2019年01月

子育てと魂の成長 

人はいろんな感情を受け止めながら心と魂の成長をしていきます。

 

肉体年齢と精神年齢、皆さんはどうでしょう?

歳相応ですか? それとも精神年齢の方が若々しいでしょうか。

精神年齢は人それぞれで同じではありません。

それと、これらの他にに魂年齢 というものもあるんです。

どれだけ成熟したキャパ(包容力)と 愛の深さ を持っているか です。

 

この子は小さいのに 人に対する理解と思いやりが素晴らしい と感じることや

この人は若いのに 物事のとらえ方や対応が立派だ とか

この人はどんな時も いつも何か達観しているようだ と 感じる事がありますでしょうか。

そんな人は 既にいくつもの前世を通して多くの体験と学びをしてきた魂だそうです。

私が確かめたわけではないので、「だそうです」という書き方をしますが(笑)

 

瞑想に出会うというのも 宿命のようなものかもしれませんね。

多くの人々が瞑想に興味を持ち、意識が変わり、社会が変わる これがアセンションです。

もうすでに起きていて それは波のように拡がっていきます。

 

さて、成長のプロセスは色々ありますが、

多くの場合、親子関係はとても重要な素材となります。

 

親と子と どちらが魂年齢が高いか なんてことを 親はあまり考えたりしません。

中には育てているうちに気付いて行くお母さんもいらっしゃいますが、気が付かなくても普通です。

 

でもよく考えてみますと、 後に生まれてくる者ほど前世が多いんですよ。

当然ですよね?

 

あなたが親になったならば 子供を育て、

そして 子供という先生から親になる教育を受けているのです。

これは 子供の言いなりになることではありません。

子供は学びの素材であり磨き合う存在  私たちの波動をダイレクトに反映して表現していきます。

そして彼らは 純粋な意識で大人たちの奇妙な習慣に違和感を感じています。

なぜそれが正しいの?おかしくないですか? と 問いかけてきます。

反発 という形で。

 

子供が何かグズグズ言う時、妙な反発をしてくる時

怒りが反応したら、まずそんな自分の怒りを見つめてください。

そのままぶつけるのはちょっと待ちましょう。

深呼吸をして 冷静を取り戻して

よく観察してください。

 

人間は不機嫌になる時、言っている事とは別の場所に原因があったりします。

 

子供も大人も そんなに変わらないんです。

言いにくくて言えないことがあるから 不機嫌になるんです。

本当の原因は口に出しにくいので封印されてしまっています。

その不満の圧が別の場所から違った形で噴き出してしまいます。

 

これは誰かが悪い という意味ではありません。

 

相手が不機嫌になると 自分のせいじゃないかと思ってしまうことは割とよく起こります

これが誤解のはじまりです。

本当の原因はどこにあるでしょうか。 

それは、真実を観ることができれば解り、そして解決できます。

 

お母さんが忙しすぎて子供の気持ちを受け止める余裕がない時、

子供がグズグズ言って手こずらされます。

「おかあさん、心ここにあらずだよ。寂しいよ、こっちを見て、僕のこと愛してる?」 という問いかけです。

でも子供は 自分の感情をどう言葉にしたらいいかわかりません。

「ちゃんと言いなさい!!」なんてキレちゃいけません。

子供は親が感情的になっているのに萎縮して言葉が出なくなってしまいます。

そういう失敗は私もよくしました。 bearing crying

(可哀想に ごめんよ~)

 

お母さんが悩みに没頭して子供が見えていない時も同じです。

同じ部屋にいるのに、心はそこにないのです。

子供は成長するのに栄養が必要です。 身体の栄養と 心の栄養

食べさせて世話をして 完璧じゃなくてもいいんです。

そして抱きしめられて愛を感じ 心の栄養を得て 成長します。

また、承認も必要です。 あなたという存在は愛される という安心感が 安定した精神を育てます。

条件付きの愛情は 、穴ぼこだらけの足場のように不安定です。

いつダメ出しされるかわからず、ビクビクしています。

自分という存在が承認出来ていないと 心は不安定に揺れます

心の栄養が足らないと 心は成長しきれず 子供の心を閉じ込めたまま大人になることになります。

実際はそういう大人が随分多いのです。

不安定な大人は不安定な子育てをしてしまいます。 本人のせいとは言えません 

 

そう育ってしまったら もうちゃんと子育てできないでしょうか?

そんなことはありません。

これを挽回するのが 逆の立場を使って 愛の受け渡しをすることなんです。

つまり親の立場から 子供に愛情を注いで 満たされる子供と共に親の中の子供も愛を感じて成長するのです。

 

子供は素晴らしい存在です。 私たちに多くの学びを愛を与えてくれます。

あなたの波動が 純粋な愛の波動になった時、自分も子供も その周りの人々も

愛と喜びの波動に満たされます。

愛は大きくなればなるほど まわりはもちろんのこと 愛を出す本人が愛に満たされ 幸福になります。

 

 

また、もっと聞いてみたいテーマなどありましたら受付けますので ご質問やご要望など

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瞑想

ELM瞑想はマントラのエネルギーで瞑想状態を作る瞑想法です。

マントラの波動のバイブレーションが私たちの身体と意識に働きかけ深層心理に潜むカルマを揺さぶり、解放させて内面のお掃除をします。

これは意図的にはできないので 伝授という形を取ります。

伝授の際に 身体の内側にマントラの種を植えるのです。

マントラの種は あなたの中で即座に発動し、あなたが水をやる(瞑想の時間を持つ)度に 波動を拡げ あなたの中でクリアな波動を拡げていきます。

 

