2023年08月

仏画教室

8月は暑いので 月始めと最終週に教室日を設けていました。

今日は8月最後の教室日でした。

4月に福岡市立美術館で開催した仏画展に来られた方が今月から新規で仏画教室に通われるようになりました。

現在80歳の紳士で、まだお仕事もされておられる とのこと。

足腰もお話されるご様子も大変若々しくて とても実年齢には見えない驚異的な若々しさ!

もう60代でくたびれてきた~なんて言ってるのは恥ずかしすぎました。

「若さの秘訣は何ですか?」とお訊ねしますと、

自家製のにんにく卵黄をここ10年ほど毎日飲んでいますね、
それと、朝起きてから庭の植木の水やりをして、それから部屋に掃除機をかけて、それから体操を30分くらいするんですよ。
それから仕事をしたり、趣味の日本画を描いたり。

という日課なのだそう。😅💦💦

それ、私よりも動いてます 😂 恐れ入りました💦

家事労働も運動ですよね。日常のルーティンにするから動けることも多々あるかと。。

ものぐさは返上して体を動かす習慣を見習いますっ! って思いました。(笑)

元気に生き生き生きるだけでこんなに人を元気に出来るんだなぁ って思います。

楽しいからこそ元気が出るので どんどん楽しい事していきましょうね!

笑顔の花が咲くサロン。そんなお教室を続けていきます😄

仏画ライブペインティング奉納

去る8月26日、福岡市中央区大手門にある圓應寺にてライブペインティング奉納をさせていただきました。

関係者各位に御礼申し上げます。

こういう大きなイベントがあるとその後、しばらく気が抜けております(笑)

ライブペインティングの様子はここをクリックしてください(動画)


完成直後


前回のライブペインティングの光姫さまと並べて描きました。
光姫観音さまですね。


こんなお顔。やさしい観音様が現れました。

今回は2年ぶりでしょうか、ここ1年くらい父を福岡に移住させて介護するというミッションで手一杯でライブもお休みさせてもらっていました。

久々なのに無謀にも前もっての練習もないまま当日を迎えてしまい、上手に描けるか心配だったのですが、優しい光姫観音が出て来られて安堵しております。

ただ、自分としては日々の精進はまだまだ足りん!と思うので もっと真剣に取り組まねばなぁと思うのです。
なんでしょう、、人間とは満足しない生き物?かも?(こんなので満足しちゃダメという声が止まない)(当然でしょ だそうです)

まだ絵が描かせてもらえることに感謝しつつ、制作に関しては高みを望みたいところです。

自分で描いてるというよりは、仏さまが出てくるお手伝いをしているだけなのかもしれません。
それなら内側の声も仏さまの声 ということにしておきます。

日常の雑事との葛藤! まだまだですな。。。

たぶん死ぬまでチャレンジ状態かと。。。来世持ち越しか!?😅

 

体力

ワクワクすることを見つけなさい と

バシャールもエイブラハムも口を酸っぱくして言っています。

自分はどうだろうかなぁ と省みてみますと、

このところなんだかやる気が出ないまま。

夏風邪のせいにしていたけれど、
暑さのせいにしていたけれど、
父の介護のせいにしていたけれど、

なんだかちょっと違うような気がする。

モチベーションだ。

数時間の用事が無い時間が出来ても動こうという気が起こらない。
やろうと思っていたことがあるのに? なぜ? と自問自答

めっちゃ働いていた時は、しんどいとかグダグダ言う暇はなかった。
それどころじゃない。止まったら死ぬ!みたいな感じだった。
辛いなんてもんじゃない時もあった。

しんどくてもカラ元気で乗り切り、そのうち本当に元気になっている。
しかも毎日のように1時間以上自転車に乗って動いてた。 
車がなかったのでどこに行くのもチャリ。🚲
食事はいい加減で日に1回

ところが今は激変して、今の生活は仕事場が自宅。通勤もなければ仕事はずっと座ったきり。
う~む、これは運動不足、体力の問題じゃん。 という結論に。

自分に優しいと 怠惰に過ごすは 似て非なるものだ!

