2018年01月14日

あるがままに

ラマナマハリシ

ラマナマハルシ インドの覚者です。

カルマがない人の目はなんと優しい眼差しでしょうか。

この方は私が好きな覚者の一人です。

多くの人々から敬愛された方です。

 

ELM瞑想の創始者のボブ・フィックス氏もまたとても優しい目をしています。

決して押し付けが無く とてもフレンドリーで 愛が深いのです

チベットのダライ・ラマもそのような人だと聞きます

 

穏やかな眼差し、これは特別な人だけに許されたものではなく、

あなたも心をお掃除すれば 思い煩うことから遠のき

安らぎ温かい気持ちにくつろぐことができるようになります。

ぜひ瞑想を始められてください。

ELM瞑想は、より深い瞑想感覚と より高い効果を持っています。

カルマが消えると 心は晴れ晴れ

残りの人生をより長く安らかに。 clover confident

自我と超自我

本日の体験瞑想会は 2度目の方が2名 ご参加くださいました。

瞑想が気になるけど 迷っておられる方は再参加できますのでぜひお越しください。

 

さて、自我の話題に戻ります

自我が個人の意識で、 

超自我は 個人を越えた意識 俯瞰する意識 神的視点 です。

つまり客観的に見る目 の中でも 観念にとらわれない視点です。

 

スピリチュアルではこの神的意識を体験することを 気付き とか 目覚め と表現します。

神の意識(高次元の意識)を知る ということです。 それは どんな風か? といいますと、

これがまた説明しにくいものでして、言葉で限定できないので 世間でもよく揉めています(笑)

自我の思考は説明できないものがキライなので説明を求めますが

話が抽象的すぎてとらえることが難しいのです(笑)

 

リンゴを食べたことがない人に リンゴの味を言って聞かせてもイマイチよくわからないのと同じ ようなことなんですね。

人間は 体験したこと、体感したことは共感できますが、未体験のことは想像するしかないのです。

で、聞いていたそれを体験した時に初めて 「コレか!」 と 思うわけですが。

 

私も当初、この体験 悟り体験 とも呼ばれていますが、

それがどんなものなのか 知りたくてたまりませんでした。

 

心の中に雑念が多すぎるとわからないので、 その雑念を減らすために 瞑想をするわけです。

 

果たして 雑念は、、 瞑想を始めてから劇的に減りました (笑)

相変わらず考える事や言葉に置き換える事(それにふさわしい言葉を探す作業)は好きですが、

思いにとらわれたり思い悩む ということをしなくなったのです。 

心配とか不安とか。 後悔とか劣等感とか。

何が正しくて 誰が正しくて 自分がこれでいいのか?とか。

誰かの言った心に刺さる一言をいつまでも引きずっていしまう とか。 

悲しかった思い出でその時の感情が蘇るとか、トラウマとか

そんなことを気にしなくなったのです。

 

ただただ 今を感じる  それができるようになる それが瞑想の醍醐味です。

心の中にため込んできたカルマの感情とエネルギーは 外に出てくれないとなくならないのです。

なくならないと悩まれることはありません。

 

無くなってしまえば こんな簡単な事 できなかったのが不思議なくらい何もなくなります。

長年かけて溜め込んだカルマは一朝一夕には消えませんが、 覚悟と決意を決めて取り組みだすと早く終わります。決して焦ることのないように。

 

全ては必要なだけ必要なことが起きて終了する

そのことを意識が邪魔しなければスムーズなのです

 

ややこしいことは カルマの反応 あなたの真我を覆い隠す黒雲です

その癖を手放してしまってください。

 

あなたは ただ そのままで輝きます。 それが実感できるようになります。

カルマに邪魔されることなく あるがままに咲く

カルマと自我(エゴ)の意識に覆われた内側の 本来の 真我は 光り輝き美しいものです。shine

白い蓮