罪と罰

本日のタイトル、かの文豪の歴史的文学小説のようですが
すみません、それとは関係ありません。

最近はTVはほとんど見ないのですが、ネットでニュースなどを見ます。このところは長年隠蔽されてきた罪が暴かれて問題になっている事件などがありますね

犯罪の被害者と加害者 という関係、
迷惑をかけられたものとかけたもの という関係性において
怒りや恨みの気持ちをどう取り扱えばいいか ということについて
ちょっと書いてみます。

怒りの感情は 誰にでもあります。
理不尽な怒りならいざ知らず、当然の怒りも起こります
怒りに良い悪いは本当は無いのですが、正当に思える怒りは
復讐してもいい、あるいは賠償してもらっていい という認識があったりします。法律で決められていることもありますしね。

昔の時代と違って、武士はそれ以下の民が気にくわなかったら切り殺していい なんて法律はもうなくなりましたけど、
それを思うと、法律の正しさなんてわからないものだ ということは理解できるでしょう。

魂とか神レベルでのお話をします。

私は神ではありませんので断定はしませんが、
この世界の道理 としての法則 でこういうのもある ということなので理解して損にはならないでしょう。

今 理不尽に迷惑をかけられている関係がある時、

それは前世での関係が起因しているそうです。
それは、

迷惑をかけられている場合は、前世に自分がその人に同じ迷惑をかけていたことの報い だそうで、
今生で迷惑をかけられていることで前世の自分の罪が帳消しになる
そうなのです。

自分のカルマを解消するために、今人に与えたものを受け取って±0に戻している。 ということらしい。

そんな、、前世のことなんて覚えてない~っ!

と思うのは当然なんですが、覚えてなければそれが無くなるということにはならないので、どうとらえたとしても起きることは起きるのです。
ほんと、そういうのは科学的に確かめようがないですしね。
前世自体もほんとうにあるかどうかわからない と言ってしまえばおしまいですが、この世界はそういうものらしい。

そういうと、魂自体、個別にずっと存続するわけじゃないので

私と言う個人は、神に戻り、また神の一部としてこの世に戻って来る仕組みから考えると、

人類が為した罪を人類である子孫は負う ということになりますね。

この世に罪がある限り、子孫たちはそれを癒すしかない。

なので仕返しをするのは 罪や遺恨を終わらせない方法でしかないので、

私たちに戻って来る罰は終わらないわけです。

でも、個々が担当するカルマの解放は、
今生持ってきて担当する分だけの苦しみを体験して解放してしまえば、とりあえず自分のカルマは終わる そうですし、

他者の解放や癒しを手伝うと、光貯金が増えてカルマはどんどん昇華されますし、親族や先祖の分まで問題やしこりを解決していくと、

自分個人だけでなく所属するコミュニティの範囲までの私たちをどんどん浄化していくことになります。

あなたがいる環境を浄化していく ということはそういうことなんですね。

物質的にお掃除するのと同じように
エネルギー的に浄化していく これをする人としない人の人生が違うのは当然です。

自分の環境がよろしくない というのは
これまでの先祖が行いを怠ってきた とか 罪を重ねてきた
ということで、この因果応報は子孫に請け負わされるのですが、
魂はその学びの系列に再び生まれ変わる という性質があって
自分が自分の子孫の系列に再生する なら、それはやはり自分の罪を今生で浄化していくことに他なりません。

なので、嫌なことがあったら、これまでの身に覚えのある罪もない罪もがここで終わりにしてもらえるということなので

それ以上に人に痛みを与えたり罰をあたえたりする必要が無い。

罪を犯した人や他者に痛みを与えた人はその人の人生においていずれその応報を受け取ることになるので放っておけば流れに任せておけばいい ということなのです。

もちろん、出たがるものは出して構いません。それも流れです。
嫌なものは嫌と言います。降りかかる火の粉は払います。
怒ってもいいし言いたいことを言ってもいい。

そうして過ぎていく時の中で

いつまでも恨みを持続する必要は無いし
あなた自身はあなた自身を癒して心安らかに生きるだけですべてが健やかに巡っていくのです。

あなたが好きな気持のよい風景と空を眺めましょう。