができるようになれば

どんなことも受け止めることができるようになり、

摩擦の感情は消えていきます。

これが真の平和な心 です。

摩擦、価値は自分の内側にあるもので

外ではただ真実が存在するだけです。

あるがままにさせておく愛 に なってゆきます。

瞑想して気付きを得てくださいね。

 

意識は 進化すればするほど、自然と同化します。

ダルマとカルマ

先日のボブのオンライン講座で印象に残ったお話

カルマとダルマ というと 多くの方は 

カルマ=良くないもの、 ダルマ=良いもの ととらえがちですが、

実際は同じものなのです  と ボブは言います。

ダルマは自然な流れ、

それに対してカルマは流れの中の岩や倒木のように流れを遮るのですが、

流れはそれらに対して流れの方向へと圧をかけ、流れていきます

流れに逆らうエネルギーや存在をカルマと呼びますが、これも世界(ユニバース=3次元界)に在るものなので ダルマの一部ともいえるのです。

私達人間という生き物はダルマに逆らうエゴを持った生き物なので 流れに逆らってみたいのかもしれません。

それが小さなうちは可愛らしい抵抗に過ぎませんが、それをより大きな力(大人数だったり、強いエゴで) 無理に流れを堰き止めてしまうと、

流れそのものは人間の力で完全に止められるほど小さなものではないので、

最終的には 大きな流れの圧と共に全部押し流されてしまう という結果になります。

今 という時代は これまで人間が世界を支配できると思い込んで 一生懸命固めていた地表を 地球が息苦しくなって伸びをし始めたような時で

自然は本来の自然体へと方向修正を図っています。

このままじゃダメだよ~ と いろんな人々や団体が警鐘を鳴らしたところで

聞く耳をもたなかった社会全体に 地球が 「我慢はこの辺で勘弁」と言っているような感じなんでしょうね。

なので、世界全体から言うと、この状況やこの流れというのは とても順当な流れなのです。

人間に対して、世界側が動いているのは 人間の都合を無視した自然災害とか 天候の変化 とか 人間の意識を揺さぶるコロナ禍 です。

そういう意味では 自然の自然に戻ろうとする流れ というのは見事なものだな と感心さえします。

出来事は、流れの事を考えて来なかった人間たちに、 自然の流れは無視できないよ と知らせているメッセージにすぎません。

この流れそのものが ダルマです。

起きる出来事は 全て順当なのです。それが人間にとっては予想外で困っているだけのこと。

この状態を古代からの賢者たちは 無知の状態(アベディア)と呼ぶそうです。

恐怖や混乱は無知からやって来る。

 

更に言及しますと、この私たちの混乱や恐怖が何を呼び込むか ということも問題で、

みなさんは引き寄せの法則をご存じでしょうか

あなたの思い描くイメージは 現実化してしまう という力をもっていることを忘れないでください。

私たちはどんな状況の中でも 冷静でいることによって 正しい判断ができます。

そのために動揺せずにいられるにはどうすればいいのか?

それは瞑想をする ということに尽きるようです。

瞑想をして 内側に起きる不穏な感情たちを掃除します。

 

ですから 瞑想自体は静かなものでなくていいのです。

日常に感じる負の感情も恐れないでください。

それらは 出て行ってこそ無くなるものなのです。

瞑想で感情よりも深い所にある真我と触れてください。

外側の喧騒に引きずられず、内側の深い真我とつながっていていただきたいのです。

カルマが取れてくると 真我が表面にも出て参りますが、

真我の意識が大きければ大きいほど、意識のグランディングは揺らぎないものとなっていきます。

 

内側にあるカルマは 最後の深い部分のカルマが一番大きなテーマとなりますので、今、苦しんでおられる方は 最後の産みの苦しみだと思ってください。

それは永遠の苦しみではありません。

カルマは出てしまうと 無かったも同然となります。

そう、嘘のように楽になるのです。

たとえ、状況があまり変わらなかったとしても、とらえる意識がまるで静かなのです。

これは なってみないと実感は出来ないでしょうが、

本当の話でした。

そのためには今あるカルマは手放します。

解決するのではありません、ただ、意識で手放す

なるようになれ と手放すだけです。

 

