2018年05月

瞑想の実践

日々の中で 瞑想習慣を定着させるには なるべく決まった時間に瞑想をすることをお薦めします。

時間がバラバラだとつい用事が入ってしまうとしそびれてしまうのです。

 

かく言う私も規則正しい生活は苦手な方ですので あまり人様には言えないのですが

瞑想はできるだけ決まったタイミングにする習慣をつけられてください。

例えば、朝は 瞑想の分だけ早く起きて、瞑想をしてしまいますと、午前中の体調が全然違います。

睡眠だけで取れなかった疲れも 瞑想ですっきりしてしまうのです。

 

私などは少々ズボラで 起き抜けのまだ寝ぼけた状態でも瞑想をしてしまいます。

日頃宵っ張りの生活をしていますので、とにかく朝が苦手なのです。(^_^;)

それだけでも一日が変わります。

 

瞑想習慣が途切れてしまった時は、

最初は面倒になって ついついやらない日が続いてしまうのですが、

そうすると日常に停滞感を感じたり、なぜか大きな悩みごとが出て来たりしてしまうのです。

そういう時に リトリートなどに参加しました。そうすると やはり瞑想は外せない という気持になるのです

なぜか? それは瞑想が詰まっているものをどんどん押し流してものご事の流れをスムーズにしてくれるからです。

これは不思議なことに 瞑想を再開すると事象が決まって動きスッキリする体験をしました。

明らかに違う!と感じるのです。

この辺りはスピリチュアルパワーなのか 自分の波動が整うから なのか

霊能者ではない私は説明に困るのですが 実際に変化することだけははっきりわかりました。だからこそ 何年も続けてきたのですが。

途中でモチベーションが下がることももちろんありましたが、再開して初めてわかるのです。

あなたのチャクラが開きエネルギーの流れを整えます。

 

瞑想は 本当に人生を好転させます。

あなたが引き寄せる力を手にするのです。

瞑想の高次元の波動は あなたを導きます。

要らないものを掃除して行きます。

 

けっこう断捨離的。

 

覚悟してくださいね!

私たちは流れに乗れば乗るほど、スムーズに進んでいくのです。

世界が私たちを運ぶ方法は 実に見事に 絶妙なタイミングと 思いもよらない方法で成し遂げられます。

 

あなたの人生を楽しんでください。

生かされること、 活かされる事を 楽しまれてください。

自我が抵抗しないほど、流れはスムーズなのです。

 

日々徒然

昨日は表具の指導を受けに下関の師匠の所に行っていました。

表具はまだまだ修行中です。奥が深すぎてそう簡単には到達できません。

それでも掛軸を作れるようになるのが人より早かったこともあって

師匠の技術を残したい思いもあり 頑張って続けております。

工芸の世界は瞑想と似ています。 雑念だらけでは集中できないので

瞑想が欠かせません。作業をしていてい瞑想のように無我になることも多いです。

最近は 早く技術を習得したい、立派な作品を作りたい という欲が逆に邪魔になります。

無我になれなくなってしまうのです。

これは絵の場合も同じです。

 

もしかしたらたぶん、 日常もそうなのかもしれません。

うまくやろうとすればするほど 変なところに力が入って

上手く流れなくなってしまいがちです。

 

つまり 自然体が一番スムーズなのです。

自分自身の在り方、 物事の流れ

 

自然体が一番です。

 

肩の力を抜くのには 瞑想がとても効果的です。

 

あなたらしく、ありのままでOKなあなたでいてください。heart01

ありのままのあなたを許すのは 誰でもないあなた自身です。shine

白い桔梗

怒りの感情

黙っていた方がいいのに クレームとか 意見、攻撃的な言葉を言い放ってしまうことがありますか?

怒りの感情をどう取り扱うか ちょっと書いてみます

自分(あるいは自分たち)にとって都合の悪いことが起きると、

「ちょっと待ってよ!なにそれ!」 って反応しますか?

