2017年07月

身体のメッセージ

ある瞑想者の方から体の不調についてご質問がありました

最近お腹が下り気味なのだけど なんだろう、何か意味がありますか?

 

瞑想では 不調はカルマの解放と考えます

溜まっていたカルマを外に出し、不調の種を体から出してしまします。

種が外に出る時、好転反応のように症状が出ることがあります。

持っているストレスや元々のカルマが大きいほど影響が出ますが、

どれも過ぎ去ってしまえばなくなるものなので、解放中はただ過ぎ去るのを待ちます

じっと我慢の子  というか、なるべく心配しすぎないようにして緩和対策などをしつつ穏やかに過ごします。

無理をしないで休息したり。

 

でも、今回のご相談は、もうこの不調は長く続くもので よくなったり出て来たりを繰り返すもので

不安になられたようでした。

誰しも不調とは早くサヨナラしたいものです。

 

カルマの解放 である症状は ただ溜まったものを出すだけではなく、

その体験によって気づいたり学んだりすることが伴います。

その隠れたメッセージを深く理解したときに カルマの終わりが来ます。

 

身体の状態からくるメッセージについて 詳細に解説したスピリチュアル版家庭の医学 のような本があります。

リズ・ブルボー著 『自分を愛して』

リズブルボー自分を愛して

 

不調に隠されたメッセージを知りたい時、これをよく開きます。

 

見てみました

 

リズブルボー ページ

 

読んでみましょう

 

あ、 

お食事中の人は後からにしてください。

冒頭部分が 食事向きではありません。

 

では、行きますよ~

読んでみます。 本文通りに載せますね

 

下痢

●肉体的なレベル

下痢とは消化器官の食物通貨のトラブルです。下痢になると、水様の便、または軟便が排泄されます。そして、しばしば下腹部が差し込むように痛みます。最も頻繁に起こる下痢は消化器官の機能障害によるものです。

●感情的なレベル

 下痢というのは肉体的なレベルにおいて本来必要とされているものを 消化 吸収する前に排泄してしまっている現象ですが、下痢になっている人は それと同じことを 感情面 精神面でも行っていることになります。

本来なら自分にとって栄養になるはずの考え方を 消化 吸収せずに捨ててしまっているわけです。自分のところにやって来たものを、消化することが難しいと思っているのです。

それが本当は有用であることが分かっていません。そんな風にしているので人生を充分に楽しむことが出来ていないのです。したがって、また、人生に対する感謝も出来ていません。

感謝の代わりに、拒絶と罪悪感ばかりを経験しているわけです。この人が経験している拒絶は、《在る》世界にではなく、《待つ》世界、《する》世界に関係しています。

この人は、何かを持たないこと、あるいは何かを上手にできないことや何かをしないことを恐れているのです。感情が揺れに揺れています。ある状況に直面して恐れを感じると、その恐れをじっくり感じるひまもなく、その状況を拒絶してしまうのです。

●精神的なレベル

下痢になって苦しんでいるということは、あなたは自分を充分に尊重していないということ、自分を価値ある存在と考えていないということをおしえてくれています。

あなたが、自分のためになる良い考えを育まないとしたら、いったいだれがそれをあなたのためにしてくれるでしょうか?誰もしてくれるはずがありません。さらに、次のことを知っておく必要があります。

つまり、あなたが自分自身で育んだものでないもの(たにんからやってくるもの) は、しょせんいちじてきんものでしかないとうことです。それでは、以上のことがわかるような事例を、私の個人的な経験からご紹介しましょう。

私がみなさんの前で話をするようになってから数年の間、いざ演台に立とうとすると自分が充分な能力を持ってないのではないか、皆から拒絶されるのではないかと怖くなって、トイレに駆け込んでいました。

「自分の価値をそんなに貶めないで、もっと自分を高く評価しなさい」と、体が私に教えてくれていたのです。私は自分を高く評価する権利を持っていたのです。

ところが当時、私は、もしも自分を高く評価してしまたら、自分はさらに良くなろうと努力しなくなるに違いない、と思い込んでいたのです。

もちろん、それは間違いでした。たとえ自分を高く評価しても、私は常に更なる高みを目指してきましたし、これからもきっとそうすることでしょう。

あの当時、私が自分を評価するようになると、下痢はぴったり止まったのです。

 

 

と、  リズ・ブルボーさんの著書 「自分を愛して」 より 抜粋させて頂きました。

巻末に自分と向き合うための自分に対する質問の方法が記載されています。

 

① 私の身体に起こっていることを最も的確に言い表すにはどんな言葉を使えばいいだろうか?

