生きる

光陰矢の如し

2021年も残すことろ2日となりました。

1年は早いものです。

忙しすぎるのをちょっと何とかしたいと思いつつも 妹の病院通いをヘルプしていると

やはりそうも言っていられない今日この頃です。

妹が癌になって会ったり話したりすることが増えました。

今は抗がん剤治療中なので 身体がキツい様子。外出するとすぐに熱を出してしまうのでハラハラします。

私はそんな大病を患ったことはないのですが、子供が小さな頃の子育て中は大変だったので
母がよく家のことを手伝ってくれていたのを思い出します。

妹の家に行くと 私は母がしてくれたみたいなことをします。

今は母がもういないので 私が妹の母親みたいな感じです。

10歳も年が離れているので尚更かもしれません。

姪っ子は高校生で とても性格がいいので可愛いです。

私や妹の代は機能不全家族で色々悩み多き というかカオスな青春時代でしたが

姪っ子や私の娘たちはいたって健全に育ってくれたので 本当にありがたい限りです。

これも瞑想やスピリチュアルのおかげだなぁ と 大変感慨深く思います

親が心安らかになることがどれだけ子供の人生に良い影響を与えるか

これは多くの親御さん方に知っていただきたいなぁ と思います。

親は誰しも 子育てに苦労しつつ懸命に育てますが

最初は どう育てればよいのかがわからないのです。

幸せな家庭で育ち、今 とても幸せに生きている と言う方は

何も心配せずにご自分が育ったように 親御さんを見本にして子育てをされればよいですが

親との間に何らかの摩擦があって 素直に親のことをとらえられない 

なにがしかの 辛い思い出がある と言う方は

ぜひその心の傷を癒してください。

心の傷は癒えると 痛まなくなります。辛かった思い出も今に痛みをもたらさなくなってしまいます。

それはそんなに難しい事ではないのです。

ELM瞑想を続けているだけでも苦しい気持ちは徐々に消えて行きます。

自分自身が癒される必要があるのです。

それはELM瞑想で可能です。

瞑想をしながら 

教師と対話してください。

瞑想者の生き方をしてほしいのです

怒りを解放して手放して

内側にある怒りが終わってしまうと

平和で円満なあなたが残ります。

活発であろうと 物静かであろうと

繊細であろうと 大胆であろうと

機嫌良く日々を過ごすことができるようになるのです。

その温かい気持ちは 外部の出来事に左右されなくなっていきます。

それが啓発です。

喜怒哀楽は 天候と同じです

周囲とのエネルギーバランスが 西高東低の冬型だと 寒い気分?

みたいに あなたの喜怒哀楽はこの世界のエネルギーバランスで生み出されます

でも、ずっと台風のまま とかは 無いんですよ。

冬のままも 夏のままも 無いんです。

冬はやがて春になる。

季節は永遠に巡ってきます。

それを眺める意識になった時

あなたは全ての四季を持つ地球そのもののように 円満になるのです。

終らない永遠の命の一部であるあなたを見るでしょう。

今年も去年も来年も 常に 今を生きているだけの命の輝き そのものになります。

命を輝かせてくださいね。

何をしてもいいのです。

愛と喜びを原動力にする

人は 幸せを望みます。

表面上の意識では 幸せを待ち望んでいます。

どうしたら幸せになれるのか は人生の目標みたいになっています。

そして 幸せになるためにいろんな取り組みをしてみます。

安定した職業とか 地位とか 名誉とか 成功とか お金とか 美貌とか 恋人とか 配偶者とか 家族とか を

幸せになるために手に入れようとします。

しあわせになるためにはそれが必要だと 思い込んでいるからです。

その取り組みは成功するでしょうか?

その答えは いいえ なのです。

実際 そういう風に何かを手に入れる取り組みを続けて その条件を手に入れたとしても

あれ? なんだかまだ幸せじゃない ということに気付きます。

足らないものがあるから 私は幸せじゃないんだ と思っていたから それを手に入れたのに

実際手に入れてみて 最初はあんなに喜んだはずなのに

しばらくすると まだ完全に幸せじゃない ということに気付いてしまいます。

それは 何のせいだろう? と また足らないものを見つけてはそれを充足しようと取り組み続けますが

ある時、どうしても手に入れられないものを見つけてしまいます。

その時 人は「ああ、幸せの道は閉ざされた」と 思うのですが

ところがどっこい!