恐怖は これを手放したら終わりだと思っていて、ギリギリのところでしがみついてしまいますが、

流れを信頼して委ねますと、思いもよらない方法で解決していきます。

この流れを信頼できるようになると 本当にラクチンですし、心配事もしなくなり、悪い事と思っていたことこそが良くなる前兆だ ということにも気付き始めます。

これ、実際に体験してみると かなり愉快な体験となります。

最初の一歩目は 断崖から飛び降りるかのような緊張と抵抗感がありますが、実際に飛び出してみると(手放してみると)、あら不思議

恐怖の対象は幻影だった というカラクリを目の当たりにしてしまいます。

深遠な断崖絶壁のように見えていた恐怖は 膝くらいの浅瀬 ・・・あれ?みたいな(笑)

こういう悟り方をしますと、あまりに愉快で人に話したくなっちゃいますよね。

たぶん、そういう人たちが気付きや悟りや真我のお話をされているのでしょう。

自分自身の真我に触れる瞑想が あなたの進化を加速します。

混乱した時は必ず、自分自身の深い意識を見るようにしてください。

 

恐れるに足りない という理論を詳しく知りたい方は アトリエ霽月で瞑想を習うもよし、ボブのレクチャーを聞くも良し。リトリートに参加する のはもっと良し です。

まずは瞑想を始めて見てください。毎日の瞑想習慣があなたをクリアにしていきます。

瞑想者さんたちは 瞑想会にご参加くださいね。

3次元の垢を落としましょう。

ボブのオンライン講座などの情報はボブのブログで見られます。

https://www.bob-fickes.site/archive/category/Japanese

 

リトリートは 早く再開したいのですが、コロナ自粛の状況次第かと思いますので、ストレスなく開催できる時が来ましたら、再開しようと私たちも待っているところです。

壱岐リトリートやりたいなぁ。。。もうしばらくお待ちくださいね。いつか実現すると思います。。。

壱岐 筒城浜

まだまだ 人と会うことに抵抗がある という方は、無理をなさることはありません。安心して暮らすことも大事です。

今は外出よりも自分自身の内側に向き合うことが一番大切でもあります。

オンラインセッションをご利用ください。

あなたの内側と向き合うお手伝いをいたします。

ラインか zoomを利用してセッションできます。

金額は、当面 対面のお値段と同じで 対応いたします

銀行振り込み、もしく

瞑想セッション 90分 5000円

カウンセリングのみ 60分 5000円

EFT療法 初回 1時間 6000円

     2回目以降 1時間 5000円

それから、ボブのレクチャーをアトリエ霽月の大きなモニター画面で見たいという方は場所解放しますので、ご相談ください。

ボブのレクチャーで感じたこと

今日と明日はボブのオンライン講座なんです。
オンラインで参加するのは初めてかも。

私のところは瞑想会のために設置したモニターが大きいので かなり本物のレクチャーに近い気分です。
 

密を気にしなくていいなら皆さんにも来てもらうのになぁ と思いつつ。

一人で贅沢なオンライン講座。

リトリートの時と同じように13時半からレクチャーが始まって、瞑想は途中と最後に合計2回

終ったのは17時半でした。(時間アバウト~)(笑)

でも、13時20分にログインするとすでに数人集まっていて ボブとのおしゃべりが始まっていたので、明日は13時にログインしようと思っています。(笑)

今回の講座のお題は『カルマとダルマ』で、すごくタイムリーな話

まぁ、いつもタイムリーな話しかしないんですが。(笑)

カルマとダルマの観点から 今をどうとらえたらいいか

とても参考になる話が次々と出ました。

聞いていて、思うことは 自分が感じている事とほとんど一致するのですが、それを言葉にしてもらうのがとても明快で爽快 なんです。

さすがマスター!

オンライン講座の参加者は オンラインで15名、それとボブのレクチャールームに映っていない参加者さんが数名ほどいらっしゃるようでした。

やはり、改めて いいですよ。ボブのレクチャーは。

チャネリングをされているようで、マスターの意識が下りてきているということもあり、空気が違いますね。これはオンラインでも伝わる ということが分かりました。(画面は大きい方がいいです)

え?内容はどんなだったか?

気になりますか?