クリアな領域には 邪悪なものや ネガティブなエネルギーは存在できなくなっていきます。

ボブさんはよくこう言いました。

 

灯りを持って洞窟に入ると、コウモリが驚いて 一斉に出て行くんだ。

灯りはマントラの波動のことだよ。

コウモリは大慌てで大騒ぎしながら外に出て行く、 一時的に騒然とするだろう

これがカルマの解放時に起きる反応だよ。

あなたからカルマが出て行く時は騒々しい体感がするんだ。落ち着かないんだよ。

痛いところや心地悪さを感じるだろう。

でもそれは カルマが出て行ってる反応なんだ。 ここで瞑想をやめてはいけないよ。

 

内側の掃除が進むと、内側のカルマ(ネガティブエネルギー)がすっかり減ってしまい 嫌な気持ちは内側に存在しなくます。

あれ?どうしたんだろう、私。。。 という感じです

苦しくない・・・ (*´▽`*)

自分の内面、意識を お掃除して 悩みにとらわれない幸せな意識を体験するんです。

幸せは向こうからやって来る

 

外界ではいろんな出来事が起きています。

人と人が衝突したり喧嘩したり、何か言ってくるとか ちょっと迷惑な人もいるかもしれません。

でも、そんな外部の刺激は あなたを不幸にする力を持たなくなるのです。

あなたの内側には 本当の幸せが輝き出すからです。

カルマが取れてしまうと、私たちは存在することの喜びを感じ始めます。

それは起きる出来事とは関わりなく、生きているだけである幸福感です。

ELM瞑想ではこれを『啓発』と呼んでいます。 別の言い方は「悟り」

外側に起きる出来事が 私たちを不幸にはできない という 気付きがあるんです。

悟りの境地は 特別な崇高な意識 というわけではありません。

高貴な身分の方や、魂が高貴な方々だけに許された境地 というわけじゃありません。

普通の人も ある体験を経ることができれば なります。

 

でも、難しい事のように思ってしまうのはなぜでしょう?

それは 必要な体験の中に 自分の苦しみと向き合う、自分の苦しみを受け止める という通過ポイントがあるからです。

それが解放の体験です。

 

これは 今までそれを恐れていて見ないように逃げてきた人だと、嫌がって逃げたいと感じるかもしれません。

その時に役に立つのが教えとサポートなんです。

どのようにその意識を取り扱うと スムーズにカルマを手放してしまえるか  それをお教えしています。

難しく考えることはありません。

内側からなにか起きてきても 騒がずやり過ごして 瞑想の習慣を続けていれば 自然に抜けて終わっていきます。

でも、不安なイメージが強すぎると 必要以上に抵抗してしまいます。

その時のお助けを教師がサポートするのです。

不安は 脳内のイメージです。幻想です。

 

いやいや、幻想じゃなくて 現実だよ  と言いたくなるかもしれません。

でも、悩んでいる時は それに対処することがおろそかになっています。

行動を起こせないので悩むのです。

困った時はその現実にどう対処したらいいか 方法を考えます。

困難な現実は 対処せずに解決できません。 

自分ではどうにもできないことだとしたら?

それはもう あきらめるしかないじゃないんでしょうか。

思い通りに成らない現実は ただそのように受け止める。

嫌なら改善策に動く その2つに1つです。 どちらかを選べないので悩んでいます。

私たちはただ決断するしかないんです。

 

モヤモヤした感情はカルマのエネルギーです。

それらは瞑想で払拭することができます。

瞑想教師は考えるサポートを提供しますので 自分ではどうしたらいいかわからなくなっている方は瞑想会や瞑想セッションをご利用ください。

ラインでカウンセリングをすることもできます。

 

緊急な事態で躊躇していてはいけませんので、

もし、あなたが あなたに怪我を負わしたり命を脅かすもののすぐそばにいるなら まずそこから 離れてください。

もし あなたが あなたの心を傷つける人と関わっているなら その人とは少し距離を置いてください。

その人とどう付き合うかを考え直さねばなりませんし、すでに傷付いているなら、その傷を癒す必要があります。

あなたには傷つける者から守られる権利があります。

 

状態がそれほどに深刻でなければ、 あなたは自分から傷付くことをやめることもできます。

私たちが幸福であるために 癒しを感じる時間も必要です。

瞑想は あなたに癒しを起こします。

あなたの深い所を癒す時間です。

 

独りで悩まずにご相談ください。

一葉観音 一葉観音 

 

 

 

瞑想の目的

みなさんが瞑想に興味を持たれた理由は何でしょうか?

集中力を高めたい、才能を発揮したい、健康状態を良くするため、悩みごとを少なくするため、周りに起きる出来事に気持ちが振り回されたくない、とか

また人に勧められて 意識の変容、など 瞑想を始めたいとこちらに訪れる方の動機は様々です。

 

最初の理由はなんだっていいのです。 瞑想に関わるようになって、自分自身の物事のとらえ方が変化していくのを体験する方はすくなくありません。

今まで気づいていなかった 自分自身の幸福とはなんだろう? という答えが だんだん見えて参ります。

 

昨年末、マインドフルネスの本拠地 タイのプラムビレッジで1週間のリトリートリートを体験した私ですが

ELM瞑想とマインドフルネス瞑想が、目的が完全に一致することがよくわかりました。

どちらの指導も同じことを言っています。

 

