2021年08月

カルマを手放す

なかなか長引く長雨とコロナ禍ですが みなさまご機嫌よくお過ごしでしょうか?

んなわけないW と言いたくなる方もおありでしょう。

実際 気分が塞ぐ というお声もよく聞きます。

魂が壁にぶつかって その壁を突破する時は、苦悩や閉塞感、苦しさを味わいます

ある と思っている壁は突破する前は 厚く果てしなく高く見えます

ある と思い込んでいる谷底も 目がくらむように深く見えます

お釈迦様が指差す彼岸はパラダイスかもしれないけれど、

こんなの向こう側に行けるわけがない 

そう感じて多くの人々は我慢して苦しいままの現世に留まっています。

「彼岸てあの世のことでしょ?私はまだ生身の人間だから」と

そう言う人もいます。

いえいえ、違うんですよ。現世フィルターが取れれば

そこはもう彼岸なんですから。

そのフィルターを外すために必要なのは 今あなたが抱えている

怖れ というカルマを外すこと

これを失えば生きていけない とか

これを手放せば人としての尊厳を失う とか

これを手放せば誰からも愛されない とか

そういった基準を手放してごらんなさい と言われる傍から「いや、無理でしょ」と反応が起きたりします

それは罪を犯すような危機感

だけど、観念を外す ということは罪を犯す ということとは別です

あなたの中にある「〇〇でなければならない」という握りしめている思いを

そっと緩めて 掴まないで みてください。。。

何か起きますか? 起きません。

握りしめている強い思いを そっと手放して

掴まずにそのままにしておく。

あなたはもうその決まり事にしばられていません。

何かが起きた時、

その決まり事(ルール)という剣を手にして

事態を一刀両断したい気持ちにかられるかもしれません。

でもその剣は 相手にだけでなく あなたに刃を向けているので

あなたがそれを取り込むと あなたはその脅威に脅かされ続けます。

正しさの剣は良い事ばかりではありません。

悪い事を起こさないために 平和を犠牲にするのです。

あなたがいる世界を 本当に心地よく温かいものにしたいなら

あなたの中の波動を 愛に換えてください。

あなたが愛だからこそ 愛が集まるのです。

愛は表面的なものではありません。

愛のふりをして(表面的に愛を装って)