ちょっと予言めいたことも言っておられました。

試練はまだ続きますね。これまでの社会には戻らないそうです。

(私はそちらの方が嬉しい)

次にどんな風になっていくか は、わからなくて怖がっている方が多いのだと思いますが、

ボブさんはしきりに怖れを手放すことを言っておられました。

ハッキリ言って、怖れを手放した者勝ち といったところです。

それから執着やこれまでの信念も。

掴んで離さなかったものをいかに手放すか という試練なのです。

手放した人たちはすでにゴールに到達したようなものです。

まだな人は信じられないほど平和な気分です。

何も困っていない。

それは何も起きていない ということではなくて、

同じことが起きても 平和な気分が揺らがないんです。

そちら側から見ると、怖いという感覚が全くないので

ただの平和な日々です。

今の日本は 外出しても罰金も罰則もないし、

ただ好んで家にいて 好きな事をしてればいい。

先々の生活費とか? それはその時にまたなんとかなっていきます。

だって、自分が生活に困るということは同じような生活水準の大多数の人間が生活に困る ということで、それを見捨てたら日本は社会が成り立ちません。

つまり、これまで、生活にキュウキュウしていた人々を救済するおおきなきっかけが今来ているんですよ。

その人たちが生活できないような日本でいたらダメだということです。

これまでの生活水準が維持できるか?というと、

これまでのような消費生活は維持自体が無理なんです。

ですから 諦めてください。

もっと 持たない生活をすることが世界にとって必要です。

人間は自然を食い潰して贅沢をしすぎている と私は思います。

お金や資源を使わずに 自然と共にいる豊かな生活へ移行する時代ですから、

これまでの消費社会にどっぷり漬かっていた方は 生き方の転換を迫られます。

そんな諸々を楽しめばいいじゃないですか。

具体的な事なんて今考えてもわからないです。

だって、状況は刻々と変化していて 何をどうすればいいか安定的に考える材料が揃いません。

ですから、一つの考えに固執せず、全てを流動的にとらえてください。

私たちはなんとかなります。

その確信が大事なのです。

根拠はあってないようなものだけど、スピリチュアル的にはもう明確にあります。

あなたが確信する未来が来ます。

私たちは人間だけが豊かになるのではなく、世界全体が、他の生命や他の存在と共に全体で調和するように出来ています。

なので、できるだけ自然体であろうとしてください。

都会的に ではなく、むしろ原始的に自然に近いものへ戻して 自然と共存します。

生命を脅かすものに対して文明や科学を活用すればいいのです。

私達現代人にはその知恵があります。

本当の智恵を使います。

目先の損得を考えるような、現状維持しか考えられない狭い視野ではなく、

本当の真実 この世界・ユニバースの全てを感じて調和すること を意識してください。

それは あなた自身の身体と魂を感じる ということなのです。

 

だから、今、その感じる機会 Stay home いえ、Stay inside が求められています。

あなたの内なる声は 何と言っているのか

静かに耳を傾けてください。

 

頭でなく 身体とハートで感じます。

「何?」と耳を澄まします

何を感じていますか? 

たぶん、言葉では答えてこないです(笑)

 

ボブのお話は1日で話しきれないので、続きは明日。

be contimude

存在としての意識

3日前にブログを書いたまま、投稿されずに下書きに残っておりました。(^_^;)

あげたつもり・・・coldsweats01

なんということでしょう。 前回から5日も経ってました。

とりあえず、3日前のその日付のまま あげることにします coldsweats01

snail  snail   snail    snail

日常が当たり前に過ぎていく中で ふと ポカンと 「何なんだろう?」という不思議な感覚に陥ることがあります。

この当たり前と思っていた現実が 妙に 実感が無くなり、

まるでスナップ写真を眺めているだけな感じになる。

この感覚は、瞑想をするようになってから増えました。

いえ、質が変わりました。

以前のそれは何か戸惑いや焦燥感を伴うような不穏な感覚がありましたが、今は普通のことなのです。

ああ、そうだった、ここにいる私の眼と意識 それだけしか無いのだ という感じ

私たちはいつも いろんなストーリーに絡まって そのストーリーを紡ぐため、つじつまを合わせるために一生懸命いろんなことを考えていますが、

実はそんなこと どうでもよかったりします。

ただ、その時のemotion 感情があって 何かエネルギー(愛)が欲しかったり、価値という安心が欲しかったり 正義を証明しないと存在が許されないような気がしたりしていましたが、

それを起こしているのは ただの自分の内側の感情 なのです。

瞑想を続けて、不安定さを感じさせる感情が減って来ると、

出来事は ただの出来事でしかなくなります。

 

出来事だけで見ると、人間はしばしば奇妙なルールに縛られている ということに気付きます。

ああ、そんなルールは要らないな 

そう思うと、肩の荷が下ります。

 

あなたの好きに生きてください。

正解などありません。

あなた自身が納得できる選択をすればいいのです。

それがハートの答えです。

順調も良し、波乱も良し、失敗も良し です。

経験は多くのことをあなたに教えるでしょう。

ユニバースの大河の中では全ての流れは真我の海へと向かいます。

摩擦を感じたら ちょっと立ち止まって眺めてください。