そんな絶望的な状況が 真の悟りの入口になるのです。

そう、この世界は思い通りにならない世界で 

私たちはこの世界を 思い通りにしなくていい ということに気が付くことが 答えだからです。

この答えを見つけた時は ビックリです。

「ゲ!今まで何をしてたんや!私は!」

「めっちゃ、無駄な努力やんか」

「方向性 間違えとった~~!!!」

「これじゃなかったんや~」

「違うものを追いかけたり、それじゃないものに執着してた~」

「あれほどに失うことを恐れていた あの恐怖は なんだったんだろう・・・」

「超 ウケる」「マジ、あほくさ~」

そして 青い鳥はすでに家にいました (最初から幸せはここにあった)

という驚きの発見をするのです。

 

あなたは どんな状況でも 命と体を持っていて生きている ということが あなたの恵みなのです。

でもまぁ、嫌な状況と言うのはありますね。

どこか不具合があって かなりの痛みが続いている という場合や 体調不良で気分がすぐれない時

そんな時はとても幸せなどとは思えません。

 

病気の時や不調の時は どうすればいいのか?

それは休むことです。

休養 ひたすら寝る とか。

いままでしていたことは 中断です。

治るまで 休む。

そうしたら生きていけない と いうのは昔の話で

現代の日本では 病気の人が餓死する必要はないのです。

沢山溜め込んだものが減る と 嘆かないでください。

この時のために貯め込んでいるのです

贅肉と一緒ですよ。ここで消費しなくて何のための蓄財でしょうか

預貯金が無い人のためには、人が生きられる法律もあります。

いざとなれば 何とでもなっていくのです。

もし それも心配 と思うならば 私たちはもっと政治に参加するべきでしょう。

もっと善くするのは他ならぬあなた自身です。

これまでの人々の努力は無駄ではありませんでした。

平気で人が虐殺されたり餓死していた時代は もう昔のことです。

死は 古い時代ほど日常ではありません。

 

いやいや、まだまだ改善の余地がある と 思うならば それも取り組んでみるといいかもしれません。

ただ、行動の原動力が 不安の場合は どこまで行っても

安心という結果は手に入りません。

不安は 不安でしかない。

それは形あるものではないのです。

あなたのエネルギー、波動。

 

もし、あなたが 幸せになりたいならば、今のあなたが 幸せであることを選んでください。

今 あなたが嬉しくなることをするのです。

幸せは与えられるものではないのです。

あなた自身が作り出したり、与えたりするものです。

愛 が あなたの幸せを何十倍にも増やします。

愛は もらうものではなく 与えるものです。

あなたから 愛が出てくるようになった時、

あなたの中には不安は存在しません。

愛と不安は両立できないものです。

愛は優しさと強さです。

あなたの意識は あなた以外の何ものかにエネルギーを与えます。

花に水をやるように。

 

花はいつか枯れますが その花を見るために水をやります。

肉体はいつか死にますが 生きてるうちは ごはんを食べて働いて日々を生きます

何があってもいいんです。あなたの人生に咲くものを体験してください。

物ではなく 体験が あなたの花です。

咲くように咲けばよいのです。

あなたの人生を楽しんでください。

工夫が必要かもしれません。

こだわりやとらわれを手放して。

菜の花畑

 

見えない檻から出る

人はしばしば 自分に価値が無いのではないか という不安にとりつかれることがあります。

なぜ? そんなのわからない 気が付いたらそんな思いが心の中を占領して苦しくなってる

その最中は出口がない穴の中をぐるぐるしてる。

そう穴の中にハマっちゃってるだけなんで そこから出ればいいんです。

なぜ 出られる気がしないのか?

