2018年08月14日

私 というストーリー

瞑想でしていることは 『思い』 から解き放たれる時間です。

私たち人間は いろんなイメージを持ち歩いています。

そのイメージを駆使して いろんな権利を得たり、財産を得たり、支配権を持ったり もします。

全体で同じイメージを共有して ルールの下にゲームをするのです。

お金 という概念も その一つです。

これらは バーチャルゲームと似ています。

このゲームの中では それが全てのように見えます。

私たち人間のほとんどがこのゲームに取り込まれている とも言えます。

 

これは、集団幻想 というものなんですね。

特に狭い範囲、あるいは特定の環境の中だけで 生きていると この幻想にどっぷり浸かってしまいます。

客観的に観察することが難しくなるのです。

 

特にそれ以外のエリアで生活や仕事をしたことがないと この傾向が強くなります。

自分のいるところの常識や 自分の見たものだけを現実としてとらえてしまうからです

 

違うエリア、 例えば外国

違う仕事、  違うコミュニティ  を経験すると

自分の持っている観念が全てではないことに気が付きます。

 

そして更に、

観念にとらわれていることに気付いて、その観念から解き放たれることが啓発でもあります。

 

私たちは 思考が作り出したアイデンティティーが私 ではありません。

それはただのイメージです。

 

この体 が 私 でもないんです。

なぜなら、この体はこの世界の粒子で構成された かりそめの乗り物にすぎないのです。

 

この思考が私 でもない。 

この思考は マインドが作り出したもので、真実ではないからです。そうスクリーンに映し出された幻影。

 

その幻影を見て 私たちは 怖れ、悩み、苦しみます。

 

幻影から離れると 真実だけが残ります。

 

ここに生きている という真実。

 

そして真実の中で 生きる ということを始めます。

 

私たちは何も所有できません。

今、目の前にあるものは この世界からの借り物で いつ消えるかもわからない

 

真実は 今 なのです。

あなたの今を どう生きていますか?

 

幻想は そぎ落とされますと 夢から覚めます。

そして それでも生きている命を感じます。

 

それが真実からのスタートでもあるのです。

再生 芽