もちろん、過労は良くないけれど 適度な体力的疲れは活性化したり体力を増したりするのに必要!

というわけで、歩くことからでも始めようと心を改めるのでありました。

瞑想だけで筋肉つかないですもんね。スイミングもいいな。。。
ヨガはすでに身体硬すぎでハードル高い 😅

フレッシュなモチベーションは 元気な身体から。
ワクワクも元気な身体でこそ。(今更だけど。。。

健康食品に頼るよりも運動でしょ。 と 自分の自我と話し合うのでした。

趣味のスポーツに憧れるインドア派でした(笑) 太陽の下は無理。(笑)

ワクワクしないと意味が無い。

プール行こうかな、水着、あったかな?

生命エネルギー

マインドは暇が苦手 と誰かが言っていました。

なるほどな って思います。

生き物は日々生きるための活動をしますが、なんでも便利になって、いろんなシステムができて、
生きていくことのために必要な日常の労働が さほど必要でなくなってくると
暇で暇で、エネルギーを持て余してイライラしちゃう! なんてことが起こります。

もちろん、歳をとってくると エネルギーも少なくなって運動量も少なくなって
何もしなくても割と平気 だったり、疲れやすかったり、小さな消費量だけで満足してきたりしますが、

若い命はそうもいきません。沸々と湧いてくるエネルギーを発散していかないと爆発してしまいます。

若い時にスポーツをするのは正解だと思います。
何かに取り組み、苦労して結果を出す ということを本当はしたいものなのです。

ですから、若い時の苦労は多い方がいいのです。
鍛えられてより強い命になっていきます。

若いからこそ圧を跳ね返すエネルギーを持っているのです。

でも、圧を跳ね返したらダメ という暗示をかけてしまうと、エネルギーは封じ込められてしまいます。 

出口の無いエネルギーは内部でグルグルグルグル渦巻く思考となります。

その思考で疲れ果てるまで止むことがありません。

エネルギーは出口を見失って 変なところにでてしまいます。
内圧が高くなるとやがて漏れや爆発が起きる。

地球のマントラと地殻変動と同じですね!

人間だと、ひと昔前ではわかりやすく「グレちゃう」とかでしたが、それはむしろ命としては健全な方で
現代の若者は社会の圧の加わり方も変わって 複雑な出方になっているかもです。
いじめとか病んだり とか。
無敵の人もそういう系統でしょうね