マインドフルネスは禅宗の臨済宗の教えがベースになっています。

臨済宗は徹底的に体験型の悟りを指導します。

これは言葉では言い表すことができない感覚を、体験を通して体感していきます。

 

宿泊リトリート、は その波動の中に長時間いるので その深い部分の体験が起きやすくなっています。

これには本当に感心しました。

プラムビレッジはその場を完全に作り出せている ということがわかります。

 

 

ELM瞑想(旧フルフィルメント瞑想)の長期瞑想コースでは マスターのボブ・フックス氏はその波動の場を作っていらっしゃいました。

とてもフレンドリーで温かいのです。分け隔てがない ということを感じます。

それは マスターだから と 思われるがちですが、

実は、そのような温かい波動はマスターでなくても体現できるものなんですね。 

本当にその波動をしっかり感じ取り、自分自身がそのものになった時

マスターの魂がそこに宿ります。

これはボブさんの魂というよりも 古代からずっと伝わってきた 瞑想マスターの魂です。

 

ティク・ナット・ハン師 も ボブ・フックス氏 も エック・ハルト・トール氏も お釈迦様も イエスキリスト 観音様も マリア様も

同じ波動を持っています。

私たちが持っている 真我の意識もそれを知っています。

 

どう生きれば それを体感できるのか というのが 教えによって導かれている ということです。

 

でも、なぜ、それがうまく人間たちがみんな表現できていないのか は、

 

教えを言葉で伝えている間に 伝わるべき波動そのものが伝わらなかった 伝えられなかった、また 途中で解釈が違う方向に変容してしまった ということがあります。 

では真実は何なんだ!? と思われる事でしょう

 

でも、これは自分の観念を拡げないことには 受け止められないのです。

分かりやすく言うと、思い込みを沢山持っている間は理解できない。

 

ですから これらの思い込みを手放す手段として 瞑想があり、

とらわれの無い状態で 真実を体験する ということが起こります。

 

そして 本当に波動の高い場 というのは それを体感してみなければわかりません。

でも、一度感じたことがある人は その体感を知っています。

 

子供の時にお母さんに抱かれて安心して眠った幸福感 も その一つです。

だから、 悟り というのは 思い出すものかもしれません。

 

ぜひ 瞑想を通して 失うことのない存在の幸福を 取り戻していただきたいのです。

観音菩薩

心の根っこ

今日も親子の話題から紡いでみましょう。

親との関係性、

親に対する思いが 自分と神との関係に投影される 

ということを初めて聞いた時、

私は頭を抱えました。 shock

 

当時私は親に対して怒りを持っていたのです。

理由は色々複雑なんですが、親たちは子供の気持ちをあまり理解していなかったんです。

それは生まれた時代背景も違うし、社会の価値観も変わっていますし、学校での人間関係も

親の時代と子の時代では違っています。

親子でも体験が違うと 思いも違います。

双方は 立場を越えて理解し合うことが 人生の課題なんですが、なかなかそこに気付かない。

私の親はいい意味でも悪い意味でも頑固でした。(少なくとも私にはそう見えました)

 

当時はスピリチュアル なんて考え方があることも ほとんどの人が知らなかったし、

私の親は信仰を持っていませんでした。

なので、生きる事にはとても迷っていたのではないか と思うんです。

戸惑いながら 自分自身を貫くしかなかった かもしれません。 揺らいでいては生きていけませんから。

 

いろんなこと、宇宙の法則とか どうすれば幸せは作り出せるか ということを知るようになって初めて

親の状況や思い というものを受け入れて理解するようになりました。

 

それまでの経験や辛さは その時その時 誰にもどうすることもできなかったのです。

 

後から理解できたことは、どんなにやり方が不器用で 間違った対処だったにしても

親は子供を大事に思い、それなりに一生懸命 彼らにできる限りの忍耐や努力をしていた ことです。

もし、子供を大切に思えない親がいたとしても 同じこと

彼らは できないことをできなかった。

それが先祖から受け継ぐカルマの一つでもあるからです。

 

人にはできる事とできないことがあって 子もそうだし、親もそうなんです。

それを責め合っても なんの良いことも起こりません。

 

私たちにできるのは できなかったことへの謝罪と してもらったことへの感謝です。

謝罪は 罪悪感を持つ必要はありません。

誰かの期待に応えられないことは しばしば起こります。

でも、長所短所のある人間という生き物は それが普通なのです。

出来ないことが多い事で後ろめたく思うことはありません。

器用な人間には器用な長所の他に、別の短所があり、

不器用なに人間には、器用さとはかけ離れた 別の長所があるのです。

 

すばらしいことは それぞれの長所を認め合い、自分の長所を知り、大切にできることです。

 

あるがままを 愛してください。

あるがままを愛された子供は とても伸びます。

心置きなく長所へと自分のエネルギーを発揮することができるようになるからです。

 

社会のルールは知ることが必要です

でもそれは障害物レースのように ハードルをうまく飛び越えさえすればいいのです。

ハードルを担いで走る必要はありません。

ましてや 人の前にわざわざハードルを置かなくても・・・

何もしなくても 道には石ころが落ちています。

邪魔な石ころは取り除いてもいいじゃないですか。

みんなが幸せなら あったものがなくなってもいいですよね。

 

私たちは 幸せになるための常識をもっと広げたいと思っているんです。

大切な子供たちは何を思っているでしょうか

保護者の大人たちは 彼らに何を教えて 何を伸ばしたいんでしょう?

そもそも親である自分がとらえている現実を どう思っていますか?

