生きる

認識

私達は 自分のとらえ方によって多種多様の世界を体験することができます

ずっとひどい目にあってばかりの損な人生 か

何かが苦しい人生 か

何事もほどほどな人生 か

良い人に囲まれた 恵まれた人生 か

 

これらは 環境があなたに与える幸福量によって決まる のではなく

あなたが 出来事をどうとらえるか によって決まっていきます。

 

「え?そんなわけない!あの人は明らかに自分より美しくすごく恵まれた条件に生まれて来てるし、

あの人はずいぶんお金持ちの家に生まれて ずっと贅沢な人生を送ってる

明らかに与えられるものは違うじゃないか!神様は不平等なんだよ」

私にそう言った人がいました。

その人は自分がちょっと個性的な容姿のためにひどい扱いを受けている とずっと思っていました

十代の頃 学校でひどいいじめのターゲットになっていたのだそうです。

 

若い頃の体験というのは 実に理不尽なことが多いです

本人には何の責任もなくても 辛い状況に置かれることがあります。

 

どんな親の所に生まれてきたか

どんな容姿に生まれてきたか

どんな才能があるか

それらは選べるものではないからです。

 

でも、生まれてくる条件は千差万別で 良いも悪いもくじ引きみたいなもの なのかもしれませんが、

実は生まれてくる時の条件は 魂が選んで来ている と言われています。

 

魂は、あの世とこの世を行ったり来たりしているので、

今回はこの条件の人生をやってみよう! とチャレンジしに来ているのです。 

 

それは悲惨な体験も経験しに来ている というよりは

 

与えられた環境や条件をどう生きるか というチャレンジなんですね。

 

あるイケメン君は 生まれてこの方ずっと周りからチヤホヤされてきたので、人は自分を大事にしてくれるのが当たり前だと思って

人から上等な扱いを受けないと 腹を立てるようになっていました。

見た目だけで人から上等で丁重な扱いを受けていたその男は、年を取って容姿が衰えていくと 誰も相手にしなくなりました。

尊大で人を見下す性格は嫌われたのです。

とても恵まれた条件に生まれた者の陥りやすい末路です。

物事がうまくいかなくなってきた時は 自分の在り方を見直すチャンスです。

そのチャンスを 「俺様が大事にされないのは あいつの心掛けが悪いから」 なんて 自分以外の人を非難してばかりいたら

あなたは 人生を幸福にするチャンスを逃してしまいます。

 

これは男でも女でも同じこと。

 

また、自分が不幸なのは 全部自分のせい と 自分を責めて殻に閉じこもってしまうことを同じこと。

 

その人は こんな自分に生まれてきたのは 神様のせい と思っています。

 

違います。

 

どんな条件であっても その素材を生かすのがあなたの役目です。

「こんな条件じゃ 生かしようがないじゃないか?」と思ってやしませんか?

どんな条件でも生かしようも殺しようもあります。

素晴らしい条件があなたを輝かすのではありません。

困難な条件ほど あなたを輝かせるチャンスが沢山あります。

 

恵まれた条件を最初から持っている人は 魂を磨くチャンスが少ないのです。

 

つまり あるがままを受け入れて 幸せを手に入れるには

心を拡げる必要があるのです。

狭い心では幸せは掴めません。

広い心 つまり悟りの境地。

全てをあるがままに受け止める度量です。

これを掴むことができた人には 恐れや不安がありません。

 

物事を認識する時、そこに抵抗や摩擦(イライラ)があったら

あなたが 心を拡げるチャンスです♪

 

やり方がイマイチわからない!

という方は アトリエ霽月にご相談ください。

あなたと共に瞑想を通じて 悟りの心へとご案内いたします。

 

瞑想者の方は 気になることがあれば いつでもセッション受付けいたします。

何かにぶつかる時は シフトアップのチャンスです。

お気軽にご相談ください。

瞑想中

 

頭の中のストーリー

私たちは自分の意思で生きていると思いますか?

意識的にやっていること、無意識にやっていること いろいろあると思います。

自我の意識はいろんなことをコントロールしようとするので、

仕事や他人の行動はもとより、自分の行動や自分の体も意図どうりにしたいと思ってしまいます。

 

しかし、それをやっていると気付きませんか?

