2018年12月

プラムビレッジ

マインドフルネスの聖地 プラムビレッジのリトリートに参加しております

プラムビレッジはテイィクナットハン師が世界各地に作った僧院です。

若いお坊さんたちが沢山います。

ここタイのプラムビレッジでは毎年年末にアジア圏の瞑想者向けのリトリートを行っています。

今年の春からアトリエ霽月でも福岡サンガのみなさんが毎月集っています。

本格的なマインドフルネスリトリートに参加してみたかったのでやって参りました。

プラムビレッジ

バンコクのスワンナプーム空港から車で3時間ほどの所にあります。

つい最近まで ティクナットハン師はこの施設におられたのですが、この秋ごろに故郷のベトナムへ帰られたそうです。

 

ここでは日本で言うと仏教の禅宗の教えのとおり瞑想的な生活がなされています。

本日初日のスケジュールは、

 

朝起きて 暗いうちから礼拝 

朝の歩く瞑想、

朝食で 食べる瞑想、

ダルマシェアリング(グループワーク)

歌う瞑想と オリエンテーション

ランチの食べる瞑想

トータルリラクセーションという横臥の瞑想

ダルマシェアリング

エクササイズ

夕食の食べる瞑想

座る瞑想

就寝

 

でした。

もうずっとマインドフルにすごします

Plum villege big holl

もっといろいろ書きたいのですが

22時には消灯で朝、4時半起きです。

また時間がある時書きますね

ではでは今日はこの辺で

おやすみなさいませ。

 

タイの時差は日本より2時間遅れです

日々徒然

クリスマスイルミネーション

クリスマスイブですね

今年も残り8日です。

ご縁に触れた皆様方 ありがとうございます。

 

私は今日、タイのプラムビレッジに向かいます

年末のマインドフルネスリトリートに参加して参ります。

本場、プラムビレッジでの僧侶の日常を体験して参りたいと思います。

 

久々の渡航に 乗り換えがちゃんとできるか ドキドキです。coldsweats02

 

期間中、ブログの更新がどのくらいできるか わからないのですが、

話題は満載だと思いますので またお楽しみにお待ちください。

 

素敵なクリスマスをお過ごしくださいませね。

今日も温かい愛でいられますように

 

 

 

 

 

 

マインドと体

私たち人間の 多くの人々は 記憶と共に生きています

過去の思いに囚われている 人もずいぶんおられることでしょう。

私たち人間の 大多数の人々は 思考の中で生きています。

いろんなイメージを作り上げることにずいぶん時間を取られているかもしれません。

 

私達が、思考を切り離して生活することはなかなか難しいです。

思考することなしに生きていくのは 裸でジャングルにいるようなものですから。

思考=マインド は 私たちを護ってくれるもの なんですよね。

衣服みたいに。

衣服を着ていないと 恥ずかしかったり、
周りに認められやすい恰好とか 周りにいじめられやすい恰好 とかも あるでしょう

でも必要以上の衣服って 邪魔になりませんか??

 

ヒラヒラした飾り、、華美になりすぎると邪魔で動きにくくなったりします。

自分を守ろうと鎧をつければつけるほど 重たくて行動が制限されたり、

身体に合わないものを着ていると窮屈だったり疲れたりもします。

丁度いい快適な衣服  と同じように

自由を奪わなくて 重荷にならない 思考って どんな感じだと思われますか?

 

私たちのマインドは 安心を得るために観念をまといます。

物事を測る基準です。

イメージを掴むのにも いろんな物差しが欲しくなります。

 

更にマインドを安心させるために危険を回避し、安全策を講じるために

行動したくなったり 思考したがります。

これは自我の意識の癖でもあります。

特に 実際の現実が思うようにいかないと不満になって 思考を駆使して 落ち着こうとするのです

無意識にもそうなりがちですよね。

でも、

そのマインド(思考)は 本当に あなたを護っているのでしょうか?

 

お前はそれじゃダメだ とささやきかけてくるマインドの中のルール

そのルールは一体なんのために誰が採用したルールか 考えてみたことがありますか?