それはあなたが作ったその穴は 幻想の檻だからです。

制限や物差しを沢山採用して作り上げた枠に 自分を押し込めて

苦しい って言ってるんです。

そりゃそう。苦しいの当たり前。 

ハマれないところに押し込めたら 命は苦しがります。

そう言えば、昔中国で 足が小さな女性が美人だ ということになっていて

女の子の足を布でグルグルにしばって足が成長しないように纏足する習慣があったようですが

縛られた足、どんなに痛かったことだろう って思います(涙目)

骨が変形するほどの拘束 人間のルールというのは残酷ですよね

それが最高の幸せを掴む条件だった なんて 本当に信じがたいことなんですが、

それが当たり前の時は 親たちが自分の娘にそれを強いていた ということが

本当に恐ろしいと思います。

現代の日本には 纏足の習慣はありませんが、

それに近い縛り、メンタルにおいての纏足的な制限って 少なくない

と思いませんか?

悪習に従う必要はありません。

それは近い未来には 愚かしい習慣 という認識に変わって行くでしょう

もし、あなたが それは無い方がいいんじゃないか と思うことがあったら

ぜひ そのルールを手放してください。

そう思っている人は決してあなただけではありません。

 

気が付く人が増えれば その文化は衰退します。

1人1人の認識が重要です。

残したい伝統は 新時代の文化には引き継がれるでしょう。

もし あなたが愛している文化が 衰退することがあるとしたら

それは 新時代には必要が無く

また、本当に大事な事ならば 必ず復活していくのです。

人は間違いを起こして、気付き、また大切なものを思い出す

経験してそれを学びます。

悪を憎む必要はありません。

それはただの愚かな選択の一つにしかすぎません。

それは経験して実感し 人は 本当に求めるものを知るのです。

あなたが今 一番求めるものを選んでください。

もしそれが間違っているとしたら あなたはまた 戻って来るでしょう

何度も間違っても構いません。

本当に大切なものが見つかったその時は もう心は揺らぎません。

本当に大切なものは あなたの心の中に留まり、失うことが無いからです。

それは悟りの心境です。

 

12月

12月ですね。師走。

年内に片づけたいことがあれやこれやと思い浮かび なんだか気ぜわしくなりますよね。

私の実家は商売をしていたので 年末年始もあまり休みという感じではなく

母はお正月の準備を「しなくても年は明ける」などと言っていました。

母は年中無休だったのでそれはそれでいいと思います。

専業主婦と仕事を持っている人では できることが違いますから。

むしろ年中無休の人は お正月くらいなにもしなくていい にさせてあげたいくらいです。

ルールはケースバイケース

人を苦しめるルールは無い方がいいですしね。

と、言うのは 自分がすることをサボろうという言い訳 なのではございませんが。(笑)

マインドはついついルールが大好きなので
気が付くといつもルールに縛られているのが人間なのです。

もし ルールがあるとしたら、それは人々が幸せに暮らすためのものなので
ルールのために人が苦しんで知るとしたら マインドはそのルールを手放した方がいいです。

でもなぜか マインドはルールに依存しがちですね。それを無意識にしてしまっています。

こだわり とか 正義 という形で ルールをみんなに守らせる なんて思い出したら それはエゴかもしれませんよ。

あなたに必要な事は 全ての人が必要としてるとは限りませんし
あなたが 誰かのルールを押し付けられるのが嫌なように
誰かもあなたのルールを押し付けられるのは嫌でしょう。

本当に必要な事とそうでないことを もう一度じっくり考えなおしたり
周りの人と何が大事かを話し合ってみることは大切かもしれません。

自分以外の人が自分と価値観が違うことに驚いたり憤慨したりしないでくださいね。
あなたがそうする ということは あなたがそうされる というのと同じことなのです。

すべての人は少しづつ あるいはかなり 感じ方や価値観が違うのです。

同じであることに安堵感を抱きやすい日本人はなかなか 個性を殺すことの方に熱心になりがちですが、
その中でも やはり みんなは自分と同じ感じ方ではない ということを知っていた方がいい。外から見えない事情だってあるかもしれないです。
みんながそれをちゃんと上手に説明できるわけでもなく。

そして あなたも
相手から責められた時に 自分が間違っていると 思わなくていいんです。

あなたの心や体のバランスが とれているのかいないのかは
あなたにしか測れません。

今日何をするか 何をしないか あなた自身が選んでいいのです。

皆が、自分に優しくできなければ 他者への思いやりのある社会は実現しません。

もし、誰かが怠惰が好きそうに見えたとしたら
その人の心に幸福感が足りません。
怠惰を責めて何かをさせようとするよりも、
なぜその人が幸福でなくなったのかを見てみると納得できることも多いです。

