家族の学び

親子関係の学びについて考察してみました。

先日、娘に子供時代に傷ついた話をされて上手に対応できなかった話を書きましたが、

最近、父の前で妹が泣いて部屋を出て行ったということがあったそうで、
妹がなぜ泣いたのかがわからず、父がとても困惑している ということが起きています。

同じやん。。😅

私の父はたぶんとてつもないノンキ者と言いますか
たぶん、かなり鈍感な人なので、妹が両親の板挟みになってたことがよく理解できないんですよね。
自分が落ち込んだり、他人のことで心を痛める ということがあまりない
良く言えばスーパーポジティブな人なので、人が苦しむ ってことになかなか共感できないっぽい。

妹は私なんかよりもとても繊細ですから、他者がどう感じているかを察する というより被ってしまうのでとても辛かったと思います。
私などは、親の問題は親の管轄、私には関係ない とスルーを決め込むことができたんですが、
妹は私よりも両親に近い位置で生活していましたし、振り回されることも多かったですから可哀相でした。
感受性は変えようがありませんしね。

ここのところ、私の長女の主張と全く同じなんですが、
親側の視点から言いますと、当時はそれでも一生懸命生きてて、それでも最大限に頑張ってた・・・としか言いようがなく、それ以上に自己犠牲も払えなかった(情けないのですが)
方法がわからなかった のかもしれません
これはもう「力不足でした、申し訳ありません」 としか言いようがない。

でも、本人には自分を守るためには強くなって頂くしかありません。
代わりに苦しみを背負ってやることはできないんです。
仕返しされたところで (本人のためにも) 何の解決にもならないし。

同じような思いをしている方は年齢に関わらず多くおられると思います。

両親は、年を取れば取るほど、変わるのは難しくなります。

もしご両親が若ければ、決裂することも覚悟でぶち当たった方が私はいいと思っています。

もしそれができないなら、離れても生きていけるように自立した生活をしてください。
何らかの依存がありますと、離れられなくなりますし、依存関係はそうやって依存するように作り上げられたりしがちです。
傷付けられるところに長居してはいけません。

私は依存から離れたかったので30代に入って、父から給料を出してもらう仕事はやめました。

親にとっては娘の生活を心配しての援助のつもりだったかもしれませんが、
それが娘の人生の重荷になっていました。

成人した子供は自立させてください。

親御さんが頼りないと思えるご家庭は幸いです。
子供は自然に自立します。
子供には愛情さえあれば良いのです。

親が子供の人生を支配コントロールしては、ろくなことになりません。
いつか それらはひっくり返される時が来ますし、復讐されちゃいます。

私自身は、不思議なことに30代の終わりに、あるセッションを受けたのが原因だと思いますが、
夢に出てきた父が私に謝ったことで父への怒りが消えてしまいました。それ以来、過去の怒りは起きないんです。その時に夢で泣いて解放しちゃったんでしょうね。

父と母がうまく行かなかったのは父だけが原因ではないし、
どの人と夫婦になるか というのも宿命ですし、人生の学び と思いますので、
恨みで終わらせてはならない という風に思っています。

そういう意味では怒りの気持ちを手放せなかった母の方が学びを終えられなかった と思っています。彼女は来世で学びの続きをすることでしょう。でも、亡くなって魂になった母は本当のこと答えを分かっているとも思います。
今の魂だけになった母は自由になって昔の事なんか忘れてる気がするんですよね(たぶん)

身体を抜ければ皆 本当の事が分かるそうですよ。

だから、恨み苦しむのはこの体にいる間だけですし、その恨みも、カルマを解放しきってしまったり、学びが得られて愛を見つけられて赦せたら、怒りはなくなるのです。
魂は怒りは持って帰らないけど、現世に置いて行きますけどね。

人は皆 愛で繋がりたいのに エゴが前に出てくると奪い合いになってしまいます。

愛だけを出す人が すべてを愛に変えていけます。

それが分かってからは迷いません。
自分が出すものは愛だけで十分です。

もちろん、身体にはエゴはありますから、エゴの感情は湧き出します。

でも、わかっているなら、何を出すかを選べます。

怒りが出てきたら、それが消えるまで待ちます。

怒ったっていいんです。解放が終わらなければ消えません。

妹はとても優しいんです。
父も本当はとても優しいんです。

母はとても愛情深い人だった。だけど生い立ちが辛かったので孤独だった。

人間には愛する余裕がなくなる時だってあります。

誰も最初は愛しかありません。
でも、いろいろ恐れるようになって 愛から離れてしまうのです。
自分たちがこの世界から愛されていることを忘れて 孤独になってしまうのです。

もしあなたのご家族が愛を忘れてしまっている人なら 離れていいのです。

心配することはありません。

私たちは生かされ、愛されています。

また、人を生かし、愛する手となって動くこともできます。

愛に溢れた人は 本当に幸福なのです。