内側が怒りや悲しみでいっぱいなら

集まってくるのは内側の波動に共鳴したものです。

外側には何も出さなくてもいいんです。

アクションは特に必要ない

あなたの内側を 愛と思いやりに換えてみてください

その前に 出てくる怒りや悲しみがあるならば

その怒りや悲しみを受け止めて 愛と思いやりで包むのです。

カルマの解放に立ち会うのは覚悟が要ります。

あなたの横で嘆き悲しんでいる人に寄り添う事と同じ

あなたの中で怒り悲しんでいる人を見守るのと同じ

でもそれは ただの解放です

過ぎ去るのを待つのみ。

しっかり感情を解放できた人は 

涙をぬぐい、立ち上がります

「気が済んだよ」「もういいや」と 笑顔になるでしょう

そう、どんなにもがきあがいても

起きたことを元に戻すことはできません

そうやって 人は 出来事を乗り越えて行くのです。

そんなことがあった でも今日は元気に生きる

与えられた運命 与えられた試練 与えられた体

与えられた命  なのです

あなたのものではありません

自然から借りた あなた という魂の乗り物がその体です。

人生という旅路を楽しむ工夫が要ります

あなたが積極的に楽しまないと

誰かが楽しくしてくれるわけではないのです

疲れたら休むのが一番

そうしたいように そうできるように

あなたが好きなように工夫するのです。

やけになって暴れたり、誰かに八つ当たりしても

その後始末をするのは あなたです。

人生は捉え方次第でいかようにも天国になるのです

カルマからの解放は あなたを天国の住人に変えます。

それが『悟り』なんですね。

なずな

変化への怖れ

人間のマインドというものは 未知のものへ怖れを抱きます

それは 危ないかもしれない という怖れです

これまでやってきた方法にデメリットがあったとしても

それでこれまでやってきたんだから という安心

つまり、これ以上はなくてもこのくらいなら我慢できる  という安心感にすがってしまいます

あ、これは人間だけじゃないかもしれませんね

例えば、保護された野生動物

助けるために保護されたのだけど、

「食われるかもしれない!」「殺されるかもしれない!」という恐怖に凍り付いているか

「私に触るな!!」という激しい抵抗でありったけのエネルギーで牙を剥いている姿

肉体を持った生物の多くは 未知のものが苦手なのです

未知のもの それは 本当に正体のわからないもの、なのか

自分が知らないだけなのか・・・

先日 SNSでふと目にした投稿 が 気になったので例に出します

そこには都会でよく見る壁面がスモークガラスになっている新しい高層ビルの写真がありました。

最近出来たビルなのだそう。

天神ビジネスセンター

投稿者は「ガラス張りのビルばかり増えそう、地震が来たら危なくないんでしょうか?」と問いかけと共に

緑が減って近代的なビルが増えることを嘆いておられました。

先日、公園を潰して都市計画で再開発することに反対運動されておられたので そういう近代的な建物=自然破壊と感じるのかも。

そして 近代的なビルの否定に賛同する書き込み多々。

さて、近代的なビルは 悪なのか?

都会が嫌いならなぜ田舎に住まないのか?

ビルの壁面に使用されているガラスは地震で多くの死傷者を出すのか?

昔ながらの木造や石造りなら大丈夫なのか?

そもそも ガラスでビル ってどういうこと?? と なって、強化ガラスについてひとしきりググりました。

強化ガラス、地震では割れません。 割れやすいガラスでビル作りません。 ですよね。

で、強化ガラスが大丈夫だ とわかって この投稿者さんは安心するのか というと、

問題はそこじゃなくて 近代化に嫌悪感を持っている ということなんですよね

なぜ 近代化が嫌いなのか?

それは その方の単なるイメージや直感 ということではなくて

若い頃に勤めた職場で使用していた揮発性の化学溶剤の影響で化学物質アレルギーを発症して長年苦しんでおられる ということに起因するかと思われます。

そんな健康被害を受けるまでは 都市にも科学にもそこまで反応しなかった(からそういう会社に入社した)でしょうし

彼女の反応は ある意味 深刻なカルマ(トラウマ)なんじゃないか と 思います。

そう言う意味でも 必要なのは浄化と癒し。

この世界は 一言で表現できるほど簡単には出来ていませんが、

私たちは、表面的なことだけで判断してはならないし 本当の所の真実を見据える必要がある と

今日も思うのでした。

もし、あなたの周りで何かに拒絶反応していらっしゃる方がおられたら

その方は何かカルマを抱えておられるかも と 観察してみてください

深い所のものは普段は見えませんが 知ると納得します 真実を知る

誤解が溶けると反発は消えますね。

 

個人的希望としては、大きなビルを建てるなら こういうのにしてほしいんですけどね

アクロス福岡

福岡天神の中心部にあるアクロス福岡

当初植えた苗だけじゃなくて 鳥や風が運んできた種でいろんな植物が育っているそうで

このビルは周辺より温度が低いそうです。

夏場の広域サーモグラフィーカメラの映像を見るとここだけ緑色でした(それ以外は赤~黄)

欠点は、、、蚊がいます。虫よけ持参で都会ハイキング いかがでしょう。

人間と自然の共生 ぜひ推進してほしいです。

 

意識を観る

雨が続きますね みなさまいかがお過ごしでしょうか?

新型コロナの感染拡大と雨で 外出を控える方も多い事でしょう。

私も あまり外に出ません。

仕事場と住まいが同じ場所なので 出る必要がないのと

そんなに外出欲求が無いので ほとんど家(アトリエ)で過ごしています。

制作は色々とすることがあって 暇 ということは全くありません 

暇があったら もっと掃除や片付けに時間を使いたいのですが

優先順位をつけると後回しになりがちです。

ただ、幸か不幸か? 制作前にはひとしきり片付けないと

スタートできない という 現実逃避的傾向 がありますので

忙しければ忙しいほど 掃除の頻度は増えたりしています。

そのおかげで片付くのと 仕事が押すので 良し悪しですね。(笑)

なぜ仕事前に掃除や片付けをしたくなるか というと、

道具が片付いて整頓されていないと 仕事がしにくいから ですね。

使いたいものがすぐに出せないと モチベーションがひどく下がってしまいます。

綺麗に片づけることはあまり得意ではないかもしれませんが、

膨大な量の道具がどこに入っているか は 割と把握していたかったりして

片付けは紙一枚づつ確認するような手間がかかったりします。

たぶんこれは意図してやっているのではないので

そういった手順は 私でない何かが求めているような感じです。

日常は 実際そんなことだらけかもしれません

自分が意図してやっているような気でいますが

本当は自分でない何かに突き動かされている かもしれません。

こうしないと気が済まない  というのは

神の意図  あるいは  カルマの意図  なのでしょう

どちらかというと神の意図で生きる方が ハッピーです。

カルマは その逆で 流れに摩擦を生じますから

色々と苦労するのです。

あなたの 意識下にある 私 ではない意図にちょっと意識を向けて 観察してみてください

私 という自我の意識が 本当はどこにあるのか?それが薄れて

あなたの真我が見える気がしますよ。

 

