生きる

揺さぶり

今年は波乱の幕開けでしたね。

元旦の地震のニュースは日本中にも激震をもたらしました。

被災された方々へ 心よりお見舞い申し上げます。

なかなか災害救援などが届きにくい地理でのことだそうで

この寒い時期の被災、どれだけご苦労の多い事かとお察しいたします。

一刻も早い救援や安全な生活の再開を願っております。

このような大きな揺さぶりや犠牲は 災害地域以外に住む人間にも揺さぶりをかけます。

これらは決して他人ごとではありません。

いつどこで誰が被災するか などわからないからです。

これはそれを恐れたり 不安になったり 苦しんだりしろ ということではありません。

それだけ私たちの平和など 永遠ではない という自覚が必要だということです。

今在る幸せは永遠に約束されたものではない 儚いものなのです。

私たち人間の命は 限られた儚いものです。

その人としての命をどう生きるか 問われているのです。

何事かを成し遂げろ という意味ではありません。

命を大切に生きているか? と問われているのです。

私達の意識が この身体に居る時は、ありとあらゆる制限があります。
身体から抜けてしまうとそうではありませんが、

身体にいるうちはいろんな制限があり、出来ることには限界があります。

でも、だからといって、つまらない生き方を我慢しろ というわけでもない。

あなたにできる最大限の喜べる生き方をしていい 

身体はともかく、物質的に自由になるものが少ない と 嘆いている方は

自分自身の可能性にまだ気付いておられません。

物質に依存してぬくぬくと生きている間は自分の可能性に気付けないことも多いのかもしれません。

だから、いろんな予想外の体験を経て、本当に大事なものは何かに気付き、

自分の真の可能性に目を向けだすのです。

人生がひっくり返るような衝撃的な出来事を経て、多くの魂たちが目覚め始めます。

その魂たちは 新しい世界を創り出して行くでしょう。

多くの人が助け合える可能性を使い始め、人が支え合う強さを認識するのです。

この文化は日本はとても発達しています。

先の東北の震災でも、熊本の震災でも 大雨の被害でも人々は助け合って再スタートをしました。

愚かな方法は捨て、愛あるコミュニティーを作っていくのです。

些細なことにこだわることを手放し、

本当に大事なものを見据えていくのです。

次世代の若者にエールを送りたいです。

新しい世界を作るのは優しさを知っているあなた方です。

どんなサポートができるのだろうか?と考えたりしていました。

私は未来の若者の生命力と感性を信じています。

あなた方は大丈夫だ 自分を信じろ とお伝えしたいです。

逞しく 優しく。

古い観念を打ち破り、自由で 愛に溢れた 世界を作ってください。

大人は全力でサポートを。

愛に気付くだけで拡がります。

人間はまんざらでもないのです。

 

生きる

遅めの夏休みを過ごしていました。

楽しい時間はあっという間に過ぎていきますね。

と言っても、最近は何をしても時間は早いです(笑)

台風12号の後、空気が秋っぽくなっています。

高齢の父の世話をするようになって10ヶ月ほどになります。

父は25歳年上なのですが、親を見ると25年後の自分を想像してしまいます。

父は自分の親の介護は全くしなかったし、遠くに暮らしていたので、
自分が歳をとることを想像していなかったみたいです。

認知症なのですが、なぜ 自分が今こうなっているかよくわからないみたいで、
まるでずっと働けるつもりだったかのように話すので、
これは本当に考えて来なかったのか、ボケたせいなのかよくわかりません。

