自我は正義が大好きです。
私は正しい。
私は間違っていない。
私はちゃんとしてる。
これがあると私は愛される価値があると感じるのです。
それは、あなたが他者を見る時にその物差しを使っているからでもあります。
価値基準は自分が作ったものというより、
育つ環境の中で培われていきます。
親や教師が言い聞かせてきたこと、
自分が見たり聞いたりして取り込む価値観もあります。
親が反面教師だとその反対側に振れます。
色んな関係性や体験から生き方やルールを学び取り込んでいきます。
なので、そのルールや価値観は様々です。
時代が違えば殺人者が英雄であったり、
上の身分の者が人を切り殺すことが許可されていたりしますし、
君主の下僕として生きることが美徳とされた時代も長くありましたし
今では野蛮に見える奴隷制度もかつては当たり前だった。
それらは現代では犯罪です。
まだまだ人間の意識は未熟ではあると思いますが、時代と共に徐々に野蛮さを脱皮して行ってると思います。
古き良き時代 という表現がありますが、その頃の男尊女卑を想像するとその時代には生きたくない気がします。
未来から現代を見てもそう思うのかもしれません。
高度な文明というのは 野蛮さを落とした全体意識なのではないか と思うのは私だけでしょうか?
狭い正義、独自の正義から視野が広がり、全体が見えるようになる。
意識の成長は、豊かさの質を見分けることもできます。
つまり、エネルギーのアンバランス (お金もエネルギーです
搾取や独り占めした富の行方が崩壊につながることを知らないお金持ちはいずれ没落します。
それは自然法則を知らず、流れを無視した人のやらかす失敗です。お金だけしか見ていないとそれ以外のものが見えなくなってしまいます。(資本主義社会)
真の豊かさは大きな循環です。循環は終わりがありません。
物だけではありません。愛や思いやりもエネルギーです。
愛の循環は幸福です。全てを癒し、調和させます。
正義というものが愛の循環を止めるようなことがあれば、それは存続しません。
そして古い価値観は終わってゆくのです。
真の平和と調和を学ぶ世界に移り変わるでしょう。
それがサステナブルです