 

大人はもっと自分自身を振り返る必要があるんです。

一度習慣づいたものは 変更するのにエネルギーがいるかもしれません。

 

出来事の表面的な部分にとらわれないでください。

物事にはいろんな側面があるんです。

見えることが全てではありません。

そして、それを見ている自分の内側でも 何が起きてるか

相手の深い部分、世界の深い部分で 何が起きているか それを見るには洞察力が必要なんです。

 

大人も子供と一緒に成長します。

 

根っこで共生イラスト

表面的には見えない根っこが、とても大事です。

見えてるだけの表面的なこと 自分のエゴの判断で決めつけてしまうと 摩擦が起きます。

もし摩擦が起きた時は 冷静になって 観察してみましょう。

 

何が必要なのか それがわかるには少し時間が必要です。

ゆっくりじっくり 物事を見てください。

心の余裕が必要です。

 

瞑想を続けてくださいね。

 

瞑想のサポートを受けたい方は いつでもご相談ください。

ラインなどのTV電話でセッションをすることも可能です。 お気軽にご相談ください。

 

子育て

子育ては学びの宝庫です。

子供は素晴らしい先生です。

そして 素晴らしく精度のいい鏡です。

私たち親が 無意識に放っている波動を みごとに映し出してくれます。

特に小さい子供ほどはっきり表現されます。

大人と違って遠慮する という意識が無いのでダイレクトに出てくるからです。

ストレートな表現は 分かりやすいのですが、ストレートすぎて若いお母さんにはまだ受け止められないこともあります。

まだ読み取る能力が発達していないんですが それは当然のことです。

赤ちゃんが泣く理由をすぐには理解できず 大いに悩みますよね。 私にも経験があります。

こういう時はベテランの愛情山盛りのお母さんが相談に乗ってもらえるといいのですが、

家族や人付き合いが希薄な現代社会では若いお母さんは孤立してしまいがちです。

そのために子育てサークルや いろいろと相談できるところもあるようです

悩みは黙っていない方がいいです。

子供が大きくなると小さい時とはまた違った悩みが出てきますが

それもまた 気軽に相談してみる方がいいですね。

 

子供の気持ちがわからない というお悩みは ほとんどの親たちが経験していると思います。

もし 子供の気持ちがわからないと思ったことがない という方は 

お子さんがとても精神的に大人 ということかもしれません。

それは喜んでいいことかどうかは一概には言えません。

子供が無理していることもあるからです。

そういう場合、子供のうちに 親に気を使わなければならなくなった苦労を 親は気付いていないことも多いんです。

でも、中には 自分自身の力で 成熟した魂まで成長する子たちもいます。

これは苦しさや辛さをしっかりと受け止めて乗り越えた時に魂の成長が起きるんです。大人も同じです。

辛さを乗り越えることは 本人にしかできません

代わってやることも助けることもできませんが、見守り勇気づけることでサポートすることができます。

そのためには 親が度胸と勇気を持っていることが大事なんですね。

 

 瞑想すると心が落ち着いていきます。

子供たちは 家族が笑顔でいることを心から願っているのです。

映画 万引き家族

この写真はカンヌ映画祭で最高賞のパルムドールに輝いた『万引き家族』の写真ですが

映画、とても切なかったです。良い事と悪い事だけでは計りきれないものがあることを訴えかけていました。私たちは何を見直さないといけないのか

この映画も 家族にとって 子供にとって 何が一番大切なのか を考えさせられる映画でしたね。

ご覧になった皆さんは どう感じられたかお聞きしてみたいです。

 

明日も子育ての話題に触れてみたいと思います。 happy01

 

世界と調和

私たちの意識は 何層かの段階になっていて どの地点の意識から対象を見ているかで 受け止め方が変わります。

感じ方も変わるし、物事への理解も天と地ほどに変わることがあります。

 

私たちが今の身体に宿って生まれ、最初のうちは 真我の意識のみなようですが、

成長と共に身体の意識 自我の意識が発達してきます。

思考すればするほど 自我は成長して行きますが、その時に真我との分断が起きることがあります。

真我の意識は 感じ取る性質のものなので 思考が勝ちだすと 感じ取ることを無視して抑圧してしまうことがあります。

これはカルマの経験や 環境によって左右されます。

抑圧や痛みの経験が多いと 自然に感じる力を閉ざしてしまう ということが起こります。

 

実は私たち人間にとって 感じること 自分自身そのものや自分の感情を感じる事は とても大事なんです。

感情を感じきると その体験が速やかに終わり、次のステージに移行するのですが、

特にネガティブな感情を受け止めることは誰しも好まないので それを避けようとしてしまうのです。

 

感情を完全に感じきると 新たな理解と境地を開きます。

魂が成長して 新たな理解で世界を生きる事が可能になります。

新たなところに行く前に越えなければならないことは、

自分の思い通りにならない現実を受け止める ということです。

別の言葉で サレンダー(降参)と呼んだりします。

これは誰かに屈服する ということではありません。

この世界に戦いを挑むことを止める ということです。

自分という個に対して 世界は大きすぎます

 

戦えるものではないし、実はこの世界は自分の思い通りにならない自分そのもの なのです。

あるがままを受け入れる ということです。

それでも心地の悪いものはあります。

 

これに対しては 戦うのではなく、一つ一つその時々に対処して、関係を緩和する という方法を取ります。

喧嘩はしないんです。双方が傷を負いますから

折り合う ということをします。

 

