2018年07月06日

幸福に生きる

人は皆 幸せに生きたいと願っています。

何が幸せなのか? それを探す旅が人生 なのでしょうね。

 

あなたにとっての幸せは何でしょうか?

 

仏教は 幸せは 苦しみがないこと と教えを説いています

苦しみを手放す平安の幸せ。

 

若い頃、その意味がよくわかりませんでした。

苦しみを手放すには欲を手放す  それのどこが幸せなのか?

若者にはわかりませんでした。

その頃の苦しみ と言ったら、欲しいものが手に入らないこと だったからです。

 

欲しいものは、 物質にかぎったことではなく、

人から認めてもらうこと だったり、人に自慢できるものだったり

気分が高揚できる体験や時間、 また、愛される事

 

あらゆる欲しいものを手に入れようと懸命だったろうと思います。

私自身は 物質にたいする欲はほとんどありませんでした。

大人になってから、きれいな洋服とか 高価な宝石とか カッコいいバッグとか

車とか家とか そういったものには興味がありませんでした。

なぜだろうか? と考えてみると 経済的には裕福な環境に育ったので 幼少期には物質的に得られない という体験がほとんどなかった ことと、

母が贅沢を嫌悪するような価値観があったので

物質に対する欲は 分別がついてからは執着を持たなかったのでした。

倹約を善としてとらえていたのかもしれません。

最初から満たされるもの というものには執着は生じないもののようです。

 

気が付いた時に自分に欠乏していたのは 自分自身に対する肯定感 と 愛 でした。

たぶん、その二つがどこにあるか、ずっと探していたのかもしれません。

 

そのためにいろんなことをしたり、いろんなところに探しに行くわけですが、

あったと思ったものは すぐに色あせたり 自分の手の中から消えていってしまうのです。

 

自己肯定感と愛 それらを外に探して 見つかるわけがないのですよね。

 

何十年迷ったことでしょう??

 

これはもうヒントのない宝探し でした。

無い場所を探す限り それが見つかることがありません。

そして どこにあるか わからないのです。

どういうことをしたら手に入るのか 

 

もうすでにある人にとっては 変なことを言っていると思われるかもしれません。

そんなものは探すまでもなく ある

 

でも、見失っている者にとっては もう迷宮なんですね。

 

こうすれば見つかるよ という先人の言葉を頼りに

チルチルとミチルは森に青い鳥を探し行くわけですが、、

私の場合は一緒にさがしてくれる連れも居なかったわけで

チルチルさん代わりの彼氏 とか 夫 を相手に 幸せゴッコをするわけです。

 

でもなぜか 見事に壊れていくわけですよ。見つけたと思ったものは 変容していく

どういうことなのか 意味がわかりませんでした。

 

捕まえたはずの青い鳥は ある朝 ただの茶色い山鳩に変身しているわけです。

しまった! 間違えた! と思うわけですが 

それは根本的な間違いをしてしまっているんです。

 

外にはいないんです。捕まえてくるものじゃないんですね。

すでに内側に飼っているんですよ。自分の中に

え?どこどこ? 見えない!  ってなりますね。(^_^;)

途方に暮れて また外側を探したくなるわけです。 (´・ω・';)三(;´・ω・)

 

いやいや 同じ失敗をしちゃだめです。 外にはいません。

 

内側の奥のほうにいる 愛 という名前の青い鳥は 

不安や恐れの感情(カルマ)に覆われて姿が見えないんですね。

 

スピリチュアルの法則を学び始めて 自分自身の観念がすべてのストーリーを作り出していることに気付き始めて、

それでもなお 消えない恐れや不安や怒りを どうやって取り除いたか と申しますと

それがELM瞑想なんです。 そして 徹底的に手放す。 執着を手放すんですね。

これは少々時間がかかりました。エゴが掴んでいる執着というのは 簡単には手放せないものもあります。

 でも、結局手放すのは その執着を持っている限り苦しんでしまうからなんです。

ELM瞑想は恐怖の感覚を随分と薄れさせてくれました。

何十年も引きずっていたひどいトラウマが消えたのは2,3年目でしょうか。

それから、奥の方に潜んでいた不安感がすっかりなくなったのは5年目ですね。

スタート地点が鬱ですからこれはもうすごい変化なんです。

かつての自分とは別人のように ものごとのとらえ方が変わりましたね。

気分は小さい頃の無邪気でチャレンジャーな自分に戻りました。

恐れを持つ前の本来の自分の性質です。

幸福を探す というより、生きていることそのものが楽しく幸福なのです。

 

今はそもそも 物事を思い通りにする という意識を持っていないのですが(笑)

 

必要なものは与えられ、世界から護られる  という確信的な感覚があるのです。

世界に感謝しかありません。

 

かつて恐れていた孤独は 実は私には無縁だった ということに気付きました。

かつてのままの価値観だと 孤独になる可能性は少しはあったかもしれませんが、

内側が掃除された私に その可能性はありません。 

自分自身が幸福であることを見つける事  恐れや不安 という幻想を手放すこと

失うも何も 最初から何も持っていないんですね。

全ての物、この体さえも、この世界に与えられたものです。世界からの借り物。

 

与えられたものに文句を言うのはやめましょう。 

それを使ってどんな人生を作るかは自分次第なのです。

与えられた材料を どう生きるか  それだけです。

愛は 与えられるものではなく 自分が発するものでした。

それに周りが共鳴して愛が拡がるのです。

 

自分自身を愛してください。 そのままでいいのです。

本当に自分に素直に生きた時、 傷は癒されます。

そのことに気付くまで 閉ざして待ち続けたのかもしれません。

 

あなた自身の魂の輝きを隠さないでください。

何も恐れたり隠したりしなくても 最初からもう見えちゃってることに

気付かないのは自分だけだったのです。

 

素直な 自分自身でいることで 素直な自分自身にふさわしいものが ここに集まって来るのです。それは素敵な愛です。

誰がなんと言おうと、あなたの思考がなんと言おうと

素直に幸せを選んでください。

あなた自身を生きて 表現してください。 誰がなんと言おうといいのです。

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幸せはフィーリングです。 マインドではなく、ハートだけがそれを感じることができます。

感じてみてください。 あなたの中にあるのです。

 

覆い隠すカルマは ELM瞑想が取り除きます。