前世代の問題を回避しようとしてそこに圧をかけた結果、違うところに出てきてしまう という構造。。

そうです、圧のかけ方自体に間違いがあるということに気付いたほうがいい。
人間て奴は失敗して改善点を知るんですね。
先人の体験を無駄にせず進化していきましょう。

伸びる命は伸びるものだから伸ばす。それはとめることができない流れです

ただ、方向性を光の方へ案内すれはいい。

障壁があって真っ直ぐ伸びない芽も、必死で迂回しながら光を見つけて伸びてゆく。
たとえ、茎が歪んでも、いびつな形でも、光を求めて伸びるのです。

障壁はもう要らない。光があれば。

ただ、刺激はあっていいんです。
踏まれても起き上がって来る丈夫な命はますます強く逞しくなるでしょう。

ただ、種によっては、デリケートな生命体もありますので、それを理解して対応すれば
それぞれに繁栄するでしょう。

それぞれに適度な加減が違うのですね。素材を生かしてください。

豊かさとは調和した共存です。
そこには 高次元の意識「愛」と広い「理解」がとても大きな仕事をしていくでしょう。

狭い自分本位な視野(エゴ)はこの世界を理解することをせずに自分以外の要素を排除したがります。

でも、この世界は多くの未知のものが存在し、それぞれ自由に生きたいと願って生きています。

方向性が違うエネルギーは衝突もしますが、知能の高い生物である人間であるからこそ
エネルギーの交通整理ができるのです。

これが悟ったマインドの状態です。

愛と平和は 優しさに満ちた交通整理で現実となります。

自然は調和するように出来ています。

瞑想会の効果

日が変わり、昨日は月に一度の1日瞑想会でした。毎月第3日曜日に開催しております。

アトリエ霽月でELM瞑想の伝授を受けて頂いた方に

1日瞑想会のご参加をお薦めしております。

強制ではないのですが、

瞑想の効果を最大限に活かしたい場合は ご参加をお薦めしています。

ELM瞑想は 毎日の瞑想を続けていくと いろんな変容が起こります。

身体や意識や人生にとって 要らないものは浄化されていきます。

デトックスが進むのです。

なぜ そんなことが起きるのか というと、

まず伝授を受けた時点で 皆さまの意識の深い所にあった蓋が開き、瞑想が起こりやすいルートが繋がります。

そして日々波動の影響を受け続けますと、その波動がこびりついた汚れのようなカルマを揺さぶり、浮き上がらせて放出していくのです。

これは、ホースのなかにあるゴミが、水道水が流れると押し出されてしまうのに似ています。

硬くこびりついたものは取れるのに時間がかかりますが、いずれ流れに負けて押し出されてしまいます。

大きな塊が動く時は、結石が動く時のように何らかの痛みを感じるかもしれません。

ですが、それらは出てしまいます。

代謝も良くなります。流れが良いと、栄養が行き届き、デトックスが進みます。

だけど、その本体(ご本人)自身が、自分で毒を創り出していたら、内側の汚れはなかなか綺麗になりません。

それはカルマを作る事。 わざわざ摩擦を創り出すこと。

自分や他者を傷つけたり、大きな負の感情を生み出すことをすることです。

それらは大体、元々カルマがある場合に、それらの負の連鎖が起きやすいです。

なので 私たちは日々、浄化した方が平和で調和した環境を創り出しやすくなるのです。

私たちの摩擦は、誤った認識・思い込みによって生み出されることが多いです

なぜか とても摩擦やストレスが多く、生きづらいという方は

どんな捉え方になっているかを客観的に見ると、いろんなことが改善できるでしょう。

意識は 日々の経験によって明らかになってゆきます。

どんなことに摩擦が起きているのかが それを教えてくれるのです。

瞑想会にご参加いただくと、日々の瞑想の何十倍もの瞑想効果が現れます。

自覚する しないに関わらず、進んでいくのです。

特に1日瞑想会は 1日中瞑想をして深い瞑想状態に入り、どっぷりと空に浸る体験がありますので

より意識が源(ハイヤーセルフ)に馴染むようになります

普段もあまり瞑想をせず、1回だけ瞑想会に来るだけではわからないでしょうが、
日々の瞑想習慣が定着し、1日瞑想会によく来られる熱心な方々は とても早く意識が目覚めていきます。

更に目覚めを求めるなら、瞑想教師と対話するセッションをお薦めします。

その人のレベルに合わせて何がポイントになるか 必要な事を炙り出していきます。

いろんなレベル、いろんな層(次元)の意識があります。

この世界はとてもバリエーションに富んだダイナミックな宇宙です。

自我を手放す意識の体験は あなた自身とハイヤーセルフを繋ぐ場です。

ぜひ 1日瞑想会をご活用ください。

 