以前の父がどうだったかを思い出してみても、
元々 かなりいい加減だったので 年齢のせいだけじゃない気がしますが、
いまとなっては どっちでも一緒です。

ただ、自分もいずれそんな感じになるかもしれない という可能性だけはあるんだということが分かります。

これは恐れているわけではなくて、
生き物としては避けて通れない宿命みたいなもののように思います。

そう、歳をとる ということ。

みんなが平等に歳をとりますが、肉体年齢に関しては個人差があるので
ちゃんとメンテナンスはしておいた方がいいな と思うのです。

瞑想は 身体の機能を整えますので 健康を保つのにはとても良い習慣なんです。

それだと瞑想をしていない父と 瞑想をしている私とでは 差がつくかもしれませんね。

それでも、少しづつは歳を取っていきます。

機能は使っていると活性化するので 身体も頭も働かせるのがいいなと思います。

感情は極端すぎず、適度な抑揚があるのがいいと思います。

刺激が大きいと感じる方は 心が若いのかもしれません。

どんな体験もダイナミックなものです。

反応するということは生きているということですから。

人生はどのように生きても構わないのです。

あなたが望んで あなたが幸せなように生きてください。

それにはいいも悪いも 本当は無いのです。

いいじゃありませんか、

いずれにせよ 生きたいように生きてきたのです

今からはもっと生きたいように生きていいのです。

手持ちのコマとかカードとか駆使して生きたいように生きましょう。

出来るように生きればいいのです。あなた以外の誰も
それを責めることなどできません。

今の身体で生きている時間は意外と短いものです。

だけど、この体が老朽化して終わっても 私たちの魂は消滅するわけではありません。

命はずっと続いて私たちは命として続いていくのです。

また生まれる地球を住みやすい所にしておきたいものですよね。

美しい地球に生まれてよかったと。

自分の荷物

私達一人一人が自分の人生を生きるために
それぞれの課題を引き受けます。

これはあなたがしたいことに対する課題です。

自分のハートが望むように
あなた自身が自由に選択できることを
選んでいくのです。

その時 あなたが背負う荷物に重さは感じません。
なぜなら、あなたは希望に向かって喜びの方向に向かうからです。

それはドキドキワクワクするものであなたは内側にパワーを感じるでしょう。

もし、あなたが背負っているものにひどい重さを感じたなら
それは貴女の荷物ではありません。

他人の荷物を背負っている時、
人は苦しさや重さを感じます。
背負わされている、あるいは足枷や重りのように感じるでしょう。

それらの重い荷物は手放した方がいいんです。

もし、それらの荷物をあなたに背負わせている人がいて、
あなたが荷物を降ろしたらその人たちが困る という時は、
あなたは他者の荷物を盗んでいる ということになります。
人の荷物を背負うことはできませんし、盗んではならないのです。
それらはその人たちの学びなのですから奪ってはいけません。

自我の意識は、学びをさけたがります。
そんなの誰かほかの人がやってよ。自分はラクチンがいいな~ って自我は思います。
でも、それは夏休みの宿題が終わっていないのと同じです。

それは自分でしないといけないんです。

宿題をやっていなくて困るのはその本人です。
宿題は自分でやらなければなりません。
何のために?本人の魂の成長がかかっています。
依存的に生きることから自分で人生を切り開いて自由になる課題です。

あなたの力でそれができるのです。

足らないのは経験だけ。

それには一歩踏み出して外に出るしかありません。

誰も助けてくれない、だれも協力してくれない なんて決めないでください。

あなたが自立しようと決心した時から、あなたのサポートたちが発動します。

あなたが踏み出さないかぎり動き出しません。

他者の力によって得ていたものは失うかもしれません。

でもあなた自身に大きな力があることに気付くでしょう。

あなた自身のサポートと大いなる存在の後押しを見た時、あなたはとても感動するでしょう。

そんな感動的な体験を他者からも奪ってはならないのです。

あなたは やりすぎている手助けから手を引いてください。

ただの便利屋で感謝もされず文句を言われるのは もう沢山 って思っていいのです。

あなたはあなたの喜びのために動きます。

あなたは見返りを求めてはなりません。

本当にしたい事だけをしてください。
本当に自分の責任でしようと思う事だけをしてください。

自立した人生は時に孤独です。
でも、独りぼっちではありません。
多くの自立した魂たちと共に在ります。

あなたは1人ではありません。

あなたを自由にしてください。
鎖から解き放たれてください。

奪う人ではなく、本当の愛になって見守る存在になってください。

家族の学び

親子関係の学びについて考察してみました。

先日、娘に子供時代に傷ついた話をされて上手に対応できなかった話を書きましたが、

最近、父の前で妹が泣いて部屋を出て行ったということがあったそうで、
妹がなぜ泣いたのかがわからず、父がとても困惑している ということが起きています。

同じやん。。😅

私の父はたぶんとてつもないノンキ者と言いますか
たぶん、かなり鈍感な人なので、妹が両親の板挟みになってたことがよく理解できないんですよね。
自分が落ち込んだり、他人のことで心を痛める ということがあまりない
良く言えばスーパーポジティブな人なので、人が苦しむ ってことになかなか共感できないっぽい。

