自我の幻想

本日から長期瞑想に入りましたので 事前に書いておいた記事をアップいたします。

長期瞑想のご報告はまた後日に改めて。

しばし瞑想に没頭いたしますね。

 

 

先日 youtube動画で 沢山の人生相談を聞くことがありました。

人々のお悩みに どんな回答が出るのか という興味がありました。

お悩みは それぞれにいろいろ。

悩んでしまう というお気持ちはとてもよく分かります

それを悩むのをやめるのが瞑想者のスタンスなのですが

人生相談のお答えの多くはそんなこと悩まないで別の明るいことに目を向けよう

という方向性の回答もとても多いです。

 

特に 自信が無くて不安な方は 

行動を起こすことが怖くてたまらない という心理状態です。

全力でやれるだけやればぜったいできるよ! と言いたくなるようなお悩み 

どんな風に言葉がけするのだろう?と興味深々なのです。

1回の失敗であきらめるな! どうせとか 私なんか なんて言うな!

解決は やる気だけのことなのです!

今の私ならそう言うけど、

かつての私は 急に怖くなる ということが頻繁に起きていました。

なぜ、そんなに怖くなるのか 自分でもわからないのです。

これには本当に本人も困惑なのです。coldsweats01

 

心理カウンセラーの回答者の方は 自信が持てない原因になってる深層心理を上手に説明されたり、本人が気付かない複雑な心のもつれを ていねいにもつれを解いて相談者に納得させていく様子は しばしば感動的であります。

 

自我は自分の問題点を直視することはとても苦手なのです。

 

それは 自信を持てる自分でいなければならない。他に誇れる自分でないといけない という思い込みがあるからでしょうね。

無意識の思い込み  ベースに潜んでいるもの

 

かつて、できないことを馬鹿にされたり、蔑まれた心の傷、そのことで親に疎まれた体験などが いろんな否定感や拒否反応を作ってしまいます。

嫌な思いをした出来事に絡めた縛りができてしまうのです。

 

ちゃんとしないとダメよ とか

いい子にしないとダメよ とか

ダメといわれる子は嫌われる とか

恥ずかしくない生き方をしなさい とか

 

そういう縛りを握り締めてしまうのです。

 

ではこれらは無いのがいいのか?ダメなのがいいのか? と聞き返したくなる人もいるかもしれません

 

この世界は両極の二つで出来ているのではなくて

ただ、基準と しばりは別物だ ということなのです

 

マインドは平面的に物を見がちですが、世界は立体的 多面的なのです。

 

そりゃ ある意味 いい子にした方が、そうでないより幸せがあつまりやすいかもしれません。

でも、そうできないことっだってありますし、

それ(いい子)をすることが限りなく苦痛なことだって あるのです。

どんな場面もいい子でいられないこともあるのです。

 

正解は一つではないです。

 

あなたが 今どうすれば一番いいのか?

それは他人が決めることではありません。

ワガママは 自我は納得するでしょうが 周囲は摩擦を感じるかもしれません。

我慢は 周りは納得するかもしれませんが、自分が納得できない我慢は 生きる意欲を奪います。

 

あなたが今どうすることを選びたいのか 自分で選んで自分で結果に責任を取る

それが正しい体験の仕方です。

ハートで選ぶ というのはこのことを言っています。

頭で考えるからわからなくなったり 葛藤してしまったりします。

 

別の言い方をしますと 結果を自分の責任を持って受け止めれば あなたはあなたの未来を好きに選ぶことが出来るのです。

 

エゴはその責任を取りたくないために他人のせいにする準備をしてしまいがちです。その無意識の癖を気付くために あらゆる摩擦やトラブルが起きて あなたにそれを知らせてくれます。

私たちは体験によって多くのことを学びます。

 

私たちが 自分のしていることを 本当に客観的に見ることが出来れば

私たちは道を誤りはしません。

カルマの感情に押し流されることなく

自分と人々の幸福を見つけることができるのです。

そのために心の中をクリーニングする瞑想をお勧めしています。

頭を悩ませるよりも内面のお掃除 瞑想をしたほうがずっと早いのです。

 

もし あなたが これまでの考え方や方法にしがみついているとなかなか新しい境地へは進めません。

困惑したときは 保守的立場をとるのではなく、サレンダー(降参)して

ゆだねてみてください。

流れは驚くべき解決手段を使います。