鏡の法則

以前 同じテーマで書いたことがありますが、

またお伝えしたくなり書いております。

 

この世界は自分自身の意識を反映した鏡である という宇宙の法則

類は友を呼ぶ という言葉もありますね。

この世界は 自分と同じ波動の人や 自分の学びのテーマに相応しい役割の人が 目の前に現れるという法則がある と言われています。

これは いたってスピリチュアル的見方でもありますが、

例えば 自分が修正した方がいい行動パターンも持っていると

同じことをする人が目の前に現れて、あなたのしていることは外から見るとこんな風に見えてますよ というようなメッセージとして

見せられるという体験をする という法則がある のです。

何も知らない最初の頃はマユツバ的に聞いていたこの法則の話

実際自分の行動をそのように見ていくと なぜか 本当に思い当たることだらけで

疑う余地がなくなっていきました。

最初は 私はそんなひどいことまでしない!と思うのですが、

程度はちがっていても、似たようなパターンの行動を ちがう材料でやっているのです。

 

最初は全然気づかず、自分のしていることは棚に上げて 他人の批判をするわけですが、

腹を立てている間はなかなか気づかないのですが

相手を悪者にして人を指さすとき、

指差し

中指薬指小指の三本は自分を指しているじゃないか というように

人に向ける思いは 自分自身の事だったりする 人の事は言えないよ ってことを

ついつい 思い出してしまうようになりました。

 

もしかしたら まだやっていないかもしれないことかもしれません。

でも、その要素が自分の中にある ということで 自分の中を探してみるのです。

 

無い 絶対ない、断じてない!!! と反応する時は そのことへの拒否感と嫌悪感が存在します。

 

自分はそれに当てはまりたくない

でも、当てはまるかもしれない いや、ぜったいそれになりたくない

という 自分に対する恐れみたいなものが反応して拒否として現れるようで

自分の中にない要素に対しては 反応しないんだそうです。

心当たりがあるから 全否定したい 認めたくないこと  ということですね。

そのことを禁じられたので嫌悪するのかもしれません。

 

そうわかり始めてから 世界はそのように 自分の中にある要素を見せてくる世界だ と思って観るようになりました。

 

そうするうちに、他人の失態など 自分にも起こりうることだ と受け止めた時は

また 腹が立たなくもなります。

だれだって、一歩間違えれば または条件が揃えば そうなりかねないのだ

と、そう理解していれば 失態を犯す ということを受け止めるキャパが出来、

他人をむやみに責めたり嫌悪したりしなくなるのです。

 

どうやらその意識の変換 他への理解が 魂の成長 ということのようです。

 

もし、何かに腹が立ったら、その行為は どこかで自分も同じパターンを持っていて

それを拒否する気持ちの現われだろう と思って 内省してみるのです。

 

人間という生き物への理解が生まれます。

 

私の表具の先生はとても成熟した人物で尊敬しているのですが

私が作業に失敗したときに怒りません。

職人ですから、厳しく叱咤されて学ぶものだと飛び込んだ世界でしたが、

うっかり間違って切ったり、言われていたことを間違えてしてしまったり、不注意で失敗したときなど、叱られると身をすくめていると

「今、失敗しといてよかったな。 これでこの作業の注意するところをしっかりおぼえておけるだろ? もししっぱいしていなかったら、あなたはこのことにきをつけられないままだったかもしれない」

これを最初に言われたときは感激でした。

そうか 失敗は学びなんだ。

 

我々人間は愚かしくも健気で愛すべき存在です。

自分を守るために他を攻撃したり、

自分の立場を守りたくて自己正当化するのは 

自分を孤立させるだけだということに気付いてください。

 

あなたの魂が成長すればするほど、この世界は愛おしい存在になってゆきます。

全ての命に愛を向けることができた時

あなたの中には恐れや不安は存在できなくなるでしょう。

あなたの中で反応する自我の意識も愛すべき存在です。

自我を包む客観的意識 それを神意識と呼びます。

あなたの中に神が存在する というのは

私たちは神の分け御霊 神の分身である ということです。

全ての生命は神と呼ばれる命の源から来た存在です

 

全ての人は同じものからできています。

気付くのにそう長い時間は必要ありません。

鳳凰の空