そして怒りがムクムク  これ、カルマの反応です。

カルマが無ければ 「ん?」 ってただ注意を向けるだけです。

起きたことを正確に確かめる そこに感情は絡みません。

自分の中にカルマがあるうちは反応するんです。

怒りの感情 もしくは 悲しみ

カルマが外に向かえば怒りとなり、内側に向かえば悲しみとなる。

だったら、カルマはあっちゃいけないのか?と言いますと

カルマは存在するものなので いけないも何も ただそこにあって 外に出たがるのです

 

で、出るに任せて対象の人物や生き物にカルマのエネルギーをぶつけるとします。

その時の自分はスッキリします。出ていくべきエネルギーが抜けたのですから。

でも、別のルールが反応します。

「言っちゃいけなかったのに」

「こんなことを言ってしまって困ったことにならないだろうか?」

「感情的になってみっともない」

「相手が更に怒ってしまって攻撃してくる」 などなど

 

じゃあ、言わなけれないいのか? それじゃあ、搾取されたり不当な待遇のまま我慢しろと? 相手は何も気づかずに態度を改めないじゃないか!そんなの嫌だ!

言わなければいいのではありません。コミュニケーション(対話)は大切です

 

あなたはどんな対話をしたいですか?

当初の北朝鮮の国家元首のように、威嚇で周囲を制圧しますか?

周囲が警戒して命を狙われそうになったら

手のひらを返したように温厚路線に変えましょうか?

 

相手も喧嘩は嫌なので和平に落ち着いたとします。

でも、そこには威嚇の爪痕が残っているので、その緊張感の棘は刺さったままです。

こいつはまたいつ手のひらを反すかわからない。

威嚇というカルマの威力は水面下に潜ります。

カルマのエネルギーは他に移っただけです。

 

ではカルマの感情はどうすればいいでしょうか?

生き物にその破壊的なエネルギーを向けてはなりません。

タライの水を押しやると押した水がこちらに戻って来るように、

その怒りのエネルギーは こちらに戻ってきます。

ブーメランの法則ですね。タライの法則って言ってもいいかもです。

 

人伝いに ぐるっと回って、別方向から同じエネルギーを向けられます。

戻って来るスパンは様々。

人から攻撃されたら それは私がかつて投げたモノ、

あるいは

前世で投げたモノ、先祖がかつて投げたモノ

そのようなカルマのエネルギーです。

 

今私が耳にしている騒音、 私はかつて誰かにうるさいなぁ と思わせたのかもw

しょうがないので とりあえず窓を閉めますw 

隣のビルの駐車場の工事の音。工事のお兄さん、お仕事頑張ってね

 

破壊的な作業はカルマの解放に役立ちます。ものを壊す仕事

片付ける作業もカルマの解放に役立ちます。お掃除

物づくりや集中する作業もカルマの解放に役立ちます。集中にエネルギーを使います

爆発的なカルマのエネルギーは扱いに困りますが、瞑想をすると中程度の強さに拡散して使いやすいのです。

カルマのエネルギーは瞑想で制御して有効利用しましょう。

 

瞑想があなたの日常生活をクリエイティブにアクティブに活性化します。

不要なエネルギーの有効利用で、平和で安定した環境を あなたが作ります。

 

カルマは外に出されなければなりません。

ただ味わうだけでも抜けていきます。

くれぐれも感情を人のせいにしないこと。

 

問題解決は冷静なほど円満に解決します。

相手にカルマがあったとしても それを上手に受け流して 

あなたが傷付いたり汚れたりすることはありません。

カルマとは 誰もが扱うのが嫌なものです。

平和裏に昇華させましょう。

瞑想がお薦めです。

お子さんの心をあんていさせるのにも役立ちます。

 