妹は私なんかよりもとても繊細ですから、他者がどう感じているかを察する というより被ってしまうのでとても辛かったと思います。
私などは、親の問題は親の管轄、私には関係ない とスルーを決め込むことができたんですが、
妹は私よりも両親に近い位置で生活していましたし、振り回されることも多かったですから可哀相でした。
感受性は変えようがありませんしね。

ここのところ、私の長女の主張と全く同じなんですが、
親側の視点から言いますと、当時はそれでも一生懸命生きてて、それでも最大限に頑張ってた・・・としか言いようがなく、それ以上に自己犠牲も払えなかった(情けないのですが)
方法がわからなかった のかもしれません
これはもう「力不足でした、申し訳ありません」 としか言いようがない。

でも、本人には自分を守るためには強くなって頂くしかありません。
代わりに苦しみを背負ってやることはできないんです。
仕返しされたところで (本人のためにも) 何の解決にもならないし。

同じような思いをしている方は年齢に関わらず多くおられると思います。

両親は、年を取れば取るほど、変わるのは難しくなります。

もしご両親が若ければ、決裂することも覚悟でぶち当たった方が私はいいと思っています。

もしそれができないなら、離れても生きていけるように自立した生活をしてください。
何らかの依存がありますと、離れられなくなりますし、依存関係はそうやって依存するように作り上げられたりしがちです。
傷付けられるところに長居してはいけません。

私は依存から離れたかったので30代に入って、父から給料を出してもらう仕事はやめました。

親にとっては娘の生活を心配しての援助のつもりだったかもしれませんが、
それが娘の人生の重荷になっていました。

成人した子供は自立させてください。

親御さんが頼りないと思えるご家庭は幸いです。
子供は自然に自立します。
子供には愛情さえあれば良いのです。

親が子供の人生を支配コントロールしては、ろくなことになりません。
いつか それらはひっくり返される時が来ますし、復讐されちゃいます。

私自身は、不思議なことに30代の終わりに、あるセッションを受けたのが原因だと思いますが、
夢に出てきた父が私に謝ったことで父への怒りが消えてしまいました。それ以来、過去の怒りは起きないんです。その時に夢で泣いて解放しちゃったんでしょうね。

父と母がうまく行かなかったのは父だけが原因ではないし、
どの人と夫婦になるか というのも宿命ですし、人生の学び と思いますので、
恨みで終わらせてはならない という風に思っています。

そういう意味では怒りの気持ちを手放せなかった母の方が学びを終えられなかった と思っています。彼女は来世で学びの続きをすることでしょう。でも、亡くなって魂になった母は本当のこと答えを分かっているとも思います。
今の魂だけになった母は自由になって昔の事なんか忘れてる気がするんですよね(たぶん)

身体を抜ければ皆 本当の事が分かるそうですよ。

だから、恨み苦しむのはこの体にいる間だけですし、その恨みも、カルマを解放しきってしまったり、学びが得られて愛を見つけられて赦せたら、怒りはなくなるのです。
魂は怒りは持って帰らないけど、現世に置いて行きますけどね。

人は皆 愛で繋がりたいのに エゴが前に出てくると奪い合いになってしまいます。

愛だけを出す人が すべてを愛に変えていけます。

それが分かってからは迷いません。
自分が出すものは愛だけで十分です。

もちろん、身体にはエゴはありますから、エゴの感情は湧き出します。

でも、わかっているなら、何を出すかを選べます。

怒りが出てきたら、それが消えるまで待ちます。

怒ったっていいんです。解放が終わらなければ消えません。

妹はとても優しいんです。
父も本当はとても優しいんです。

母はとても愛情深い人だった。だけど生い立ちが辛かったので孤独だった。

人間には愛する余裕がなくなる時だってあります。

誰も最初は愛しかありません。
でも、いろいろ恐れるようになって 愛から離れてしまうのです。
自分たちがこの世界から愛されていることを忘れて 孤独になってしまうのです。

