2018年11月24日

自然に触れること

京都に行っている間、一人の青年の興味深いお話を聞く機会がありました。

その方は大手広告会社の ストラデジックプランニングディレクターというお仕事をなさっているのですが、

ストラデジックプランニング って何だ?と 調べて見ますと 

 環境変化に対する能動的、革新的な適応。未来の結果を仮設して、現在の決定を扱うことを可能にするもの

と書いてあります。

 

この方は 社会や環境の現状を観察して、新しい見方やアプローチを考え出すのがお仕事で

洞察がとても重要なんです。

 

思い込みを外して人間を観察していきますと、 人間の行動の原理や 心理の仕組み、深層心理と表層意識のずれを見つけていきます。

これまで あたかもそれが当たり前なことのように 皆がそれを基準にしてきたことが、

時代と共に新たな若者はそれとは別のもっと自分たちに合った対応や方法を使うようになるのです。

行動だけでなく もののとらえ方、感じ方 価値観 人生観も。

 

つまり必要なもの ニーズが変わっていくわけですね。

それに伴い、提供側は 古いバージョンを出し続けても合わないわけですから、

新しい方法や商品へと改善していく必要が出てくるのです。

 

それも、まだ消費者側が認識していない更に先のニーズを見つけることも大事なようで 

その青年は普通の企業の仕事 というよりも 大学の研究室の職員のような 実験的な業務に携わっていました。実際に学校でも教える業務もお持ちです。

 

その方がお仕事のことを話してくださった最初に印象的だった話が

 

何か新しいことを生み出さないといけなかったり、研究にアプローチする時に

多くの人が会議室で会議をしたがるんです。でも自分たちの認識のエリアにいたまま 新しい発想は生まれません。

外に出て新しい体験をしていただきたい。

学生にもよくあるのですが、 ネットで調べたものだけで世界を把握しようとする人がいます。

ネットには情報の一部分、ネットに乗せることが可能な情報はネットで伝えられることができます。

写真とか話とか 

写真は2次元の画面に見たものを映せますが、実物はそれだけじゃないんです。

現地に行って、その空気と波動を感じて はじめて 真実の存在を体感することができます。

現代人はそれをしないまま 認識の世界観で済ませようとするんです。

これでは本当のことは何もわからないままなんです。

頭で理解することと 体験で感じることは全然別のものだと体験しないとわからない。

 

 

うわ~、 なんて瞑想的理解なんだろう!!

 

この世界は 本当に観察して感じることで学びは進むんです。

たとえカルマがあっても そのカルマの体験は逃げずに受け止めれば終わっていきます。

 

そう、私の都合で目の前の体験から目を背けることなく ただ 受け止めることができれば。

カルマの体験は 終わって消えていきます。

回避は得策ではないんです。

向き合って乗り越えればさっさと消えていきます。

 

刺激から隔絶された静けさは 限界があります

かと言って、世界を動きのないものにしてしまうことも不可能です。

動きはバランスがとれることが一番なのです。陰陽のバランスです

世界が調和した絶妙のバランスはこの世に豊かさを生みだします。

 

私たちは世界の現われとして この肉体から世界を感じています。

あなたからは 世界にどんなものを発信していますか?

意図的であれそうではない場合も 私たちは常に選択した波動を世界に発信し続けています。

私たちはこの世界の一部分ですし、切り離して生きる事は不可能です

ただ、この世界のどこにいるかは 選ぶことができます。

 

もし、外側から自分を隔離することで自分を守ることを考えておられるなら、

それはとても不安な感覚になられるのではないかと思います。

外側の波を防ぐことばかりに気を取られてしまいそうです。

近すぎることが苦しければ距離をとることも可能です

あなたは自由に選ぶことができます。

私たちは この世界と共に 世界の波を楽しむ存在です。

世界の波に調和してください。

自分に丁度いい波を見つけることもいいでしょう。

 

行動を自由にするには

思い込みと抵抗を手放していく必要があります。

行動を制限しているのは 自分自身ですから。

 

私たちはダルマと共に

真我の目

神の目で 世界を見ることになります。

 

そう、四の五の言ってるよりも 自然に触れにいきませんか?

清々しい空気に触れに 出かけてください。

紅葉

目に眩しい風景と

空気と温度

匂い

そして清らかさ

 

現地で 五感で 感じることで

私たちの意識は開きます

大地に触れてください。

感じてみます。

近所にある樹々からも 感じることは可能です。

彼らは自然と共に生きています

 

あなたの感性は 開かれることを待っています。shine

 

 

 

 

 

 

 

 

生かされている存在

京都から 帰って参りました。

いろんな芸術家や研究者の方々と語り合うと 

未知のものが 姿を現すような感覚になったりします。

私たちがとらえることができなくても

感じているものは 一体なんなのだろうか?

 

興味は尽きません。

 

この世界は繋がっています。

地球という土台があって その上に無数の生命体 

空間には空気が充満しています。

何もない空間など自然界では存在しません。

そして 私たち人間は 何もない真空の空間では生きる事はできません。

 

空気の分子を間に挟んで 私とあなたは 同じこの世界の空間に存在しています。

 

私とあなた だけではありません。

全ての存在が この世界の空間に一緒に存在しています。

地球上でつながっているのです。

 

自分を取り巻く環境は あなたの世界そのものです。

あなたは あなたの身体を通して この世界を体験している意識です。

実は

あなたの身体と この世界には 境目がありません。

皮膚の内側と外側で あなたと あなたでないもの と境目があるように思っているかもしれませんが、

先ほどまであなたの内部にあった 水分は 今まさに 毛穴から あなたの外に出て行っているところです。

内部の水分はあなたでしょうか?

外に出た水分はあなたじゃないでしょうか?

でも 外に出た水分はまた循環してあなたの内部に戻ってくるかもしれませんし、

どこからどこまでがあなたの身体なのか 明確に分けることは実はできません。

今 あなたの身体になっているもの

次の瞬間に身体になっているもの の 構成は 同じではありません

 

あなたの意識の目の前で 世界が あなたを 形作っています。

あなたの意思とは関係なく 私の意思とは関係なく 

あなたも私も この世界に維持されています。

 

生まれてきて 生きて 死ぬ

 

これは私たちが 意図してしているものではなく

自然の摂理です。 悠久の時の中で紡がれる 命のシンフォニーです。

現在の世界の人口が何人なのか調べようとしたら 73億とか74億とか75億とか

色々なデータが出て参りまして

正確な人数はわかりませんでした

当然ですね ずっと 何秒ごとかに変わっているのですから 人数の正解は出せないのです。

私やあなたや 全てを含む この世界は一時として 同じ状態では存在しないのです。

あなたも流動しています。

あなたは世界の現われなのです。 

あなた という現象

 

私 という 現象