2020年01月29日

世界を体験する

私たちを取り巻く世界

環境や人間関係、そして心理劇、目にする人間模様のドラマ

いろいろとそれらの景色を眺めながら

心地よいものもあり、そうでないものもあり。

 

でもそれらが心地よかろうと そうでなかろうと

景色は景色 なんですね。

電車の車窓から見える 飛び去る景色と同じ

 

その景色の中に見るものはなんでしょう?

この世界の汚れ?

もしくは 雑多なものの中に在る美しいもの

あるいは、雑多なものを含めた世界全体の美しさ。

 

いろんなことが起こり、一喜一憂したとしても

世界はただ世界としてあり続けます。

 

そして 私はその世界の一部。

私 という現象を体験している一滴の魂です。

 

最近はそこに積極的に絡みに行くよりも

ただ眺めている方が好きで

これは年齢のせいでもあるかと思います。

若い頃ほど活動のエネルギーが高くないので

ただ 見て 楽しんでいるのです。

 

若い人は エネルギーが放出していますので、それを使わねばなりません。

 

年配の者と 中年期の者と、青年期の者と、思春期の若者、子供、赤ん坊

それぞれの在りようがありますので、自分を基準に他人を見ると違和感や摩擦が生じます。

 

同じ年代にしても それぞれのエネルギー量は違いますので、

自分を基準にして他者を測ると 何かと摩擦が生じます。

 

私は この世界の一部で、この世界の圧倒的な自分の身体以外の部分を

受け止められるほど 自分と世界が一体になって 

それら全部を愛せるとしたら 

私の内側には世界と同等な量の愛が満たされる

 

そんなことを実感しながら 今日も世界を眺めています。

愛に満たされて。

セム

コミュニケーション

人との関わりの中で 嫌な思いをしたことがありますか?

 

お互いの気持ちが反発して 嫌な思いをする時、それは感情の摩擦 カルマの発動です。

内側にある怒りや悲しみの感情が噴き出します。

 

でも、その感情に飲まれないで下さい。

 

愛ある対応ができない人は 愛が枯渇しています。

それができないことで その人の人格を否定するのはちょっと待ちましょう。

愛が足らない人は人に愛を向けることができません。

それは欠陥ではありません。ただの枯渇です。

 

先日、ヒーラーのハビエルさんが言っていました。

愛を与えられない人には、愛を与えてください。

あなたから愛をあげれば その人は癒されます。

愛は内側から湧いてくるものですから あなたは足らない人に愛を分けてあげればいいのです。

 

これは私も同じ考えで、

もう一つ付け加えますと、愛は無いから出ないのではなく、蓋をして塞いでいるので出ないだけなんですね。

出ないから無いと思ってる。 これは神と分断されている状態です。

内側の神(高次元とか仏も同じところ)と繋がっているパイプが詰まると愛が流れてこなくなり枯渇します。

内側のそのパイプが通ると、神(真我)からいつでも愛が流れ込んでくるので枯渇しようがないのです。

そのパイプを詰まらせるのは『思考』ということも聴いたことがあります。

 

愛はフィーリングですから 言葉でパッケージにすることはできませんからね。

でも、パッケージできなくても、言葉に愛をのせることはできます。

 

それの最たるものは マインドフルネスの創始者、ティク・ナット・ハン禅師の言葉です。

ティクナットハン書.jpg

I am here for you