2019年01月18日

正当化しないで見る

Facebookでシェアした動物殺処分反対の記事を見ていて思ったこと
 

殺処分ゼロへ

 

このポスターが物議を呼んでいるそうです

最初見た時、ショッキングでした

当然私もシェアしました。犬猫の殺処分は反対です。

で、改めて思いを巡らせ投稿しました。(以下、記事です)

pen

かつて 優生保護法の下に 障害をもった人々に強制的に避妊手術を施していた時代があったこと 記事で読んだことがあります。
彼らはとても辛い気持ちを経験していました。

誰がどれだけ他を犠牲にする権利がある というのか。。。
過去にはとても理不尽なことがなされていました。

今の動物殺処分も同じことです。

何が健全で何が健全でないか? 

何に生きる権利があって、何に生きる権利はないのでしょう?

お金を稼げるか稼げないか、完全に一人で生きて行けるか否か
人間か、犬か、猫か、牛か、ニワトリか、トカゲか、虫か、命の形態で価値が違う?

役に立つなら死なせてもいい?
見た目が立派そうなら 愛を知らず冷酷で無慈悲な行為は 障害とは呼ばないのか・・・
法律がなければ残酷なことも罪とは呼ばないのか・・・

不思議なんです

腕力が優位だった時代
暴力が優位だった時代
使えるお金が多い人間が優位な時代 

エゴはヒエラルキーが大好物
それはまるでゲームです

意識の中に階層を感じていたら 
それは不平等に支配されているかもしれません

優劣は存在していません。ただの尺度です
あなたが自分の中に採用している物差しの目盛り

多くの日本人はこの目盛りが大好きなようです

支配者を作っているのは私たち自身かもしれません

そして 

優劣に支配されない時代は 始まりつつあります
個性は様々だけど どれも同じ光だと気付き始めています

全てが慈しまれるためには 全てを慈しむ

自分が 源 なんです。
愛は自分の中に芽生え、拡がります。

て、

あと、、
申しわけありませんが Gとダニさんは 都合により発見次第駆除させていただきます。

 どうか・・・

来世は違う姿でお生まれくださいますように・・・(-人-)

私もソレだった時があったのかなぁ・・・ 

いや、

来世がそれかもしれない Σ(( ̄▽ ̄;))

罪はどこで犯して どこで解消されるかわからないもの

徳も どこで積んで どこで実るか わからないものです

罪を犯したことがない人間はいないのでしょうね。

動物の殺処分をしなくて済むしくみを切望します。
我慢は人間がすればいい。
ドイツにできてることが日本でできないわけがない。

牛さんと豚さんとニワトリさん問題はまた別の機会に・・・
ちなみに、
私は ビーガン(完全菜食主義者)ではございません。

 

clover

物事には いろんな側面があり、何かを正当化してしまうと 他が見えなくなってしまいます。

解決は 裁くことではないんです。

真実が見えれば とらえ方は変わっていきます。 

ただ一つの正解などありません。

でも、より幸福が増えることはいくらでもできます。