このような 落ち着かない状況であればあるほど

自我を観察すると 静かな真我があることにも気付きます

雨

叡智

叡智(えいち)という言葉 

意味を調べてみました。

物事の本質を見通して考えることができる 優れた知恵  とのことです

これは 特別な人にしかできないことでしょうか?

そんなことはないと思います。

なぜなら 私たちの本質 真我はそれを知っているからです。

現代は 文明が発達して 賢い人が沢山いますが

同時に私たちの本質の知恵を忘れ去っている人も多くいます。

愛が欠乏した貧しい心は 貪りと欲と猜疑心に支配されてしまいます

飢餓状態 恐怖の状態では 本質の知恵は 感情に押し流されて埋もれてしまいます

これはとても残念な状態で、この状態にある人々は とても苦しくひどい思いをしています。

そう、まるで地獄 餓鬼 畜生 の世界を見ているのです。

その生存競争 いえ、生存闘争の中では 自分が生き残るために周りを殺さねばならないほど

殺伐とした地獄を生きています

それはどれほどに苦しいことでしょうか 

誰もそんな世界にいたくないことでしょう

でも、多くの人々は気付くと そんなところにいるのです。

その人のせいではありません。

でも、それを創り出したり 維持しているのは本人なのです

 

叡智が見通すものは そういった苦悶の世界が 幻想で出来ている ということです

多くの人々の 殺らねば殺られる という 恐怖や

奪わねば 生きられない という強迫観念や

与えれば減って 自分が飢える という不安から独占し

エネルギーを流さなく(与えなく)なって生じる 貧しさなのです

貧しさへの恐怖は 伝染します

恐怖自体が伝染しやすいものなのです

波動として共鳴してしまうためです

心が貧しく 頭脳だけは発達した人類は

己の同類を貪ったり 共食いをして 自滅してしまいます。

これはとても残念な悲しいことです

現代は 物質ばかり追い求めて物質的にこの上なく豊かな文明が発達しましたが、

社会がまだ本当の豊かな文明に育っていません

だから奪い合ってしまうのです。

奪い合う意識ばかりだと どんなにシステムを変えても 決して豊かになることはないでしょう

 

でも、私たちは ついに本当の豊かさに気付くところに 今 いるのです。

特に日本にいる私達は 次なる真の豊かさの前に立っています

怖れや不安は 頭の中のイメージなだけで

それを 手放し 愛に変えるだけで

どれほどに豊かで満たされた人生に変わるかを 体験できるのです。

そのためには 勇気を持って 愛を選んでください。

何か特別な事をするのではありません。

あなたの日々の思いを あるがままに素直に表現し、委ねると

あなたのカルマは解放されてあなたは浄化され

本質の愛が 現れるのです。

 

あなたは 愛で出来ているのです

もう苦しい生き方は しなくていいのです。

あなたが 進化して 愛の人になれば

あなたの周りには 豊かさの花が咲き乱れるでしょう。

本当です 

白いコスモス

 

世界観

それぞれの人がそれぞれに世界観を持っていて

その それぞれの世界観で 世界を見ている

という話は 瞑想歴の長い方や スピリチュアルに関心の深い方は充分にご存じのことと思います。

皆、自分の世界観の中で ベストな選択をしている(つもり)なんですね。

(つもり)なんて書くと 「自分が正しくて他者はそうじゃないとでも言いたいの?」なんてお言葉を頂いてしまいそうですが、

そう言うつもりでそう言っているのではなく

私も含めて 全員が自分がベストな選択をして生きているんです

でも、私たちは この世界の真実をどれだけわかっているのでしょうか?

私達の目に見えるものは この世界の氷山の一角のようなもので

見えない部分、感知していない膨大なそれ以外のことは意識に上がっていません。

では どうすれば 真実は全部わかるのか? なのですが、

はっきり言いますと すべてをわかることは 不可能です。

現代の文明で解明されて来た科学で証明されている事など

この世界のほんの少し だけなのです。

瞑想マスターのボブは 「私たちは何も知らないのだ」と言います。

霊感やチャネリング能力の長けているマスターでさえ

「何も知らない」と言い切るほど 私たちは何もわかっていないのです。

そして、その狭い価値観 偏った世界観の中で 正しさや正義を主張し合うことは

愚かな事ではないのか? ということに気付いていきます。

多くの人間たちが主張していた正しさや正義は

私の(側の)都合 ではないのか?