思い通りにはいかない いろんなこと。

ふと、いろんな意図を手放して眺めていると いろんなことに気付き始めます。

怪我をした傷を眺めていると、その傷を治したのは 自分の意思ではなく、身体だ ということに気付きます。

この体は 私の意思とは別に生きています。

身体は 私じゃないのか??  不思議な疑問が湧いてきます。

気持ちを裏腹に 身体が動かない  意図すれど出来ないこと、 意図せずに勝手に成ること

意図せずに 引き込まれる自分の運命・・・

なんだか不思議に思うことはありませんか?

私たちは 生きています。

いえ、生かされています。 この体は自然物です。

その身体に宿った意識が私たちです。

 

意識はいろんなアイデンティティをつかみます。

自分の存在意義です。

 

自分が存在していい条件を自分で設定してしまうと、

その条件を満たさない状況に陥ると、生きていることが許されないように思えてしまいます。

自分で作ったハードルです。

 

本当は自然界には そんなハードルはありません。

 

命は 発生して 生命を維持して いろんな体験をして そして老いてやがて自然に帰ります。

種が子孫を残し 永遠に紡ぐ生命のダイナミックスを想像してみてください。

私たちはその一端に過ぎません。

どんな体験をしたかったのでしょうか?

やって来る状況や宿命は私たちにはコントロールすることができません。

私たちはやって来る状況の中で生きているのです。

 

ただ、その風景の中を どんなふうに旅するかは自分次第です

あるものを見て、

「美しい」と感じるか、「なんだ、食べられないのか」と思うのか

「心地いい」と思うのか「退屈」と思うのか

イヤイヤやるのか 前向きにやるのか

逃げるのか 立ち向かうのか

感情移入するのか 傍観するのか 

 

なんだって自由です。

 

あなたの人生は あなたが作ります。

与えられる条件の中で あなたは何を選びたいのでしょうか。。。

 

人生を面白がって 楽しみませんか?

思い込みを手放すと 変化に富んだ 実に面白い人生です。

心はいつも自由な雲のように

私達人間は 自分の意思で動いて選んで生きているつもりでいますが、

実は何らかの流れに突き動かされて生きているようでもあります。

 

自分の中の感情や衝動は理由があるようで無いのかもしれませんし

無意識の意識が自分の行動に大きく影響していることも事実です。

 

そして 起きることは 予期せぬことも起こり、運命は否応なしにどんどん流れていきます。

こんなはずじゃなかった と思うことも多々あることでしょう。

そう、人生は自我の思い通りには流れません。

 

でも、思い通りにしようと最初から思っていないと、

運命はいろんなギフトを寄越してきます。

 

そして私たちにいろんな提案や、私たちのためになる流れを与えてくるのです。

 

一見、ありがたくないような出来事も 流れの方向には 思いも寄らぬどんでん返しや

苦難と思っていた状況の先には 意外な展開、

要らないものを掃除して 今のあなたに相応しい新たなステージを用意していたりします。

 

もし、あなたが過去の自分に固執し、過去を手放そうとしなかったら、

摩擦はどんどん大きくなるでしょう。

流れは無情にそれを引きはがしていきます。

それはあなたに相応しくないのです。

 

あなたは 新しい環境を恐れないでください。

そして 新しい自分を楽しんで下さい。

 

あなたは 常に今を満喫することができるのです。

楽しみを限定しないでください。

過行く車窓は めくるめく景色をあなたに見せ続けます。

 

今 この瞬間を 思い切り味わう体験

それがあなたの魂を揺さぶり、あなたと世界を共鳴させてつないでいきます。

 

それをつまらない感情や思い込みに留めないように

いつも心は自由で そして景色を楽しみ面白がる余裕を持ってください。

 

あなたは この世界の観察者であり

この世界の一部なのです。

あなた自身がどんな波動を震わせるか

あなたがこの世界の創造者であることを 思い出してほしいのです。

雲

あの雲のように あなたの魂は自由です。

とらわれを手放せば いつでも羽ばたけます。

 

自由な心

あなたの心は 自由ですか?