自我の意識は嫌がるかもしれません。

でも、一つの世界 が 一つの身体のようなもの だとしたら、

あなたの親指と小指が喧嘩したら困るように、

身体の中の内臓と血液が喧嘩したら困るように

調和を保てずに争う ということはいろんなものへダメージを与えてしまうことになります。

それらはすべて一つの身体を構成する要素なのです。

 

そのままでいい というメッセージを与えれば 反逆したり、危機感に震え 一触即発のような張り詰めた状態にはならずに済むのです。

存在価値もまた生死をかけて戦おうとするでしょう。

存在する者は 何一つ 存在してはならないものではなかったのです。

存在してはならないもの というレッテルが貼られた時、それは死闘の準備を始めます。

 

共存を考えてください。

すべては一つの世界を構成する要素です。

向けられるエネルギーが愛であると気づけば 誰も剣は抜きません。

敵は ただ 幻想の中に存在します。我々人間の思考の中に住んでいます。

 

思い込みを手放す

私たちを苦しめているのは 不公平な政治でしょうか?

私たちを悩ませているのは 無理解な家族や友人でしょうか?

私たちが悩んでいるのは 心地よくならないこの世界 でしょうか?

いや、もっと細かいあれやこれ、

それとも、昔感じた痛みの記憶、

あるいは 起きるかもしれないこれからの試練

とかく悩みは尽きないものだ と かの文豪も言っています。

 

なんで この世は思い通りの理想にならないのかしら

理想なんて贅沢なことは言わない せめてあの悩みが解消さえすれば、あの人さえいなくなれば、あれさえできるようになれば・・・

などと また悩みはループを始めます。

 

何でこの世は思い通りにならないのか?

 

なぜだと思います?

 

それは、そういうものだからです。

この世界は ただ、在るように在るのです。

あなた自身もそうです。

これまで あなたは自分を思い通りにできてきたかもしれません、

でもそれは永遠ではないのです。

あなたは 自分の身体が思い通りにならなくなる経験はありますか?

まだだったとしても、それはいずれ全ての人間に訪れてきます。 老化に伴うペースダウン

これはとても自然なことです。

全ての人は自分自身も思い通りにならないものなのです。

そんな自分自身や他人様と どう仲良く付き合っていくか それによって人生観は変わります。

 

この世界は 世界全体がエネルギーのバランスを取りながら 調和を保って維持されています。

良いも悪いもごちゃまぜ  というか、そもそも良い悪いという基準は人間の都合で分けられた単なる基準でしかありません。

良い悪い ではなくて 私の都合に良いか悪いか なんです。

世界のエネルギーバランスでは その事象が必然的に起きているだけなんです。

この大きな世界が 思い通りにならないと怒るのは 妙な話です。

 

かつてあなたは 身近な人の怒りに触れて あなたらしさを隠さなければならなかったかもしれません。

でも、あなたは 本当はあなたらしく生きていいのです。

怒りは 思い通りにならないということへの抵抗ですが

その抵抗は無駄であるばかりか、更なる摩擦を生み出して、あなたの世界を居心地の悪いものにします。

怒りのエネルギーの中に安らぐことはできないからです。

 

まずは 思い通りにならないことを 受け止めて、それを悩むことをやめ

いまここに安らぐ という体験から練習してみます。

瞑想は悩みから離れる時間です。

あなたの身体は 悩みから解き放たれると、安らいで健康が戻ります。

縮こまっていた身体はリラックスして自己治癒力や免疫量が上がり 元気な体は心も晴れやかにしていきます。

また、逆に晴れやかな心には 病気のエネルギーは留まることが難しくなります。

あなたが 心を明るくしない という選択は 実はとてももったいないことなのです。

 

幸せな人生は 物事を明るく見る目 と 喜びの花を咲かす、笑顔を多く咲かすことで より繁栄していきます。

上手くできないと嘆かないでください。

誰でもやったことがない事や慣れていないことは 最初からうまくできなくても当たり前なのです。

幸せが増える習慣、苦を手放す心は 幸せになるテクニックです。

 

それらは 最初、お釈迦様が発見して人々に伝えました。

当時なぜそれほどに仏教が一気に広まったのか? というと、

本当に幸福や愛の波動が直に伝わったからです。

布教する人 というのは ただ 言葉で内容を伝えるだけの人ではありません。

真の理解と 真の実践が 目の前に再現されて 人々ははじめて そのことを目の当たりにするのです。

 

ですから 私は 現在の宗教の場は微妙だと感じています。

形に囚われて その精神や愛が薄れ、教義で裁くことに夢中になっている人は 宗教の真の意味を理解していない ということになるのです

はたまた 勘違いした宗教であるか・・・

 

お釈迦さまも イエスキリストも ただ 深い愛の人です。 慈悲の愛。

罪を裁いているのは 我々人間です。

真の愛には 怒りや戦いは必要ありません。

ただ、対処があるだけなのです。 

スピリチュアル や 仏教、悟り を通して 自分の中に真の愛を見つけた人は

不幸になりようがありません。

もうその時点で幸せを生きることしか選択したくなくなるからです。

瞑想はあなたの意識を変容させる力強いサポート、テクニックです。

 

