世界を体験する

私たちを取り巻く世界

環境や人間関係、そして心理劇、目にする人間模様のドラマ

いろいろとそれらの景色を眺めながら

心地よいものもあり、そうでないものもあり。

 

でもそれらが心地よかろうと そうでなかろうと

景色は景色 なんですね。

電車の車窓から見える 飛び去る景色と同じ

 

その景色の中に見るものはなんでしょう?

この世界の汚れ?

もしくは 雑多なものの中に在る美しいもの

あるいは、雑多なものを含めた世界全体の美しさ。

 

いろんなことが起こり、一喜一憂したとしても

世界はただ世界としてあり続けます。

 

そして 私はその世界の一部。

私 という現象を体験している一滴の魂です。

 

最近はそこに積極的に絡みに行くよりも

ただ眺めている方が好きで

これは年齢のせいでもあるかと思います。

若い頃ほど活動のエネルギーが高くないので

ただ 見て 楽しんでいるのです。

 

若い人は エネルギーが放出していますので、それを使わねばなりません。

 

年配の者と 中年期の者と、青年期の者と、思春期の若者、子供、赤ん坊

それぞれの在りようがありますので、自分を基準に他人を見ると違和感や摩擦が生じます。

 

同じ年代にしても それぞれのエネルギー量は違いますので、

自分を基準にして他者を測ると 何かと摩擦が生じます。

 

私は この世界の一部で、この世界の圧倒的な自分の身体以外の部分を

受け止められるほど 自分と世界が一体になって 

それら全部を愛せるとしたら 

私の内側には世界と同等な量の愛が満たされる

 

そんなことを実感しながら 今日も世界を眺めています。

愛に満たされて。

セム