意識

拡がる意識

温かいお正月を過ごされましたか?

お仕事だった方もおられるかもしれません。

どんな風に過ごしていても時間は過ぎ、日付は変わっていきます。

そして、年を越してもやはりいつもと変わりなく毎日が過ぎてゆきます。

良くても悪くても刻々と変化していく世界

それが諸行無常です。で

日常は 何かが起きるとあたふたしたり騒いだりしますが、

何もないとそれはそれで物足りないというか 退屈してしまうようです。

平和がいい!と多くの人が思っていますが、何かの事情で出来ていたことができなくなったりすると

困惑したり凹んだりするかもしれません。

それは、長い目で見ると全ての人に待ち受ける宿命です。

何かできるということはとても幸せなことでもあります。

 

それでも、忙しすぎる人には刺激のない静かな休養の時間が必要で、

何もない人には逆に刺激や軽いストレスが必要だったりします。

緩急のバランスが大事ですね。

 

今日、入院中の方とお電話で話をしたのですが、

その方は認知症もあって、自分が病院から出られないことをとても悲しんでいました。

なぜ自分がそこに閉じ込められていて一歩も外にだしてもらえず、家にも戻れないのか ということを悲しんでおられました。

今、病院はコロナの影響で入院患者さんは外出できず、面会も許可されないので本当にお気の毒なのですが、

認知症でそういう理解もまたすぐにわからなくなってしまわれ「どうして私は・・・?」となってしまうようでした。

そういう時は、今を安心できる方向に促します。

今回はお話を聴くだけでも気持ちが落ち着かれるのがわかりました。

人とのコミュニケーションは大事ですね。

お見舞いは、会えなくても電話でお話するお見舞いもあると思いました。

普段は1人が気楽だ と思っている方も、実は一人ではなく、多くのご縁に繋がって生きています。

繋がりが途切れたように感じると孤独を感じるものですね。

 

その昔、私は孤独恐怖が強いことがあったのですが、その孤独は、『孤独の幻想』でした。

当時の私は、自分には価値が無く見捨てられるかもしれない という恐怖が孤独を恐れていました。

でも、実際はそうではなかった。

みんな、というか、とても多くの人々は自分にしか興味がありません。

自分の家族も友達も 私自身も、基本的にそうなのでしょう。

で、繋がりは自分のためにあると思っていたりします。

相手がどう反応するかは自分にとって都合かよいかどうかを確認するためのものだったりします。

本当に、相手が幸せであることを心から望める 愛 というところから見た時、

そこには全くの見返りを期待しません。

相手が幸せであることを喜ぶのですから、それが自分の下を去る選択でも、

「良かったね!」と言えるのです。

その状態の時、人は 愛として存在するので、そこに自我の都合がありません。

そして自我の不安も無いのです。

それが、愛の至福です。

宇宙くらい大きな意識なので 塵のような不安はもう見えません。

蓮ピンク

自由な選択

昨日、食の話題を出しました。

私は野菜好きですが、菜食主義ではありません。

完全菜食の食事も美味しくいただきますし、自分でそういうメニューを作る時もありますが、

肉を食べることもあります。

これはヴィーガンの方を否定するものではありません。

できない とも思っていませんが、特にしていないだけです。

理由はありません。今はそんな風 というだけのことで。

意識が高いわけでも低いわけでもない というか。(何を基準にだかわからないけど)