 

ルールは ある時 人を生きやすくさせたかもしれません

ルールは ある時 利益を生んだかもしれません。

ルールは ある時 誰かを守ったかもしれません。

また、痛みを感じた人が それを再び味わうことのないよう作ったルールかもしれません。

その時に良かれと思ってそのルールが生み出されました。

ルールがあれば 守れる って信じたのでしょうね。

もちろん大いに役に立ったこともあったことでしょう。 誰かにとって。

 

でも、そのルールや基準は、今 

あなたを捉えて 不自由にさせてはいないでしょうか?

あなたが採用しているルールを他人が採用していないことに怒りを持っていないでしょうか?

社会では 互いにいろんなルールを持ち込んで裁き合うことに熱中してしまう人が増えていきます

ルールが完璧だと信じているからでしょうか。

 

型にはまらないケースを見て憤りの感情を作って 気分を汚していることに気が付きますか?

その場を幸福にしていないのは 誰でしょう?

あなたから怒りを引き出す人は 悪人でしょうか?

あなたに怒りをもたらす出来事は この世から消すことができますか?

できると思ってまだ取り組んでおられる方には酷な話ですが

難しいです。

 

でも あなたの怒りを消すことはできます。

 

自然は 自然に あるがままに生きようとします。

人間もまた、その性質を発揮して

ある者はエゴを発揮し、ある者は道に迷い

ある者はカルマのエネルギーを吐き出し

雑多な姿でそれぞれに存在します。

マインドから見ると 収拾のつかない混沌に見えるかもしれません。

 

でも、自然の姿を裁いたり、隠しても そのエネルギーは消えたわけじゃないんです。

隠しても あるものはある。

 

この世界、

いえ、自分自身ですら思い通りにならないのに 

人や世界を思い通りに変えることはできません。

思い通りにコントロールするには この宇宙は大きすぎます

例え 部分でも 部分は全体の一部なのです。

 

 

あなたのマインドは何を裁かなければならないでしょうか?

 

何のために?

 

本来の命は愛に育まれ自然に生きようとします。

あなたという生き物は あなたの意思と関わりなく 生きようとしています。

その力そのものが 愛 でもあるのです。

 

ただ、それをあなたの意識が 自然な在り方を阻止して、思い通りにしたがっているとしたら

これは自然との闘いになってしまいます。 自我と自然の闘い 

摩擦のエネルギーです

 

摩擦が小さいうちは 簡単だと思っているかもしれません。

でも、無理はなさらないでください。

生命力は そんなにやわじゃありませんから

圧をかけたら反発力が返ってきます。

 

この体、 自然で出来ているんですね。

自然からの預かりものです。

自分自身も自然でできています。

自分の中の自然さと 仲直りしてくださいね winkheart04happy01

 

日々徒然

真我のお話が続いてきましたが、 

いきなり現実出来な話題に戻ります (笑)

 

それにしても 師走 って どうしてこう慌ただしいんでしょうかね? (笑)

年末までに期限を切られた用事があれこれあるので 追い立てられるような気分になるのでしょうか。

期限がある用事は 普段から作品制作で直面しておりますが coldsweats01

師走は 周囲のムードの影響もあります

特に主婦の皆さんは 大掃除やお年始の準備など抱えていらっしゃる方は とても大変です。

頑張って乗り切ってください!

 

あれもこれも それも 済ませておきたい!!

やらねば!!  なんて気負っている方 沢山おられることでしょう。

頑張る原動力は 義務感、使命感、プライド、罪悪感、などでしょうか

頑張るのは悪い事ではありません。 でも自分の気持ちが幸せでなくなる頑張り って なんなのか? って思うことはありませんか?

人間は欲張りなんじゃないか と 思います。 

もっと緩やかに生きてもいいでしょうに

あれもこれも いろんなものを取り込んで 自分で多忙にしてしまうんですね

 

ええ、、とても自戒的に・・・   いや、正直ぼやいています。(笑) happy02

人間を生きるのは そういうものかもしれません。

どんな聖者や悟りの先生にも 日常生活があり、好みや性格があります。

人としての習性や本能、反応、苦手なもの を持ち

全ての人間が 感じることをやめることはできません。

 

ただ、心の中の静かなエリアを知っているかどうか? だけの違いです。

本当の愛 ってなんだろう? ということを知っているだけのことです。

 

そんな目に見えない違いだけで 天と地ほどの 世界観の違いになります。

 

人間の本質・真我が どんなものか  知っていれば私たちはどう生きればいいかを

知ることができるからです。

 

もし、頑張るなら それは自分のために 喜びと幸せを増やすために 頑張ってみてください。

あなたが優しくなれる頑張り です。

それ以外の頑張りなんて 要らないのかもしれません。

現世を 風物を 楽しんでください heart01happy01

面白がる才能を身につける 

この世界の いろんな存在や いろんな出来事

好ましいことも 好ましくないことも  いろいろあると思います。

 

もし、それを  好きと嫌い で 分けてしまったら

この世界の何割くらいのことが嫌いに設定されてしまうでしょうか?