自分の自我が言う事を含め

人の(特にエゴが)言う事は 大変一方的な主張でしかないことに

徐々に気付いていきます。

これは 瞑想でエゴが小さくなっていくほどに

この真我の気づきは 隠せなくなっていきます。

それは本当にそうなのか?

なにやら モヤモヤするものがあったら

それはぜひじっくり観察されてみてください

そこに頭から判断しないフリーなモードで この世界を 大きく広く 観察してみます

 

そうすると エゴは 自分のこれまでの価値観が崩壊することを恐れるでしょう

そして これまでの正しさにしがみつきたくなる衝動に駆られるかもしれません

でも、その エゴのあがき から離れた途端

あなたの目には 真実が見えるようになっていくのです

 

判断だけではそれは見つけることはできません

肩の力を抜き、何物にもとらわれない

フリーで静かな境地から この世界を感じてみてください

あなたの内側が静かであればるほど

もつれた糸は解け あなたは 真実をとらえるようになるのです。

 

それぞれの選択

どんなに間違っているように見えても

他者の選択を否定しないでください。

それが本当に過ちであったとしても

その体験はその人に必要なものかもしれないのです。

たとえ 命が短くなるようなことであっても

あなたの正義でそれを裁いてはなりません。

流れのままにしておいてください。

どうしても気になるなら

情報だけ提示すればいいです

あなたが他者を正そうとすればするほど

相手はそれに反感を持って 逆効果になりがちです。

人は必要な体験に向かい、そして学びます。

魂の学びは成功ばかりではありません。

挫折や苦悩も 大事な体験です。

そして それを救うのは愛だけなのです。

どれだけ愛が大きくとも

相手の体験を奪ってはなりません。

必要な体験がないと学べないからです。

学びには時間が必要なのです。

流れのままにさせておきます

そして あなたが愛になるのです。

愛は支配やコントロールをしません

ただ、温かく包み 溶かし、癒すのです

本当の愛は 大きな影響力を持ちます。

その存在だけで場を変える力を持ちます。

摩擦を消す力です。癒してしまうのです。

愛が世界を変えます。

感情を浄化する

何をどう感じるか という 人の感じ方は様々で自分とは違うことに驚くことも多々ありますが

感じている感情の種類や大きさは そこまで変わりません。

喜んでいる とても喜んでいる 感涙

悲しんでいる ひどく悲しんでいる ショック

怒っている 激怒している

傷付く 凹む

誇らしい ハッピー

愛 嫉妬 憎しみ 攻撃性

純粋さ 歪んだ感情 拒否 拒絶

希望 信念 信頼

などなど どなたにもこれらの感情の経験がおありなのではないでしょうか

人は 何かの出来事に対して 様々な反応が現れます。

意図してもしなくても。

ただ、どれにどの感情が出てくるかがちょっと違っているだけで

出てくる感情の質は 割と同じなのです

なので どんな感情を味わっているかは 自分の経験を通して

他者に共感することが可能です。

この場合は具体的な出来事にフォーカスすると自分とは判断が違うので共感しにくくなりますが、

感じている感情に共感すると その人がどういう状態にあるのかがよくわかります。

え?わからないよ? という方

人によっては感情の振れ幅に個人差があるので

中には振れ幅が小さい方もあるので なかなか共感にならない、という方もありますが

そんな方でも大きな出来事に対しては大きな感情が動くことでしょう。

 

瞑想をしているみなさんは 外界の出来事や波動に共鳴しやすい体質(HSP)の方が多いのですが

外側にある波動に揺さぶられるからこそ 内面を整える瞑想が必須だと感じられると思います

HSPでない方は 瞑想が必要ないか というと そういうわけではなく

自覚がなくても被っている波動はあるので やはり 瞑想という浄化をするかしないかでは

大きな違いがある  ということも 瞑想者さんたちはご存じのことでしょう。

瞑想は 自分の内側にある 摩擦の感情(負のエネルギー・ストレス)が、解放されて消えますので

負荷のないフラットな状態(健全な心と体)に戻すことができる習慣なのです

感情・情緒を安定させたい方は ぜひ 瞑想習慣を日々のルーティンに加えてください。

 

