していいことと悪いこと

先日のブログ 『意味付けに必要なストーリー』で 基準とか意味付けに 大して意味がない と書きました

その続きを 書きそびれておりました。

ちょっと時間が経ちましたが 意味がないという話をしてみたいと思います

 

意味がない と言われると 何を基準にしていいかわからなくなり、混乱する方がいらっしゃると思います

言葉というものはしばしば面倒なもので 一つの言葉にいろんな意味を含んでいますので、

言葉尻を捕らえると うがった解釈も出て参りますので 更に混乱したり 全く違う意味が出てきたりもします。

 

一つの出来事にいくつものストーリーやいくつもの意味が生産されます。

十人十色の体験やストーリーが生じるのです。

 

起きたことは一つで 真実も一つなのですが、

それぞれの人が自分の納得のいくように色付けしたストーリーを頭の中で組み立ててしまいます。

ここが 解釈の違い・価値観の違い・誤解の生じる地点です。

 

そう、人は自分のストーリーの中で出来事と戦っています。

 

そのストーリーを構成する重要な役割がルール です。

していいことと、しちゃダメなこと。

これらは多くの人間や生き物が同じ場所で共存するために

摩擦を少なくするための知恵でした。

喧嘩にならないように。

そのルールを大事に守ってきたわけですね。

ですから、そのルールという「意味」を 失ってしまうと

人間たちの欲望が 歯止めなく溢れて 世の中は無法地帯になるのでは・・・?  ( ̄へ ̄;)  

 という 不安を持たれる方も少なくないでしょう。

 

それは、 そのルールがないと そうなっちゃうよね?とネガティブなイメージと共に長年刷り込まれてきた成果です。

 

ところが、困ったことに、ルールというものは 一つの基準だけじゃないんです。

 

日本人の基準、アメリカ人の基準、タイ人の基準、インド人の基準

お国が変われば基準は変わる。

更に日本でも、東京の基準、大阪の基準、京都の基準、名古屋の基準、福岡の基準、鹿児島の基準、宮崎の基準  

都道府県でも 変わってきますし、

同じ県内でも住むエリアで変わってきますし、 

職業で基準や価値観の傾向が変わりますし、

育った地域、環境、家庭でも それぞれに価値観が違いますし、

それぞれの人の性格によっても 好みや良しとする基準は変わります。

 

更に、時代で社会のルールも変わり、世代で価値観や常識が変化します。

 

価値観や意味って とっても流動的なんですね。

 

そんな不確かな基準を 盾にしても あまり意味がないと思いませんか??

基準・ルール・規則・法律・意味

この中で普遍的なものは何もありません。

 

そういう意味では 何もなかった原始時代と 大して変わらないんですね。

 

私が若者だった頃、このことに気付くと、

大人や社会が言う 正しさ という観念がまるで煙のようなつかみどころのないものに思えてきました。

 

普遍的なもの、どの時代も変わらない 人間にとって 善い というものはなんだろう?

目指しても間違わないもの・・・

 

それが知りたくてしょうがなかったんです。

 

それから 悟り という心の揺るがない境地があることを知って それを知りたいと思ったし、

精神世界を知るようになってから さらにその中の正解を探していました。

これも理解するのに時間がかかったんです。

人は ついつい、正しさを追ってしまう。

 

違うんですよ。正しさなんて無いんです。

 

それぞれの正義と都合があるだけ

 

それを双方が理解した上で歩み寄ったり、労わり合ったり、共存したり

助け合ったり、与え合ったりすること

 

それが愛だと 知りました。

 

人と人、あるいは 人と世界が摩擦を起こすことを苦悩と呼ぶならば、

人は人や世界と戦っても 幸福は手に入りません。

戦いは摩擦そのものだからです。

 

仏教の六道で言うと、人間界の50%と、修羅界の戦いと

畜生道の弱肉強食、餓鬼界の貪り、地獄の苦痛の責め苦と恐怖

 

苦がないところは 天国だけ。

ん?そうかな、畜生界なんて差別的な名前つけられちゃってますが、

動物の世界は むしろ 人間より愛に満ちていたりするかも。

動物は本能の愛情と 自然界の秩序の通りに生きてる

弱肉強食があるということでは 人間界と同等なのかもですよ。

人間の 愛と我欲 ・ 動物界の生存本能

どちらも 愛があり、無慈悲なこともある。

愛があり、苦悩もある。

六道の順番を書き換えたいですね。

①天界 ②動物界 ③エゴがある人間界 ④争う修羅界 ⑤貪る餓鬼界 ⑥苦痛に満ちた地獄界

天界は思いやりで出来ているので 美しいところですが 

生れ変りで再び 他の六道に戻ることもあるので それもまた 永遠の平和ではないようです。

 

真の幸福は これらの六道から輪廻から外れて 仏の心(つまり悟り)に至ることだと 仏教では説かれています。

人は生きながらにして 六道から離れ、仏の心に繋がることができます。

 

その手段の一つとしてELM瞑想による空(くう)からのアプローチです

もちろん 一朝一夕にはいきません。

でも、これは悟りへの最短ルートだということを

私は確信しています。

 

瞑想であなたも 空(くう)の体験をしてみてください。

そこには悩みはありません。

 

 

アトリエ霽月 体験瞑想会 9月7日(土)10:00~12:30

参加者受付中です。