もしあなたのご家族が愛を忘れてしまっている人なら 離れていいのです。

心配することはありません。

私たちは生かされ、愛されています。

また、人を生かし、愛する手となって動くこともできます。

愛に溢れた人は 本当に幸福なのです。

 

盛夏 娘との対話

今年の最高気温が日々更新される今日この頃ですが、みなさま大事ありませんか?

暑い日はあまり何もする気になれない日々ですが、
やらないといけないことは色々で 暑さを振り切りつつ重い腰を上げております。

この週末は娘たちと関西に行ってきました。
母娘で旅行なんて何年振りでしょうか。

ここしばらくはじっくり話をする という機会もあまりなかったので、久しぶりに娘の話を聴きました。

娘はこのところ自分自身と向き合う時間を多くとっているようで
自分のウィークポイントやトラウマなんかとも向き合っている様子。
解放には必要なプロセスですので 良い傾向だと思って聞いていました。

で、

話を聴きつつ、、おっと、育てたのは私だった。
そうそう、上手に育てられなかったのは この私、

トラウマの元も、カルマの出所も 私です 😱

聞き分けの良い子だと思っていたら、随分と我慢してきたそうで、

なんともはや、申し訳ない限り。😓

当時の未熟な私が、そんな幼子の気持ちを察してやる度量も余裕もなく
いろいろ、ずいぶんとトラウマになっている模様。あちゃ~、そんなに寂しかったの。
我慢しなくてよかったのに。。。😢

解放だから と スルっと聞こうとしましたが、ジワジワとボディブローのように効いてきます
原因を作った張本人なので、「ああ、可哀相にヨシヨシ」とハグするなんてこともできず固まる
ほぼ ガマの油状態に 😨むむむ。

当時を振り返ってみると、30代の私は「子供のために死なないで生きていく」って感覚で
死にたくなっても それだけはダメ って思って生きるのが精一杯なほどひどかった時もありましたし
理想的な子育てなんて言えないし、できないことはできないし、、
ダメダメですよ。マジで。たぶん。
本当にどうしたらいいかわからず 途方に暮れていた時期。。

これはひとえに私のカルマ(過去のネガティブ感情の記憶)のせいなんですけど、
まずはそれを解決するのが一番の課題でした。解決策も試行錯誤もいいとこで。

寂しい思いをさせてしまって本当にごめんなさい。ほったらかしたわけではありません。
夫と価値観が合わず 話が通じなかったので、私自身が孤独だったのです。
わかってる。わかってるよ。そうなんよ。でもそれしかできなくて、過ぎた時間も戻らない。
ついた傷は癒すしかないのだけれど。

長~い時間がかかったよね、寂しかったことに気付くにも時間がかかった。
気が付いた時はあなたたちは大人になって、私のカルマの残りも引きついでいる。
私の所に生まれて来ちゃったから。
でもそれは 私のせいでもあなたのせいでもだれのせいでもないの。
そういうめぐりあわせなのよね。

あなたたちが成長して一人の人として生きていくのに、代わりに傷を背負ってあげることはできないの。
他人にでもそうだけど。どんなに腹立って仕返しなんぞをしたとしても、終わらないよね。
貴女の傷は貴女のものなんです。
それは あなたの魂が引き受けた あなたのカルマ。過去の感情の記憶
これは、代々、親から子へ 受け継がれていくんだけど、一人一人の魂に与えられた課題なの。
そのカルマを乗り越えて終わらせていくことが。
でもそれはあなたを大きく成長させるものでもある。

私は、出口はこちらだよ ということは言えても
そこから歩いてくるのはあなたにしかできない。
自分のやり方で自分の足で前に進んで 過ぎ去らせて手放して 終わらしていくしかないんです。