 

もし、 あなたが 好きと嫌いを区別することに それほどエネルギーを使わなくなったら

この世界には 好きな事と それほどでもないこと が大半をしめるようになって 

嫌いなものは うんと少なくなってしまいます。

 

嫌いなもの って なんで出来ると思いますか?

 

一番の理由は 対象を理解しないこと なんです。

知らないこと  

どんな思いを持っていたのか

 

真実よりも 自分の都合や憶測を採用してしまいがち です。

 

 

何か気に入らない出来事があった時に 

もし立場が逆だったら、私はどう感じていたことでしょうか?

自分の立場しか知らないと 相手に腹が立ったりします。

 

何か気に入らないことがあった時に

ああ、自分も相手と同じことをしてしまったことがある と気が付くと

相手が今 どんな気持ちかわかる。

 

もし 相手の気持ちを理解できないことがあったとしても、

人に理解されない時に 悲しい気持ちになることを知っていたら

むやみに相手を責めようとは思えなくなる。

 

相手を許す ということは  自分自身の過ちや罪や傷つけてしまった人を癒すことと同じ。

 

自分が嫌な気持ちや 悲しい気持ち、腹立たしい気持ちになった経験は

人間というものを知るための体験をさせてもらっているのです。

 

感情に勢いが付きすぎている時

自分自身でも止められなくなってしまって 言いすぎて人を傷つけたり

意地をはったり、 ちょっと意地悪な気持ちになってしまったり、

本当は先にあの人が私を傷つけたんだけど、本人には自覚がなくて 

やり返したら こちらが悪者にされた とか 

どちらも 悲しいんですね。

 

だから、人の心の傷は どうやり返せばウサが晴れるのか? ではなくて

どうしたら 誰もが癒されて 許したくなるのか を探すんです。

 

自分の中の隠れていた愛を 探して使ってみましょうよ。

愛は連鎖して拡がるんです

傷は癒すと治ってしまうんです。

 

だけど、みなさん、

もし、許せない気持ちがある時、

無理に許さなければならない なんて 思わないでいいですよ。

誰だって許せないうちは許せないんです。

 

許したくても許せない時

それは、許せない気持ちを味わう時なんです。

しばらく胸の切なさと向き合ってその気持ちを受け止めてください。

そして もうこの気持ちとはさよならしたい と 思うようになったら

心置きなく その気持ちを切ってください。

いつまでも握りしめていても 苦しいのは自分なのですから。

 

苦しい時も 自分の姿を笑ってしまいましょう。

まぁいいや と思えたら もうこっちのものです♪((´∀`*))

 

それがなかなか・・・と言いたくなる方、

苦しみや感情を持て余しているなら ぜひ瞑想をされてください

瞑想があなたから ネガティブエネルギーを抜いてくれます。

 

そして、 瞑想は苦手 なんて思っている方も。

本当は瞑想が苦手な人なんていないんです。

うまくいかないと思っていらっしゃる方は 瞑想のことをよくわかっていないだけのこと。

瞑想のやり方や活かし方は アトリエ霽月(せいげつ)がお教えいたします。

目からウロコですよ

苦しみが抜ければ 自然に何でも面白くとらえられます。

ELM瞑想は これまでの瞑想と 全く違う体験があるかもしれません。

乞うご期待です。

 

真我と真実2 命の輝き

私達人間の現世での体験は、嬉しいことも辛いこともあります。
人はついつい苦しい事を避けて通りたいと願いますが
実は避けるよりも受け止める方がずっと辛くないんです。
 