形にこだわらず、幸せを選んでください。

また、時間の余裕を作って 伝統文化に触れるのはそれも素晴らしい体験です。
それは嫌々やらずに 楽しみましょう。

よく思うのですが、伝統もルールも 最初は誰かが作ったものです。

時代が変遷して ライフスタイルに合わなくなるものもあります。

維持困難になるものは自然に消滅します。

自然発生したように自然消滅するのです。

大事なのは人々が幸福であることです。

あなた自身が幸福であることです。

博多駅イルミネーション


 

思いを遂げる

眞子さま ご結婚されましたね。
本懐を遂げられてよかったです。
無理矢理やめさせても残るのは恨みの気持ちです。

お二人にとって これはゴールではありません。
これはスタートなのです。

彼らが幸せになるかどうかは 本人たちの人生の課題です。
他者が学びを奪うのもエゴだと思いませんか?

私が 感心したのは、眞子さまも小室圭さんも
意志が強かったですね。

あれだけ反対・バッシングされ続けて 心が折れないのは
やはり愛が強かったからでしょう。

人としての観点では
負けず嫌いもあるのかな、
負けず嫌いの人って、逆境では燃えるんですよね。
障害は乗り越えるためにある!なんてね(笑)

自分の人生を人に決められたくない。
これは若者の特性です。

若いうちはしっかりと自我を体験することも必要です。
そしていろんな失敗や過ちも体験して
人として深みのある人物に成長してもらいたいです。

ご本人たちが 問題から逃げようとしているわけではないのだから
「頑張ってね」と送り出していいと 私は思っています

大人は 失敗を取り除いてあげる必要はありません。

何の障害もなく決められた道だけ歩くなんて

そんなつまらない人生 あなたは送りたいでしょうか?
あなたのために なんて言われたら
「余計なお世話だ!」と 言い返してしまいますよ。
そんな風におせっかいな年上の人々を疎んだりしませんでしたか?

〇〇家のために希望を捨ててください と言われて従えますか?
私は100%無理なんです。
そう、ほぼ ミリも無理でした。
相当頑固なのかも・・・。
そのせいですごい長距離の回り道した とも 思います。

でもその道のりは何も無駄になっていません。
自分の経験値が上がるからです

今は自分の願望自体が無いのでなんでもいいんですけど。
若い時は 大人の言うとおりにする なんて 無理だったんですよね~。
自分を閉じ込めると病気になります。

自分たちが自由になる ということは

他者を自由にさせる ということです

若者を縛らないでください
他者も縛らないでください

若者を大人の安定や名誉のための犠牲にしてはいけません。
それはもう人柱みたいなものではありませんか。
国 みたいな大きなものを支える人柱は
本当に必要なのでしょうか
私はそのような伝統は終わっていいとさえ思います。

愛を失った伝統など 残っても不幸な人を増やすだけではないでしょうか。

大人にできるのは
若者が道に迷った時、方向を教えること
そして魂が尊いということに1人でも多くの人々が気付いてくれることです

何が幸福か また、何を選ぶかの決断は 本人にしかできません。

大人になるにつれ エゴを手放して おおらかな人格になれるといいですね。

全ての魂はその学びと共にあります。
愛になる
歳をとって丸くなる
そのためには体験は自由である方がずっといい。

心残りなく 生きてもらいたいのです

私たちは世界そのものです。
支配者 ではなく
創造主なのです。
1人1人が神でできています。
あなたの世界は 生き物が生き生きしているでしょうか?

鳥 羽ばたく
 

大事にするもの

昨日今日と日中はとてもいいお天気で気持ちのいい秋晴れの福岡地方です。

このところ いろんな業務に追われがちなのですが、

もう少し する事を減らした方がいいかもしれない と思う日々です。

生徒さんに 欲張りすぎないように という話をしながら

自分が仕事や用事を抱え込みすぎて手放せないでいるかも? (;´∀`)

ただ、以前ほど無理矢理急ぐ ということをしなくなっているので

お待たせしている方々がいらっしゃるわけで

そのような皆さんには 誠に申し訳なさと 待っていただけることに感謝の毎日です。

こなしきれない という・・・

負荷がかかっているならば やはり 何かを手放す必要があるのだと思います。

それをはっきりさせるのが 物事の断捨離なのだと思いますが

私自身、そのことはまだまだ課題です。

 