もし、日本の食文化や食材事情が変わって来たら それに合わせて手に入るもので食事を作っていくでしょうね。

食事情は経済の問題でもありますし。良いものでも高すぎれば買えないし。

もし、家庭内に小さな子供が居たら、使うものはかなり厳選するようになるでしょう。

そして、もし、食べさせる人が病気やアレルギーがある場合もかなり食材を選ぶようになります。

そしてたぶん、一緒に暮らしている人がヴィーガンだったら、自分もそれに合わせて一緒に食べると思います。

環境やご縁に左右されています。

誰かの真似をするわけではなく、ただ、影響されるのだと思います。

多くの人々はそうなんだろうと思いますし、何か信念があったとしても、自分の信じていることが全て とは限らないことも理解しておきたいと思います。

そもそも1つの固定された正解というものは無いわけですから。

「いやいや、大事なことはこれなんだよ!」と大きな声で言いたい方がいらっしゃることは重々承知ですが、それでもなお、

固定された正解など 存在しない ものなのです。

主流は正解なのではありません。天動説が異端だったこともあるわけですから。

人々が当たり前だと思っているいろんな事柄は、それが本当にそうなのか否か は、長い年月と共に徐々に明らかになって来ると思いますが

食品に関して考えると、古くからあるもののことが徐々に分かるようになるのと同時に、新しい薬品や加工食品、便利なもの が出て来て 

それもまた 時間が経ってから身体に良くなかったとわかるようなこともあるでしょう。

そういうニュースを聞くと「ええ~っ、めっちゃ食べてたやん bearing」てやり場のない怒りと残念さを感じます。

でも、もうその人体実験は自分の代でやって子孫の皆さんは同じ轍を踏まないでね って思うしかなかったりします。

食品ではありませんが、個人的な体験では化粧品、けっこうやらかしました。

自然派のオーガニック植物由来の化粧品に 私の皮膚はカブレます。湿疹出ちゃうんですね。刺激が強すぎて。そう、過敏肌。

上皮が薄いらしいです。外部の刺激が過剰に浸透しちゃう。顔中腫れたこともあるので、新製品はおっかなびっくりでパッチテストとかしたりして

いや、正直言うと面倒くさがりなので、つけてみてかゆくなってきたらアウトですぐに洗い流します。二度と使いません。

でも、そんなことしなくても全然大丈夫な健康肌の人もいるので、自分の基準と他の方の基準は違います。

自分に合ったものを使えばいいだけの話です。

食事もライフスタイルも生き方も同じかもしれません。

これが正しいという一つの答えではないのです。

 

それは自分の子供に対してもです。

親子は体質は似ていますが、好みも性格も価値観も違います。

あなたが他者の基準を押し付けられると居心地が悪いように

あなたの家族もあなたの価値観や基準を押し付けられると居心地が悪い。

それを知っていると、お互いに尊重し思いやり合うことができます。

「あなたの良いように」 そう言ってあげられるといいですね。

 

スナック菓子をモシャモシャ食べている家族を横目で見つつ

私はあんまり欲しくないんだな。と 手を付けない。 「身体に良くないんじゃないのかな?」

言おうか言うまいか迷って 「大人なんだし、自分で決めて」って思います。明らかな毒を食べてたら止めるけどね。

もし配偶者に対して何らかの依存があると コントロールしたくなってイライラするのでしょうが、

情報提示は1,2回でいいかな。家族の言う事ってなかなか聞けないもののようですし。

そうそう、私も好きなものはなかなか止められない。たぶん。

自分の健康を大事にしつつ、我慢よりハッピーを優先もするのでした。(笑)

自分で決めたらいいと思いますよ。ハッピーは大事ですからね。

仲間意識

ほら、違ってても仲良くできます。互いによく知れば、愛で繋がれる。

クリスマス

寒い日がつづきますね。

今日はクリスマスです。どんな風にお過ごしでしたか?