なんて言うと どういうことかわからない方もいらっしゃるかもしれません
「そんなことはないだろう」ってマインドは言います。
これは 思い込みなんです。
 
試練は 逃げるよりも 乗り越える方がずっと楽 なのです。
その場では逃げる方が楽に思えるかもしれません。
でも、試練はクリアするまでずっと課題のままでいます。
一生の課題は早く終らせた方がお得です。
残りの人生と子孫と来世に 課題を残さない。
こんな楽なことはありません。
 
乗り越える前は 越えられない壁のように見えるかもしれません。
それが恐ろしくて 自殺してしまった人は とても損をしています。
そのことが恐れるに足りない という設定を諦めてしまうからです。
 
開く扉の先は まだ見えていないだけです
例え私たちが雲の下に居ようと 夜であろうと
疑いようもなく太陽は常に輝いています
それを見に行くのは私たち自身なのです。
扉を閉じないでください
 
あなたの命も 太陽と同じように あなたの中で輝き続けています
そう、
雲を晴らすのは自分自身なのです。
 
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瞑想を活用してください。
とても簡単な方法で あなたの中のカルマの雲を消してゆきます。
いつも 心に太陽を感じて晴れやかな毎日を過ごしましょう。
 
これは 当たり前にできることなのです。
だって、元々 光でできているのですから。
魂は光です。真我です。

真我と真実 

この世の出来事は すべて因果があります。
私達自身のせいかどうかに関わらず、出来事もエネルギーも 全てが繋がって影響し合っています。
 
原因になるなんらかのエネルギーや波動たちのめぐりあわせです
決められてきたこともあるかもしれませんし、偶然のこともあることでしょう。
 
どちらか なんて確かめる必要はありません。
 
目の前に起きている事 
それをどう取り扱うか(逃げるか受け止めるか) で私たちの次の瞬間が決まっていきます。
 
現実の予想なんてしないでください。
物事はそうそう計画通りに進むことばかりではないです。
特に流れに逆らって 思い通りにしようと思っていれば思っているほど
流れとは逆行してしまうものです。
 
流れって何?
どちらに向かっているの?
 
それを知ることがこの宇宙の学び だったりします。
目に見えないダルマの大いなる流れは 抵抗・摩擦 を体験する体験(試練)によって 見つけることができます
私達には乗り越えられる試練しかやって来ません。
 
 
私たち人間は意識に上がることも上がらないことも いろんな要素を持っています。
自覚しているかしていないか、 どちらにしろ あるのは真実そののも だけです
本当のところ、自覚できているものはごくわずかしかない と 言っても過言ではありません。
 
でも、自我は違います。 
本当の事は あまり知りたくないのです。
本当の事よりも、着色して綺麗に着飾った 自己イメージが欲しいんです。
 
それで自己イメージを脳内で誇れるものに飾ってしまうのが アイデンティティーです。
実際は 隠したい真実は 自分自身で否定して 自分はそうではない と思い込んだり
何か理由をつけて 仕方がない と折り合ったりしています。
でも、他人はその要素を見つけて 時折指摘してしまうことがあります。
世間の大人の人は 本人が嫌がるそんなことはしないようにするのがマナーになっていますが、
時々 やけに正直な人がいたり 無遠慮な人もいるのです。
「失礼な人」って言われたりします。
でも 真実はどうなんでしょう?
 
あなたは 真実がどんなものか わかりますか?
 
本当の真実は とってもシンプルなんです
 
 

カルマの宿題 苦悩を手放す生き方

波動は世代連鎖しますが、これは、遺伝情報 に加え、生まれて後 育つ過程で周囲の人々の波動を強く受け継ぐ ためです。
産みの親も 育ての親も 教師も 社会も 持っているエネルギーを次世代に渡します。
 
親や環境のせい というわけではないんです。 
魂が 生まれるところ選んで 生まれてくる ようなのです。
自分がやり残したカルマの学びを 魂が わざわざ選んで そのカルマのある環境に生まれてきます。
 
もちろん 本人は生まれる前の事は覚えていません。
覚えていては新鮮な体験にならないから だそうです。
たまに覚えている人もいるようですが
覚えていることの方が ちょっとした設計ミス? なようです (笑)
 
カルマの体験には学びと成長が伴います。
ですから 避ける必要はないのです。
嫌なことを受け止めないで遠ざけると いつまでも魂の成長が足踏みしてしまい
あわてて体験が追いかけてきますもんね。coldsweats01
おいおい、まだ、課題がクリアできてませんよ~  なんて
逃げたと思ったら グレードアップした問題が追いかけてくる
なんてこと ありませんか?
そのうち ついに逃げられなくなるまで ?
来ます来ます。(笑)
 
