2019年05月17日

思い込み

思い込みというものは あまりにもそれが当然のように感じているので 

思い込んでいることを自覚していません。

 

この世界の事 どんなものだと感じているのか

自分自身はそれを現実と受け止めてきたので 自分の見ている世界が 真実だと思い込んでいます。

 

実際には 真実は一つしかありませんが、

人はそれにいろんな解釈を加えるので

それぞれの人によって 様々な世界を見ています。

 

この世の中は生きにくいものだ とか

渡る世間は鬼ばかり とか

この社会は腐ってる とか よく聞く言葉ですが・・・

 

それはこの世界の一面、いや 断片に過ぎません。

 

あるものは もちろん キレイなものばかりじゃありません。

醜いもの 黒いもの 悲劇や 苦しみ 

実に様々な要素が存在します。

 

ある時に見た衝撃的な体験が 心に焼き付いてその記憶が脳裏から離れない人は

それを世界だと思い込んでしまいます。

記憶は何度もそのイメージを見せてしまうので、

今起きていないものも今感じてしまう。

このネガティブな記憶がカルマです。

 

これが具体的なビジョンであることもあるし、

イメージが明確でない感情である場合もあります。

自覚しないほんのりしたエネルギーで存在している時は 

それが過去のものだと自覚せずに 現実に重ねて その 色 を見てしまいます。

感情という色です。

 

仏教の色即是空の 色 というのは

この世界を見ている私たちの目に映る世界のことです。

車窓の風景のような 記憶の風景 記憶の世界

でもその風景の実体 つまり 真実の世界そのものは

常に一瞬一瞬 姿を変え さっきまでの瞬間は 今は存在していないのです。

もちろん、流れ となっていますので、さっきのものが徐々に移り変わるので まるで同じものが恒常的にあるようにも見えますが、

それはさっきの世界とはバランスが違う状態です。

この常に移り変わる流動的な今 しか 存在しない。

 

しかも、その『今』を認識しているあなたの意識がなければ、 あなたの世界は存在しない ただの空(くう)に過ぎないのです。

空とはこの世界、この宇宙の器のようなもの

その中に存在するエネルギーと それらが具体化し、結晶して物質になる現象界

その両方にアクセスできるのが 私たち、肉体を持つ魂です。

魂は 観察者なんです。

肉体という体験を見届ける観察者

これを自覚している状態は 啓発(悟り)の状態です。

この空に限りなく近い意識、真我の意識は、思い込みの無い意識エリアです。

ただの観察者

ここから見ると 波動というものをリアルに感じます。

光か闇か 重いか軽いか 幸福かそうでないか

はっきりと明暗を感じ取ります。

 

あなたの人生を光に満ちさせるのに

何も所有する必要はありません。

ただ手放して存在そのものを体感することで

自分自身の存在そのものが光であることを実感します。

 

このような経験があることを魂はどこかで知っているのでしょう。

だから瞑想をするのかもしれませんね。

 

光を遮っている カルマの浄化をするために

ELM瞑想はあります。

 

あなたが求めているものは何でしょうか?

 

物質? それとも 光のような幸福感?

後者であれば 手に入れることは難しくないと思います。

このような真我の幸福感は 開いてしまうと 失うことがありません。

 

ただ、開くために必要なことを 続けさえすれば できます。

なんでこんな断言をするのかと言いますと、

強烈なエゴを持っていた私のような者にも出来ているからです。

 

エゴが大きな人は、元々エネルギーが強く、カルマさえ取り除けば

世界を救う力も持っています。

カルマにエネルギーを使うより 愛にエネルギーを使う方が

ずっとずっと幸せになれます。

カルマが減って 真我の意識を体感している者は、教育を誤ることも

社会を生きづらくすることもありません。

 

心地よい風を楽しんで 世界を慈しんでいます。

 

まずは 思い込みに気付くところから 豊かなな意識への道が開けます。