お部屋は暖かくされていますか? heart01shine

クリスマスなのでケンタッキーフライドチキンを買いに行ったら、予想通り行列でした。

でも、予約のお客さんはサクサク受け取って帰られるので普通の持ち帰りも10分も待たずに買えました。

私は野菜料理が好きですが完全菜食ではないのでお肉も食べます。

以前、夫に完全菜食を提案したら 即答で「無理」と返ってきたので、肉料理は適度に入れます。

ヴィーガン(完全菜食)が良いのか普通の雑食が良いのかは 考え方に由ると思います。

私は、極端に走ることは避けています。

概ね野菜沢山と肉などの動物性たんぱくを少し頂くことが多いです。

肉を全く使わない和食も嫌いではありませんし、その時食べられるものを楽しんで感謝して頂くようにしています。

人間は、元々雑食性の生物ですので 肉を食べることが罪 というのは後付けのルールだと思います。

生物としては飢餓よりも食べることが大事ですから、飢餓状態の種は、種の保存のために共食いなんかも起きるわけで、

ただ、人間は人間を食べるのはタブーになっていて、それは大罪のように扱われるのですが、

他の種の生き物に関してはものすごく無神経にその命を食べ物をして見ていたりします。

私は人間の肉は食べたこともありませんし、今後食べることもないと思うのですが、

他の動物を食べるという事はそれと何が違うのか 疑問に思うことはしばしばです。

同じに扱ったりすると 頭がおかしい!人じゃない!みたいに言われそうですが、

ヴィーガンの人の多くは人間のそれと動物たちのそれを同じに扱っている ということですね。

ただ、そのような問題だったとしても、神が雑食性の動物や肉食の動物を創り出した ということは

それは罪なのか? というと どうなんだろう・・・と思う訳です。

自然とは、 自然 なんですよ。

でも、不自然なものがあるとしたら それよりは自然であるものを選びたい

そういう願望、あるいは傾向 としてとらえています。

肉が美味しいと思う時に、その命に、私になってくれてありがとう と感謝を向ければ

命が少しは報われたり、無駄な殺生が減るのかもしれません。

人間は自分たちがしていることを自覚して生きる方が

この世界は調和しやすくなるのでしょう。

 

食べ物で避けているものはあります。(最近特に)

食品添加物です。今時の加工食品はかなり食品添加物が多いようですので、できるだけ素材で買って来て自宅で調理するように心がけますが、

これも完全シャットアウトではありません。それしかない時はコンビニやスーパーのお弁当も食べます。

お釈迦様は 中庸、極端に走らないこと を進めておられますし。

とかく、現代は、話題になったものがもてはやされたり、また逆に忌み嫌われたりしますが、

本当に大事なことはゆっくり明らかになっていきます。

そもそも、もてはやされるのは 販売のための戦略なことも多いですし。

一時的に大流行して、そしてみんな飽きて忘れ去られる

これもまた不思議な現象ですよね。

良いものは良いから残るのでしょうが、

全国のスーパーから1つの商品だけが消える現象が起きると、

いつも思い出すのはイナゴの大発生 で、

大発生したイナゴが畑を丸裸にする光景ににているよなぁ。と苦笑するのです。

あれもまた ブームが去ると嘘のように何も無かったように戻る。

で、結局、同じものだけを食べ続けた弊害などが起きて、ネガティブな側面もまた明らかになったりするのでした。

極端は、あまり良いことは無い ですね。

いろんな考え方があって、いろんな感性があって、いろんな体質がありますので、答えは一つではありません。

自分の感性を大事にしていれば、何が良くて何がそうでもないのかを自分の身体で感じ取ることができますよ。

 

命や神を大切にしたいと思うなら、まず自分の命を大切に扱って、頭(マインド)に流されず、

優しく愛に満ちた生き方をしてみましょう。

自然は あなた自身です。欲ではなく、愛を大切にすると温かさを知ります。

あなたの愛があなたを温めます。愛を胸に 温かく生きてみましょう。

cherryblossom 

ピンクの光

 

温かい心

冬至、さすがに寒いですね。

父に冬物のカジュアルコートを買ってあげました。

雨が雪に変わっていました。

子供の頃は父がいろいろと買ってくれた記憶がありますが、今は私があってあげるんだなぁ とそれから長い年月が経ったことを感じます。

私の父は ちょっと尋常じゃないくらい楽観的な人で、

余りにも出来事を気に病まないので どこかおかしいんじゃないか?と不思議に思うほどです。

家族でそういういう性格なのは 父だけです。

これは職業柄 というのもあると思います。

お客さんに常に時間を楽しく過ごさせる という仕事だったので

そういう姿勢が癖になって定着したのだろうと思いますが、たぶんそれだけじゃなくて

生まれつき ネガティブにはなりにくい性格なのでしょう。

ちょっと聞くと すごくいい性格に思えますが、デメリットもあります。

楽観的すぎて腹立つこともあります。周りが「人の気もしらないで!」という気になる(苦笑)