 

もし あなたの心が 何かにとらわれていたとしたら、

あなたの身体は何にも拘束されていないのに 心は囚われの人です。

それはあなたがあなたを閉じ込めているようなもの

流れはすべてを自然の方向にながしますので、

不自然な在り方を引き剥がしにかかります。

不自然な歪んだ在り方 そう、『 執 着 』です。

 

ダメだとか言ってるわけではありません。執着しても構いません。

何をしてみるかは自由ですから

 

ただ、流れに逆らう在り方は 流れと摩擦を起こしてしまいます。

 

本当に面白いくらいに 残酷に? あなたが執着するものは 引きはがされて行きます。

 

嫌だ! と 抵抗しても、 流れに逆らっているのはあなたの方なので

流れに逆らう限りは 摩擦は圧を増してきます。

 

あなたが何かに執着すればするほど、執着のエネルギーが関係性にエネルギーのアンバランスを作ってしまい

自然な均衡は保てなくなってしまうのです。

 

執着されるものは、そこに居られなくなる。

強い執着 それはブラックホールのような負のエネルギー

 

そんなヘビーなものは誰も引き受けません。

 

「きゃー」っと、蜘蛛の子を散らすように

エネルギーの津波から 全力で逃げ去ってしまう。

だって 飲まれたら大変ですもの。

 

じゃあ、どうしたらいいって言うの?

 

もし、あなたが執着するものを本当に失いたくないならば

執着をやめることです。

 

執着のエネルギーがなければ、それから逃げる必要がなくなります

 

フフフ、ここはジレンマですよね。( ̄▽ ̄)

 

手放せば逃げる失うと信じているので手放せない

でも手放せないと失う。

 

ここでは失うものしか見ていませんから、完全に失うんですよね。

で、

手放したら 無くさないのか??  結果はどう転ぶかわかりません。

そのままあるかもしれないし、無くなるかもしれないし、なくなったかと見せかけて戻って来るかもしれないし、どうなるかはケースバイケース。

正確に言うと、あなたに必要なものは残り、不必要なものはなくなる。

「必要だから苦しんでるんじゃないか!?」

いやいや、あなたがそれを握りしめることで あなたの魂の成長を邪魔しているなら、

あなたの自我がどう思おうと、それは要らないものなのです。

 

あなたの自我は成長よりも このまま甘えていたい。

でも、あなたの魂は 成長する事を望んでいます。

なぜ?

あなたが愛になるまで

あなたの真我は輝きたいのです。

あなたの恐れや思い込みや頑なな自我を手放して

自由な魂で生きたいのです

 

流れに奪い去られた後、どん底へ「ぎゃーっ」crying

一瞬奈落に落ちたような気分になるかもしれません。

 

しかし、

あれ?

おや?

( ゚д゚ ) ( ゚д゚)ポカーン

突き落とされた先は 

浅瀬ウニ湖

浅いんか~い (゚Д゚)ノ

てな 奈落幻想の落ち方 経験してみるのも面白いですよ。

フフフ。w

 

ちなみに 私はこれは3回くらい経験しましたね(笑)

手放した途端、景色が変わる というのは ホントです wink

とっとと手放せ~ q(*´▽`*)p

ちなみに 手放すのは心の中で 手放せばOKです。

事後処理は流れがしてくれます。

コントロールを手放すのです。

執着を手放す修行

暑い日が続きますね。まだ夏が始まったばかりですが。(笑)

初っ端から豪快に飛ばしている夏でございます。 

 

このところ、人様の人生の試練に立ち合う機会があり、応援団と言いますかサポート任務に奔走している日々です。

はっきり言って、試練は 本人にしか越えられません。

まわりは どうしたらいいかわからないか、手に負えないと近づかないか

私みたいなもの好きは、方向性が見えてるだけあって こっちだよ と言いたいものの、いえ、言ってるものの

なかなか伝わらないこともあるものです。

 

伝わらない理由は 時期尚早だから 。

体験が充分でないと どれだけ真実を言っても伝わりません。

「まだ手放せない」と本人が言い続ける限り、苦しみが続きます。

「それ、握りしめてるやつ 離せば苦しみが消えるよ」 って言っても

全力で握りしめている人には太刀打ちできません。

全く離す気がないうちは 言っても徒労に終わる。

 

そうだな って 思います。

一通りのことを言ってみて 受け取らないなら 

またしばらく時期を待たねばなりません。

 

体験を奪ってはならないのです。

むしろ、言い過ぎると、余計に握りしめてしまいますから、

引き時は肝心です。

 

流れに委ねてみようね。

なるようになる。

 

そう、失って怖いものなどないのだ。

なるようになる。

いつもそうやって流れは続いているのです。

今、一番幸せでいることを選びましょう。

後ろを向いても 過ぎ去った景色はもうここにはないですから 前から来るものを楽しみましょう。

 

来るものが来て 去るものは去る

電車の景色のように あなたの人生の景色も 眺めて楽しんでください。

好き嫌いなんて 関係ないさ。

在るものが在るだけなのです。

全部 面白い。

 

(今、転換期でひっくり返ってる時期ですから みんな大変なのよ。)

そろそろ腹をくくろうか。。。  smile scissors

摩擦の原因

様々な人生ドラマ

様々な人間模様があります。

あなたの人生はいかがですか? 人間関係は良好でしょうか?