でもでもでも、とことん逃げたい自我は
そうこうしているうちに歳を取って どうにか人生が終わり、
あの世で思い出すんです。
 
あちゃ~ カルマを手放す課題 終わってなかったわ! って (笑)
 
その時はもう個人の意識ではないかもですが、
やり残した宿題をしに 魂は何度でも現世に現れるのでしょう。
 

苦しみは善い生き方 そうでない生き方に関わらず、人生の所々で遭遇します。
ただその辛さと向き合って受け止めてください。
 
辛さは いずれ 時間と共に消え去ります。
味わい尽くせば 自然に終わります。
 
だけど 抵抗して 感じたくない
辛さなんて 感じてはいけないもの と 思っていると 
それが『苦しみ』や『悩み』に変化します。
 
逃れたいものから逃れられない思いが 摩擦の感情です。
「嫌だ~」 というアレです。
 
 
人々の中には苦しむ方をサポートする仕事に従事している方もいらっしゃいます。
そのような立場の方は、下がった波動を引き上げるお役目をする、苦しみと向き合う人をサポートする 
という宿命を持っている方です。
 
それをすることによって、魂は学び、カルマを減らし徳を積む(幸せを増やす)ことができます。
これは自分のため というより 世界のためかもしれませんね。
恩恵は特に子孫に降り注がれます。
それは自分が再び生まれるところ かもしれません。
 
ただ、
身近に苦悩の人々を見たら、必ずしも助けなければならないわけではありません。
彼らが癒されて穏やかになりますように  と
愛のエネルギーを向けるだけでも大きなプラスを与えることになります。
 
愛のエネルギーが一何よりも世界に貢献します。
必要な行動は迷いなく行動することになりますから、何もできないことに罪悪感を持たないようにしてください。
直接的に人助けする役割をすることを(生まれる前に)約束していれば 必ず何らかの働きをすることになるでしょう。
その時が来れば、行動は起きます。
 
役目は、あればかならずさせられるし、役目でなければ過ぎ去っていきます。
見て学ぶ(理解する)だけで済むことも多くあります。
愛の波動が大きな力となり物事を変化させます。
 
理想を持つことは悪い事ではありませんが、
もしあなたの理想が 今のあなたを落胆させる原因になっていたら、
そんな理想は捨てた方がいいかもしれません。
 
イメージは 理想の表面しか見ていません。
あなたは 今のあなたの裏側(ネガティブ側)しか見ていない ということでもあります。
 
いまここを100%生きることをすれば あなたには後悔は生じません。
たとえ失敗したとしても それがその時のベストの選択だったからです。
 
抵抗して悩むことも したければしてもいいんでしょうが、
それよりも もっと幸せに生きませんか?
 
私たちは流れの中で生かされていますから。
もっと 流れを楽しんでいいのです。
もっと 流れの景色を 楽しめたら どんなにいいでしょう。
そんなこと、私にはもう無理だ なんて思わないでください。
 
私達は いくらでも輝くことができるんです。
これまでが どんなに困難な人生だったとしても
これまで いろんなことが無理だったとしても
何かができてもできなくても
寿命があとどれだけかに関わらず
 
私たちはいつでも 命を輝かすことは可能なんです。

そして、瞑想があなたを輝かせることは まだ多くの方が知りません。

幸せの国ブータンでは 小学校で授業の前に子供たちが瞑想をしているそうです。

瞑想は心穏やかにし、争う気持ちや痛みを消してゆきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幾重にも重なる世界

先日、霊魂の話を書きました
 
先日の霊魂の話を読んでいない方は こちら ←ここをクリックしてください
 
霊魂というのは 人間の意識のエネルギーです。
 
空(くう)の観点から見ると それは実体のない幻想 ということになりますが、
波動というエネルギーは私たちを揺さぶってきます。
 
空気は実体(形)がありませんが、 風は明らかにエネルギーと力を持っている というのと 同じようなものです。
エネルギーを無視してこの肉体を持つ命を生きる事は不可能です。
 
