2019年07月04日

怒り

怒りが出てくる時、私たちは何に対して腹が立つのか

自覚がありますか?

イラっとする時、

自我の意識はその対象が私を怒らせた という大前提に思考しますが、

本当にそうなんでしょうか?

 

なんて嫌なことをしてくるのか、

それはルール違反でしょ    とか

人が困ることをするのは悪い事でしょ。

人を苛立たせるのは心遣いがないからでしょ、失礼でしょ、

みんな我慢してるのにお前も我慢しろよ

社会人としての意識はないの?     など、

え?私の気持ちや立場は無視?ひどい!

私を大事に扱えよ。私を尊重しろよ。

ガッカリさせないで!

な-んて 

ここまで書くと、それがエゴだってことはかなりわかってくるんですが(笑)

 

多くの場合は、その途中で 正義の論理を引っ張り出して 

自分の正しさと相手の間違いを証明しようとしてしまいます。

 

これはエゴのマインド特徴的な性質です。

自分のエゴ というのは自覚することが簡単ではないので、

ついつい その考えが当たり前のことのように思えてきてしまいます。

 

これの分かりやすい形は、他人様の思考の様子を見ると よくわかります。

 

自分を正当化して 相手を悪者に言う人  なかなか面倒な人だな って思いますよね。

これは 自分がしていることがなかなか客観的に見えないので本人はなかなか自覚がありません。

感情に飲まれてしまっていることが多く とにかく鬱憤の捌け口を作ろうとしてしまいます。

「私は怒っていい!」 という理由が欲しいんです。

 

でも、これは 怒っちゃいけない って意識が基本に張り付いているからかもしれません。

大人な態度、平和な態度であろうとするあまり、自分に怒ることを禁じてしまうと そのエネルギーは出口を探して、

怒ってもいい正当な理由を探し出そうとするのです。

 

自己中な人や、正当化する人を見たら、ちょっと視線を自分に向けてみてください。

本当は悪い誰かがいるのではない

 

私も 自分だけが正しいと思ったことはないか?  と。

 

人を批難したり、裁いている時、

人は自分の正しさを握りしめています。

 

問題はそこじゃないよ。 これまで抑圧された我慢が出口をさがしてもがいている様子。

表面だけをとらえると、表面的な問題に翻弄されたり、頭を悩ましたりしてしまいますが、

本当の問題はそこではないんです。

 

鬱憤  何がそんなに抑圧されたんだろうか・・・

 

誰かが悪いという視点では 何も良くならないんです。

だって、本当の原因がずれているから。

 

何が起きているか 真の問題は何なのか?

 

自我と自我の関わりに摩擦はつきものです。

世界とのかかわりの中ではどうすれば摩擦が少なくなるかが大事なんですね。

我慢は摩擦ですから 我慢しても解決にはなりません。

逆に、怒りで摩擦のエネルギーを一方的に相手にぶつけると、

強い相手は反撃し、弱い相手にはカルマを背負わせてしまいます。

カルマのエネルギーは誰かが終わらすまで、あなたの世界に存在して

やがてあなたのところに戻ります。

これが因果応報の法則です。

 

それぞれがすでに抱えているカルマのエネルギーも、

飛び交う感情たちも この世に存在するエネルギーをお掃除するには

まず、自分の所に来ているカルマから終わらすしか方法がないんです。

 

怒りをすぐに手放せる人、器が大きくてあまり腹立てない人 というのは

この自分の所でカルマを終わらせるのが上手な人なんです。

 

嫌なことが起きて ちょっと悲しかったり、ちょっと腹立たしかったり、

ちょっと凹んだり、ちょっと苦しかったり、ちょっと痛かった  等の時

 

ああ、これで自分の担当のカルマがだいぶ減ったよね  と言ってすぐに手放します。

これはカルマが少なくなればなるほど 普通の事になっていきます。

引っ掛かりがどんどんなくなって、感情も制御可能なレベルに。

内側からカルマが減る なんていうのは なってみないとどんな感じがするかわからない  と思われることでしょうが、

 

これがどうして ホントに違うんですよ。

イライラすることが 本当になくなって来るんです。

 

