2019年08月03日

ストーリー

自我は ストーリーが好きです。

自分が生まれてきた意味とか 自分の生い立ちとか

自分の境遇とか なぜ、自分がこんな風なのか とか

何度も何度も回想しながら そのストーリーを紡いで推敲していきます。

無意識に記憶を整えています。

自我がしっくりくるストーリー  

 

脳裏に焼き付いた記憶も 徐々に風化し、回想のストーリーが徐々に書き換えられながら進化?増殖?変容?しながら

あなたに物語ります。

いつしか 私たちは記憶の中で生きるようになってしまいます。

 

自分をヒロインに仕立てたり、相手をブラックに装飾したり

あるいは自分が鎧を着て、柔らかで小さな繊細な自分を隠してしまったり。

 

この人間という身体はそういう記憶の推敲をする性質があるのでしょうね。

 

特に何か隠したいものがある時、人はこの推敲を活発にします。

わざとじゃありません。自動反応的にそれをやるので 本人は無自覚であることが多いのです。

 

記憶をいじりまわすのをやめて、今この瞬間を感じて生きる生き方に変えてみてください。

 

あなたの人生にフレッシュな風が吹き、冴えわたる爽快さと 

自分を包んでいる愛のエネルギーを感じ始めるようになります。

 

それがいまここ

いまここが完璧である必要はありません。

ただそのままでいいのです。

そのままが完璧なのです。

やがてあなたは 感じるようになるでしょう

その理由を。

摩擦の原因

様々な人生ドラマ

様々な人間模様があります。

あなたの人生はいかがですか? 人間関係は良好でしょうか?

 

このところ 激しい変化の渦中にいる人々に接する機会があり

それをどう受け止めるか という 試練を頂いています。

 

私自身の事だと 意外とシンプルなんです。

今の私に何ができるか? それだけです。

怒りとか悲しみとか 激しいものが出ることはほとんどないので ただ、問題や目の前の困難に対して どうアプローチするか?だけを考えます。

 

あ、でも、あることに気付きました。

自分の身体がひどく疲れている時に、 やはり気持ちの余裕は少なくなるようで、

割と短時間に 辛抱が切れる ということがわかりました。(笑)

 

クタクタに疲れていたある日、

家族も疲れていて、

でも、そんなときでも食事の用意は苦手ではないので私はするんですね。

自分はお腹が空いていないのでて家族の食事だけを出していた時

お皿に取り分けていたら「そんなに食べられないよ~」と嫌な顔をされました。

瞬時にキレてましたね(笑)

「なら食べんでいい」と そのメニューを下げてました。

 

私のよくあるパターンで、子供にはしばしばやったかも・・・。

文句があるなら 自分で用意しろ  と 思ってしまうのです

大人げないです(笑)

 

無理して家族に優しくしていると

自分の心がパサパサになってしまうことがあるので、

できるだけ無理はしないようにしています。

無理して家族の世話をすると してやってるのに と恩を着せてしまうからです。

ひどくなると させられてる になってしまいますし。

特に主婦の方は要注意。

喜んでできる範囲にとどめたい。

私がしたいからやってる と思えないことは 基本的にしません。

 

恩を着せたり、させられてるなんて思ってしまうと 相手への敬意や愛情を失ってしまうからです。

できない ごめんね  は言っていいかも。

相手が怒る時は それは相手の課題です。

甘えているなら 改めてもらわないといけません。

 

あまりしすぎるとしてあげることが当たり前になってしまい、

相手が自分でできなくなってしまいます。

 

適度に手を抜く時も必要かもです。

相手を自立した大人に育てるのは 互いの務めかも。。

 

基本、一人で生きていけない人は誰かに依存しなくてはいけません。

そうなると 重荷になってしまうんですね。

私自身も かつては人に依存する方だったので 気持ちの摩擦は大きかったです。

依存している人は摩擦を作り出してしまいます。

 

依存を手放すと とても生きやすいですよ。

すべてが自分次第になります。

誰も縛る必要がなくなります。

 

関りが愛だけになります。

流れがあなたを養うようになります。

 

生きてるだけで 幸福

必要なものは与えられる

 

選り好みして枠を狭めると 選択肢がわずかに限られてしまいますから

私たちは 手放して 信頼して委ねることがとても重要になって参ります。

 

生きてるだけでOK

そんな幸せ 味わってみてくださいね。shine