でも、それでも気にしてない というか気にできないようです。

それで母は苦労したと思います。母はたぶん真逆だったので一人で苦労を背負ってました。

でもそれも父のせい ではないように思います。母は誰と一緒にいてもそういう性格に生きた気がします。

父と一緒にいると 違いを感じますし、反応する自分が目新しく映ります。

反応するのはせいぜい半日くらいなのでどんなに頭にきても翌日には普通です。

人は 違いで摩擦を感じることが多いと思います。

その時は相手がおかしいように見えます。

でも どちらがおかしいというわけではなく 違うんだ ということだけなんです。

これまでの人生の中で、許せなかったすべてのことは ただ違っていただけかもしれません。

違いを見た時、裏切られたと感じることがあります。

でもそれは裏切られたのではなく、相手が自分自身を生きただけなのかもしれません。

それをしないでほしかったことを ただやってしまっただけかもしれません。

裏切った というより、したかったことを我慢しなかっただけかもしれません。

あるいは こちらの理想通りに生きられなかっただけかもしれません。

ふと、自分がどういう生き方をしているか と 考えた時、

私は人に合わせるのはあまりできません。

元々、細かい事はどうでもいいことが多いので通常の人間関係では理想とか希望があまりないので

相手を否定することもないんですが、相手が自分の理想を押し付けてきた時、

私は全くそのとおりにできません。自分の自由意思の範囲でしようと思えることしかできないのです

そういう自分がありながら、他者に自分の理想を押し付けるなどできようはずもありません。

それはする人はするのかもしれませんが、

私がそれをすると、内なる神が「お前はどないやねん」と大阪弁で言ってくるので(笑)