人間だからイライラだってするだろうさ、

 

悟っても確かに、腹の立つこともあるにはありますが、

本当にカルマが減ってしまうと

それを全く引きずらなくなってしまいます。

 

だったら、カルマのお掃除が先決だね と、

意図的にカルマを一気に減らしたくもなりますが

 

人生のカルマを一気に消すことは、とてつもないネガティブを一度に体験する ということなので、

大男が6人がかりで押さえつけてもはねのけるくらいの苦しみ方をしてしまう 

のだそうで・・・

そう急がないでください。

一日にちょっとすつがいいですよ。

 

チェンマイに長期瞑想に行って  なんて方法もありますが、(笑)

簡単にチェンマイに行けない人は

おうちで一人でできるELM瞑想の実践が一番安全で効力があります。

 

アンガーマネージメントは 瞑想でできます。

 

悲しみや 罪悪感についても 同じ効果があります。

まずは瞑想をして落ち着いてくださいね。

 

必要なことが起きて、世界は調和に向かいます。

全体の都合は個にとっては不都合に感じられることもありましょうか、

流れはまた あなたを無視することもできないのです。

 

平和な心はやって来る

ELM瞑想に携わって8年経ちます

この瞑想で知ったことは これまでの世界観がひっくり返るようなことでした。

それまでにも宇宙の法則は学んでいたので、 思いが世界を作る ということも

引き寄せの法則も、鏡の法則も

全ては自分が源である ということも

知っていましたが、 自分の中から出てくる厄介な感情を制御することは難しかったんです。

なんでもないフリをしても、無いことにしても やっぱりそれは ありました。

あるだけならまだいいのですが、 

私のそれは自分自身の身をよじるほど 耐えがたい苦悩でもありました。

フラッシュバック

 

過去に傷ついた心の傷の残像

それは何十年も経って 大人になった私に 相変わらず痛みをもたらしていました。

恐ろしかったです。

 

ですが、その不安に満ちた恐怖の感情が 毎日の瞑想をし続けることによって徐々に出てこなくなりました。

いつしか、 パニックを起こしそうな状況で 冷静でいる自分を発見するようになったのでした。

不思議でした。 舞い上がる焦燥感は 出てこなくなりました。

そして、出来事の本当の姿が見えるようになったのでした。

もちろん、1,2ヶ月で全てが変わったわけじゃありません。

ものすごく深い傷は、普段も封印されていますので、 通常はあることすら忘れています。

だけど、自分が不安になる状況で、泣き出しそうになりながら、

いえ、泣きながら  冷ややかに 「これも流れだ、仕方がない」とはっきり自覚している自分がいたのでした。

そう、もう甘えや執着は終わり、

精神的に自立するのみ

 

かくして私は動じない私へと変貌したいったのでした。

不思議でした。

カルマが終わると こんなに 視界が変わるとは。

 

また、マスターのボブさんに会う度に 私はどうすればいいのかを理解していきました。

 

答えはあなたの中にあります。 ハートに従いなさい。 

すべての出来事はあなたを成長させます。

カルマは教師なんです。

 

カルマは 出て行って そして無くなるんです。

カルマの矢を投げ返してはいけません。それはあなたの所に戻って来てしまいます。

カルマをあなたの所で終わらせてください。

感じて 手放すのです。

大いなる流れを信頼してください。

 

敵を友として扱いなさい。

あなたの愛が癒しを起こします。

 

clover  clover  clover

私が作る世界に 私は何をもたらしているのか・・・

発信した意識が同じように外から返って来るのを見ると、自分出す波動に慎重になります。

カルマを手放して、徳を積む。

愛と慈悲の眼差し。 

良い悪いはない。 

自分は何を選択したいのか。。。

 

常に直面します。  私の表現したいもの。  私が 反映させたいもの   愛。

今、私はどのカードを出しているの?? と自問自答します。

 

私は 愛と平和を この世界に発信したい。

それは自分が発する波動なのです。

常に 常に。

上手くいかない時は 立ち止まって 見る

他の誰が何をしようと 私のスタンスは揺るぎません。

友人である自我の声や 身体の声と共に

この世界を慈しんで生きています。