2017年07月19日

カルマ 細胞の記憶 

カルマは種のように

 

カルマは最初は形になっていません、

仕込まれた火薬が化学反応のように 特定の刺激によって発火し発動します

 

身体のカルマは痛みや不快感の

感情のカルマは、 怒り、怖れ、不安、などのネガティブ感情エネルギーの 

カプセルのようなもので、

カプセルが開くまでは存在に気づかなかったりします。 

 

これはすべての人間が 持っています。

肉体が生まれ 意識としての魂が 肉体に乗って現世という3次元の世界で様々な体験をし、

いろんな刺激で 魂が経験を積み磨かれていく ということです。

魂のお勉強はカルマとしての感情を放出、昇華して何らかの気づきを経て 魂を成長させます。

そう、試練です。

 

意識としての魂がそこから逃げ出そうとする場合もありますが、試練は宿命でもありますので、

逃げれば事象が追いかけてくるのです。再チャレンジの機会が与えられる。

 

一度逃げると、次に追ってくる試練はワンランク規模が大きくなって、逃げにくいものとなります。

逃げれば逃げるほど、抑え込めば抑え込むほど、さらに上をいく規模の試練がきますので、

逃げない方がいいのです。

目の前にやってくるものを一つずつ 乗り越えていけばそこで試練が合格になりますから

人生の中の障害物がどんどん減っていきます。

小さいうちに済ます のが らくちんコースです。

 

乗り越える というのは戦うことではありません。

戦うことは受け止めない 受け入れない 拒否の表現なんです。

自然の学びは人間の好む好まざるに容赦なく 必要な試練を与えてきます。

でも、落胆する必要はありません。

乗り越えるほどに人生は軽くなるのです。

 

なかなか試練が終わらない という方。

ちょっと立ち止まって 静観してみます。

向かう方向が間違っている場合、試練は終わりません。

 

本来の流れ、道 の方向に修正させよう というのが 方向性ですが

その方向性がどちらかを向いているのか? というのは、 けっこう難しい問題に思えるかもしれません。

最初から、ノーヒントなのです。

ただ、法則だけが存在し、間違った方に歩むと 流れの摩擦がある というただそれだけが存在します。

 

これまでの人間社会は自我の価値観のもと、

全体的に自然の流れと違った方向に進もうとしてきました。

そうでなければ このように摩擦の多い社会にはなっていないのです。

 

これは、ある意味、魂が流れ以外のものを見たり体験したかった ということなのかもしれません。

失敗をして 成功の甘美さをより強く実感する ということなのでしょうか。

 

失敗を担当する魂は勇気があります。苦労を買って出てやってみせてくれています。

 

流れそのものを見つけた魂は摩擦を感じることが減ってきます。

なんでもがスムーズに。。

 

摩擦は手放して みてください。

本来の流れが戻ります

 

川