ちなみにお子さんが瞑想する時の瞑想時間は年齢 + 1分です。

小学生までは歩く瞑想をします。座れるようになれば

マントラを使った黙想形式です。

集中力が変わります。

家族で瞑想習慣 いいですよ。shine

手

手放すことの考察

欲とか執着とかこだわり これを自我が思いの中に掴んでいます

大切だと思えば思うほど それに執着していまう という思いの罠があります。

特に強い執着は 愛と正義 です。

これらな善いものでもあるので どうしてもそこに執着してしまうことになります。

 

でも、この世界は 私たち魂の意識から見ると

身体も含めて この世界 です。

本当は 私という実態はただの現象でしかない

その現象を体験しにこの世に降りてきた意識 魂 そのものが真我 と呼ばれる私たち

 

そして あなたも私も同じ意識の一部

 

 

私の右手は私の左手を責めたり攻撃したり 批判したりしません。

身体のどこかが傷付けば 身体全体がその傷を治すように

この世界も一部が傷付けば全体がそれを補うように補修してきます。

癌細胞は周りの細胞の都合などお構いなしに 周りの細胞の栄養を横取りし 

周りとの調和などお構いなしに増殖し続けます。

自然のバランスが崩れる 欲というのはそういうものでしょうか

果たして私たちの意識は

同胞を労わり合えるのか 搾取の対象なのか?

 

私たち人間は地球という体にとって どんな存在なのか

 

愛とは 抑圧ではなく 自然体に存在して 世界、地球よ調和することかしら と

ふと 思いを馳せる今日でした。

夜景

 

5月20日(日)は 1日瞑想会の日です。10時~17時

瞑想実践者の方にご参加頂けます

瞑想の理解を深めるためにも ぜひご参加くださいませ。

 

5月22(火)はランチタイム瞑想会の日です。 10時半~14時

こちらは瞑想未経験の方でもご参加できます。体験瞑想としてもご利用ください。

お問合せフォームからお申込みくださいませ。

 

 

変化するものと永遠のもの

週末に横浜に行っておりまして ブログの更新がお休みでした。

 

日々 いろんなことが変化していきます。

仏教では諸行無常と言いますね、この世界はずっと変化していて同じ状態にはとどまらないものです。

人様とのご縁も その時その時ですこしずつ変わってまいります。

新しい出会いは 喜びも多く 人が好きな私は いろんな人に会うのはとても楽しみの一つです。

人々の優しさに触れるにつけ 幸せな気持ちになるのです。

 

長い付き合いの友人とも会う機会がありました。

スピリチュアルの最初の師匠だった友人。本当に親しい人。

仲の良い友達は 裏表がなく 私の事を本当に思ってくれる人々で

時に言いにくい厳しい言葉をかけてくれることも 本当にありがたいものです。 

耳が痛いことでも必要なら言ってくれるというのは

私の事を信頼しているからに他なりません。

私は出会う人々に恵まれている と実感する日々でした。

 

素晴らしきかな人生 です。

怪我をしても 助けてくれる人があり、困っていたら手を差し伸べてくれる人があり、

悲しかったら寄り添ってくれる人があり、腹立てていたらたしなめてくれる人があり

思い通りでないことも 目新しいことだらけで この世は本当に奇跡の連続のようなものです。

この世に生まれて、生きててよかったな と思えるそういう一生にしたかったと思ってきたのですが、

半世紀ほど生きてみて、たくさんの感動と優しさを体験して

その望みがもう叶っている と感じる今日この頃です。

神様 仏様 皆様 ありがとうございます。。

菩薩

観音菩薩さまのお心を感じて生きています。

仏画のこと

今日は仏画のことを書いてみます。

なぜ仏画を描くようになったのか? というご質問をいただくことがしばしばあります。

 