瞑想にご興味のある方は9月から体験瞑想会復活しますので ご利用ください。

より多くの方が 瞑想のより深い段階の体験をしていただけると大変嬉しく思います。

安定した心の平和と 世界の調和への近道です。

自由意思

「ありがとう って感謝すると良い事がるよ」 というのは本当です。

あなたが何を感じているかはあなたの波動として世界に発信されます。

いつも出来事の良い面を見つけて感謝が沢山できる人は感謝できる出来事がやって来るのです。

嫌なことが皆無になるよ とは言いません。

嫌な事には それを乗り越える学びがありますから、それは乗り越えた時に感謝が湧きます

本当は起きることには何の意味も無いものなのですが、

体験する私たちはその体験を実感しながら意味を見い出して行きます。

だから意味は我々次第で良くも悪くもなる。

ただ、その中で喜びをより多くみつける人が多くの光を見つけ得ていく という仕組みがあります。これが学びです。

あなたを成長されるための試練は起きて行きます。それは偶然でもあり、
巡り合わせ というご縁でもある。引き寄せの物理法則も働いている事でしょう。

「何で私がこんな思いをしなければならないの?」という問いかけの答えは

「私の魂がそれを選んで来たから」 です。

決めてきた なんて 覚えてないですけどね。(笑)
覚えてたら体験に新鮮味がないですから。

「あの嫌な奴はどうなるの?」 というのは

あなたにその体験をさせるためにその役を引き受けている魂です。これもご縁

被害者という体験があれば、加害者という体験と学びもある。
どちらの心情もやってみなければわからないようです。
いずれはどっちも経験するようですよ。あるいは加害経験はあまり覚えていないのですが
物理法則的には やったことがやられるらしい。
身に覚えが無い時は
前世でやったことが今生でやられる立場になる って言われてますけど。

いろんな宿命や因果応報の理が働いています。それがどんなに悲惨でどんなに理不尽なことであっても、魂は様々な体験をしにいろんな姿になってこの世に降りてくるのです。

魂は 様々なレベルを体験し、より高い波動を見出して愛へ到達するのです。

ハッっと気がつけば 思い込みという幻想に取り込まれて 自分を窮屈な檻に閉じ込めていたり、

重い手枷足枷を引きずって疲れ果てていたり、

逆に 何か背負うものがないと生きていてもいいという感じがしなかったり・・・

人間て不思議です。

本当は あなたは 自由にあなたとして生きていくのがいいのです。

何もしたくない時はなにもしなくていいし、寝たい時は寝ていいし、したいことをしていいのです。

でもそうさせない檻に入っていたい時は 入っていてもいいようでもあります。

本当は私たちは自由意思でここにいる。全部自分で決めている。誰かに従うということも。

世間や社会がそうさせない なんて思い込みにも気付いていかないとですね。

何かを失うのを恐れて 枠から出たくない魂もあることでしょう。

だけど、他者がどう思うかを気にしなくても 充分に生きていけますよ。

それを出て、動物園を出て、自分自身がワクワクする人生を選んでいいのです。

ここでもいいし、ここでないところでもいい。

あなたの意識が変われば 本当はどこにいても世界は変わっていきます。

どうせ思い込むなら、自分に都合のいい思い込みにしましょう。

 

基準を当てた立派さなんて無意味です。あなたにとっての幸せな瞬間はどれなのか

あなたのハートに尋ねてみてください。

理屈は不要です。ハートの声には理屈も理由もありません。

ただフィーリングだけがあるのです。それがあなたの声なのです。

それを大切にするためのチャレンジにエネルギーを注いでください。

幸福感やワクワクするものを選んでください。

あなたがあなたのために選ぶのです。あなたが一番選びたいものを。

 

それぞれの世界観

このところ引き寄せの法則関係のお話を書いています。

今日もその辺のお話をします。

引き寄せの法則のこと、もう熟知している方は読み流していいですよ。

 

自分の世界観ってどんなだろう? って考えてみたことありますか?

世間はこんなもの、常識はこういうもの、私はこんな人、あの人はそんな人、

自分を取りまく環境の中で 自然に世界観というものを持ってしまっています。

それはあなたが設定した世界 です。

いやいや、世界がそういうものだから私がそう思うだけで設定なんてそんな・・・ 
なんて思うかもですが 違ったんです。

世界は あなたが設定したとおりのものをあなたに見せてきます。

世界はあなたにあなたが見たいものを見せるようにできていたんです。

最初は「またまたそんなぁ、オカルトみたいな」って私も思ってたんですが、物理学的にも証明されてしまった。

そう。あなたがイメージしたことは現実化する。

「ああ、どうしていつもそうなるの?忌々しい」なんて思うと

「いつも忌々しいそれ」が現実化します。

あなたがイメージしたそれはどんどん強化されてよりリアルにあなたの目の前に現れ始めます。

「この人はいつもそうだ」とか「この人は○○だ」という決めつけでもその人はそんなキャラを演じさせられますし、そこが気になれば気になるほどエスカレートする。

まだ起きていないこと「○○になったらどうしよう・・・」なんて想像はやめた方がいい。

そんなものは現実化してもらわなくていいからです。

もしあなたが決めなければ 起きる時には起きますし、起きない時は起きないのです。

想像すらしないことはあんまり起きない。(自分以外の人も思考するので周辺で起きることもある)

