大事にするもの

昨日今日と日中はとてもいいお天気で気持ちのいい秋晴れの福岡地方です。

このところ いろんな業務に追われがちなのですが、

もう少し する事を減らした方がいいかもしれない と思う日々です。

生徒さんに 欲張りすぎないように という話をしながら

自分が仕事や用事を抱え込みすぎて手放せないでいるかも? (;´∀`)

ただ、以前ほど無理矢理急ぐ ということをしなくなっているので

お待たせしている方々がいらっしゃるわけで

そのような皆さんには 誠に申し訳なさと 待っていただけることに感謝の毎日です。

こなしきれない という・・・

負荷がかかっているならば やはり 何かを手放す必要があるのだと思います。

それをはっきりさせるのが 物事の断捨離なのだと思いますが

私自身、そのことはまだまだ課題です。

 

こういう事(物事の断捨離、何かを手放すこと)は

本当は早めに決断する方がいいかもしれない ということは薄々?知っております。はい。

というのも

しつこく手放さないでいると流れに引き剥がされる ということが起こってしまう ということを知っているからです。

無理なものを維持すると 実際大変なのですが、手放すことを惜しんだり恐れたりして

なかなか手放すことができなかったりしますと

ある時、ダムの決壊が起こります 

ダム決壊

shock わちゃー

負荷かかりすぎっ

そんなに無理させて。。欲張りすぎ危険です。

他者の願いを叶えることも欲張ってはいけません。

(他者の願いを叶えるって いい人と思われたいから だとしたらそれは『欲』)

 

あなたがこれまで請け負ってきた物を手放す時 

その役割がいなくなると、

瞬間的にでも 混乱はあります。

その混乱を恐れているのかもしれません。

ですが、手放すことを先延ばしにすればするほど、引きにくくなってくる というのもあります。

どんどん苦しくなってくるので 最終的的には終わりが来るんですけどね。

やはり思い切った断捨離というのは物事をスムーズにするのに必要なんだろうなぁ と思います。

また、自分で決断することに罪悪感をもっていたりすると、

流れに無理やり持って行かれる事の方がマシだ と思う人もあります。

「私がしたんじゃない。しょうがなかった。不可抗力だ」という免罪符みたいなものが欲しいのかもしれません。

周りにしてみると どちらでも大差ないのですが。

本人の自我は 痛手は大きくても 言い訳ができる方が楽に感じたりするのでしょう。

自我の不思議なところです。

「こんなに痛い思いもしたので許してください」という感じでしょうか。

なかなかの自己犠牲 です。 そんなにしなくていいよ と思うのですが。

また、自分が進んで選んで その結果失敗するのが怖い という場合も 似たような感じになります。

「私が選んだんじゃない」

結果としてはは同じか むしろダメージは大きいのですが

自我は安心しています。

罪悪感のために自分を痛めつける

私も被害者なのよ 的な。

自我の不思議なところです。

周りからバッシングを受けるよりは 自ら痛い目に遭う方が 気が楽なのかもしれませんね。

だけど、もっと自分を大切にしていいんですよ。

だって、他の人達は それほどあなたのことを気にしているわけじゃないのですから。

これからの時代は みんながそれぞれの選択を尊重できる世の中になるといいですね。

多くの人々が 自分を大事にするようになると 実現する社会です。

今日から 少しずつ 自分を大事にしていきましょうね。

自己犠牲 しなくていいです。