 

このところ 激しい変化の渦中にいる人々に接する機会があり

それをどう受け止めるか という 試練を頂いています。

 

私自身の事だと 意外とシンプルなんです。

今の私に何ができるか? それだけです。

怒りとか悲しみとか 激しいものが出ることはほとんどないので ただ、問題や目の前の困難に対して どうアプローチするか?だけを考えます。

 

あ、でも、あることに気付きました。

自分の身体がひどく疲れている時に、 やはり気持ちの余裕は少なくなるようで、

割と短時間に 辛抱が切れる ということがわかりました。(笑)

 

クタクタに疲れていたある日、

家族も疲れていて、

でも、そんなときでも食事の用意は苦手ではないので私はするんですね。

自分はお腹が空いていないのでて家族の食事だけを出していた時

お皿に取り分けていたら「そんなに食べられないよ~」と嫌な顔をされました。

瞬時にキレてましたね(笑)

「なら食べんでいい」と そのメニューを下げてました。

 

私のよくあるパターンで、子供にはしばしばやったかも・・・。

文句があるなら 自分で用意しろ  と 思ってしまうのです

大人げないです(笑)

 

無理して家族に優しくしていると

自分の心がパサパサになってしまうことがあるので、

できるだけ無理はしないようにしています。

無理して家族の世話をすると してやってるのに と恩を着せてしまうからです。

ひどくなると させられてる になってしまいますし。

特に主婦の方は要注意。

喜んでできる範囲にとどめたい。

私がしたいからやってる と思えないことは 基本的にしません。

 

恩を着せたり、させられてるなんて思ってしまうと 相手への敬意や愛情を失ってしまうからです。

できない ごめんね  は言っていいかも。

相手が怒る時は それは相手の課題です。

甘えているなら 改めてもらわないといけません。

 

あまりしすぎるとしてあげることが当たり前になってしまい、

相手が自分でできなくなってしまいます。

 

適度に手を抜く時も必要かもです。

相手を自立した大人に育てるのは 互いの務めかも。。

 

基本、一人で生きていけない人は誰かに依存しなくてはいけません。

そうなると 重荷になってしまうんですね。

私自身も かつては人に依存する方だったので 気持ちの摩擦は大きかったです。

依存している人は摩擦を作り出してしまいます。

 

依存を手放すと とても生きやすいですよ。

すべてが自分次第になります。

誰も縛る必要がなくなります。

 

関りが愛だけになります。

流れがあなたを養うようになります。

 

生きてるだけで 幸福

必要なものは与えられる

 

選り好みして枠を狭めると 選択肢がわずかに限られてしまいますから

私たちは 手放して 信頼して委ねることがとても重要になって参ります。

 

生きてるだけでOK

そんな幸せ 味わってみてくださいね。shine

【 アルフレッド・アドラーの名言 】

【自分の不完全さを認め、受け入れなさい!相手の不完全さを認め、許しなさい】

ここに書かれていることは、私の一連の悟り体験で得た感覚と同じでした。
本当に全くもって一致しています。ぜひ皆さんに深く読み込んでいただきたいのです

引用はこちらのサイトです→ 看護師転職・求人.com

 
【 嫌われる勇気を!アドラーの名言 】
 
(1)
 
人生が困難なのではない。
 
あなたが人生を 困難にしているのだ。
 
人生はきわめて シンプルである。
 
(2)
 
究極的には、われわれの人生において
 
対人関係以外の問題は ないように見える
 
 
(3)
 
健全な人は、
相手を変えようとせず 自分がかわる。
 
不健全な人は、
相手を操作し、変えようとする。
 
 
(4)
 
できない「自分」を 責めている限り、
 
永遠に幸せには なれないだろう。
 
今の自分を認める 勇気を持つ者だけが、
本当に強い人間に なれるのだ。
 
 
(5)
 
重要なことは人が
何を持って生まれたかではなく、
 
与えられたものを
どう使いこなすかである。
 
 
(6)
 
苦しみから抜け出す方法は
たった1つ。
 
他の人を 喜ばせることだ。
 
「自分に 何ができるか」を考え、
 それを実行すればよい。
 
 
(7)
 