心と身体 どんな薬よりも 自己治癒力の力が大きいのです。

目先のことに一喜一憂することよりも

全体を展望する視点になれることで あなたはより賢明な判断をするようになります

どんな習慣を取り入れるか 日々の暮らし方があなたの人生を変えます。

穏やかさと調和へ

それは誰にでもできることなのです。

意識の深いところの話

暑さが一段と高いお盆前の時期ですが

皆さま いかがお過ごしでしょうか。

外に出かけなければ 室内でエアコンをかけて穏やかに過ごすこともできますね。

こういう時は文明をありがたい と 思うのですが

こんなに暑いのは 都市がコンクリートやアスファルトで固められているからかもしれないので

文明には利点と弊害が同時にあるなぁ と 思います。

文明や道具は使いようで 私達人間が良い使い方をすれば 限りなく善いものにもなりますし

同じものをエゴを満たすために使うと 結果はとても多くの苦悩を生み出すことになります。

何が大事で なにがそうでないか 

それは形やモノで判断できない と 私は思います。

何をするか という表面的な現われでは 本当のことは見えないのです。

どれだけ 分かったつもりでも

物事の一面だけを見て判断したり、

自分が全部をわかったつもりでいると

それは危ういのです。

真実は とても深くて大きく

私たちの目に見えない要因や要素それらは相互に影響を絡め合いながら

一部を切り取って扱うことなど 本当はできないのです。

この世界はどれをとってもそれだけを切り取って存在させることは不可能な

全体が同時にあることで一つの世界がある そういった世界を

私たちは生きているのです

なので、

自分の都合しか考えない というのは とても浅はかなことで

その見えているものの後ろにつながっている世界が

その後どう動くか を 私達人間のエゴの意識はなかなか考えられないのです。

この 表面や一部しか見えない エゴの意識から

全体そのものをとらえられる 真我の意識へと

進化できるようになるには 

やはり瞑想と学び が 必要なんだろうと思います。

エゴの意識からは 何の話をしているのかが見えにくいものですが、

全ての人の内側にある 真我の意識は

矛盾や波動はわかるものなので 

私たちは心の奥底で 真実を感じて知っている ともいえるでしょう。

ですから

意識の浄化を進めて カルマがとれてしまうと、

本当に 真実しか見えなくなるほどです。

 

ベースである空の意識は 本当は静寂だということも

それを見たいと思う人がいれば、全ての人が 観ることは可能だと思います。

ただ、それを邪魔するエゴの意識、マインドが

それを受け入れる(受け止める)ことを拒否するので

少し 時間がかかるのでしょう。

 

でも、真我も愛も空も

かならずすべての人の内側に存在します

なぜなら 私達生き物は そこから生まれて来た存在だからです。

 

本当のニーズ

今日は ちょっと抽象的な話をします。

深く考えずにとらえてください。

 

私達人間は 自分自身のことがよくわかっていないことが多いんです。

自分が認識する自分を 自分だと思い込んでいますが

その自己イメージは ちょっと もしくは かなり ズレていることも少なくありません。

 

例えば、あなたの周りに 「私って気が弱くて何にもできないから誰かに助けてもらわないといけないの」と 言いつつ、周囲の関係者を良いように使い走らせている 実は強い人 とか 

被害者的な立場を主張するけど、あんまり被害者とは思えない人 とか

平和主義! 平和を勝ち取ろう!!と声高に 戦っている人 とか

自信家のように振舞っていて、丁重に扱われないと激怒しちゃう人 とか

 

本人が持っている自己イメージと 傍から見たその人のイメージが なんか、違うやん

って 思う事 相当あるんですけど ね。

また逆のパターンでは、素敵なのに自己評価が低すぎる人 とか

完璧じゃない と自分自身を嫌っている人 とか

(あなたでダメなら 我々はどうしたらいいんですかね~?)ってツッコみたくなったり。(笑)

そう言うケースを観ていると、 あのことわざを思い出します

頭隠して尻隠さず

うん。丸見えですけど~~。

そして こう思うわけです

「私もバレとるっちゃろ~ね」 そう、本当の姿が。

隠すも何も 前しか飾れてませんよ~ 

後ろから見たら 丸見えですよ~

 

