カルマを手放す

なかなか長引く長雨とコロナ禍ですが みなさまご機嫌よくお過ごしでしょうか?

んなわけないW と言いたくなる方もおありでしょう。

実際 気分が塞ぐ というお声もよく聞きます。

魂が壁にぶつかって その壁を突破する時は、苦悩や閉塞感、苦しさを味わいます

ある と思っている壁は突破する前は 厚く果てしなく高く見えます

ある と思い込んでいる谷底も 目がくらむように深く見えます

お釈迦様が指差す彼岸はパラダイスかもしれないけれど、

こんなの向こう側に行けるわけがない 

そう感じて多くの人々は我慢して苦しいままの現世に留まっています。

「彼岸てあの世のことでしょ?私はまだ生身の人間だから」と

そう言う人もいます。

いえいえ、違うんですよ。現世フィルターが取れれば

そこはもう彼岸なんですから。

そのフィルターを外すために必要なのは 今あなたが抱えている

怖れ というカルマを外すこと

これを失えば生きていけない とか

これを手放せば人としての尊厳を失う とか

これを手放せば誰からも愛されない とか

そういった基準を手放してごらんなさい と言われる傍から「いや、無理でしょ」と反応が起きたりします

それは罪を犯すような危機感

だけど、観念を外す ということは罪を犯す ということとは別です

あなたの中にある「〇〇でなければならない」という握りしめている思いを

そっと緩めて 掴まないで みてください。。。

何か起きますか? 起きません。

握りしめている強い思いを そっと手放して

掴まずにそのままにしておく。

あなたはもうその決まり事にしばられていません。

何かが起きた時、

その決まり事(ルール)という剣を手にして

事態を一刀両断したい気持ちにかられるかもしれません。

でもその剣は 相手にだけでなく あなたに刃を向けているので

あなたがそれを取り込むと あなたはその脅威に脅かされ続けます。

正しさの剣は良い事ばかりではありません。

悪い事を起こさないために 平和を犠牲にするのです。

あなたがいる世界を 本当に心地よく温かいものにしたいなら

あなたの中の波動を 愛に換えてください。

あなたが愛だからこそ 愛が集まるのです。

愛は表面的なものではありません。

愛のふりをして(表面的に愛を装って)

内側が怒りや悲しみでいっぱいなら

集まってくるのは内側の波動に共鳴したものです。

外側には何も出さなくてもいいんです。

アクションは特に必要ない

あなたの内側を 愛と思いやりに換えてみてください

その前に 出てくる怒りや悲しみがあるならば

その怒りや悲しみを受け止めて 愛と思いやりで包むのです。

カルマの解放に立ち会うのは覚悟が要ります。

あなたの横で嘆き悲しんでいる人に寄り添う事と同じ

あなたの中で怒り悲しんでいる人を見守るのと同じ

でもそれは ただの解放です

過ぎ去るのを待つのみ。

しっかり感情を解放できた人は 

涙をぬぐい、立ち上がります

「気が済んだよ」「もういいや」と 笑顔になるでしょう

そう、どんなにもがきあがいても

起きたことを元に戻すことはできません

そうやって 人は 出来事を乗り越えて行くのです。

そんなことがあった でも今日は元気に生きる

与えられた運命 与えられた試練 与えられた体

与えられた命  なのです

あなたのものではありません

自然から借りた あなた という魂の乗り物がその体です。

人生という旅路を楽しむ工夫が要ります

あなたが積極的に楽しまないと

誰かが楽しくしてくれるわけではないのです

疲れたら休むのが一番

そうしたいように そうできるように

あなたが好きなように工夫するのです。

やけになって暴れたり、誰かに八つ当たりしても

その後始末をするのは あなたです。

人生は捉え方次第でいかようにも天国になるのです

カルマからの解放は あなたを天国の住人に変えます。

それが『悟り』なんですね。

なずな