それらは あなたが強化しなければ1回で済むかもしれないです。

でもでも、私は毎日「幸せになりますように」って祈ってるのにならないじゃないですか~ というお声があったりしますが、

現実化は 確信してることが現実化するので

祈っている というのは「まだなっていない」という確信があるのでまだなっていないという現実がここにあるんでしょうね。

一番いい祈り方(アファメーション)は「私、幸せです!」という宣言や実感です。

難しいですか? 今のあなたの状況や基準ではOKはもらえそうにないでしょうか。

それなら、別の基準でそれを作ることができます。

アメリカの有名な女優さん、アンジェリーナ・ジョリーは若い頃、家庭が不和でどれも暗くて自死願望が強かったそうですが、ある映画の撮影でベトナムに行った時、戦争後のその国で生きることに必死な現地の人々を見て自分が不幸だと思っていた状況は不幸ではなかった と気付いた と言っていました。それ以降の彼女の活躍はいうまでもありません。

世界観が変わることで生きる意欲や問題意識や何が一番大事なのか も変わります。

『旅』 というのは そのためにあるんじゃないでしょうかね。(可愛い子には旅をさせろ って)思い込みを打破する新しいものの見方をゲットする

貴女の歩みを邪魔するものは あなたの外側にあるのではありません。

あなた自身のとらわれにあります。

怖れ、思い込み、罪悪感、 

いろんなものがあなたを縛るでしょう
でもそれらはみんな幻想で 実体はありません。

実体というのは、今まさにあなたに刃物を向けて襲い掛かろうとしていえる人 や

あなたの目の前にいる牙を剝く野犬や毒蛇

あなたに暴言を浴びせかけ続ける人 であって

それらの人や獣は あなたの目の前に今は いません。

もしそういう襲い掛かる存在に遭遇したら、逃げてくださいね。

暴言の場合は耳を塞ぐだけでもいいですけど。
ちなみに暴言に対する私のやり方は、

受け取らないで脇に流します。

それ、もし日本語じゃなければ私の頭の中に入ってこないようなものですし。
その人の言ってることはその人の見解であって真実でも事実でもない。
だから傷付くいわれが無い。
あるいは事実であったとしてもそれが何なんだ。
怒りというものはただのカルマの解放に過ぎません。