それは全ての人に平等な法則。
終わらせよう って思わないと 終わらない。

だからこそ 自分でやりたいなら尚更、気が済むまでやってみるといいよ。

どんな感情も もういいわ と思うところまでやり切れば心残りもなくなるから。
とことん よ。急がば回れ って言うしね。

あなたがそれを使おうと思わないかぎり
答えを書いた本も開かれない。

私もだったけど、自分が気が済むようにしないと身にならないもんですよね。
早く良いきっかけと出会えますように。

祈ってますね。

人生を幸せに生きるもそうでない方も自分次第だったということに気付ける時が来るんです。本当の意味でね。

カルマさえ解放しきれば終わります。
一人一人が自分の担当のカルマを終わらせるだけでいいのです。
あなたが望めば、それは生きているうちに終わらせられます。。

自分で幸せを掴んでください。

近道くらいは知ってます。
経験だけは無駄に積んでますから。

娘が色々言ってくれたおかげで 新しい境地がわかりました。

私の母の気持ちをリアルに体験することができました。
おかあさん、あの時は随分困ったろうね。身の置きどころないよね、ごめんよね。よくわかったよ。
一生懸命育ててくれてありがとうね。私のカルマは終わったよ。おかあさんの分もね、

生きる

「何のために生きるのか?」という問いかけを考えてみたことがありますか?

世間では割とよく聞くんですが。

自分も若い頃はそんなことを考えたりしてたみたいです。

何か目的とか成果とかが無いと生きている意味がないような気がして。

でも、悟りが分かって来てからわかりました。

人は、生きるために生きているんです。

生物としての命を紡いでいる、つまり、後世に「名」じゃなくて「種」を残すために生かされてる。

でも、環境に適応しなかったり、生存できる場自体がなくなってしまうと絶滅しちゃうんですけどね。その種は。

その代わり、別の種が命を紡ぎ続ける。

地球が消滅したら、種どころか生命そのものが絶滅しちゃいますけど、その場合は、生が滅んでも 命はのこるみたいです。

そう、魂。

記憶じゃないですよ。魂 というか 命の源。

人間という生き物としては、何か特別感のあることに執着して活動したがりますが、

別に特別かどうかなんて 本当は大した意味もありません。

たまたま、担当した魂がのっかった身体についた名前で (人間界の) 記録に残るかもしれないですが、それも人間という種が生きている間だけの記録ですし。

どの個体がそれをやるかなんて、個体が決めることじゃなくて、条件がそろったところのそれがやり遂げるだけなんだろうなぁ。

そうそう、なんといいますか、2億くらいの精子のなかから1個だけが卵子に到達するのと同じような感じで、その他大勢もじつは必要な存在。

廃棄されるその他大勢に意味はないのかというとそういうわけでもないのです。

特別な1個になろうとして成れるという訳じゃない。

到達した特別な1個が 必ずしも幸福に生きられる ということでもないし。

すべてが、生きるために生かされている存在なので、

本当は生きたいように生かされている全員が実験的な存在なんじゃないか と思うのですが(笑)

意識と身体すらも同一ではないことに愕然としている自我。

もうコントみたいで面白いですよね。

思い込みに縛られてみたり、勘違いしたり、方向性間違ってみたり

いろんなチャレンジしてるんだなぁ って感心します。

魂はいろんなバリエーションを体験したい。

ならば、やりたいようにやってみるのが一番。

私が面白いなぁ と 思うことは、何にしたって因果応報で

自分がしたことの結果は自分で受け止めることになる世界で生きてる ってこと。

そう、欲しいものを創り出すのは他でもない自分自身なんだということに気付いていくこと。

この世界にはヒントが沢山。

まだ気付かないとしたら、それはまだ思う存分体験を済ませてないってことなんでしょうね。

本当に生きたいように生きてください。

誰のせいでもないし、あなたはあなたの思い通りにしか生きられないのです。

閉じ込めているとしたら あなた自身かもしれませんよ。

 

ハートはあなたの羅針盤

心の向かいたい方に。

 

人間の光と影

人間はいろんな面を持っています。

やさしい心(愛) と 悪魔の心(憎しみ)

それは誰にでも多かれ少なかれあります。

どちらかだけしかない ということはありません。

どちらかが出ていないとしたら、

出ていない方は隠れています。

善良に生きているつもりで、自分の中から黒い感情が出て来てびっくり ということもありますし
その感情が黒い という事に気付かない時もあります

それらは生き物としても様々な反応として出てしまうんですね。

出てくる時はでてきてしまいます。

黒い感情は重たいですね。ぶつけられたらダメージを負うことも多々。

そんな負のエネルギーは人に向けない方がいいのですが、もし向けてしまった時は

「今のは取り消し!」って発信してくださいね。「あんなこと言ってごめん」て言えたらナイス!