こういう事(物事の断捨離、何かを手放すこと)は

本当は早めに決断する方がいいかもしれない ということは薄々?知っております。はい。

というのも

しつこく手放さないでいると流れに引き剥がされる ということが起こってしまう ということを知っているからです。

無理なものを維持すると 実際大変なのですが、手放すことを惜しんだり恐れたりして

なかなか手放すことができなかったりしますと

ある時、ダムの決壊が起こります 

ダム決壊

shock わちゃー

負荷かかりすぎっ

そんなに無理させて。。欲張りすぎ危険です。

他者の願いを叶えることも欲張ってはいけません。

(他者の願いを叶えるって いい人と思われたいから だとしたらそれは『欲』)

 

あなたがこれまで請け負ってきた物を手放す時 

その役割がいなくなると、

瞬間的にでも 混乱はあります。

その混乱を恐れているのかもしれません。

ですが、手放すことを先延ばしにすればするほど、引きにくくなってくる というのもあります。

どんどん苦しくなってくるので 最終的的には終わりが来るんですけどね。

やはり思い切った断捨離というのは物事をスムーズにするのに必要なんだろうなぁ と思います。

また、自分で決断することに罪悪感をもっていたりすると、

流れに無理やり持って行かれる事の方がマシだ と思う人もあります。

「私がしたんじゃない。しょうがなかった。不可抗力だ」という免罪符みたいなものが欲しいのかもしれません。

周りにしてみると どちらでも大差ないのですが。

本人の自我は 痛手は大きくても 言い訳ができる方が楽に感じたりするのでしょう。

自我の不思議なところです。

「こんなに痛い思いもしたので許してください」という感じでしょうか。

なかなかの自己犠牲 です。 そんなにしなくていいよ と思うのですが。

また、自分が進んで選んで その結果失敗するのが怖い という場合も 似たような感じになります。

「私が選んだんじゃない」

結果としてはは同じか むしろダメージは大きいのですが

自我は安心しています。

罪悪感のために自分を痛めつける

私も被害者なのよ 的な。

自我の不思議なところです。

周りからバッシングを受けるよりは 自ら痛い目に遭う方が 気が楽なのかもしれませんね。

だけど、もっと自分を大切にしていいんですよ。

だって、他の人達は それほどあなたのことを気にしているわけじゃないのですから。

これからの時代は みんながそれぞれの選択を尊重できる世の中になるといいですね。

多くの人々が 自分を大事にするようになると 実現する社会です。

今日から 少しずつ 自分を大事にしていきましょうね。

自己犠牲 しなくていいです。

思いが流れを連れてくる

思いが現実化する という宇宙の法則を耳にしてから

意識と事象の関係を意識して眺めてきました。

全く 本当にそうだな と頷くことばかりでした。

今はそれは揺るぎの無い確信になっています。

 

この世界は

私が確信する 当たり前なことが起き続けます。

 

当たり前だから起きる のではなく、そういうものだ と 設定されたことが起きるのです。

 