罰があるとしたら 因果応報という形でやってくるので、人は自分がしただけのことをちゃんと受け取るし、そんなものは放っておけば勝手になる。

もし自分自身が罰を受けるとしたら、そんな覚悟も無くて自由勝手に生きている訳でもないし、言うほど人を傷つけていきているわけでもない。

ただ、あなたのワガママに応えられないだけの話だ。
気に入らないなら見切って下さって結構。

みたいな感じになっちゃう。(苦笑) 可愛くねぇ😂

「やだ~😩ごめんなさい~、ゆるしてぇ~、置いて行かないで~」なんて言うにしても
全力で正直に 素直な気持ちで言うと それなりにちゃんと伝わりますけどね。

いずれにしても、この世で起きている出来事、特に

自分の目の前で起きている出来事は、夢のようなもの と言いますか、

客観的にみると茶番劇のようなものなので 深刻に考えることはありません。

なんだってそれなりに なるようになっていくのですから。

欲張ったところで 大して良いものが手に入るわけでもなく、

多くのものを与えた人が 多くの愛を受け取ることになるでしょう。

神様が喜ぶ行動は 沢山笑うこと だそうです。

内なる声の聴き方

私のハートがどう感じているのかわからない、

あるいは

内側で繋がっているという 神の声を聴いたことが無い、聴きたい

というお気持ちがある方。

内なる声の聴き方をご説明します。

内なる声を聴くにはまず、内側を静かにさせなければいけません。

わぁわぁと誰かがお喋りして騒ぎ立てているところで、静かに話す声はかき消され聴こえないものです。

あなたの自我の意識がお喋りや騒ぎ立てるのをやめないうちは それらは聞こえないでしょう。

自我はあなたの本当の気持ちを抑え込むためにいろんなことを操作しようと必死です。

あなたの本当の気持ちを悟らせないために。

なので、あなたは本当の気持ちに正直になり、やりたいことを自分にさせた方がいいのです。

本当に感じたことをそのまま感じて感じつくした方がいい。

そうすれば抑え込まれたものを止めようと騒ぐ声もなくなっていきます。

そうして頭の中が静かになると、内なる静寂がやって来て、あなたの内なる声ハイヤーセルフの声に気付きやすくなるのです。

瞑想は そんな浄化と静寂がやってくるのを促進します。

解放が静まり、あなたは内なる声を素直に受け取るようになります。

瞑想するという意図意図すらも外してリラックスして静けさにくつろいでください。

その時あなたはただ、委ねます。

「そんなんで見えるのか?」「うまくいくのかな?」なんてお喋りも邪魔です。

まだ内側からゴミ出し(カルマの解放)をしている時は騒々しいですから、ゴミ出し期間に聴こうとしても無駄です。

人生の何十年も溜め込んで来たゴミ(ストレス、ネガティブ感情)は結構な量ですから

ある程度時間がかかることは覚悟してください。

ただ、瞑想中に時々、お喋りがとまることもあります。

空(くう)を垣間見る瞬間です。

それは一瞬ですと気付きません。

それがそれだと気付くにも少し時間がかかるかもしれません。

これか~ と認識する体験が必要です。

それは毎日瞑想習慣をつけていくと 解放が進み、内側のお掃除が進んで出すゴミが少なくなっていきます。

最初に訪れる静けさ、、第一エリアのお掃除完了。

しばし静けさを楽しみます。内なる声も聴こえているかもしれません。

第二エリアの扉が開くと、次のゴミ出しが始まります。

おや、体験出来ていた静けさがなくなって、また騒がしくなってしまった

瞑想効果がなくなってしまったのか??

いえ、そうではありません。

第二エリアのお掃除中です。そして、しばらくすると掃除が終わって静かになります。

そして第三エリアに進みます。

内側にはふたを閉めた多くのエリアがあるそうです。

中には隠した部屋が少ない人もいますが、我慢強い人なんかは別室が大きかったりゴミの量がすごかったりします。

でも、根気よくお掃除(瞑想)すれば それらは片付いて行きます。

あなたは瞑想中、掃除をゆだねてください。

あなたが意図してする掃除ではないのです。

あなたが掃除の邪魔をしないことが大事です。

出てきたゴミを見たくないと仕舞い直さないようにしてください。

ちゃんとゴミ出ししてサヨナラします。

ゴミ出しに文句は不要です。

出て行ってくれてありがとう✨

出て行っておめでとう!

カルマのエネルギーが出ていくと あなたはますます輝きを取り戻します。

静かに微笑むことができます。

その時はもうあなたはいつでも内なる神と繋がれます。

私がわたしとして生きていることは 神が私として生きるということなのだ

と 理解します。

あなたが喜べば神も喜びます。

もう一喜一憂しません。 永遠の愛に気付き、もう誰もあなたを不幸にはできなくなるのです。

私がわたしであること

私はどう生きたらいいんでしょう? というご質問があります

人は時に生き方に迷う時があります。

今まで信じてやってきたことが なんだか違うんじゃないか?