ただ、その波は 物理的には存在しなくても 念という形で生み出すのも 人間自身です。
 
意図的か意図的でないかに関わらず、起こしてしまう このエネルギーの波を どう取り扱って
生きるバランスを取るかは 私たち肉体を持つ者の課題でもあるのです。
 
いろんな層の世界を理解して それらのバランスを取る(心の安定を保ち幸せでいる事)は
身体というサーフボードに乗って 大波を遊ぶようなものです。
 
体感(体幹)を磨いて 中庸 という 安定の波形を保つ
どんな波の中でも悠々と自然を満喫する 生き方の技術 であります。
 
いろんな層の世界の いろんな観点を それぞれに知っていくと
全ての層が 一つに一致して この宇宙が全てを含んだ一つ と感じ取ることができるのです。
 
 
先日のお話は ちょっと続きがありまして、明日はその話題を掲載します。

能力の開発 心を開くこと

本日、第3日曜日は1日瞑想会の日でした。 

今年最後の瞑想会です。

いろんな気付きのシェアなどがありました。

瞑想で 気づきを得たり、意識が変容するのを体験すると 瞑想のすごさを実感して ますます瞑想に興味が湧いてきます。

 

体験での気づきは 体験しないことには実感できないので 口頭でお伝えすることがなかなか難しく伝わらないことがもどかしい

というお声もありましたが、

無理に伝えようとしなくても 大丈夫

むしろ 伝えようとしない時に 無言のうちに伝わる という新たな体験も経験するようになります。

 

今日は瞑想会でも出てきた話題の一つを書いてみたいと思います。

瞑想を習慣化すると能力が上がる というのは本当です

蓄積されたストレスが減ってゆき、緊張しすぎた体が緩んでほぐれ、 実力を発揮することができるようになります。

意識が瞑想でクリアになると 集中力が増したり 持っている感覚がより敏感になっていくからです。

 

特にどの感覚が発達していくかは 個人差があります。

 

人は元々 それぞれに持っている長所が違います。

長所ってすぐ伸びるんですよ。

なんせ得意なことは苦労しなくてもできるので、本人が機嫌がいいだけでどんどん伸びていくんです。

やればやるほど面白い、楽しい、集中できる、ほめられる、気分がいい

 

じゃあ、欠点は無くなるのか??? 

そこが問題だ!と思っている方 ・・・

 

そこが問題 なんです。

 

自分自身にできる事とできないことがある ということも受け入れていくことも

悟りの一歩なのです。

 

瞑想で思い通りの世界をすべて実現する  わけではないのです。

瞑想を重ねていきますと、あるがままでOKになっていきます。 思い通りにしなくても 満たされる毎日を過ごすようになるのです。

そもそも思い通りにしたいと躍起になることがなくなります。  そのままでもOK  だと感じるようになるのです。

このリラックスと余裕が あなたの能力を最大限に発揮させるのです。

今まで自分を追い詰めてきた劣等感や罪悪感は  無意味 ということに気付き始めるのです

誰かみたいに生きる必要がない。

あなた自身を生きます。

 

人間のマインドは ついつい欠点をどうにかしたい ということに気を取られてしまいます。

周りと比べてできない という劣等感は強い感情です。

それをなんとかしないと愛されないのではないか?? という幻想を持っています。

 

それは子供の頃 お母さんが残念そうにしたり、そんなんじゃだめ!って言われたり 先生に注意されたり、

お友達からからかわれて恥ずかしい思いをしたり、 という反応が体に残っていて

うまくできない = 愛されない という不安につながってしまうからです。

 

コンプレックスは感情の中でも一番自我を振り回す厄介者でしょう。

愛されないかもしれない という幻想は あなたの頭の中にしか存在しないにも関わらず、

その思いが現実を作り出す という面倒な作用を起こしてしまいます。

 

もし、あなたの欠点が許されない と 感じているとしたらそれは 

あなたがその欠点を許さない ということなんです。

もしあなたの隣に その欠点を持った人が来たら あなたはそれを許さない ということ

あなた自身の中に その欠点がある人がいる その時

あなたはその個性を許してあげてください。

そうすれば 人もあなたをそのままで愛することができるようになります。

 

まだ世界は100%の人が悟っているわけではないので100%の人に愛されるということはあり得ません。

誰も愛せない人だっています。 それもそのままであるがままでいさせてあげましょう。

 

あるがままで許される世界は あなた自身が作るもの なのです。