2020年11月

悪口の悪口

もうだいぶ前の事を思い出しました。

10年以上前になってしまいました(笑)

温泉好きの私は 別府の温泉巡りをしておりまして、

その日は 別府八湯温泉道のスタンプ集めをしておりました。

別府八湯温泉道 というのは、

別府は地域によって8種類の違った泉質が湧き出るので別府八湯と言いまして

街中で温泉が湧いているので 温泉施設だらけなのですが、

その中で温泉道の指定施設に行くとスタンプがもらえて

全部で88個のスタンプを集めると 温泉名人の称号がもらえます。

温泉名人になるとひょうたん温泉の施設内に『第〇代温泉名人』の称号と共に

名前と写真が飾ってもらえる(笑)という・・・

新たに温泉名人になった人の表彰式なんかもあるのが 温泉祭り

そういう企画があるんですね。delicious spa

温泉祭り

今年はコロナウイルスの影響で残念ながら中止になったようですが

昨年まで毎年開催されていました。いつからはじまったのかしら、もう長いですよね。

そのスタンプを集めたいがために 別府市内各地の共同湯を重点的にめぐっていたんです。

そういう共同湯は普段から近所のみなさんがご利用されている小さなお風呂なので入館料も100円だったりします。

更に、温泉祭り期間中共同湯は無料開放になったりします。ヾ(o´∀`o)ノ spa

安価にスタンプが集められるので、外から来たスタンプ集めの温泉マニアたちも入れ替わり入ります。

スタンプ目的の人はちょっと浸かってすぐに次の施設に移動 一日にいくつも入ってスタンプを稼ぐわけです。

そうやって、私もスタンプ集めにハマっていた頃がありまして(笑)

いくつめの共同湯だったか 入らせてもらった時のことです

(前置き長っ!)w(温泉祭りも書きたかった)w

当時40代の私よりもずっと年上のお姉さま方が先におられて、二人でお喋りされていました。

お一人が話し続けて、もう一人は聞き役。

聞きたかったわけではないけれど、一生懸命お話されているので、 

狭い共同湯では話している内容が全部丸聞こえ。

「〇〇さん、ほんっとに嫌い」

「あの人、その場に居ない人の悪口言うのよね!」

「本人に言え って言いたいわ。ほんとに好かんっ!」

「この前も集まりの時、あの趣味の悪い服何だろう、ほんと最悪~」

ひたすらディスり祭り

 

居ない人の悪口? ん?

ヲイ (・∀・)/

突っ込みどころ満載!

危うく突っ込みそうなのをグッと我慢して早々に退散しました。

もう、その話を人にしたくてたまらなかったのですが (/・ω・)/

それをすると ミイラ取りがミイラになってしまうので(笑)

悶絶 我慢しました (爆)

ああ、神様 私のディスりたいをお預けします・・・アーメン(にわかクリスチャンか?

祈り

辛い体験をどうとらえるか

お悩み ありますか?

なんでこんなことが起きるんだろう

何でこんな思いをしないといけないんだろう?

どうして私が・・・?

私の人生ってなんのために?

な-んて思ったことがありますか?

その答えは 

『その経験をもとにあなたは何が出来るか』

という課題を与えられた ということなのです

そう、成長のチャンス です。

そこから あなたは プラス(ポジティブ)を生み出すか

マイナス(ネガティブ)を生み出すか 

あなたの意思に委ねられています。

 