「やめとこ」になります。

幸いなことに 自分がしたことを他人が自分にしてくる という宇宙の法則通りに

私を変えようとする人は全くいません。私も他人を変えようと思いません。

どうせ変えようと思っても変わらないのですから(笑) 変えようなんてそんな骨の折れることしません。

相手は私が変えようと思って変わるのではなく、自然に変わる時に変わるのです。

そして、自分もいつの間にか気が付いたら変わっています。

私も変わりたいと思っていた時は変われませんでしたが、

そういうことを思わなくなって、気が付くと随分前の自分とは違うことに気付きます。

人は変わらないこともあるし、刻々と変わることもあります。

言い換えると、変わらない部分もあるし、日々クルクルと違った自分も出る ということです。

人間とはそういうものです。

自分自身が仏の心でいると、他者も仏の部分で接してきます。

エゴを出していると、エゴで対抗してきます。

世界も同じです。

エゴをむき出していると 世界がエゴを向けてきます。

もし、生きづらいと思ったら、自分の生き方をちょっと変えてみてください。

難しい事はないんです。

今この瞬間だけ エゴではなく愛を選ぶだけ。

その瞬間瞬間、気が付いたらそうするだけです。

出来ない時もあります。

でも、この世界のエゴを減らすのは 私たち一人一人、自分自身なのです。

求めるのではなく 与えてください。

ただ、愛を為した 誰かがではなく、あなたがすればいいだけなのです。

花

久しぶりの投稿です

久しぶりの投稿で気が付くと2ヶ月も経っておりました。sweat01

最初の1ヶ月は父のお店の譲渡問題で息つく暇もないくらい現実問題と直面していて、処理に頭が一杯。どう過ごしていたのか思い出すのが大変なくらい。

後の1ヶ月は父が福岡に来て徐々に落ち着いてまいりましたが、なかなか腰が上がらなかった という感じです coldsweats01

お陰様で私も父も元気にしております。

ブログに書きたいことはいろいろ瞬間瞬間にでてくるのですが、その時に書き留めないと時間と共に消えてしまいます。

このところ、お悩み相談のカウンセリングが何件かありまして、

今この瞬間もとらわれが手放せず苦しい思いをしている方もいるのだな と思って何か書きたいと思っていました。

とらわれは自分自身の設定です。

何かきっかけがあって そういうことにしてしまったこと。

本当はそうじゃなくてもいいのに、そうだと思う方がその時は楽だったのかもしれません。

あるいはそうでない選択をしなかった自分がゆるせなかったために、それを性格のせいにしたり、

私はそうなってしまうんだ と思うことで納得したいのかもしれません。

それはある意味本当である意味違います。

それをしてしまった時、それはあなたの意思ではありません。

あなたの反応は自然に出てきたものです。

そう、カルマの影響を受けてカルマが表出される。

あなたの行動は自然でした

それは必然です。なるようになった。

そのことにあなたは罪悪感を持たなくていいのです。

だって、それは避けられなかったからこそそうなってしまったのですから。

でも、次の瞬間、あるいは今、そのままでいなくてもいいのです。

あなたはもうそれを手放してもいいということを知っています。

苦しいものを握りしめているとしたら、今この瞬間それを手放しましょう。

苦しがっている身体は、摩擦を起こしています。

そう、葛藤です。

あなたが引き受けてしまった抱え込んでいるもの、降ろしていいです。

あなたが望んでいないものを選んでいると、身体は抵抗します。

身体の声を聴いてあげましょう

そして、身体に症状が出ている時、それは子供が泣いている時と同じようなもので

泣き止むまで泣かせてあげた方がいいのです。

身体の中に溜まっているカルマ(感情)は外に出て身体からなくなります。

出て行ってる最中に止めようとしないでいいのです。

人間は頭の都合で身体のことをなおざりにしがちです。

本当に健康的な生活とは 適度なストレス

決して過度ではない、退屈しない程度のストレスが健康の秘訣です

病気や不具合がある時は休養してくださいね。

そして、過去にとらわれることはありません。

その時のあなたは あなたとは別人なのです。

あなたはいまここにしかいません。

あなたに丁度いい環境であなたは活かされます。

そこに居たいのなら居ても構いません。

それはあなたの魂が選んだ試練だからです。

気が済むまでやってみて、もういいと思えたら終えましょう。

やりたくてやっていることなら、立ち向かうだけなのです。

フィールドアスレチックと同じ。

平坦な道は退屈なのでしょう。

もし、それしか選べないと思っているなら、それは勘違いです。

違うものを選んでもいい。

ただ、そうできないとしたら、あなたは今の状況に何かメリットを感じているのです。

それを失いたくない。

欲 か 怖れ

それにしばられています。

手放してみた時に初めて、恐れなくてもよかった ということに気付きます。

それはやってみないことには実感は得られませんので

ぜひ清水の舞台から飛び降りてみてください。

後は流れに任せて。

 

変えたいものが変わらないと悩んでいる方にいいお話、ありました。

思考は癖なので瞬時に変えられなくても元の癖が出てもそんなに気にしないでください

でも 変えられます。慣れ親しんだものにしがみつかなくていい。

未知の世界、面白いですよclover 流れに任せてみてくださいshine

 

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意識が開く時

ELM瞑想は心の内側にこびりついている負の感情の記憶 カルマを浄化します。

これは他の様々な瞑想法の中でもその効力がスバ抜けて高い といえるでしょう。

目をつむって思考から離れる瞑想は、心に安らぎをもたらします。

でも、そんな安らぎにつながる瞑想が大勢の人々に流行らないのは

初期段階のお掃除では詰まっていた負の感情が出てくるため、

その心地悪さから逃げ出したくなるからです。

ELM瞑想では 初期段階のカルマの解放は大きい分、期間は短くなります

それでも、1日2日の単位では片付きませんから その間はただ、やり過ごすか、もしくは瞑想教師と対話したり、ヒーリングをしたりして、目の前にとっちらかったカルマを掃除していきます。

それらのカルマはただ手放せばいいだけですが、

そのカルマが取れると、目に映る世界が違って見えるようになります。

もし、まだ全然違って見えない という人があれば、それはまだカルマが全部は片付いていない ということになります。

それにはちょっとしたカラクリがあります。

もしあなたがカルマ製造システムを持っていたとしたら、日々掃除したカルマよりも積もるカルマの方が多いなら

それはいくらお掃除してもなかなか片付きません。

カルマ製造システム ってなんだ!? って思った人

いるかもしれませんのでちょっとご説明しますと、

浄化は 仏教でいう徳を積むこと、つまり、善行 人を助けたり愛を向ける ということですが

カルマは業 の方ですね。苦しみを作り出すこと。

煩悩の作用で怒りや焦燥感を生み出すこともそうだし、許さないと思うこともそうだし、

他者を苦しめるということも。。そういう行いを止めないうちはあなたの周りには沢山の負の感情が生まれます。

負の感情を作り出すと、また片づけるのに手間がかかっちゃうじゃないですか(笑)

だからもうそのサイクルとか癖はやめにするんです。

流れに抵抗する事、やめてみてください。

生きるのが楽になります。

流れのままに 調和していきます。

エゴがいかに摩擦を生み出していたか。。。

それは怖れの幻想から生まれていた ことも

明らかになっていきます。

 

私たちはこの世界に生かされていることを知った時、

そこには愛しかなかった と 気付きます。

怖れを捨てて 愛を開こう。

あるがままでいいのです。

内なる静けさに戻ってください。

あなたは気付くのです。

生きている この瞬間を。

内なる光

 