仏教に興味を持つようになり、ある時、とても美しい仏画の教本に出会い

実際に描いてみたくなったのですね。

それまでは仏画を描くということは全く意識していませんでしたが、

その絵を見た時に私が描きたいのはこれだ と思ったのでした。

それから、 仏画について いろいろ調べるものの、これは独学では厳しいと感じ

京都の絵仏師の工房の門を叩きましたが、

そちらは家から少し遠かったので 子供が小さいうちは難しいということで断念、

当時大阪のNHK文化センターの仏画教室を訪ねたのでした。

一般向けの仏画教室で習いながら そちらの先生の工房でお仕事をさせて頂くことになり、念願の絵仏師のお仕事に就くことができました。

仏絵師の仕事は 難しくもありましたが、私にとっては本当に面白かったのです。

仏様を描いている これは私にとっては長い長い浄化の時間だったのだと思います。

毎日が飛ぶようにすぎていきました。

お寺に納める仏画や、仏像の彩色を担当していました。

仏教美術工房で一番大きなお仕事は 高野山金剛峰寺の平成の大修理に参加させてもらったことです。

ほぼ1年くらいかかるプロジェクトでした。

根本大塔の五智如来を囲む十六大菩薩像の柱巻きの 16枚の巨大な仏画の修復でした。

根本大塔

根本大塔内部

修復した仏画の搬入、設置、現地での修正作業はドキドキでした。coldsweats01

 

家族の都合で福岡に来るまで 仏教美術工房のお仕事をさせてもらっていました。

 

それにしても 運命はどうなるかわからないものなのです。

 

当時は真言宗が一番興味のある宗派でしたが、今は禅ですね。

でも更に原始仏教そのものに惹かれている今の自分がいます。

もしかしたら 偶像崇拝は不要なのかもしれません。

仏は一人一人の心の内にいます。その光を見つけることが大事です。

仏に向き合う窓口としてふさわしい仏像や仏画でありますように。

みなさまの心が癒されますように。shine

 

迷惑と感じる事

自分を取り巻く世界や人々が織りなす様々な出来事

様々な波、摩擦

自分が外から受ける刺激に対しては 人はとても敏感に反応します

嫌だったり うっとおしかったり イライラしたり 腹を立てたり

自分自身を快適な環境に置くためにはこういう感覚は必要なものでもありますが、

多くの人々と共存していくためには その反応は幾多の摩擦を引き起こします。

 

特にカルマの反応

これは忌避するものに対しての経験値からやってきますが、

それは個人の経験のみならず、世代的にも受け継がれますし、文化的にも受け継がれますし、前世の記憶としても保持しています。

このカルマの反応は私たちの身体の中にあります。

このエネルギーを人にぶつけますと、ぶつけられた人は カルマのエネルギーをもらってしまいます。

八つ当たりなんかはその最たるもので、もらった人は不快さと理不尽な怒りを覚えます。

カルマのエネルギーは人々の間を移動していきます。

 

だったらカルマのエネルギーは出さなければいいのか?と言いますと、

カルマのエネルギーは 内側にこもらせると、内側を攻撃してしまいますので

身体や精神が疲弊して ついには病気を引き起こしてしまいます。

でも、他人にぶつけるというのは、人伝いに自分の所に戻って来る という結果になってしまいます。

自分の住環境に 毒を撒く  これほどに愚かなことはありません。

誰も自分の家の玄関の前に汚水をぶちまけたりしません。

 

トイレの水洗で流す とか 緩衝材に吸収させます。

怒りのエネルギーは生き物に向けてはいけないのです。

 

あなたが内側にため込んでいる怒りのエネルギーは

外側の生き物たちによって引き出されることが多いでしょう

それらは動いて刺激を与えてくるし、

目の前をチラチラとして 標的にしやすいのです。

 

でも、この場合 私たちがするべきことは、まず、怒りのエネルギーを平和的に解放して、(生き物に向けないで、自分一人で処理する、または自分だけで味わって終わらす)