私は、今、からだに起こっていることをどんなふうに感じているだろうか?

   この質問に対する答えを見れば、その病気を引き起こした人や状況に対して、あなたがどう感じているかが明らかになります。

 

②感情的なレベルに関する質問

A  : この病気があるせいで、私は何をすることができなくなっているだろうか?

   この質問に対する答えを見れば、ブロックされているあなたの欲求が明らかになります。

B : この病気があるせいで、私はどんな人間になれずにいるだろうか?

   この質問の答えは、「私は〇〇人間になれずにいる」 といった内容になります

   (〇〇のところには、形容詞や動詞、または文章が入ります)

 

 

やってみましたか? これはどの病気にたいしても使うことができる分析方法です。

 

ご相談の方は、ご自分の人生がうまくいかないという感覚をお持ちで、その原因を外に探そうとする傾向をお持ちです。

視線は外に向きがちですが、内側を見てみます

ご自分の中の感情を観察しますと、自我の意識の癖が見つかります。

つまり自分が発する感情と波動を見つけるのです。

発するものが反映される、その原因を発見できて、それを受け止めて、そのうえで自分をねぎらい、愛することをし始めると症状も状況も好転しはじめるでしょう。

 

私自身も実感していますが、

どうあがいたところで、全部自分から出ている ということに行きつくというとこを 認めざるを得ませんでした。

これは自我的には受け入れることが屈辱的な感じがしているのですが、

抵抗をやめて自我が引っ込むと、なぁ~んだ とあきれ果てるほど簡単なハードルだったりします。

見えないエリアに足を踏み入れることは、一見絶望的ですが、踏み立ってみたら、浅瀬だった とか、

目をつぶって飛び込んだ世界は ほのぼのしてた というくらい びっくりの境地なのです。

 

何を恐れて 何に抵抗していたんだろう という笑いが起こると そこは 悟り だったりします。

手放すことは 自我は恐れていますが、やってみるとラクチンです。

何もしない だけですから。

 

自分の中にあるものが反映するので 自分の中にある要らないものを捨てる 感じです。

執着してるとなかなか捨てれません。

執着は残念ながら 捨てましょう。

内面の問題は 自分自身にしか解決できないのです。

やり方はお教えできますが、するのは自分です。

 

なかなか払拭できない思いや痛みは、

EFT療法も効果を上げます。

 

ご興味のある方はご利用ください。

EFTセッション

http://www.atelierseigetsu.com/contents/healing/

人間 ②

今日はちょっと小難しい話をします。

私の興味がある 人間の心の仕組みのことを書いてみます

 

視点が変わると世界観が変わります。

それぞれの人がそれぞれの視点で見たいところを見ています。

見たいところ と言っても、これまで見てきた人生ドラマの続きを見ています。

 

人間の感覚機能は ある意味かなりの柔軟性があって、実は自在に操れるようになったりします。

物質界では限界がありますが、意識の世界は無限です。

 

通常は 自我 というところからものを見ています。

自我は身体に備わった行動を規制するシステムです

思考はその働きの一つで

様々な情報をインプットして思考というものをします。

自分(自我)が取り入れた法則をもとに条件を当てはめて答えを出します。 論理です

 

論理を使う人間はすべてではありません。

思考を衝動のシステムjだけで動いている人もいます。潜在意識が働いています

論理を使っていないので 理由はわかりません。

ですがそこには言葉ではない原因と理由があります。

 

これらの行動にいる時、人間は防衛的です。

別の言葉で 排他的 とも言えます

 

何らかのものから自分自身を護ろうとしています。

生命を安全に継続したいからです。

 これは 身体のシステムです。

 

これをしている時、この体を持った個体は 全体と分離されています。

全体=神 と分離されています。

 

個を維持するシステムだからです。

これは生き物としての人間に備わったプログラムの一つで

真我と呼ばれる意識は休止した 自我の意識になります。

 

 

 次回に続く

 

 

 

 

 

人間

テーマ:

 
昨夜、福岡、台風直撃か?と緊張しましたが 影響はさほどではありませんでした。
九州は通過しましたねぇ。熊本あたりは大丈夫だったでしょうか
 
 
この夜景は、昨夜 台風に備えて窓を閉めながら 周辺の住宅の灯りがキラキラしていて思わず撮りました、
 
街を見ると、こんなに沢山の人が毎日を暮らしてるんだ!という驚きと言いますか、感動と言いますか 感慨深い思いになることがあります。
 
無数の命がそこにある。 
 
そう、住宅街などを見ると蟻塚とか連想してしまいます。
どちらも生物の生息地だなぁ なんて。。
 
虫と一緒にしちゃったりして すみません。(^_^;)
いえ、虫を見下してるわけではありませんが。
 
 
話を戻します。w
 
それぞれの灯りの部屋で 家族というものがあって、何人かであるいは一人で暮らしてる。
 
この町内でも沢山。市内はもっと沢山。
県内となると、もっと様々なバリエーションで、大都会、首都圏に出ると、それはもう、目が眩むような街の広さです。
 
蟻の巣が一つの意思をもった生命体に見えるように 人間のコミュニティも大きな目で見ると一つの生命体に見えるのでしょうね
 
でも、ズームアップしていけばグループは細分化し、別個のものとなり、個人に行き着く
 
 
 
更にその個人は、表層意識と無意識の狭間で
意図と目的をもっているかと思えば 無意識に支配されていたりします。
 
集団のエネルギーは、そちらの無意識に支配されたものかもしれません。
 
自分で生きてるつもりですが、生かされています。
 
無意識に何らかの役割を担っています
これは役割なので、自分が外れると、他の人がやります。
 
役割の運命は与えられるのですが、するかしないかを選択することができます。
 
 
でも、最初の選択で、そこではきっかけしか見えていません。
 
その向こうにどういう展開があるか、わからないのです。
 
ただ、心がぶれずに決意している者は、真っ直ぐに進むでしょう。
 
その道が誤った道でなければ追い風が吹きます。
 
ただ、障害物が内側にある場合、
それが取り除かれるのを待っています。
 
 
大きな流れと 末梢の問題
別の問題のようですが、
ミクロとマクロは一体です。
ただのズームアウトとズームインです。
 
ただ視点が変わるだけです
 
 
  次回へ続く

愛はどこにあるか

愛は 形の無いものです
 
愛は エネルギーです
 
愛は受けとると嬉しく、
 
自分から愛を溢れさせると幸福で満たされます。
 
 
愛は 貰うもの というよりは、
自分から溢れさせるものです。
 
足らないのは、相手がくれないからではなく、
自分にある愛を出すことを忘れているからです。
 
生きとし生けるもの、自分自身に、そして見えない意識にも、
愛を向けて下さい。
 
愛の泉が自分にあることを
思い出させてくれた巡り会いに感謝を。
 
 
はす

泣き顔から 笑顔に

人はみな喜怒哀楽があります。

嬉しい楽しい ポジティブな感情はみんな大好きですが、

悲しみや怒りや苦しみなどのネガティブな感情は嫌われます。

最近、ネガティブな感情に会いましたか?

それはいつもじゃなくて たまーに かもしれません。

でも結構インパクトが大きいんですよね。

そして 引きずりやすい。

 

でも、本当は悪いことばっかりじゃないんです。

手に入らなくて悲しむ時、 挫折して苦悩する時

心が震えて 泣き もがきながらも

心が大きく成長するのです

泣くことを恐れないでください。


鍛えられ 磨かれるほどに 魂は輝いていくのです


一人で泣く時  本当は一人ではありません。

いつも見守っている存在がいるので 語りかけてください。

乗り越えるサポートをしてくれています。


最初は その存在は何位も感じないかもしれませんが、

注意深く観察しているうちに 存在感がわかってきたりします。


探すとわからないのですが 

ある時 ふっと いることがわかってしまいます。

愛をもって見守っています。

そして 笑ってる。 

 

そう、黙ってるか笑ってる。 そんな風に感じます。

 

感じ取れるようになったのは  瞑想のおかげ。

心のザワザワが静かになるとわかるのです。

 

 

見護る存在の愛は波動でしかありません


その愛を 形にするのは生きとし生けるもの 

とりわけ意図的に表現できるのは私たち人間です。



優しい目をするだけで形になります。

笑顔で広がります。

 

はす紅2