人々の意識の変容をアセンションと呼んでいますが、これは人類が 幸福な生き方を選んで社会や世界全体が進化することです。

これは難しい事ではないのです。

あなたの意識が目覚めれば 周りの100人が目覚めるのですから。

100人はじきに10000人になります。これがアセンションのムーブメントです

これらの変革は それぞれの心の中でのみ開いていきます。

独りでも多くの人の意識が変化するほど  どんどん野蛮な戦いの時代は終わっていきます。 

ビッグホール2F

昨夜、書きかけのブログ記事を うっかりぶっ飛ばしてしまいまして

書き直す気力が失せ仕切り直しの今日です。 smile

昨夜とは違う内容でリフレッシュしています。

書きたいことが沢山あるので ウロウロしてしまいますが、

今 一番書きたいことを書いています。

さて、今日のお題、「道』 ですが、

どうすれば幸せになる などという表現を 私もよく口にします

今が苦しいと 先に幸せな場所を求めてしまう感じになってしまうので 幸せへの道 を見つけたくなります。

でも 真実は ちょっと違うんです。

 

 

There is no way to happness,  Happiness is the way

幸せに至る道というものはない。幸せは道そのものなのだ。

 

これは仏陀の言葉です

今、自分の思いが 苦しみや悩みに捕らえられてしまっている人は どうしたらいいか わからなくなるかもしれません。

これは、私たちが掴んでいる苦しみ というのは 私たちが自分で作り出しているものでもあるからです。

 

「そんなことはない、自分はそんなこと望んでないし、幸せになろうと懸命に頑張って生きてきたけど、私たちを不幸が襲うじゃないか!」

なんて思ってしまうかもしれません。

外に出来事があるので 私は幸せになれない  こんな風に思い込んでしまって、それ以外のとらえ方を知らずに生きてきてしまった ということです。

今まで 幸せに生きる方法、幸せに生きるテクニックを誰も教えてくれる人がいなかった

今まで 幸せにならない生き方をする人の中で いつのまにかそれが当たり前になって 自分を不幸にしていた

そのことに気付いて、生き方を変えるのが悟りです。

 

じゃあ、どうすればその 幸せでいられる生き方をできるの?   と思われることでしょう。

これは、今までの自分の常識、これまでの社会の常識を打ち破ることも必要なので

最初にそれに直面した時は 「げっ!(~_~;)」って思う方もいるんです。

で、時々「そんなの、煩悩だらけの私にはできないわ」 なんて言う方もいらっしゃる。

 

じゃあ、ちょっと失礼いたします。

お食事中の人は、先に食事を済ませてください(笑)

 

 

はい、では行きます。

煩悩を、ウンコに例えます。。

自分から出てくるウンコ、出さないと病気になってしまいますね

快便は健康の証しです。 それらがあることは 何の罪でもなく、人として当然のことです。

この煩悩というウンコ、どこでもここでも出したら ヒンシュクを買います 

他人様にとってはちょっと迷惑

出したくなったら、トイレに生き、速やかに出てもらって 水洗でサーっと流れてもらいましょう。

煩悩の思いも トイレで出して 推薦で流しちゃってもいいんです。

あなたの居る場所はトイレでもリビングでも外でも きれいで臭くもありません。

 

でも、その煩悩を大事に持っていたい人がたまにいます。

ウンコをすると気持ちがいいので 沢山食べて沢山ウンコをしようとします。

すぐに捨て去らずに とどめておくので だんだん臭気が・・・・  臭くなってまいります。

この臭気は 煩悩の波動(エネルギー)のことです。 あなたが発する波動

出た者は留めておかないで とっとと水に流したいのですが

執着で いつまでもここに置いておきたいと思ってしまう人がいます。

 

自分の思いには 臭気のような波動というものがあります。

これは実際の嗅覚で感じるものではありません。

第六感、おでこの所にあるチャクラで感知しています。

あなたがどんな思いで生きているか 知らない間に 周囲に伝わります。

 

あなたはご自分の発する波動を好む者に取り囲まれるようになります。

それぞれが、自分の匂いに近い匂いだと違和感がないので、

同じ波動がくっつきやすい ご縁がつながりやすいのです。

 

あなたの身の周りにいる関係者は あなたとよく似た波動の人が集まる  という法則が この世にあります。

 

「全然、心地よくないじゃん!」 「好きで関わってるわけじゃない」「私はあの人と離れたい!」

そんな風に思うかもしれませんが、

自分の波動が心地よいか心地よくないか を よーく観察してみれば 

あなたの作る世界が 心地よいところかそうでないか は納得がいくかもしれません

あなたの世界は 他人が作ってくれるのではなくて 自分自身が作っているのです。  そう、無意識に。

 

私たちの意識は なかなか自分自身を客観的に見ることができません。

鏡に映さずに自分の姿を肉眼で見ることが難しい。

自分の在り方を映す鏡は 他人様の波動です。

あなたは あなたの波動を通して 他人を見ていますし、

他人や身近な人に自分の思いを投影してとらえているんです。

他人の姿は 私の姿

これはスピリチュアルの基本的な法則の一つです

 

あなたが自分を整えて あなたの周りに善良で正直で愛に溢れる人が増えてきたら

あなたはもうすでに愛に溢れた人である ということです。

 

雪景色

どんな季節にも美しい瞬間がある

あなたが今 何を感じているかが大事です。

 

幸せじゃないんだ どうしたらいいんだよ~ と八方塞がりな気分でムシャクシャする人も失敗などではありません。

あなたの思いを味わって抱きしめてほしいのです。

 

そうしたらいいか 分からない方、不安な方は 瞑想を始めてみていただきたいのです。

 

瞑想はあなたのお掃除係さんです。

上手くできる気がしない人は アトリエ霽月で瞑想が学べます。

 

いい匂いで みんなが安らぐ波動はあなたのものです。

いえいえ、無理であるわけがありません。

今 多くのカルマに直面している人こそ 苦を手放す好機だからです。

 