自分がもらっちゃった時などは、とっとと手放します。
「これ、要りません。」って、ポイっと投げちゃえばいいのです。誰にも渡さなくていいし。

そんな黒い感情はカルマです。どこかから回ってきたカルマのエネルギー、
それは拾わなくていいし、世話もしなくていいです。
傷付いてしまったら、傷を手当しましょう。
仕返しなどしなくていいのです。

もし、うっかり被ってしまった時は浄化が有効です
癒されればいいのです。

すぐに瞑想してもいいですよ。瞑想は浄化ですからね。

誰かが何か言ってきた時、それが受け止めにくい事だと感じたら、
受け取らなくて構いません。
この情報は私は要りませんと 跳ね返していいのです。
人の言う事が真実なのではありません。
もし当たっていることだったら 自分を改善するだけのことです。
できなくても恥じることはありません。

もし私が変わらなければならないとしたら、
それは自分自身の内から変わりたいと思う時です。

もし、支配を感じたら そのエネルギーからは離れましょう。

心の中で距離を置くだけでも違います。

あなたはあなたで良いのです。

何者かになろうとはサラサラ思っていない方↑自然体でOK人間も自然に生きていいんです。そういう生き方もある。

あなたの時間はあなたのもの。
したいかしたくないか 自分で決めていいのです。
それは本当は出来るんですね。

 

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季節のうつろい

雨と晴れのギャップが大きい今日この頃です。
梅雨が明けたらギンギラ太陽の季節ですね。今日も世間ではいろんなことが起きています。

衝撃的なのは芸能人の方の自死のニュースで、
画面でよく拝見する方が亡くなると知り合いやお友達が無くなったようなショックを感じたりしますね。
思い入れがあったり、親しみを感じている方の突然死はショッキングです。

私のごく個人的な反応なんですが、
最初、衝撃を受けて、しばらくすると 「そもそも死って何だ?」と考え始めます
普段は、生物はいつかどこかで死ぬものだ と 思っていて
自分の終わりに関しては至ってドライに考えています。
「思い残すことはあまりないし」とか「死んでしまって残念とはもう思わない気がする」なんてことを考えたりしてます。
やりたいことはおおかたやってきたし、出来なかったことに関して 執着が残っているわけでも無し。
何かを残したい なんてことも思っていない。
そもそも、元々「生きたい」が薄かったからというのもあるのですが、
若い頃は生きること自体が苦しいと思っていたのでその苦しみから逃れたいという気持ちで
よく「死にたいわ」などと思っていたりしたのですが、実際は死ぬことは身体の方が全力で嫌がるので
実行不可能でした。
よく自傷行為をする若い方がおられるのですが、
私の身体は自分の皮膚を傷つけたり自分を殺すことにとてつもなく大きなブレーキをかけて来るので
そういったことは実行不可能でした。体が固まってしまうのです。
なのでその頃の私は仕方なしに生きていました
なので私にとってはそれほどの事を実行できる人ってすごいな と思っちゃう。怖くなかったんだろうか。
それとも怖さを感じる部分も麻痺してしまって?