豊かさの循環は 

私が豊かだと感じると 豊かさはやって来ます。 当たり前のように。

私は人が大好きで、この世界は愛で出来ていると思っています。

私が人にすることを 人も私にしてくれます

粗末にすると粗末にされ

依存すると依存され

腹立てると腹立てられます。

嫌うと嫌われ 恨むと恨まれます。

大事にすると大事にされ、与えると与えられます。

それは対象者からではなく

違う方向から巡って来る。

因果応報って おもしろい。

身に覚えのないことをされたら、それは自分がしたんだけど忘れてしまったこと

前世のこととかも覚えてないし 先祖の因縁も私の記憶にはないのだけれど

今の私は 腹立てたり見下したり恨んだりするより

私は愛でいたいのです。

自分を犠牲にするとか 義務に縛られるなんてことは

できない質だけど、 

自分がしたいことは 止められない


私にやりたいことを諦めさせられるのは 流れだけ なのです。

私はこだるところは強情なので 流れは 私を止めるのにけっこうハードな事をしてきます

割とわかりやすく止めに来るのです。

人の言う事は聞かないけれど、流れには逆らわないことにしています。

私の中の 神の声、

そうしようと思っているのに動かない体や

そう思ってないのに口が言う言葉も 

私を運んで連れて行くのです

要らないものを落として

神のいるところに 愛のあるところに行けと言う。

全てが,私がエゴを手放すことをサポートしてくれているんだな と じんわり実感する日々です。

エゴの思い通りにならなくていい

流れは幸せなところに運んでいくのです。

要らないものは落とされ

流れの中で ただ 愛でいるだけでいい。

こんな簡単な事だったとは 昔の私は信じないんだろうな 

そうと思うと

肩の力を抜いてごらん と 言ってあげたいのです。

傷付くことは無い

誰かがあなたの期待通りにしなかったとしても

あなたが誰かの期待通りにしなかったとしても

あなたは 何も悪くない

また 誰かも 何も悪くない

期待どおりにしようとするのは なぜ?

それは 相手の承認や愛が欲しいから。

期待に応えようとするのは・・・ 愛されたいから

あなたを あなたのままで愛してくれない人に

愛されるために?

それは本当に必要なのでしょうか?

あなたが 本当に愛される必要がある人 というのは、

親?恋人?家族?友人?先生?上司?世間?

 

いいえ、

唯一 あなたが 愛されることが必要なのは

あなた自身からです。

これはあなたの人生が楽しいか 生きづらいか が かかっています。

あなたが あなたを大事に出来ない時

他人はあなたを大切にしてくれようとしても

あなたはそれを受け取れないのです。

全ての存在は 神にとって 愛おしいもの

なぜなら、全ての存在は 神の一部だから

生き物が喜ぶ時 神もまた喜ぶ それは共鳴です。

なので神は 喜んでいる者を喜びます

大事なのは 誰かが多く所有・独占する事じゃない

より多くの喜びが世界を震わすこと。

あなたが 幸せでいることを選択したら

あなたが生きたいように生きることを選んだら

あなたはあなた以外の人も 自由に幸せでいて欲しいと思うようになるでしょう。

ご結婚

真子さまと小室さんのご結婚決まりましたね。

おめでとうございます。

20代の若い時間を3年も待ち続けてお互いの気持ちを冷めさせずに

このようなバッシングの激しい状況の中を耐えて意思を貫かれたのですから

これはおめでとうと言って充分なのでは と 私は思っています。

天皇家の在り方とか 血筋とか 品位とか 世間や国民の納得とかいろんなことを取り沙汰して

今もずっと破談にさせたいと思っている方々はおられますが、

私は当事者であるご本人の気持ちや努力を思うと 

1人の人間として 自由を選択する権利がある と思ってなりません。

もし そのような自由が許されないとしたら、それは某独裁国家と同じ不自由な国です。

国際間の世間体や国民を我慢させて縛り続けるのに必要だということで

1人、2人の生贄みたいな人が作られるのでしたら

そんな国は 崩壊しても仕方がない という気にもなります。

私も かなり自分を曲げられることができない性格だったので

若い頃は大人や世間との軋轢で苦しい思いをしたことがありましたが

それは意地を張っているというよりも

生きることをやめられなかった という感じだったと 今は思います。

彼らに生きることをやめさせる権利が 誰かにあるのでしょうか?

彼らもまた一人の人なのです。気が付いたらそこに生まれていた

皆さんと同じです。

思いを貫くという事がどれだけ大変で大切か ということも体験したでしょう。

その経験が 魂を磨く試練なのです。

貫くにしても諦めるにしても それをできるかできないかは

本人の宿命の中に組み込まれています。

それをやり果せるだけなのです。

それは誰も止めることができないでしょう。

このことと、最終的に幸福になるかどうかは また別問題です。

それはご本人の生き方次第。

自分も他者も大切にできるかどうかです。

人が歩く道を 引きずり下ろす権利を 誰も持ってはいません。

どうぞ 好きにさせてください。

身分もお金もサポートも要らない、自分たちでするのでどうぞ放っておいて と願う若者を

解き放つ愛を持つのも 良いのではないでしょうか。

人は自分の気分や自分都合に合わないものを排除したり攻撃したがりますが

そのような攻撃はまた自分にも向けられることがあります

出す波動は受け取る波動でもあることを忘れないでください

 