スピリチュアル界のとても尊敬されるマスター

エックハルトトール氏 は言います

今苦しんでいる人ほど幸いなのです。 

苦から卒業するチャンスがここにあるからです。

 

苦を生み出す原因はもういらない  そう思えると 幸せになるしかありません。

大きな作業も引っ越しも嫌なことを無理にすることも抑圧や制限を受けることも 特に必要はないのです。

ただ、心を見つめるだけの問題。

 

私たちの本当の思いを見つけて それを抱きしめた時 私たちは苦から解放されます。

瞑想は無駄な抵抗のエネルギーを払う強力なサポーターなのです。

 

幸せに至る道を探すのではなく、今の自分が幸せに生きることを選ぶ これが悟りです。

今までの常識は気軽に手放してください。

 

 

失敗がもたらすものとは!? その3

失敗談を話し終わる前に 新たな失敗を繰り広げている今日この頃です。

今日は銀行振り込みする予定の通帳とお金に お茶をぶちまけて

湿ったお札がATMに処理してもらえない という事態になり、振り込みを諦めて

帰ったら、ATMに一部のお金と通帳が残っていたと 銀行から電話があり、

事情を説明するのに苦労しました。

お金が濡れていた だけならともかく、通帳まで置き去りにしてくるとは

我ながらあきれ果てます。

 

しかしながら いかなることがあろうとも 

私は私の機嫌を良く保っておくのが使命です(笑)

 

銀行では 笑いとありがとう に終始します。

濡れてヨレヨレになってしまった通帳まで新しくしてもらいました。

銀行員さん ありがとうございます。shinehappy01

 

さてさて 犬の修業とは なんぞや?  というお話です

 

プラムビレッジに出家した日本人の僧侶さん、

彼がプラムビレッジに出家した時は他に日本人の僧は独りもいなかったのです

当時は英語もまださほど話せるわけではなく 意思の疎通に苦労したそうです。

英語を話せる僧侶や尼僧もいるのですが、母国語だけの方もいて、ベトナム語だけ という方が多かったんですね。

ベトナム僧たちの中に入ると、もう全く言葉がわかりません。

ベトナム語はむずかしくてなかなか覚えられず もう心が折れそうだった とか。

孤立してしまい、孤独や疎外感も感じて

こんなのでこれからここでやって行けるのだろうか? と かなり落ち込んだそうです。

そんなある時、全体の集会のダルマトーク(法話) の時に 

プラムビレッジで飼われていた 犬が トコトコと会場に入って来て お坊さんたちの間にちょこんと座ったんです。

これは私も見ました

これです

法話を聴く犬

 

この犬は言葉をわからないのに 法話の場にやってきて この場の心地良さにリラックスしてすっかり寛いでいる・・・

それを見た日本人僧侶さんは、ハタと気づいたそうです。

言葉が通じない分からないことを気にして 疎外感を感じていたのは俺だ!

この疎外感は自分が作り出してしまっていた。

そうだ、この犬のように 言葉などわからなくても くつろいでその場を楽しむことをすればいいのだ!!

その時以降、彼はいつも機嫌よく過ごし、言葉がわからないことなど気にせずにいつもニコニコして親愛の態度で周りの人に接したそうです。

そうしていると、以前は距離があるように感じていた言葉がわからないベトナム人の僧侶たちも、

この男がいるとなんだか場が和むんだよなぁ と言って、

何かにつけて 彼を仲間に入れたがるようになったそうです。

言葉がわからなくても ニコニコして 親しげにふるまい、楽しそうに一緒に笑います。

何か聞かれたら言葉がわからなくても適当に「ヤァヤァ(Yes Yes)」というと、場が盛り上がったりw

そんなこんな 言葉がわからなくてもみんなが受け入れてくれるようになったある日

一番偉いお坊さんが 「ここで一番悟りを知っているのは日本人の彼だ」と言ったそうです。

それから 何かにつけ いろんなお役目をもらったり、いろんなことを任されるようになって 今ではすっかり自由にやらせてもらっているよ

と 屈託のない笑顔で話してくれました。

 

この話を聞いて

私は ハタ と思うのです。

私がこれでいいか、人の顔色や反応を見ている自分が居る。

誰かがそれでいいよ と言ってくれないとなにか 心もとない気持ちになる

何をそんなに気にして うまくやろうとするのか

 

もっと自分を信じたり 自分から幸せでいることを選択しないのか?

 

そうだ、これまで なにかしらしっくりこない妙な感覚 と思っていたのは 自分の自信の無さだ! と 気付いたのでした。

これでいいかどうか なんて 誰にも決められないんだ。

私が誰かに幸せでいいと許可をもらうのではなく 私が幸せにいることを常に選べばいいのだ。

ここしばらく、喉につっかえていた何かが スーッと降りていきました。 

 

空港へ向かう車で 言葉の通じない外国の方たちに混ざって 笑顔で楽しく過ごしたことは言うまでもありません。

顔を見て笑顔で。少しだけの片言の英語同士で お菓子の交換をしたり。

サンキュー、コップンカー、ありがとうheart04

自分では買わないような珍しいお菓子を楽しんで

みんなでいろんなものを分け合って家族のような温かい雰囲気の中 幸せいっぱいの時間を過ごしました。

またね、いつかまた逢いましょうheart01happy01 Byeheart04

 

私は最後の最後に すごいギフトをもらいました。

もうこれからの人生 幸せに生きない選択はありません。

どんな時も どんな辛いことが起きても

私は独りになることなどないのです。

この世界は私の家族です。

身近にいる人も 遠くにいる人も 生きとし生けるものすべて 私の愛する世界

皆が幸せでありますようにheart04

 

