温かい心

冬至、さすがに寒いですね。

父に冬物のカジュアルコートを買ってあげました。

雨が雪に変わっていました。

子供の頃は父がいろいろと買ってくれた記憶がありますが、今は私があってあげるんだなぁ とそれから長い年月が経ったことを感じます。

私の父は ちょっと尋常じゃないくらい楽観的な人で、

余りにも出来事を気に病まないので どこかおかしいんじゃないか?と不思議に思うほどです。

家族でそういういう性格なのは 父だけです。

これは職業柄 というのもあると思います。

お客さんに常に時間を楽しく過ごさせる という仕事だったので

そういう姿勢が癖になって定着したのだろうと思いますが、たぶんそれだけじゃなくて

生まれつき ネガティブにはなりにくい性格なのでしょう。

ちょっと聞くと すごくいい性格に思えますが、デメリットもあります。

楽観的すぎて腹立つこともあります。周りが「人の気もしらないで!」という気になる(苦笑)

でも、それでも気にしてない というか気にできないようです。

それで母は苦労したと思います。母はたぶん真逆だったので一人で苦労を背負ってました。

でもそれも父のせい ではないように思います。母は誰と一緒にいてもそういう性格に生きた気がします。

父と一緒にいると 違いを感じますし、反応する自分が目新しく映ります。

反応するのはせいぜい半日くらいなのでどんなに頭にきても翌日には普通です。

人は 違いで摩擦を感じることが多いと思います。

その時は相手がおかしいように見えます。

でも どちらがおかしいというわけではなく 違うんだ ということだけなんです。

これまでの人生の中で、許せなかったすべてのことは ただ違っていただけかもしれません。

違いを見た時、裏切られたと感じることがあります。

でもそれは裏切られたのではなく、相手が自分自身を生きただけなのかもしれません。

それをしないでほしかったことを ただやってしまっただけかもしれません。

裏切った というより、したかったことを我慢しなかっただけかもしれません。

あるいは こちらの理想通りに生きられなかっただけかもしれません。

ふと、自分がどういう生き方をしているか と 考えた時、

私は人に合わせるのはあまりできません。

元々、細かい事はどうでもいいことが多いので通常の人間関係では理想とか希望があまりないので

相手を否定することもないんですが、相手が自分の理想を押し付けてきた時、

私は全くそのとおりにできません。自分の自由意思の範囲でしようと思えることしかできないのです

そういう自分がありながら、他者に自分の理想を押し付けるなどできようはずもありません。

それはする人はするのかもしれませんが、

私がそれをすると、内なる神が「お前はどないやねん」と大阪弁で言ってくるので(笑)

「やめとこ」になります。

幸いなことに 自分がしたことを他人が自分にしてくる という宇宙の法則通りに

私を変えようとする人は全くいません。私も他人を変えようと思いません。

どうせ変えようと思っても変わらないのですから(笑) 変えようなんてそんな骨の折れることしません。

相手は私が変えようと思って変わるのではなく、自然に変わる時に変わるのです。

そして、自分もいつの間にか気が付いたら変わっています。

私も変わりたいと思っていた時は変われませんでしたが、

そういうことを思わなくなって、気が付くと随分前の自分とは違うことに気付きます。

人は変わらないこともあるし、刻々と変わることもあります。

言い換えると、変わらない部分もあるし、日々クルクルと違った自分も出る ということです。

人間とはそういうものです。

自分自身が仏の心でいると、他者も仏の部分で接してきます。

エゴを出していると、エゴで対抗してきます。

世界も同じです。

エゴをむき出していると 世界がエゴを向けてきます。

もし、生きづらいと思ったら、自分の生き方をちょっと変えてみてください。

難しい事はないんです。

今この瞬間だけ エゴではなく愛を選ぶだけ。

その瞬間瞬間、気が付いたらそうするだけです。

出来ない時もあります。

でも、この世界のエゴを減らすのは 私たち一人一人、自分自身なのです。

求めるのではなく 与えてください。

ただ、愛を為した 誰かがではなく、あなたがすればいいだけなのです。

花