悟りを模索していた頃

まだこの瞑想と出会う前、

私は『悟り』というものに憧れていました。

心の中の葛藤や苦しみから解放されるという 悟り を体験してみたいものだ と。

先に心が軽くなった友人から「手放せばいいのよ」と言われるものの

「どうやって手放したらいいのかわからない~~ crying

という状態が長く続いて、悶々としていました。

色々、執着とか 依存 があったんですね。

依存は 苦しみを紛らわせる気休め みたいなものです。

苦しみや葛藤が大きいと辛いので、依存対象に気持ちが向いてる時は 苦しみのことを忘れられているので

心が苦しみで壊れるのを避けるために 起きる心の仕組みです。

これは無意識の領域で体が心をまもるために起こす現象です。

苦しみは 理想と現実のギャップで起きます。

こうしなければならないのにそうではない自分を許せない と言う時、

大きな葛藤が生じます。

こうしなければならない という事柄がどういうわけがガッツリ心に刻まれてしまった時

その考えを外すことができなくなります。

それは その事柄を守れないととても 大事なものを失う とか

自分の存在を認めてもらえない とか

愛されない とかいうペナルティがある と信じ込まされることで起きます。

そう、ある種のマインドコントロール。集団幻想の仕組みです。

エゴが作った社会で 集団的にその考えを採用してしまっています。

お金が無いと生きていけない  だから稼がないといけない

老後に2千万ないといけない だから 何が何でも貯めなきゃいけない

大学を出ていないと、底辺の生活しかできない。

だから何が何でも大学へ行かせておかなければならない。

そのためにお金を貯め込まなきゃいけない。

 

それは本当に真実でしょうか?

大学を出たけど やっぱり幸せでない人は?

高卒だけど、職人になって 才能豊かな人生を送ることもあれば、

農業に従事して会社勤めしない人もいれば、

敏感な感性をを活かして 占い師やヒーラーになる人もいれば、

個人事業主になって お金持ちになる人もあれば、

山奥で自給自足の生活をしてお金は稼がないけど幸せに暮らしている人もいる。

上記の人々でうまくやっている人達は 不安を選択しません。

可能性があること できることを一つづつ地道に形にしていくということを続ける人です。

そんなことでうまく行くわけない なんてやる前に思ったりせず、ちゃんとチャレンジする人たちです。

でも、しない人はなぜ、できっこないなんて思ったのでしょうか?

それはチャレンジするのが億劫だからです。

行動を起こすのはエネルギーが入るので面倒くさいです。

それに初めてのことはドキドキしますし、失敗を恐れていると腰がひけてしまいます。

失敗、そんなのやってみないとわからないことです。

1度の失敗で諦めるつもりなんでしょうか?

失敗は うまく行かないやり方がはっきり見える体験です。

そう、問題点をちゃんと体験できる機会。

経験しないとわからないことだらけですから。

その点では、本格的に取り組む前に その事柄のシュミレーションを沢山しておく方が効率がいいですね。

闇雲にチャレンジするのではなく、エクササイズ、プラクティス、そう、練習です。

事前に体験してそのことをより理解しておく ということが大事です。

もちろん、誰もやったことが無い初めてのことは、自分が初チャレンジなんですが、

軌道にのるまでの試行錯誤を惜しまない人がそれをちゃんと確率していくというわけですね。

それはもし、「これは本当にダメだ」 と潔く思えば手を引きますし、

可能性があるなら何度でも調整して再チャレンジしてみます。

この時に、カルマの感情(不安、怖れ、怒り、悲しみ)などに飲まれていては行動できません。

だからカルマの感情は常にお掃除・浄化する必要があるのです。

大きく成功している方で瞑想をしている経営者さんもいらっしゃいますね。

それは 狼狽える心を落ち着け、冷静な判断や洞察に 瞑想が有効だからです。

何より、心の中の苦しさが瞑想によって浄化されどんどん軽減されていくのです。

そして ついには 

なぜそのような自分を苦しめる思い込みに縛られていたのか という根本的な問題に気付きます。

 

そうか、思い込みに支配される必要はなかったんだ!

自分を苦しめ続けてきたのは他でもない自分自身だったじゃないか!

