2018年10月05日

心の傷の癒し方

心が傷付くと とても痛いです。

身体の傷ではなくて 目に見えない傷 それは身体の傷以上にとても痛くて苦しいものなのです。

心が傷付くと 身体に反応が出ます

胸と心臓が ぎゅっと縮み 息苦しくなって 身体全体もぎゅっと萎縮してしまいます

血管も縮んでしまい、血行が悪くなって 身体が冷たくなっていきます。

ぎゅっ  

 

悲しみは心だけで感じているのではありません。

身体全体も悲しみます。

そして体はその体感を覚えているのです。

悲しみのエネルギーは身体を震わせて痛みを感じつつ外に出ていきます

 

 

しかし、その時に悲しむ機会を逃してしまうと もうその悲しみのエリアには怖くて入れません。

「いやだ!」「見たくない」「もういい」

外界から心の窓を閉ざし 外部の刺激を遮断して自己の中に閉じこもります。 

奥深いエリアに隠れてしまいます。  岩戸に隠れるアマテラスのように。

 

悲しみの感情は、外にあふれ出れば、内側に悲しみのカルマのエネルギーはこもらず、涙とともに流れ洗い流されますが

傷を抱えたまま 深くに籠ってしまうと 出ていくことが恐ろしくなってしまいます。

「もう傷つくのは二度とイヤ」  心が傷付くことを恐れてしまいます。

癒えない傷に誰かが触れたり またあの痛みを感じるのは もう恐ろしくて仕方ないのです。

そうしてカルマのエネルギーは内側に封印されてしまうのです。

 

これは人の心の中で起きる出来事です。

長い人生の中で 誰にでも起きます。

 

傷付いた感情をしっかりと悲しむことができれば、涙があなたを癒します。

泣いて、怒って その出来事を受け止め どうにもならないんだ ということを受け入れることができるのです。

しっかりと涙があなたを洗い、カルマが抜けてあなたの心は平静になってゆきます。

苦悩の感情がとれ、ただ起きたできごとだけがそこに残り、これはこれで仕方がない と

あなたはそこから立ち去ることができるのです。

 

カルマの解放は あなたの真我の意識が表にでてくることを促します。

自我の感情は自分の都合、 自分にとっては都合が悪かったけれども 実際は誰も悪い人はいなかった 

 ということがわかります。

悲しみや怒りを内側にもったままだと、その出来事のきっかけや原因を作った人が悪者に見えてしまうのです。

でも、その人物はただ偶然にそこにいて本人の普通にしていただけだったりします。

悪意を持っている人は本当にごくわずかです。 出来事は偶然のいたずらのようなものです。

ただ、条件が合致した時に事が起こります。

その条件が揃いやすい環境であった ということです。

まだ誰も波動を整備できていなかった か

環境のパワーバランスが崩れていた か

そんなことが起きると思っていなかった か  

みんなのストレスが溜まっていた あるいはみんなとても疲れていた か です。

殆どの人間は次に起きることは予想できないんです。

 

霊能者なからわかるとお思いでしょうか?

いえ、霊能者や超能力者ですら 自分の運命は完全に予言できないのです。

 

人生の試練は 必要があってあなたのところにやって来ます。

それはただの悲劇ではありません。

 

その出来事を通して この世のネガティブな要素を体験し、深い理解へと変えていく

あなたの魂の成長を進める 大切な体験なのです。

試練があるほど、樹は深く根を下ろします。

 

もし、あなたが傷付いたことがあったなら、素直に悲しんでください。

悲しんだり怒ったりすることを後ろめたく思わないでください。

 

ただ、それは人にぶつけない方がいいんです。

傷付く人に向けないでください。

悲しむことは 一人でもできますが、一番いいのは

ただ寄り添って見守ってくれる人の存在感を感じる時です。

あなたは決してひとりぼっちではないのです。

あなたを見守る意識があります。

物質的な身体がなくても、あなたの幸せを願う意識があるんです。

慈悲の観音菩薩の意識です。あるいは あなたを大切に思う人の魂かもしれません。

「この苦しさを救ってください」という願いを受け取って 癒しをもたらします。

目では見えずとも あなたに寄り添って 抱きしめてくれています。

その存在感は 心の目で感じ取れることもあります。

あなたが心を拡げた時、または あなたの真我が目覚めた時に。

 

いつでもあなたを癒そうとしてくれています。