2018年07月25日

大いなる存在

人は生まれて そして死んでゆきます。 

人のみならず全ての命がその運命を持っています。

人以外の生き物は その命を 本能というプログラムのまま生きますが

人はその人生を自分で創作することができます。

 

個人の意識 自我は 思考し あらゆる可能性に対してチャレンジしたりしなかったりします。

この選択は 魂が持つ人生設計図 宿命に導かれますが、その中でも人はその中のいくつかの選択肢を選びながら人生という旅を進んでいきます。

 

この人生の設計図には 私たちの試練や摩擦、葛藤など カルマの要素が描かれており

そのカルマの体験によって私たちの魂は磨かれて成長し大きな理解と許容・包容力を得るようになります。

 

障害物は乗り越えるために用意されます。

自らが準備してやって来ているのです。

 

何も問題が見当たらない環境でも この課題は発動します。

青春の悩み

このままでいいのか? こんなのでいいのか? 受け入れられない。 割り切れない。

護られている事への抵抗。

 

そう、素だって自立したくなるのです。

 

親は子供を守りたい という執着を手放す試練と向き合います。

 

こういう体験がある人もあればない人もあります。

 

いろんな形の試練があります。

あなたが対峙している試練は あなたのためにある試練です。

 

その中で あなたは自分の信念を探し、あなたの生き方を自分で見つけていきます。

この姿勢が整うまで試練は続きます。

 

この世界は私たちを 最終的に 愛の理解へと導きます。

全体と調和して より神に近くなるようなものです。

 

私は特定の宗教団体に所属していないので神については自分なりの理解を持っています。

神と仏は少しテーマの違う波動を持って大いなる存在の一部です。

私たちの魂の故郷であり そこから生まれ そこに帰っていくところ

意識の故郷です。

 

そちらの領域には、   死んで身体から抜ければ、成仏して神(と呼ばれているもの)と同化します

自分の行き先を見失っている時は死への恐れを持っていますが、

瞑想などをして我の意識からはなれると、この肉体にいるままでもそちらを感じ取ることができます。

 

この辺りの理解は 人間世界の学歴や知能の高さとは関係がありません。

神や仏を感じることができるかどうか、感じることをやってみたことがあるかどうか で この意識は発生します。

 

その神や仏は 既成宗教のそれらと同じには考えないでください。

あなたを見守る意識の故郷としての神、仏、守護 の意識です。

 

 

あなたは見守られ 愛されています。 この世界に。神々に。神仏に。

 

そしてあなたが それらの大いなる意識の存在を感じ始め 

あなたの願いの届け方を知り始めると

大いなる存在はダイナミックに動き始めるのです。

 

まるで微笑むように あなたの信頼に応える。

 

そなたの思い受け取ったぞ と。

 

これらのやり取りに物質的な実態はありません。

ただ、あなたの内部にその実感が芽生え始めるのです。

 

温かい愛と共に

 

天の梯子