それって、独り相撲みたいなものかも!? え~~~ ((´∀`;))

そう思えたらあなたはもう自由です

あなたがどう思うかはあなたが決められるのですから。

思い込みを外す・・・初めてのチャレンジ でしたら ぜひ勇気をもって前進してくださいね。

あなたが行く道は前にしかありません。

過去は過ぎ去って頭の中にしかない ただの幻想なのです。忘れ去っても問題はありません。

できるならば、その記憶に感謝して 解き放ってください。

今から私は自由な選択ができます。

幸せなものを選択します。

私が今 幸せであることを選択します。

喜怒哀楽は日々移り変わるお天気のようなものです。

温かい日の光で 沢山の命に花を咲かせてください。

雨と泥を養分にして。ただあるがままの命を咲けばいいのです。

スイレン

お花は 笑顔 ってことですかね。

生きてるよ~ という証。

 

究極のアファメーション

福岡市内、9月になってようやく涼しい夜が来ました。

エアコンをつけないのに涼しい風、自然の多いエリアでは夏でもそうなのかな

都会で生まれ育ちましたが ちょっと都市を離れた暮らしに憧れます。

そんな夜に いいものを見つけました。

絵の制作の時はいつも何か音を聞いている事が多いのですが

これはちょっと毎日聞きたいな と 思いました

(50) 【アファメーション】ハ゜ラマハンサ・ヨカ゛ナンタ゛ 究極のアファメーション 成功の黄金律 マイント゛フルネス瞑想カ゛イト゛ 誘導瞑想 朝 夜 ルーティン – YouTube

皆さんもぜひ聞いてみてください。

 

これを聞いていると、自分自身の自己イメージがどんなものか けっこうリアルに分かってしまいます。

この動画の内容を採用したっていいんです。

人は思っている通りを体験します。

あなたが思っている通りの人生を歩むのだとしたら

このアファメーションはあなたを変えるでしょう。

 

私たちは豊かな魂です。

この世界は 思っている通りの世界を見せるために

私たちをサポートしているのですから。

日輪

世界を拡げる

今日は同時に3名の方からご相談が来ました(笑)

