日本人は真面目です。概ね真面目な傾向です。
このところ、真面目過ぎるお悩みのご相談が続いてる真面目ちゃん月間です
ルールを守るのは他者に迷惑をかけたくないため。
善い生き方をする という美徳が意識の根底に根付いています。
それは素晴らしい意識だね と、世界的にも評価され、海外からの評価も高い所です。
ただ、一つの性質は、メリットばかりではありません。どの性質にしてもそうです。
過ぎたるは猶及ばざるが如し と申します。
過剰適応は 美徳を越えて、弊害を生じます。
過剰な正義感は 他を裁き始め、怒りを露わにしだします。
愛とは程遠く、黒い感情(罰したい) と エゴ が渦巻き始めます。
世界は私の理想通りでないと許せない と思い始めます。
そして自分を取りまく存在に噛みつき始めます。「どいつもこいつも!」と。
すっかり愛を見失った状態です。
他者に迷惑をかけるな!! と息巻く迷惑なお方 になってしまいます。
(コロナ禍時のマスク警察とか、)
そういう方々そうなる理由や経緯はあったのでしょう。
それが正義だと信じ、本人の正義を守ってそうなっていただけです。
それが正義と疑うことなく妄信
自覚のないまま 自分が疎まれる存在になるのは
ちょっと残念です。善意なのに迷惑って・・・。
目の前のものより 理想を追いすぎるとそうなってしまう可能性があります。
余裕が無ければ無いほど、頑張れば頑張るほど、視野は狭くなりがちです。
肩の力を抜いてみましょう。
怒りを感じているなら、ひとまず鬱憤は出した方がいい。
でも、
だれかれ構わず、感情を吐露するのはあまりお勧めしません。
(相手に受け流す余裕がなければ、また、受け止めすぎる真面目過ぎるキャラの方などにはむやみに負の波動を押し付けてはいけません。
あなたの怒りにその人は押しつぶされてしまいます。弱者には重いものは振らない。)
自分で感情の解放を済ませていくと、だんだん客観的に モノが見えるようになってきます。
より客観的に見たい場合は、自分が相談された側だったら、という仮定で他人にその悩みを聞かされた時 というのを想像してみます。
もし、誰かが今の私と同じ悩みを私に相談してきたら、私は何と返事をするのだろうか?
また、自分の信頼する先生だと、どう答えてくれるだろうか という想像なんかもかなり役に立ったりします。
想像がつかない時は 本当にその人に相談してみる。
今の自分を客観的に見る という事が出来れば、かなりの進歩です。
あなたが見える視野が拡がれば拡がるほど、
あなたには答えが降ってきます。
すぐに答えが出ないものも多いでしょう。焦る必要はありません。
神様の答え(閃き)にはタイムスパンがありますから
すぐに応えのでないものはちょっと棚上げです。
「私に答えをください」を投げかけて 放置しておく。
必要ならば答えが返ってきますが、
まだ今の体験を味わう必要があるなら、その状態を味わいます。
充分な体験があって、そして答えが現れます。
なるほど~ と納得できるほどの体験がなければ、
答えが与えられても、その答えを受け取ろうとしません。
(私の求めているのはそんなんじゃない と思ってしまう)例えば、基本の望みが支配の場合。
学びのシステムは壮大です。充分体験してください。それは必要があって起きています。
私(たち)は何を気付かなければ ならないのでしょうか?
エゴが受け取りたくない、エゴにとって都合な悪いものの場合が多いです。
エゴは愛より支配を望みます。
でもそこには幸せは待っていません。
愛のない理想の形 というものは長くは維持できません。短命です。
(理由は、エネルギーバランスが悪いから)
愛による調和はすごくエネルギーバランスがいいのです。
どこも満たされるので 密度が高く、崩れにくいのです。空洞がない。もろくない。
そして皆がその状態に安らぎ、維持を望む。
話を元に戻します
真面目過ぎると、ルールに縛られがちです。融通がききません。
柔らかくとらえてください。
厳しすぎる所は選択肢が狭すぎで多様性を排除しますから
ハマれない人にとっては居心地が悪いのです。
あなたのベストが誰にとってもベストとは限りません。
あなたの世界にはいろんな登場人物があり、時には摩擦も起きますが、
わざわざ摩擦を煽る必要はありません。
他者には他者の事情がある。そっとスルーします。
あなたが世界を支配しなくていいのです。
世界は調和したがっています。
勝手に調和しようとします。
あなたは調和に ちょっと手を貸すだけでいい。
摩擦の感情を手放し、あるがままで良し。勝手に調和する と。
流れに任せてしまえばいいのです。
これらは 真面目過ぎる多くのみなさんへのメッセージです。
最初から他者との関わりに興味がない方は「何のこっちゃ?」ってなるでしょう(笑)
それはそれ。
色んな人がいますからね。
マイペースな人に腹が立つあなたは、思い通りにならないことは放っておくようにしてください。
多様性のこの世界はそんなものです。
チームやゲームではその限りではないですが、それは特定のルールの中で活動する場合にその縛りが発生します。
あなたはその取り組みに参加するかしないかを決める権利があります。
ゲームは、何か一つの目的を達成するという取り組みです。
それはそのゲームをしている間のみの価値観です。
そこから出るとそのルールはあまり意味がありません。
本当は自由に生きられますが、組織の中でしか生きたことが無い方は、自由な生き方がわかりません。
でも、神様は自由に生きることをやってみたくて人間を作っていますし、
その人間を体験して、数々の失敗を体験して ある意味 楽しんでいるのです。
そう、私たちは神の一部ですから。
この途方もない広い世界で、何を選ぶか自由にしなさい と解き放たれているにもかかわらず、
知った範囲から出たくないのは不思議なものですが、
短い一生ですからできることにも限界があるのでしょう。
とりあえずは 幸せに生きるためには何をどうすればいいのか をそれぞれが模索しています。
皆が不完全で、偏りがあり、だけど幸福を望んでいます。
偏りがあっても不完全でも、調和できるなら なんら不自由はありません。
意識や愛の交流があるところでは この上ない幸福感まで味わえることになるでしょう。
あなたがそれをできるのか? と問われているのだと思います。
もちろん、孤独を愛する方もいらっしゃるので、
それぞれが望む生き方を認め合います。
あなたが生きたいように生きて良い。
本当はあなたもあるがままでよいのです。
仕事とプライベートは別物。
プライベートが本当のあなた。
他を傷つければその因果が戻ってくるし、他を愛すればまたその因果も戻ってくるのです。
あなたが受けたいものを発してください。。
もらうからあげるのではなく
あげるからもらえるのです。
物質ではないですよ、あなたの思いです。
愛なのか利害なのか 発する波動を見極めるとよくわかります。
あなたはあなたと同じ波動のコミュニティーに所属して己を学びます。
学びが終われば、そのステージは卒業になり、あらたな展開があります。
流れはあなたに必要なものを与えます。
あなたが愛そのものになった時、あなたは輝きを放ち
あなたの周りには沢山の愛の花が咲き始めます。