これは その時は勝手に体が感じることなので 本人もどうしようもないんだろうけど。
カルマが集まっちゃう(袋叩きに遭うのはそういうこと)が カルマの犠牲者を出すということ

で、かつての自分が 何がそんなに生きづらかったのか?と思い返してみると、
自分自身の存在を全く価値のないものだと思い込んでいて、私自身を誰も愛さないだろう と思っていたようなんです。

根本的には愛されたかった、でも否定されたと感じている部分がそれを理由に愛されないと勘違いしてしまう。

そんな愛されない自分が嫌い と思い込んだ。なぜか。

思い込みの中で自分の理想を作りあげてしまい、 その自分の理想に程遠かった から。

後から考え見るとこれは ただの無いものねだりで、自分に欠けていて人が持っているものをうらやんで
欲しがっていた という事のようです。

でも、この場合の理想のものというのは、表面的なものしか見ていないので、
実際それをやってみるとその裏側の大変な部分とかデメリットを見つけては驚き、「これじゃなかった!」ということになって

また別の憧れに変更するので、まるでシャボン玉を掴むようなことを繰り返しているだけでした。

本当はどれも良し悪しがあって、生き方が上手な人は「悪し」の部分をクローズアップしないだけだったり、
人によっては隠しているだけだったりするんですが、
自分が表面的にしかものを見ていないので 良さげに見えている誰かさんみたいになりたい なんて願望をもってしまうわけです。

たぶんかつての私だけでなく この世界のけっこう多くの人々が 表面的なものに惹かれ
それが無いと自分を嫌っている 

これは幸せになるためには とても間違った方法です。不満しか生み出さない。

愛されたくてより良くなりたいのに、愛されにくい生き方をしてしまう・・・(;´∀`)
これは内側にあるカルマのエネルギーに突き動かされていることも原因の一つです。

難しいことを考える必要はありません、

幸せになりたかったら、工夫して自分を愛して大事にしてあげてください。
それができたら、次は、あなたを取り囲む環境へ愛を向けてください。
あなたが見る世界、見る人々すべてが あなたの環境です。

大好き って思わなくていい。

それをあるがままにさせておいてあげるだけでいいのです。

よしよし、好きなようにしてごらん。やりたいようにしていいよ。

理想通りでなくても 愛していいし、変わりたくないものを変えようとする必要はないです。
あなただって変わりたくないのに変えようとされたら怒るはず。
もし、協力してほしければ、まず仲良くなったり、相手を理解することが必要です。
そうしないにはそうしないなりの理由が本当はあるからです。
全てがあなたの私のルール通りになるものではありませんし

そもそも、一人一人のルールが違うのですから
世界や人を支配することは本当は不可能なんです。

思い通りにならないこの世界を どう楽しんで生きていくか が 課題です。

面白くないことばかり考えていても 何も始まりません。それはちょっと脇に置いておいて
滞りを突破する方法を一緒に見つけていきましょう。

ネックはまず、自分をしばる自分自身、自我の意識にあります。

仲が悪いなんて誰が決めたのかな?
沢山の予想外を作っていきたいものですね。
嫌っていたものと仲直りしてみませんか?
ただ在るがままを認めて、あるがままでいさせてあげるだけでOKです。
あの人もあなた自身も。

 

本当のことはシンプル

ところで みなさま、

口数、多い方ですか?少ない方ですか?

私は たぶん 口数は少ない方なんだと思います。

が!! 時々めちゃめちゃ喋りまくります。

興味あることは頭の中に情報がいっぱい!いくらでも話せますよ~
マニアックな内容でよければ。

でも興味の無い話題だと もう露骨にスルーとかしてて失礼極まりない奴かも。

口数もシチュエーションによって 極端。 かも。

 

たまに おしゃべりな人を見ていると、なぜそんなにしゃべるのか?

すごく不思議になる時があります。

何の必要があってそんなに?? (どうでもいい)話をしゃべり続けるのか
 

誰もそんな時 理由は考えてないんだと思うんですが、

たぶん それぞれ理由はあるんだと思います。

あることを思い出しました。

その昔、自分が20代の頃に思ったことがあった・・・

当時の自分は 人が自分を理解してくれるのかどうか というのが

ものすごく重大なことのように思えて、他者に対してそれを試すようなことをしたり、

自分のことをよく理解してもらうために自分のことを語りたがる ということがよく起きていました。
(必死でやっていた というか、しかも話を聴いてくれるのかどうか から すごく気にしてた)
 

でも、聞いてくれる優しい人がいたとしても、やってもやっても「これで良し」と思えたことがなく

際限なく 手ごたえが無いアプローチをし続けて疲れ果てる などということが起きていました。

めっちゃ 面倒くさい構ってちゃんですよね(苦笑) 相手もそのうち嫌がって来る(苦笑)

で、ある時気付いたんです。

「あ、誰も自分のこと以外にそんなに興味が無いのかも?」

詮索好きは 面白がっているだけかもだし。

「人がどうしてこうして、、なんて ホントはどうでも良くない?」

欲しいのは単に刺激だけ?

