2019年01月11日

世界と調和

私たちの意識は 何層かの段階になっていて どの地点の意識から対象を見ているかで 受け止め方が変わります。

感じ方も変わるし、物事への理解も天と地ほどに変わることがあります。

 

私たちが今の身体に宿って生まれ、最初のうちは 真我の意識のみなようですが、

成長と共に身体の意識 自我の意識が発達してきます。

思考すればするほど 自我は成長して行きますが、その時に真我との分断が起きることがあります。

真我の意識は 感じ取る性質のものなので 思考が勝ちだすと 感じ取ることを無視して抑圧してしまうことがあります。

これはカルマの経験や 環境によって左右されます。

抑圧や痛みの経験が多いと 自然に感じる力を閉ざしてしまう ということが起こります。

 

実は私たち人間にとって 感じること 自分自身そのものや自分の感情を感じる事は とても大事なんです。

感情を感じきると その体験が速やかに終わり、次のステージに移行するのですが、

特にネガティブな感情を受け止めることは誰しも好まないので それを避けようとしてしまうのです。

 

感情を完全に感じきると 新たな理解と境地を開きます。

魂が成長して 新たな理解で世界を生きる事が可能になります。

新たなところに行く前に越えなければならないことは、

自分の思い通りにならない現実を受け止める ということです。

別の言葉で サレンダー(降参)と呼んだりします。

これは誰かに屈服する ということではありません。

この世界に戦いを挑むことを止める ということです。

自分という個に対して 世界は大きすぎます

 

戦えるものではないし、実はこの世界は自分の思い通りにならない自分そのもの なのです。

あるがままを受け入れる ということです。

それでも心地の悪いものはあります。

 

これに対しては 戦うのではなく、一つ一つその時々に対処して、関係を緩和する という方法を取ります。

喧嘩はしないんです。双方が傷を負いますから

折り合う ということをします。

 

自我の意識は嫌がるかもしれません。

でも、一つの世界 が 一つの身体のようなもの だとしたら、

あなたの親指と小指が喧嘩したら困るように、

身体の中の内臓と血液が喧嘩したら困るように

調和を保てずに争う ということはいろんなものへダメージを与えてしまうことになります。

それらはすべて一つの身体を構成する要素なのです。

 

そのままでいい というメッセージを与えれば 反逆したり、危機感に震え 一触即発のような張り詰めた状態にはならずに済むのです。

存在価値もまた生死をかけて戦おうとするでしょう。

存在する者は 何一つ 存在してはならないものではなかったのです。

存在してはならないもの というレッテルが貼られた時、それは死闘の準備を始めます。

 

共存を考えてください。

すべては一つの世界を構成する要素です。

向けられるエネルギーが愛であると気づけば 誰も剣は抜きません。

敵は ただ 幻想の中に存在します。我々人間の思考の中に住んでいます。