2018年06月04日

エゴの体験

スピリチュアルを勉強しだすと、 エゴを手放す というキーワードが良く出てきます。

素敵な人生を送るために

平和な生活をするために

嫌なことが起きないようにするために

など 手放す理由は色々あります。

そして 努力してそれを実践して 穏やかな生活をしている中に

エゴイスティックな人が入ってきまして、

「なんだ、コイツは!? 平和な場を乱しやがって、なんて奴だ!」

などと怒りがこみ上げてきます。

「そういう態度はやめろよ。みんなに迷惑をかけるな。もっと人の事を考えろよ!」

「もっと 人の気持ちを理解しろよ。人の心を乱すな」

「なんて迷惑な奴なんだ!」

そんなことを思ったことはあるでしょうか。

 

ズバリ その思いも エゴです。

正義と呼ばれるエゴ。

 

で、じゃあ、人に意見したり自己主張しないことがいいのね

の一字で 我慢して、 我慢して、 我慢して

ついに耐え切れなくなって 大爆発!!!

「うわ~ 言ってしまった!言っちゃいけないのに!!」

 

これは 怒りや思いを全然手放せていない状態で 

この我慢をどれだけ続けても全く意識の成長はありません。

 

私たちは 人間なので 当たり前にエゴがあります。

エゴが無い人、エゴの体験をしたことがない人は エゴの気持ちは理解できません。

 

なので、私たちはエゴがある体験をして エゴというものの思いや感情や体験を実際に味わってみます。

そして 人間のエゴというものを理解するのです。

 

あの人のエゴと 私のエゴ  何が違うでしょうか?

「あっちの方がひどい。私の方がマシ」 って 自我は言います。

「あんなにひどくない」「向こうの方がおかしい」

「私には理由がある。」「私には事情がある。」

 

向こうもそう思ってます。

それぞれに事情があり、それぞれに背景があり、それぞれに正義があります。

 

抑圧されたエネルギーの程度 とか 溜め込んだ量 とか 世界の歪みの加減で

形や量は変わりますが、

皆、同じようにエゴを持っています。

穏やかな環境で暮らしていれば、 エゴは発揮しなくて済むでしょう。

それぞれの与えられた環境や立場で 生きるスタンスは必然的に変わります。

 

思い遣り 愛 というものは 相手に対する理解です。

 

あなたはどれだけ相手を理解しようとしたでしょうか?

 

あなたが分かってもらいたい 好きにさせて欲しい と思うのと同じくらい

相手の魂もそれを望んでいることでしょう。

 

愛を与え合うということは まず 自分から始めないと始まりません。

 

そして、エゴの体験は やってみる価値もまた あります。

それをするとどうなるかを 自分で体験してみるのです。

 

人の体験を邪魔しないでおきましょう。

 

エゴの摩擦の体験もまた 必要なことなのです。

人間を知る ということ。

己を知る ということ。

 

私たち人間のDNAは ほとんどが同じ配列です。

同じ生き物で 同じ行動傾向を持っています。 仕組みが一緒なのです。

扱う材料、インプットするデータが違うと 現われが変わりますが

こだわる ということ 

腹立つ ということ

悲しむ ということ

傷付く ということ

愛されたい ということ

認めて欲しい ということ

尊重してほしい ということ

 

皆が同じ要素を持っています。

 

あなたのしてほしいように 人にもしてください。

嫌だと言われたら やめてあげましょう。

分かって欲しい と思われたら わかる努力を。

 

あなたが人に向ける思いが

世界から返ってきます。

 

あなたは あなたの世界に どんなものを投げかけたいでしょうか?

 

そして

あなたは 返って来る波動を覚悟して 今 一番したいことをすることができます。

あなたが出したものが返って来る

ただ それだけのことなのです。

とことん我を通してみたかったら それもいいじゃないですか。

自分の責任でします。

周囲へのコントロールも手放してください。

シンプルになると早やかに過ぎ去ります。

あなたが決めるだけです。

 

とことん体験と感情を味わい尽くしたら 執着はなくなっていきます。

我慢ではなく 突破をしてください。

不満や抵抗を手放して味わう と 突破します。

 