「自分は役立っている」 と実感するのに、
 
相手から 感謝されることや、
 
ほめられることは 不要である。
 
貢献感は「自己満足」でいいのだ。
 
 
(8)
 
すべての悩みは 対人関係の課題である。
 
仙人のような 世捨て人でさえも、
実は他人の目を 気にしているのだ
 
 
(9)
 
楽観的であれ。
 
過去を悔やむのではなく、
未来を不安視するのでもなく、
 
今現在の「ここ」だけを 見るのだ。
 
 
(10)
 
陰口を言われても 嫌われても、
 
あなたが気にすることはない。
 
相手があなたを どう感じるかは
相手の課題なのだから。
 
 
(11)
 
妻の機嫌が悪いときに、
夫が責任を感じては いけない。
 
不機嫌でいるか 上機嫌でいるかは、
妻の課題。
 
その課題を勝手に 背負うから苦しいのだ。
 
 
(12)
 
やる気がなくなった のではない。
 
やる気をなくすという 決断を自分でしただけだ。

 
(13)
 
変われないのではない。
 
変わらないという決断を 自分でしているだけだ。
 
 
(14)
 
「よくできたね」と 褒めるのではなく、
 
「ありがとう、 助かったよ」と 感謝を伝える。
 
感謝される喜びを 体験すれば、
 
自ら進んで貢献を 繰り返すだろう。
 
 
(15)
 
ほかの人の 自分に対する評価は、
 
その人の 個人的な意見であり、
 
自分の評価そのものには、関係しない
 
 
(16)
 
誰でも、どんなことでも
成し遂げることができる。
 
 
(17)
 
暗いのではなく、優しいのだ。
 
のろまではなく、丁寧なのだ。
 
失敗ばかりではなく、たくさんチャレンジをしているのだ
 
 
(18)
 
人は失敗を通じてしか 学ばない。
 
 
(19)
 
人生における あらゆる失敗の原因は、
 
自分のことしか 考えていないことにある。
 
 
(20)
 
遺伝もトラウマも、 あなたを支配してはいない。
 
どんな過去であれ、未来はいまここにいる あなたがつくるのだ。
 
 
(21)
 
個人が存在する意味とは何か?
 
それは人を助け、 勇気づけ、 喜びを与えることである
 
 
(22)
 
いつも治療よりも 予防が大切である
 
 
(23)
 
もっとも重要な問いは「どこから」ではなくて
「どこへ」である
 
 
(21)
 
自分だけでなく、
仲間の利益を 大切にすること。
 
受け取るよりも多く、相手に与えること。
 
幸福になる唯一の道である。
 
 
- アルフレッド・アドラー -

愛と執着

男女の愛、夫婦の愛、親子の愛 

愛だと思っているものは 本当に愛なのか?

試される時があります。

 

私が初めてスピリチュアルを学び始めた時、私の友人はこう言いました

「あるがままに在らせるのが愛だよ」

「愛は失うことがないけれど、執着するものは必ず失う運命にあるの」

「愛は与えるもので 見返りを求めない」

 

あるがままに在らせること それまではそうじゃない自分がいた。

あのように在ってほしい。

このようにしてね。

それはダメ

そんなの許さない

あなたのためだから

どうして言うことを聞いてくれないの?

私を裏切るつもり?

私から離れようっていうの?そんなの許さない

こんなに愛しているのに。

私だけのあなたでいてね

 

そんな思いを見つめながら

それは愛ではない ということに気付いていきました。指図や独占欲は愛じゃない。

 

あなたの幸せを願ってのことなのよ?(私の言うことを聞きなさい)

どこにも行かないで ここにいなさい。

あなたがいないと生きていけない・・・

 

 それは愛じゃなくて依存

 

誰の幸せ?

誰の納得?

誰の満足?

 

相手の望みを無視して 私の満足や納得のために相手に強いること

 それは愛ではありません。

 

それがどんなに正しいことであろうと

どうするか選択権は 本人にあります。

 

 どう生きるか 望むようにさせてください。

 

たとえ、失敗することでも

それはその人にとって とてもとても貴重な体験かもしれません。

体験を奪わないで 愛で信頼し 見守ってください。

正しさは一つではないのです。

 

大きな大きな愛は どんな苦悩も

包んで癒してしまいます。

 

何かを失うあなたの痛み  それは愛のためにあなたが手放す執着の痛みです。

どうか あなた自身を愛にしてください。

 

あなたが愛になった時、あなたは愛する者を永遠に失うことがなくなります。

なぜなら、その対象は あなたの世界で自由に存在し続け あなたとずっと愛で繋がっているからです。

現実は小説よりも奇なり

ちょっと間が空いてしまいました。

皆様おげんきですか?

