2020年01月23日

普遍のもの

自分が生きた証を残したい  と 言う発言をお聞きすることがあります。

それは?

人々の記憶に残る ということ?

何か 自分が生きた功績を残したい?

人に認められたい?

何を指しているのかな? と思います。

皆さんは何だと思いますか?

そう思っている方は どんなことでしょうか。

 

何のためにそれをするのでしょうか?

そこに何があると思いますか?

 

もし、あなたが 多くの人々のためになることをしたならば、

何かを残す なんて意図しなくても 人々は自然とその人の話を語り継ぐでしょう。

この人がいてくれてありがたかった 感謝だね。

人々はそんな思いを抱くでしょう。

 

でも、何か功績を残すことと 幸せであることは 別物だと思いませんか?

 

もしあなたがしたいことをして 結果的に『功績』 と呼ばれるようなものを残したなら

その活動は幸せなのかもしれません。いえ、きっと幸せ でしょう

でも功績を目的にしてする努力には数々の犠牲を捧げるかもしれません。

自分の時間と労力と幸せを犠牲に 功績を手にします。

これは幸せなのかどうか 何とも言えません。

満足をすればそれでいいと思いますが。

目的が達せられなかった時は満足しない?

で、その残した功績はどのくらい語り継がれるのでしょう?

 

1年?5年?10年?100年?1000年?2000年?

10000年語り継がれているものは何もありません。

宇宙時間のほんの一瞬の話です。

 

いずれは無に帰しますね。

それでも残したいものがある としたら それは何でしょうか?

 

 

ただ、

あなたの愛は 消えることがありません。

真我の意識である愛は

肉体を失っても消えることがないからです。

 

あなたは あなたの中にある愛を大切に育ててください。

それは永遠のエネルギーです。

生命力 

それはこの宇宙に存在する愛でできています。

チェリーブロッサム