「本当はそれぞれが好きにできればそれでいいだけで、何がよいかなんて他人が決めることじゃないし」

他者に禁じるのは 自分に禁じているからで。

「私はどうなの? とか 私ってどうなの? って

割と気にしがちだけど、 そんなのも、本当の所は

『私は愛してもらえるんでしょうか?そうでないんでしょうか?』
という質問に尽きる ってだけで

しかも その答えは 「相手次第」」

そだよ、そんなものコントロールなんてできないし。

愛してもらう事ばっかり気にして誰も愛してない人を 誰が愛するのか? って話。

そこまで気づいて、それまでしていた人を試す行為がいかに無駄だったかを 思い知るのである。。。

でも、それをしていた頃は行動も無意識の衝動で起きていたので

気付いて初めて 無駄な行動へのモチベーションが消えた(カルマが消えた)ってっことなのかもです。

人って 無意識の衝動にけっこう振り回されてますけど

無意識の意識に気が付き始めると、全ての人はかなり共通していることがわかります。

なるほど、人間てそういう生き物なのか・・・

本当の理由を見ないために必死でいろんな脚色してストーリーを絡めて正当化したり誤魔化したり。

もがいちゃってるんですよね。自我が。思考が。価値観が。世界観が。

でも、自分と同じように 他者も気付いて行動が変わる ってことが起きる ってことですから

衝動的に何かを必死でアピールしなくても 本当はみんな

平和で穏やかに 他者と信頼関係を繋いで生きていくことができる。

 

色んな人が気付いて行くと 世界中に信頼が拡がる。

カルマも自然に消えて行くのですよね

今はそういう時代がやって来ています。

面白い時代になってきた。

まずは そのままの自分で充分いいよ ってことを 気付くことですよね。

ほんと、一体だれが否定入れちゃったの? そんなもの 要らないんです

生きてるだけで素晴らしい。

好きな事をすればいいんです。

そのために考えよう。

どうすれば 面白いか。

どうすれば幸せか 

今の時代はヒントがいっぱい! \(^o^)/

楽しんで ♪ (*´▽`*)heart01

ゆずくん

 

為すがまま

コロナの経過は 鼻炎がちょっと治まってきました。

体調はまだ疲れやすい というか眠くなりやすいです。

そういう時は我慢しないで寝る。

胃腸が回復して食欲が通常モードに。

食べすぎないように気をつけねばです(笑)

 

身体って 自分のもののようで自分の思い通りにはまったくなりませんね。

こちらが身体に合わせないとうまく付き合っていけません。

不健康な時は自分のエゴは押さえないと、生きるのが困難になります。

健康な時はついつい身体にも無茶させてしまいますが、身体もまた 奴隷ではないですし

大事に使うことを考えないと壊れてから後悔します。

特に他人の身体は 体感がありませんから無神経になりがちですけど

頑張ればいい ってもんでもなくて あなたにできても相手にはもう限界を超えてたりとか

ありますから、できるようにやればいい ってことを理解しておきましょう。

特にエゴは 自分ができることは他者もできる なんて思いがちです

そうではありません。

こんなことくらい って思って自分でもできないことがあるくらいなんですから

なるようになる自然さをだいじにしていきましょう。

無理な努力の結果 無理な結果を作り 維持に注ぐエネルギーが無い なんてこともよくあります。

無理な努力の先は希望ばかりではありません。

自然の調和はバランスがとれています。

過剰な荷物は降ろすに限る。

何も無くても安定していて生かされる 

そんなところを生きたいものです。

欲張らない身軽な安定。 本当はみんなできるんだと思います。