 

私はここしばらく とても不思議なワールドに迷い込んでいました。

 

人間の感情とストーリーの渦巻く世界

 

人様の世界というのは 実にドラマチックで

そして奇妙です。

自分の見ているものは とてもリアルな現実 だと感じているんだと思いますが

それは本当にリアルなのか

 

定かではありませんよ。( ̄▽ ̄)

 

世にも奇妙な物語 ってTV番組がありましたが

あんな 幻想的なことが 現実でも起こります。

 

起きていることはたった一つの真実のみ なのに

それを挟んで対立している人たちが見ている景色は

表と裏 よりも違う

異次元のストーリーです。

 

あなたが見ているものは 真実ではありません。

 

自分が見ているものも真実とは限りません。

 

更に 脳の記憶は 都合よく書き換えが起こります。

 

ですから、どちらの見解が正しいのか なんて 無駄な討論かもです。

 

真実は一つですが

見ている現実は多種多様

たった一つの正解が存在しているわけではなく

無数の答えが散在しているのです。

 

あなたが幸せにいる答えを選んでください。

真実を明らかにする

このところ、参院選のスピーチを聞く機会が多いのですが、

なかなか感心させられます。

特に 大西つねきさんという経済学者の方

面白いですねぇ。

 

『本当に大事なのは お金じゃない。皆さんの時間と労力(経験)です』

 

とおっしゃる。()内は私の翻訳です。

労働はエネルギー そのエネルギーに価値があるんですね。

お金にそのエネルギーを乗せてやり取りしてる

 

でも、本当は、私たちは何を体験して何を理解するか が とてもとても大事なんです。

 

だって、あの世に持って帰るのは それだけなんですから。

お金を沢山集めた経験 それは何になるのでしょうか?

そのために犠牲にしてきた時間の数々

関りを捨て、愛を捨て、人の温もりをあきらめて

得たものがお金 って  悲しくないですか?

子供のために残したお金で 子供が兄弟げんかをしたり、

欲に目がくらんで奪い合いの争い そんなものを残すことを

あなたは望むのでしょうか?

 

お金があることで特権意識を持ち、人を見下すこととか

その優越感って幸せなんでしょうか?

 

そこに愛はかけらもありません。

お金のある所に人は群がりますが、

それは愛ではありません。

お金が無くなった途端、蜘蛛の子を散らすように人がいなくなります。

 

お金とは 砂糖のようなものですね。

麻薬のようなものかもしれません。

人を狂わせる副作用を持ったものです。

 

そういう意味では 財界の人たちは薬中?

いやいや、アヘン戦争を起こした人と同じです。

支配のためにお金というヤクを使っている

それが無いと生きていけない薬中、いえ、金中になっている現代人

維持するモノとそれにかかるお金、

 

あなたは もう何もかも要らない って思ったことはありますか?

私はあります。

でも、自分が投げ出すと 誰かに迷惑をかける と思うと投げ出せない

そんなジレンマで生きている都会人は少なくないと思います。

 

執着があるうちは もっと苦しいでしょう。

私は 何もかもなくなった時はその時はその時 っていう

諦めというか、開き直りみたいなものがあります。

限られた命で いつかすべてを手放してあの世に帰るなら

執着なんて持ってもしかたないのです。

 

その代わり、生きてる間中、自分ができる限りの愛を表現したいんです。

生きてる間中、自分も笑いたいし、みんなの笑顔を沢山見たいんです。

 

そういう思いと同じ思いの人が 街頭演説をしていました。

 

生きるためにお金がかかる仕組みの社会で

生きるためにフウフウ言いながらお金を作って

それだけでクタクタ って

お金の奴隷なんですね。

仕事の疲れをとるために、整体とかマッサージやヒーリングでお金を散財して

私何してるのかしら って言った人がいました。

ホントにねぇ・・・って。

 

そんな社会を変えたいと実際に動き出した人。

お金中毒の幻想を剥ぎ取ってもっと生きやすい社会システムを作ろう!っていう人達

応援せずにはいられません。

 

みんなは、お金で満足するよりも 愛で満足できる

そんな世界は遠くありません。

 

だって、それはもう始めてる人がいるんですから。

ブータンではそんな政治が実際に行われているんですから。

 

私はこの日本の変化をワクワクして見ています。