と 気付いたり、

この生き方が幸せになると信じて採用していたライフスタイルが崩れてきた時、

しまった、間違えたかも・・・? って思う。

こんな時はチャンスです。あなたはより本当の答えをみつけやすくなります。

そういう時、自分の信じていたものが崩れ、じゃあどうしたらいいか?と困り果て

誰かに「私はどうなるのでしょう?どう生きたらいいのでしょう?」と尋ねたくなってしまいます。

でも、その本当の答えは 他人の中にはありません。

あなたがどうしたいのか、何を選ぶのか で決まります。

実の所したいことはあるけど無理だと思ってしまっている方も少なくありません。

諦めたら、実現は不可能です。

実現自体に価値があるというわけでもありません。踏み出す行動が大事なのです。

これまでの基準をつかっていては今までの延長なので変わらないし、いずれ来る崩壊は免れません。

チャレンジに慣れていない方は、チャレンジが恐ろしく感じるでしょう。

その方法で成功するとは確信が持てないのです。

心もとないから宗教とかスピリチュアルとか宇宙の法則に頼りたくなります。

どんなツールも山を登る時の道標や杖と同じ、

それにつれていってもらうのではなく、

あなたがそれを使って山を登り、山頂での感動をゲットするのです。

それは、未知の山頂なので、あなたが思い描いているような目的地とは違うかもしれません。

でも、あなたが想像しているよりもっと感動します。

(成功だけが幸せなのではなく、そのルートが次につながることに重要)

山頂に到達した時、あなたは自分を信頼することと、自分自身を愛する能力をゲットしています。

あなたは 自分が幸せであるために どんなことをしたらいいか 本当は知っているのです。

ただ、怖れがあなたにブレーキをかけます。

チャレンジしてください。今あるものを手放して新たなものを掴んでいいのです。

家族やまわりの人々に尽くしすぎている人は、まわりの手助けをしすぎてはいけません。

あなたがその人の課題を肩代わりすると その人は楽をして成長の機会を失います。
そしてあなたに依存します。

ちょっと今の状況はまずいぞ と思ったなら、
ルーティンを変えてください。

それはあたりまえでないことを気付かせるチャンスを作ります。
手を引く ということをします。
最初は一瞬でもかまいません。

ちょっと今できないから自分でやってね。

そんな一言でもいいのです。

怒るかもしれません、それは第一関門です。その人にとっての気付きのプロセスです。

問題が自分だけのことなら、新しいやりたい事にチャレンジします。

今までにないパターンを作っていきます。

あなたがワクワクするように 自分を動かしてください。

今まで休めなかった人は休んでください

逆に怠惰になってしまっていたら、トレーニングから始めます。

簡単なチャレンジからでよいのです。

能力は使わなければ弱くなります。

鍛えることは大事です。時間をかけても良いのです。

あなたを押さえつけるものは回避してください。

威圧や暴力は一番野蛮な方法です。

支配してはなりません。

それぞれが自由にいるには自立が必要です。

相互依存があるにしても、不自由や苦痛があるなら解かねばなりません。

あなたは 自分がしたくてしている事だけをしてください。

誰かには頼れるかもしれないし頼れないかもしれないのです。

本当はあなたが一人で出来るのですが、自分を貶めてできないことにしています。

最初はやれるようにで良いのです。

完璧や多くを望まず、出来たことを褒めてください。

子育てと同じです。

ちょっとできたら褒めて、またちょっと出来たら褒めて、

失敗してもいいんだよ。何回でもやり直すことができる。

自分のペースでいいんだよ。急がなくていい。出来たら嬉しいね!

