2017年07月18日

どんな生き方がいいの?

いろんな良い生き方の例がありますが、 それをまねて幸せになる場合と ならない場合があります。

 

( ゚Д゚) え?

 

なぜ? 何が違うのでしょうか!?

 

それはですね、

幸せになれると言われる行動を 嫌々やっても 幸せにはなりません。

魂が喜んでないのです。

 

でも、形から入って

やっているうちに 変化が現れて 楽しくなってきたりすることも多々あります。

やってみてよかった  

こういうこともよくあります。

 

もちろん、楽しく変化すればいいのですが、何度やってもそうではない時、

 

そのいいことはあなたにとって正解ではないかもしれません。

 

 

先日、

ある方が 「何が好きかわからないんです。何をやっても虚しさがやってくるのです」 と言われました。

このことで長年悩まれたのだと思います。

これまでいろんなことにチャレンジして、そうして 結局

何をやっても虚しい ということがわかった。。

何をしたらいいのかは今のところ誰にもわかりません。

その答えはご本人にしかわからないからです。

 

進む方向はご本人のハートだけが知っています。

ハートで感じる方向性は 人生の羅針盤なのです。

 

話を戻します

何をやっても虚しい 

これは、 原因として考えられるのは 

・方向性が違っている(自分の役割ではないことをしている)  

・もしくは 本当に自分を満たすものを避けて 他を探している 

・嫌なことを体験せねばならない試練として与えられている

 

ということが考えられます。

 

最初の 方向性が間違っているものは、

 自分に合わないことはお勧めしません。

向いてないことに努力するほど時間がもったいないことはありません  と 

出来不出来に偏りのあるワタクシは思います。

 

二番目の 本当に自分を満たすもの  それは 何でしょう

愛と安心  信頼 かもしれません。

人との関わりで深く傷つく経験などがある場合や、人との摩擦の解決が未経験であるがゆえに過度に恐れている場合

人とのかかわりが怖いものだという大人の価値観が子供時代に入っている場合 などに

人と関わることに怖れを持ってしまい、 人や世界から遠ざかってしまう人に起こります。

エネルギーの出入りがコミュニケーションでは得られないのです。

確かに人間同士のコミュニケーションでは傷つくことがしばしば起こります。

これはある意味魂の磨き石でもありますので、体験としては貴重な学びの体験だったりします。

視点を変えてみましょう。 

コミュニケーションは、人間としかできないものではないのです。

世界に対して心を開くと 自然界のエネルギーを得ることができます。

 

三番目は 背負っているカルマは 宿命であり 避けることができません。

そのカルマの体験によって ある学びを得るため、与えられたもの 引き受けたカルマなのです。

渦中にいる時は 何でこんな目に遭わなければいけないのだろうと、運命や状況や当事者を呪わしく思ってしまったりしますが、その思いを受け止めて、尚、前向きに生きることを決意したとき、

魂のシフトアップが起きるのです。

このシフトアップの際には 祝福のような出来事を体験します。shine

 

この体験は言葉では言い表し難いものですが、確かにあります。

 

この世界に 神のような意識があることは 私には確信なのですが、

これは経験したものでしか確信はできないかもしれません。

 

でもそれは 確かに存在します。

祝福は喜びとと共にやってきます。

皆様のところにもたくさんの祝福が舞い降りますように。。。shineshine

 

この世界との門戸(ハートの窓)を開けば そこには分離感は存在できません。

世界に向き合うとき、オープンハートでいてください。

 

キラキラ