幸せに生きる方法を お伝えし続けます。

失敗がもたらすものとは!? その2

さてさてお待たせしておりました事件の続きです。

 

プラムビレッジから 車で3時間以上かかる空港までの道のり、

お正月の交通渋滞を考慮して2時間前に出発することになった送迎バスに 乗り損なって取り残された私

 

元々 人より先に何かやりたがる性格で 待ち合わせや何かに遅れるということは あまりなかった人生を送ってはきたのですが、

あまりのオバカな勘違いに呆然。

たしかに

急ぐことをやめる生き方にかわってからは、 遅れるということには寛大になっていました。

更に脳みその成長も退化へと変換しつつある生き物としての定め・・・・

 

まぁ、そういうこともあるさ、 狭い日本そんなに急いでどこへ行く・・・

とはいえ、ここはタイだ。 

さすがに少々凹みつつ、やらかした出来事と葛藤する心。 

 

一番感情として出てくるのは 恥ずかしさでした。

9時に出発するお友達を 「またね~」(∩´∀`)人(´∀`∩) って感動的に見送りました。はい。

 

まるでコントです。(赤面)

 

何にそんなに反応しているのだ、私

何とかなるからいいのだ 

脳内のやりとりをムズムズしながら 味わいつつ  そうだ、対処だ。  と。

 

日本人ブラザーを探しに タイ人イケメンブラザーについて男子宿舎前まで行って待たされます。

しかし、日本人ブラザーは 部屋を離れていて いませんでした。

うん、そうだ、さっき ビッグホールの2Fでダルマトーク(お説法)の通訳をしていたのを 私は知ってる。(笑)

案内してくれたブラザーに 「あっちに居ると思うので探してくる」 と言って ビッグホールに向かいます。

 

ダルマトークが終わるのを待って 残留組の日本人グループに駆け寄り、

勘違いしてバスに乗りそこなったことを伝えます

マジかー と 苦笑のブラザー、 笑いながら「送迎担当のシスターに相談しましょう」と言って

階下でシスターを見つけます

シスターは「あら、プラムビレッジに長く居られて良かったわね~~」(*´▽`*) 

みんなも そうそう 良かった良かった。飛行機だって間に合うんだから 何にも問題ない coldsweats01 あ は ははは。

あは、はははは

 

それから 「バスやタクシーの予約手配担当ブラザーに 便乗できるグループがないか見てもらいましょう」と言ってもらい、かなり安心してきます。

それにしても、この日本人ブラザーさん、前日の夜のニューイヤーイベントの後、私が長々と最後まで話しかけてしまったので かなり寝不足なのだ。。。

実に申し訳ない。。

 

ブラザーに車の手配を融通してもらっている間、残留組の参加者さんとしばし歓談

「飛行機が早朝なら ギリギリまでいればいいんじゃない?」

そういわれて、私もなんだかそうしたい気持ちになってきます。

プラムビレッジは実に居心地のいい場所で いつまでも居たくなるような場所なのです。

明け方間に合うギリギリまでここに居られたらラッキー! なんてことも考えます。

 

すると 日本人ブラザーが急ぎ足でやってきて言いました

「このあと、2時からの乗れる? あと15分しかないけど」

私『えっ?早っつ!!!  でも、乗れます!なんだっていい、帰れるんならなんでも!なんだっていい、』

そうだ、日本で待ってる人がいる 予定通り帰りたい。

 

長々と荷物と一緒に玄関で待っていたのですから スタンバイOK!120%ですわ!!!

急いで出発場所へ戻ります。 無事帰れる 良かった~

「だけど、スワンナプーム空港に行くタクシーじゃないんだ。ドンムワン空港 そこからどうするかなぁ」

バンコクには空港が2つあります。大きなほうがスワンナプーム空港で私がいつも利用する方

「ドンムワン空港からスワンナプーム空港まで無料シャトルバスがあるらしいですよ」

「ドンムワン空港は使ったことある?」『ありません』

「知らないところだと厳しいかなぁ・・・(^_^;)」「ちょっと交渉してもらうよ」

 

私は急いでネットでドンムワン空港からスワンナプーム空港へのシャトルバス乗り場をインターネットで調べます

乗り場確認 あまり大きな空港ではないようでなんとかなりそう。「よっしゃ~ 何でも来いだ!」

どう転んでもOK  と思うと安心。

 

乗車場所に行くと 送迎バス&タクシー手配担当のブラザーが 前夜から徹夜で 一睡もしていないと 目を真っ赤にして現れる。

参加者残留組のメンバーが「あの~、明後日のタクシーの時間を変更したいんですけど」

と話しかけるものの

「今は考えられない」 というお返事、、、  さもありなん。

 

私が乗るタクシー、残留組のメンバーで英語が話せる人や いろんな人が通訳助っ人に入ってくれて 色々交渉してくれます

 

う~ん、なんてありがたい。親切な人だらけです。

私も親切ですが まるでここは天国のように全ての人が親切。 極楽浄土ですなぁ。。。

ありがとう ありがとう ありがとうございます。shine

 

みんなが安堵して 出発を待つ間の歓談です

日本人初の出家者 ブラザーサンライトが 

「僕もいろんなことがあったよ。次はどんな修行がいいかなぁ。犬になる修業は去年終わったんだ」

 

犬? みんなの頭上に???マークが・・・ ?(@_@)?

犬PV

犬になる修業 のお話は 次回へと to be continued ・・・・・