攻撃性や非難が起きた時

問いかける言葉はこうです

「その時、本当に都合が悪いのは誰なのでしょう?」と

自分自身にもそう問いかけてみるようにしています。

誰かを非難する時

何が都合悪くて そうしたいのか 真の理由を見つけた時

この世の真実が見えて参ります。

 

あなたが尊重され 自由でいたいならば 他者の思いを大切にしてください

あるがまま受け止める愛 それは神の愛と同じです。

競争社会

現代は競争社会でしたよね。

え?なんで過去形で表現?って。

その時代はぼちぼち終わっていくからです。

これまでの時代、ほとんどの人々が 優劣をつけられ、努力や向上心を求めるよう教育されてきました。

そうしなければならないと真剣に思い込んできましたか?

ですよね。 受験勉強頑張りましたね (笑) coldsweats01

なにかにつけて 人より秀でていなければ自分を誇ることが出来ない不安と同居してきませんでしたか?

 

私は元々絵を描くのが得意でしたが、

それ以外に 特に取柄が無いと思っていました。

頑張って期待に応えようとしなければ誰も私を認めない って思っていたんです。

取柄だった絵だって、芸大に進学してみると自分より優秀な学生が山ほどいました。

誇れるものを失ったような気分でしたね (^_^;)

そこでは私は 大したことない存在でした。

努力して1番になるには あまりにも才能が足らないことを痛感していましたね。

絵を描くことが だんだん苦しくなっていたんです。

他のことに逃げました。結婚したり 子供を産み育てたり。

途中で ママ友から「出産することを選んだ時点で一流になるレースからは脱落よ」と言われた時は

かなりショックだった記憶があります。(まだ野心は消えてなかった模様)(^_^;)

 

自分が元気になれたのは 人より優れていようとするのを止めた時です。

話が下手 とか あがり症とか 人前に出ることはほとんど苦痛で

容姿に自信が無い(ほぼ醜形恐怖症だった)とか 

片づけるのが下手(だらしない)とか

そそっかしいとか マヌケ とか

夫の前でも 自分が嫌いになって

面白い事が言えないとか お金も稼げないとか 品が無いとか ガサツとか

その他にも書けないこと? 色々あったんですが

そんな足らない所を テヘペロして 

ごめんなさい、こんな私だけど それでもいい人仲良くしてください って思って

何も隠さなくなってから 

欠点もいつの間にか薄れて行きました。

そうよ、欠点やコンプレックスの無い人など いないんですよね。

全ての場面で合格点で内面も円満 て人  いたら会ってみたいですけど

これまで普通の人しか みたことがありません。

いえ、むしろ 自分の欠点を隠さず認めて限りなく平和なオーラの方が素敵shine

瞑想仲間はそんなグループshine

 

このところ 注目しているYoutube動画があるのですが、

神様がみえる子供たち というチャンネル

3人(4人?)のお子さんを持つお母さんが配信しておられるのですが、

その子供たちが 霊視 ができる と言うか 神様とチャネリングできるんですよね。

お姿が見えて話ができる様子

特に3番目の とき君 は、先日7歳になったばかりの男の子なんですが、

6歳までは 神様が(身体の中に)同居していたそうで 話す内容が 実に神様的なのです。

話を聞いていても なんら違和感が無い 真理。 

これ、ホンモノやん。

人間の意識のお母さんが 色々質問するのに その子供がそれに答えるんですが、

5歳6歳の拙い言葉で どストレートに真理を表現するので ものすごいシンプルなんですよ。

お母さんが 幼子の言う事に素直に耳を傾けて 受け止める方なので実現した配信。

自我の意識の常識バリバリな人が親だったら ほぼ病院か児童相談所のカウンセリングとかに連れて行ってしまいますよね。

とき君の話、実に興味深いです。 

9月28日現在の最新動画も衝撃的なのでthunder シェアさせて頂きますね!

神様が見える子供たち 神様に好かれる人

8分半ほどの動画です

旧時代のマインドは 悶絶するかも ですね~(笑)

過去動画もいくつか悟りの意識を伝えてますね。

すごくシンプルに表現すると、

 笑顔が大事なんですheart01

魂の琴線に触れたなら 他の動画も見てみてくださいね