自分が一番喜びが多いことを沢山してください。

周りの人と賞賛し合えれば助け合うことが喜びのなかでしていけるのです。

傷付けてくる人やしないしようとして来る人は回避してください。

あなたを生贄にしてはなりません。

あなたが喜びに生きた上であなたが溢れる愛を配る人になります。

他者の依存から逃れるためには、あなた自身の依存も手放さねばなりません。

それは難しくありません。

対象は あるべきものならなくなりませんし、

あなたにとって必要ないものなら過ぎ去ります。

そしてもっとふさわしいものが現れます。

依存の対象ではなく、自立したあなたに相応しい安定した関係です。

 

今後変化していくこの世界では、あなたが自分らしく生きているかどうかが重要になります。

どういう形化はわかりませんが、天国へ行くか地獄へ行くかのような二極化があると言われています。

悟れるかどうかは大事な事なのです。

焦る必要はありません。 ある意味悟りは一瞬で完了します。気付けばいいだけですから。

そのために邪魔なのはカルマの感情(怖れや憎しみトラウマ)

これらは瞑想で癒せます。

平和な心は 心の浄化が必要です。

瞑想したり、涙を流したり、デトックスしたり、癒されたり、喜びに包まれたり、愛を感じたり、感謝を感じたり。

あなたは自由なのです。

記憶

時々、思うのですが、

記憶というものは実に曖昧で幻のようなもの。

体験した全てを覚えている訳でもなく、

自分の目線から見えた物事の一部分だけを取り込んでいて、

しかもそれをストーリーとして取り込むのに、

何度も思い返しては意味付けを繰り返します。

「そうだ、私はあの時、こんなこんな事情もあったんだった、だから悪くない」

意識的にではなく、いつのまにかそういう作業をしていて、一番おさまりの良い説明で腑に落としていきます。

もちろんこれはポジティブシンキングでもやるんですけど、

心理学的に言いますと、防衛機制 という心のシステムがあって
転換とか投影とか合理化とか逃避とか抑圧、その他などなど、いろんな形があるんですけど、
要は、不安な事をどうとらえて収めるかで自分の心を護るんです。
そういう心のシステムがある。

それによって、起きたことを自分が楽なように記憶に収めるわけです。

これは解決が問題ではなく、とらえ方なので
自分の都合が良いように納まっていくんですね。

これって、普通の人がごく普通に当たり前に起きるので良いとか悪いとかいうことではありません。
ただ、これらの防衛機制の絡んだ記憶は 事実とはちょっと違う。
色々と色付けされちゃうわけです。

ただでさえ、そういうものが絡んでない記憶にしても、目線が自我なら 目に見えた一面しか見ていないですし、(背景とか原因とか見えてない)
それにカルマの感情や防衛機制が絡むと、解釈が生じて、ニュアンスが変わってきたり、ストーリーが付け加えられたりします。

そして、自我はこれを大いに利用します。

対立している2者からそれぞれの事情を聴くと、全く違った内容が出てきて 何が起きたのか余計に分からなくなることすらありますね。

記憶は無意識に自分に都合が良いように 記憶を書き換えてしまう性質もあります。
その出来事が自分の価値を揺るがしたり、脅かしたりするような怖れがあると
ついつい 嘘をついちゃうんです。自分までだましてしまう。

それは 悪意があるからではありません。防衛機制です。

人間がそういうことをしてしまう生き物である以上、そういうものは無くなりません。

ですから してはいけないこと なのではなくて、そういうものと上手に賢く付き合っていかなければならないのです。

特に自分自身に自信が無い自我は理論武装します。

自分自身を愛していない意識は沢山の怖れを持っています。
自分が自分を愛していないぶん、他者から愛されなければならないからです。

本当は自分で自分を愛せば、他者の力を借りなくてもグランディングできるのですが
わざわざその能力を放棄しています。

これは愛されないかもしれない という過去の怖れ、
愛されなかった という過去の痛み つまりカルマが起こす幻想です
「私は価値がないかもしれない?」

そんなことはありません。

この世に生れ落ちるすべての命は愛で出来ています。
たとえそれがどんな生涯を送ろうとも
どんな負の体験を担当しようとも、

この命は 愛であることを思い出すためにこの世に降りてきています。

ですから、あなた自身の命を幸せに導いてください。

本当はストーリーなど 何とでも書き換えられるのです。

癒しが足らないだけかもしれません。

もしどうしたらよいかわからない時は
誰かを癒してみませんか?

人を癒すと、あなたも癒されます。

(あなたから奪う人は愛では満たされませんのでご注意を)