その次に目の前に起きている問題に対処します。

どうにもならないことは 被害を最小限に抑える努力をしますが、

この時に怒りのエネルギーは必要ないのです。

冷静であればあるほと、結果が平和に治まります。

 

怒りのエネルギーは個人が持っているカルマのエネルギーで

それは本当は周囲の問題ではないのです。

あなたは あなたの中にあるカルマのエネルギー(怒りや恐れや様々なネガティブな反応)を 平和裏に終わらせ、

あなたを取り巻く世界をクリーンに保ってください。

自分の唾(カルマのエネルギー)で環境を汚すのは愚かなことなのです。

ゴミは無造作に巻いてはいけません。自分のゴミ箱に捨てます。

カルマの解放の仕方は以前にも書いたことがありますが、また改めて。

 

自分の世界を天国のような居心地の良いところに作り替えるのはあなた自身です。

 

クリーンな心と行い それはカルマが消えれば簡単なことなのです。

そのために カルマの解放を恐れず、向き合って終わらせましょう。

 

日々の瞑想はカルマのエネルギーを取り去り、あなたの心をより穏やかにしていきます。

自分で気づかないあなた自身を発見できます。

この世界があなたに送って来るメッセージを 受け取れるようにもなります。

全ての出来事はメッセージです。

読み解きたい方は お手伝いいたします。

まずはアトリエ霽月のセッションをご利用ください。

カルマが消えれば、

どんな場所にいても あなた自身が環境を浄化するようになります。

お濠の蓮

泥の中から出て美しく咲く 蓮のようにshine

 

他人の振り見てわがふり直せ という言葉は 自分自身に。

心ならずご迷惑をおかけしてるかもしれない方々へ 心よりのごめんなさい を。

瞑想のスピリチュアルパワー

私たち人間が 瞑想をして 意識が空(くう)に入ると、意識の拡大が起こり 空というベースのエリアに意識が拡がります。

この時、肉体上のエネルギーはマントラの波動の流れに同調して 肉体上に残るカルマの種を押し流してくれます。

エネルギーの通路にこびりついたカルマの残りカスを全部押し流していくのです。

カルマの種とストレスの疲労を押し流していきます。

この作用を利用するには マントラ瞑想をする必要があります。

 

ELM瞑想では瞑想マスターたちのエネルギーと繋がる伝授式があります。

そのマントラの伝授の際に 大いなる意識と 私たちの意識を繋ぐルートを開き、スピリチュアルパワーを受け取ります。 

これがけっこう重要なのです。

 

霊的な感覚を全く持たなかった私は当初、マスターのエネルギーや瞑想のエネルギーがどんなものかはわかりませんでした。

でも、内側のクリアリングが進んでいくにつれて、内面の雑音(雑念)が少なくなり

空に入る時間が長くなっていきました。

そして、今まで全然わからなかった エネルギーの読み分けや

察知する という能力が劇的に発達したのが自分でもわかりました。

 

面白いもので この能力はできるようになると とても自然で当たり前のことなのです。

ただ 分かる という感覚です。

匂いがするのと同じくらいのことです。

 

人間の五感がフルに生かされると 今まで見えなかったものが見える(感じ取れる)ようになります。

これがある種の超能力的な要素です。

最初はそんなことは重要ではなくどうでもいいと思っていたことでしたが、

実際はこの能力にはいろいろ助けられます。

危険かどうか 良い人かそうでないか わかってしまうからです。

人々の波動が変わるのもわかります。

全く何もわからなかった私ですらこのような状態ですから

最初から敏感な方はどれほどに才能を発揮するか ということも

すごい成果はどなたにも起こります。

クリアリングというのはそれほど私たちを変えます。

ただし、一朝一夕にはいきません。年単位の瞑想経験が必要です。

でも、それが生きている間に起きるということは奇跡のようなものです。

 