自分が蒔く種の結果は 自分で収穫する  そういう世界で生きています。

今の私が未来の私を作ります。

何をするか選べます

スピリチュアルを勉強しだすと、 エゴを手放す というキーワードが良く出てきます。

素敵な人生を送るために

平和な生活をするために

嫌なことが起きないようにするために

など 手放す理由は色々あります。

そして 努力してそれを実践して 穏やかな生活をしている中に

エゴイスティックな人が入ってきまして、

「なんだ、コイツは!? 平和な場を乱しやがって、なんて奴だ!」

などと怒りがこみ上げてきます。

「そういう態度はやめろよ。みんなに迷惑をかけるな。もっと人の事を考えろよ!」

「もっと 人の気持ちを理解しろよ。人の心を乱すな」

「なんて迷惑な奴なんだ!」

そんなことを思ったことはあるでしょうか。

 

ズバリ その思いも エゴです。

正義と呼ばれるエゴ。

 

で、じゃあ、人に意見したり自己主張しないことがいいのね

の一字で 我慢して、 我慢して、 我慢して

ついに耐え切れなくなって 大爆発!!!

「うわ~ 言ってしまった!言っちゃいけないのに!!」

 

これは 怒りや思いを全然手放せていない状態で 

この我慢をどれだけ続けても全く意識の成長はありません。

 

私たちは 人間なので 当たり前にエゴがあります。

エゴが無い人、エゴの体験をしたことがない人は エゴの気持ちは理解できません。

 

なので、私たちはエゴがある体験をして エゴというものの思いや感情や体験を実際に味わってみます。

そして 人間のエゴというものを理解するのです。

 

あの人のエゴと 私のエゴ  何が違うでしょうか?

「あっちの方がひどい。私の方がマシ」 って 自我は言います。

「あんなにひどくない」「向こうの方がおかしい」

「私には理由がある。」「私には事情がある。」

 

向こうもそう思ってます。

それぞれに事情があり、それぞれに背景があり、それぞれに正義があります。

 

抑圧されたエネルギーの程度 とか 溜め込んだ量 とか 世界の歪みの加減で

形や量は変わりますが、

皆、同じようにエゴを持っています。

穏やかな環境で暮らしていれば、 エゴは発揮しなくて済むでしょう。

それぞれの与えられた環境や立場で 生きるスタンスは必然的に変わります。

 

思い遣り 愛 というものは 相手に対する理解です。

 

あなたはどれだけ相手を理解しようとしたでしょうか?

 

あなたが分かってもらいたい 好きにさせて欲しい と思うのと同じくらい

相手の魂もそれを望んでいることでしょう。

 

愛を与え合うということは まず 自分から始めないと始まりません。

 

そして、エゴの体験は やってみる価値もまた あります。

それをするとどうなるかを 自分で体験してみるのです。

 

人の体験を邪魔しないでおきましょう。

 

エゴの摩擦の体験もまた 必要なことなのです。

人間を知る ということ。

己を知る ということ。

 

私たち人間のDNAは ほとんどが同じ配列です。

同じ生き物で 同じ行動傾向を持っています。 仕組みが一緒なのです。

扱う材料、インプットするデータが違うと 現われが変わりますが

こだわる ということ 

腹立つ ということ

悲しむ ということ

傷付く ということ

愛されたい ということ

認めて欲しい ということ

尊重してほしい ということ

 

皆が同じ要素を持っています。

 

あなたのしてほしいように 人にもしてください。

嫌だと言われたら やめてあげましょう。

分かって欲しい と思われたら わかる努力を。

 

あなたが人に向ける思いが

世界から返ってきます。

 

あなたは あなたの世界に どんなものを投げかけたいでしょうか?

 

そして

あなたは 返って来る波動を覚悟して 今 一番したいことをすることができます。

あなたが出したものが返って来る

ただ それだけのことなのです。

とことん我を通してみたかったら それもいいじゃないですか。

自分の責任でします。

周囲へのコントロールも手放してください。

シンプルになると早やかに過ぎ去ります。

あなたが決めるだけです。

 

とことん体験と感情を味わい尽くしたら 執着はなくなっていきます。

我慢ではなく 突破をしてください。

不満や抵抗を手放して味わう と 突破します。

 

自分が蒔く種の結果は 自分で収穫する  そういう世界で生きています。

今の私が未来の私を作ります。