2018年09月07日

意識の変容

悟りは 意識の変容です。

何が変容するか というと 物事のとらえ方 です。

と言っても ピンと来ないかもしれませんね。coldsweats01

 

例えば、今年のように 天変地異が頻発しますと、平和とか安定をベースに物事をとらえることができなくなります。

これは困ったこと というよりは 本来自然というものはこういうものなのです。

人間が知恵を駆使して 人間の命が簡単には奪われないような社会、自然への対策がかなり発達しました。

昔に比べ、現代はとても安全な環境に整ってきています。

そう簡単に人命が失われることが少なくなってきて平和で安全で安泰 な時期が続きますと 危機感は薄れ のんきになってきます。

のんきに平和に幸せになっていくばかりなら こんないいことはないのですが、

人間の自我はなかなか困難を手放しません。

 

自然が平和になっていくと、わざわざ人間同士の関係の中に摩擦を作り出して やはり苦労とか苦悩を生み出してしまうのです。

エゴが発達して社会に欲という歪みが大きくなって エゴが自然界をも圧迫し始めた時、 

thundertyphoon 世界は、身震いして体中についたホコリを振るい落とします。typhoon

眠っていた地下エネルギーが伸びをしたり、つまっているものを一気に発散しはじめます。

そう 地震 や 噴火 や 台風 のような自然の猛威は 地球の身震いです。

 

地球上を覆っていたカルマは振るい落とされる わけですが、

 

人間は 万能感というエゴの幻想を持って、まるで自分たちが神のように勘違いしていますので

自分たちに都合の悪い事には 腹を立てたり文句を言ったりします。

この損失をどうしてくれるんだ? と そろばん勘定などして。

でも、

それは 何かが違うんですね

人間の一方的な都合で考えると 自然は人間に従順に黙って加工され続けてもらいたいのですが、

自然はそんなこと関知していません。

相変わらず悠久の大きな流れのままに あるがままの在り方をします。

我々は 洪水に見舞われた蟻塚の蟻のようにパニック状態です。

 

でも、蟻でも人間でも 生き残った者はまた新たに 再生に向かいます。

 

その時、再構築する時には これまで知らなかった課題 災害 という経験を経て 自分たちに必要な知恵と成長を得て行くのです。

 

最近、たまに古い映画などをBS放送で見ることがあるのですが、1980年代の映画を見ていて驚いたことがありました。

トレンディ映画?で描写された当時は まだ男尊女卑の考え方や拝金主義の感覚が強かったようで 登場人物の発言がものすごい違和感があります

普通の感覚の女子の言うことがとってもエゴイスティック ((((;゚Д゚))(;'∀') 

当時はこれが笑いになったのか??(ノд-。) さぶっ

40年前の若者の発言に 愕然とするんです。

そんなエゴ丸出しの強欲で自己中心的な発言は 今の日本ではドン引きされますが、

当時は普通の感覚だったのかも。

トランプ大統領以上のひどさです。

 

エゴは成長するので、時代をひっぱる権力者のエゴの悪臭が強くなりすぎた時、 人々は耐えられなくなって

もう我慢できない!と圧迫していた体制を崩壊させます。

民衆の不満

これも自然の嵐です。

 

崩壊しないもの というのはエネルギーバランスがとれた状態です。

人間に自我がある限り 周囲との摩擦は完全には取り除けません。

でも、摩擦を恐れて封印すれば、地下に圧が溜まります。

封印してはならないのです。

解放する空気穴 窓を開けることが必要です。

 

あなた自身の感情も封印しないでくださいね。

それは解放されて 抜けてゆきます。

出ていく感情で わざわざ周りを傷つける必要はないのですが、

パワーのコントロールが効かなくて 気が付いたら傷つけちゃった ということもあります。

発散(感情の解放)の時に そばに居合わせちゃったばっかりに 巻き込まれることもあるのです。

そんな時は、嵐が過ぎ去ってから 「ごめんなさい」って言うんです。

すぐに許してもらえなくても嘆かないでください。

相手にも開放の時間が必要だったりします。

起きてしまったことは仕方がない。 対応して修復できたらいいのですが、できないものはしかたがないのです。

 

他人の感情の解放を見たら 少し距離をとってください。

嵐の中に入っていかないで ちょっと待つんです。 嵐が過ぎるのを黙って待つ。

見えないところまで逃げる必要はありません。被らない距離を保って静かに待ちます。

何と言われたとしても、ネガティブ感情を取り込んでしまうことはありません。

ただ、時期を待ってください。 

 

くれぐれも 危ういものにわざわざ近づかなくていいです。

パワーに巻き込まれないことも大切です。

 

 

もうすでに 被ってしまって、

傷付いてしまったら、癒したり、修復したり 助け合ったりするんです。

 

人は 人同士で助け合うことができる生き物ですから。

 

助け合う

それは義務 などではなく、自然の行動なんです。自発的です。

義務にしてはいけません。

義務を強いることは 圧をかける ということなんです。

 

もし、そこに愛のエネルギが満ちていたら 人は自然に愛の行動を取るでしょう。

 

エゴの方は育てる必要はありません。(勝手に育っちゃうんですけどね)

エゴは手放して 自然と調和することが 仏の智慧でもあります。