いつもなぜか来る時は同じ日に集中します。

不思議だなぁ。

自我の意識は脱ぎ捨てるタイミングが同じになるのかもです。

世界がそういう流れ。。

私達人間の苦しみというものは 起きていることに抵抗感が強いと 強くなります

いやだ~ こんなのいやだ~ って。

もしくは 心の中でいやだ~って思ってるのに無理にそれを言えないと思い込んで我慢してる時

とりあえず、嫌だ~って言ってみようか。

嫌なものは嫌だ。そう思ったんだからそう。

で、嫌だ~と言って回避できる場合もあるし、できない場合は、たぶん回避しなくていいようです。

その結果 何かが無くなったとしても それは避けられない宿命のようです。

嫌だと言わずにそうなっちゃう場合は、避けられるのに避けなかった ということになりますよね。

本人は何かを恐れて言わないので 言えない って思ってますが、

言ってみたらなんとかなることが多いんですよ。

良い人仮面は被らなくていいんです。

ごめん、無理。 

押し付け合うところだと揉めますけど、どなたか有志が引き受ける場合もあるし、

悶絶するほど嫌ならしない方がいい。

できるだけ早めに「嫌だ」は言ってしまおう。

嫌だと言える権利の行使です。

だけど、もし 自分の嫌だを緩めて 自分のキャパを拡げることができたら、

ひと回り大きな人物になれます。

耐えられない基準が拡がるのは楽になる ということだ。

平気なものが増える ということ。

嫌々我慢じゃなくて 我慢するほどのことじゃない になる。

心が広いということ

これはフリじゃできません。

自分に嘘をつくのは違う

赦せるものを増やせば増やすほど

あなたの世界は大きくなるということ

いろんなものがあっていい。

その中で好きなものを自由に選べばいいんです。

あなたは自由

他人も自由にしてあげてくださいね。

羽ばたく

瞑想と悟り

瞑想は心身を浄化する方法です。

瞑想をすることによって思考から離れ、詰まっていた思いを解放して

あなたに必要なもの以外の余計なもの(カルマ)を取り去っていきます。

身体のカルマは あなたの身体の弱点やストレスや疲れ

ストレスや疲れが取れると、弱点は現れにくくなります。

弱い所があっても、あなたの回復力が勝るからです。

心のカルマは 過去に体験したネガティブな感情です。

過去、体験した出来事の中で、充分に感じきることができなかったネガティブ感情の残影があなたの中で動きます。

エネルギーだけが残っていたりするので、本来の出来事自体は忘れていたりもします。

思い出したくないできごとなので、記憶が封印されていることも多いです。

瞑想はそういったネガティブなエネルギーを身体の外に出してしまう効果があります。

なぜ湧いてくるのかわからない感情とか、不安、それらは内側から出ようとするカルマのエネルギーです。

感じるのが嫌で抑え込む必要はありません。それらは出ていきたがるのです。

感じたならばジタバタせず、ただ過ぎ去るのを待ってください。

それらは過ぎ去ります。

瞑想をすれば、よりスムーズに出て行ってくれるのです。

不安材料を排除しようと悪戦苦闘する必要もありません。

あなたは大丈夫なのです。

自我の意識が恐れているのは、何かを失うことです。

それが無いと生きていけないと思い込んでいると、より苦しくなります。

あなたは、変化を恐れるかもしれません。

でも、必要な変化は起きてしまうものです。

この世界は常に変化し続ける世界です。

特に今の時代は、時代の転換期にありますので、大きな変化が次々にやって来るでしょう。

それを避けることはできないのです。

不安がることはありません。私たちの生命力はそんな時代も生き抜く力を持っているのです。

だから、予想もできなかったことが起きることを恐れないでください。

なんとかなっていきます。

それしかできないのです。

こういう時代は、安定を望むことは難しいかもしれません。

安穏で変化の無い人生 とはいかないかもしれません。

でも、人間は何もない平和なだけの状況はすぐに退屈してしまう というのも本当ですので、この変化の多い時代はより生きている という充実感をかんじることができる時代とも言えましょう。

初めてのことはただ、慣れていないだけで 経験すると もうその後は経験者になります。

あなたは新しい事を学ぶのです。

新しい生き方を学びます。

その中で あなたが愛ある生き方をする時、

あなたの周りに沢山の愛が集まって来ることに気付くでしょう。

そうでなければ、そうでないものが集まります。

面白いもので 自分の一挙手一投足、ふと感じた思い、それらが一々

周りに反映するのを感じるでしょう。

更に面白い事には、自分が意識を変えた途端、それらが現実に反映することも体験します。

嘘だと思うなら 試してみてくださいね。

あなたは あなたが思う通りの現実を見ることになります。

同じ事柄を見て どのようにとらえると豊かさにつながるのか 

それは、ポジティブシンキング という方法だったり、感謝だったりします。

全面的にカルマの解放中の方はポジティブには至らないと思います。

当然です。そのカルマのエネルギーが出て行ってくれないと光は現れません。

あなたは あなたの光を覆っている煤(すす)のようなカルマを掃除する必要があります。

そのお掃除とは1日2回の瞑想習慣なのです。

もちろん、1日2日では済みませんよ?

何十年、何百年もかけて溜め込んで来たカルマが一朝一夕でお掃除できるとは思わないでください。

もし、一度に済ませようとしたら、それはもう物凄い威力の苦しみになっってしまうかもしれません。

時間をかけるのはそれほどの苦しみにならずに、小出しにするためです。

でも、一気に噴き出しちゃってます~ という方は対処法はありますので、

そういう時はアトリエ霽月においでください。効果があるヒーリングやセラピーがあります。

カウンセリングでお話するだけでも随分違います。

人生が苦しくてたまらないというほどのカルマがある方は、今生でそれを手放すことになるでしょう。

これは大きなチャンスです。

なぜなら、それほど苦しくないのであれば、「このままでもいいや」と

考え方を変えることをしたがらないからです。

あなたは 愛を基盤にした世界への見方を学びます。

それは あなたが幸せに今を生きるためです。

瞑想習慣はあなたの意識を変えることができます。

瞑想し、新しい見方を学んでください。

それはあなたが幸せに生きる方法です。

あなたが、あなたのままでいいのだ ということに気付くことです。

あなたは あなたの望みと世界とのバランスをとりながら、あなたらしく生きる。

まず、あなたが生きたいように生きることを選び始めてください。

小さなことからで構いません。今まで選べなかったと思う事へ意識を向けてください。可能性は動き始めます。

あなたに必要なもの(学びと気付きとチャンス)が与えられることになります。

あなたが 豊かに生きる と 決めた時から

あなたのところへ豊かさが集まり始めます。