瞑想をして感性がクリアになってくると もう 見えるのなんの って。

ほんと笑っちゃうし。 自分の後ろ姿まで 見えちゃいます。

「ああ、飾るのバカバカしいよね。どうせバレてるなら あるがまま 隠すのやめます~」って。

開き直っちゃうわけですよ。

なにせ カッコ悪い自分を隠してる自分 がバレてるわけですから 余計に痛い。

いや、馬鹿にしたりしてません。

自分がものすごい必死にやってたこともあるので、そんな 人様をバカにするなんて絶対できません

その苦労たるや、人生を捧げてるので マジで「お疲れ様ぁ~」とねぎらいたいわけです

で、それ以上やっても 最後はバレちゃうんだけどなぁ って 。

そんな無駄な苦労は しなくていいんじゃないか と私は思うわけですよ。

それは人の目をごまかしてるんじゃなくて、自分の目をごまかしてるだけ なんで。

瞑想でクリアリングが進むと、表面だけじゃなくてエネルギーも感じ取りやすくなるものですから

どうしても 隠してるものが チラチラ見えちゃうわけですよ。

 

で、何が一番カッコイイか?と 言いますと、

自分の欠点も笑って認められちゃうような キャパの大きな人物ですね。

おどおどすることなく どっしりとグランディングしてぶれない大きさ 

そう言う人は いざという時 多くを救おうとしますね。

エゴで尊大にしている人は 中身が小っちゃいですから、

じゃなくて 魂が幼いですから 自分しか守れません。

まぁ、一人で逃げちゃってもいいんですけどね。

それもアリ

ただ、そういうキャパの人に 豊かさは集まらないわけです。

キャパが小さい ということは。

 

あなたの愛は どのくらい成長したがっているでしょうか。

魂は あなたが設定してきた試練を集めて

磨かれようと待ち構えています。

表面の意識がどう思っていたとしても

あなたの魂と命は

最初から 在るように在る

そして 自然にあろうとするのです。

 

心の望むままに生きてみてください。

怖れや欲なんて そんなに要らない ということがわかってきます、

起きた摩擦は 受け流す

それは耐えることではありません。

ただ、その感情を 神に預ければいいだけのことです。

委ねれば浄化されていきますから。

ワクチン

賛否両論渦巻くコロナのワクチン、

打った方がいいのか 打たない方がいいのか

今の所 真実はまだわかりません。

私は わからないものは 「わからない」という扱いですので

この場合、まだ 判断しません。情報収集中 と言いますか、様子見なんですね。

先日、ワクチンの予約ナンバーが送られてきて、ワクチン接種の権利を頂きまして、

どうしようかなぁ と 思いつつも申し込んだんですが、

前日にめずらしく体調がすぐれなくて ドタキャン となり。。。

その後、2週間くらい、本当に珍しく痛い所やあちこちいろんな所の不具合(あきらかに風邪とかじゃない歯痛など)が出て

そのまま 予約もとれないまま 現在に至っています。

社会的には 人と接する仕事をしていますので

受けなさいよ と言われたりもして 申し込んだのですが、

なぜか タイミングが合わなくなって 打てない 

こういうことって、私にはしばしばあるんですが、

そういう時は無理に実行しようとしない方が良い事の方が多いので

やはり そのまま様子見に入っています。

理由とか 正当化 としては いろんなことが言えるのですが、

実際は見合わせる理由ははっきりしていないので、

タイミング待ち なんでしょうね。

どうなるのか 興味津々です。

でもまぁ、すごくワクチンを打ちたい方が先に打てる方がいいですから、

わたしのようなどっちつかずな人は後回しがいいでしょう。

いずれにせよ 自分自身の体調管理には責任がある とは思いますので

少しでも感染?と疑われるようなことがあれば ご予約を延期する御願いをするかもしれません。

皆様も 予約をしてしまったから 無理して行こうと思わなくて大丈夫ですので

不調の場合はドタキャンして大丈夫ですよ。

キャンセル料は取りません。 今日は行けません と ご連絡くださいね。

どんな時も 流れ次第を大事にしましょう。

大いなる流れは 壮大です。

1時間、1日、1ヶ月など とても短い時間なんです

予定が狂う なんてこともイライラの対象にはなりません。

だってほら、 いつも気分次第で何をするか決めているんですから。

晴耕雨読 みたいに  時間が空いたら 別のことができるじゃないですか。

のんびりいきましょう。

自分に起きることも 他者が起こすことも

すべて、流れ次第です。

起きることが起きる 

この世界は 基本 思い通りにできるようなものではないので

自分の方が 世界と調和して 今を過ごす 

それが平和の秘訣です。

安定しない時は特に思いやり合うことが大事ですね。

他者を責めるより 思い遣る方が ずっとずっと幸せです。

自分も他人もどちらも大事にしましょう。