私たちの進む方向はハート(真我)が知っています。

ハートの進みたがる方向に意識を向けてください。

ワクワクしてハッピーな感じのする方向です。

あなたの進む道は用意されます。

世界がそれを喜ぶからです。世界の流れはあなたの味方になります。

大濠の蓮

才能の開花をお楽しみください。

 

瞑想体験会は毎月第一土曜日の午前中です。

伝授のお申し込みは随時受付しております。

 

旧フルフィルメント瞑想を実践している方々は 新ELM瞑想をぜひお試しください。

進化したELM瞑想のパワーは 驚かされるものがあります。

みなさまの進化と真価を引き出したいheart 瞑想は素晴らしいものです。

お越しをお待ちしておりますね。

 

感動 喜びの光の色

喜びと感動 は どんな時に起きますか?

生きる喜びを感じている時、あなたは喜びの波動に包まれます。

その喜びが純粋であれば純粋であるほど

光と波動はクリアなエネルギーとなります

 

真の愛には濁りがありません。

それらは真に美しい

 

あなたがその喜びを放っている時、

世界があなたの喜びの波動に共鳴します。

 

嬉しいshineうれしいshine幸せshine

 

あなた以外の人が喜んでいる時も同じです。

それに共鳴して

世界が喜ぶ時

金色の光が降りてきます。

それはそれは 感動的な共鳴です。

 

黄金色の夕日201832120282.jpg

あなたが 多くの光を作る人ならば あなたは世界から祝福されます。

世界から護られる という体験をしたことがおありでしょうか?

これば 絶対的な安心感があります。

 

私たちは独りで生きているのではありません。

この肉体は世界の要素で出来ている仮の姿です。

あなたの意識が世界と調和する時

肉体と世界はあなたそのものとなります。

 

私たちの本質は意識です。私たちの本質が物質を越えた意識(魂)の存在と理解した時

この世界の何物も留められず、何も所有できないことを理解します。

 

真我は目覚めます。生き方が変わります。

ゴールドライト

私の意識は 本日は仏画教室を楽しんで参りますheart01happy01

瞑想伝授の方や瞑想体験ご希望の方 募集中でございます。

新たな世界観に触れにいらしてくださいねshine

魂の望むもの

私たちはなぜ生まれてきて なぜ死ぬのか  これは永遠のテーマですね。

全ての人は 幸せを望んでいます。 わざわざ不幸になりたいと願う人は一人もいません。

例外としては自分の罪悪感からわざわざ不幸を選ぼうとしてしまう人や、

他人への恨みから自分を不幸にしてしまう人もいますが、

本当は 幸せになりたいのです。

 

なぜ 私がこんな目に遭わないといけないのか と思うことや、

とても辛い体験をする時 など 

生きる意味をあらためて考えさせられたりします。。

人生は苦しむためにあるのではありません。

苦しみを通して 魂は学びます。

 

もしあなたが現在、感情を感じている場合

怒りや悲しみは 味わいつくしてしまうと 抜けていきます。

それらのエネルギーは抜けて出て行ってしまいます。

無視したり封じない方がいいのです。

過ぎ去る間は、ただやり過ごすしかありませんが、

それらのエネルギーが自分から出ていくまでは行動を起こさないように気を付けます。

カルマのエネルギーは破壊的なパワーをもっていたりするので、

もしそれを人にぶつけてしまうと 相手が傷付き、カルマのエネルギーがその人に入ってしまいます。

 

カルマのエネルギーは 誰もいない方向に 何も被害が生じない形で 解放します。

 

エネルギーが抜けてしまうと、スッとしますでしょ?

心が軽くなります。

そして静かになるのです。

 

静かな心は 真実を見ることができます。

 

感情は感じる以外にも 瞑想 という手段で カルマのエネルギーを手放すことができます。

カルマの感情を速やかに手放し

私たちは穏やかに戻り

物事に穏やかに対処できます。

静かに微笑んでいてください。

 

花のように。 

 

それは愛の形です。 あなたが愛として存在する ということです。

花