最初はカルマの感情が出てきますからもちろんネガティブなものが噴き出します

「嫌だ」「ちくしょう!」「キライ!」「ムカつく!」「許せない!」

そう言う気持ちは出ても不思議じゃありません

だって、人間ですから。喜怒哀楽は常に起こります

でも問題はそれからです

ずっと腹の中にその怒りや憎しみを煮えたぎらせて沸々と醗酵させてどす黒いものにさせた時

あなたの心に悪魔が住みつきます。

そうならないためには、出てきた感情は手放して天へ預けてください。

あなたが仕返しをしてその恨みを晴らす必要はありません。

あなたを傷つけた人は いずれ あなたと同じ仕打ちを受けて それを受けとります。

したことをされる そういう因果応報が この世界にあります。

あいつはまだそうなってない! と怒らないでください。

因果応報は すぐに起きるとは限りません。

今生でおきなくても来世で起きますし、その因果を子孫が引き受ける場合も少なくありません。

沢山の人を不幸にした人は なかなか幸せになることができません。

まず 自分の引き受けたカルマの責任を負うからです。

ですから、他者への罰は あなたが与える必要はありません。

あなたは あなたの中に恨みの炎を飼うのをやめましょう。

その炎は恨んだ相手ではなく、あなたを焼きます。

全くもって利の無いことです。

あなた自身を憐れむことも同じです

あなたを幸せにできるのはあなた自身です

なのに あなたを幸せにしてくれない人を恨む というのはお門違いなのです。

辛い体験があなたを不幸にするのではありません

それによって何を生み出すかが あなたの幸せを左右するのです。

 

もし 辛い体験をしたことがあったなら その時の気持ちはよく知っているはずです

同じ苦しみを持った人の気持ちがよくわかる

どうなったらそういう人が発生するかも理解できるかもしれません。

あなたはあなたの体験を より幸せな世界を作るために役立てます。

自分に何ができるか どうすれば 自分と周りの人が幸福であるかを見つめてください。

何も行動を起こせなくとも

あなたの優しい心は 世界を幸せに導きます。

それだけで癒しは起きるのです。

頑張らなくてもいい 存在だけで世界は癒せます。

ネガティブな感情は 天へ預けて 手放してください。

ちなみに天界は浄化作用がありますので

あなたのネガティブは消滅します。

手放したネガティブはもう発動しません。

それが浄化です。

夕陽

愛ある世界 それは天国の関係性

幸せが基準 幸せが好き

私も幸せ 人も幸せ

人の幸せも自分のことのように嬉しい

人を幸せにする行動

人を幸せにする思いでできています。

なぜなら 愛とは与え合うものだからです。

カルマが消えるとそこには愛しかありません。

 

現代人の多くは愛に満たされるという機会を失っています。

愛が欠乏した体験とその感情を引きずっているからです。

お母さんにもっと愛されたかった

お父さんに愛されたかった

でも 叶わなかった寂しさや心細さ

傷付いた痛みを時間を抱えたまま 愛に満たされるという事から遠ざかっています。

それは

愛が与えられなかったから と 思い込んでいますが

実は違います。

自分が愛することができる ということを忘れてしまっているので愛に満たされないのです

愛されたら愛する という順番ではありません。

あなたが愛するから 愛されるのです

特定の個人だけに焦点をあててはいけません。

それは指定できないのです。

あなたが愛するものを固定しない

執着しないで ただ、愛でいる という事が出来た時

世界はあなたに愛を向けるようになります。

それは 仏性を目覚めさせる ということと同じことです

あなたがあなたの愛で満たされる時

世界の愛が共鳴してあなたに流れ込みます。

ただ、愛でいてください。

あるがままを受け入れるだけで 十分な愛です。

それはどんなスピリチュアル体験よりも 眩い光です。

ピンクの光 愛

魂の行方

これから書く世界観は、私の世界観です。

正解はわかりませんが私はこれを確信しています。

死後の世界のことです

肉体から離れた魂の世界のこと

私たちの魂の故郷は 魂の湖のようなところです

その魂の湖の水が 魂の集まりです 

そう、私たちの魂は形が無く、境目がありません

ただ一つの集まりなのです。個ではない。分かれていない

すなわち非二元の世界です。

その湖からコップ1杯分の水が一人の人間の魂として肉体に入ります

それは水とも表現できますが、もっと近いのは光です。重さがありませんから

私たちはコップ1杯の光。 それが私たちの本質です。

お母さんのお腹の中に居る時に入って、死ぬ時に肉体から出て行きます。

そしてまた 故郷の光の湖に戻ります

また、みんなと混ざるのです。

「おかえり、おつかれさま」 そんなやり取りがあるのでしょうか?

あの世では分離しようがないので 孤独はないですし、

みんなが一つなので摩擦しようもないです。

エゴはありません。

 

仏教の六道輪廻の世界では

天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄

という6つの世界がありますが、これは故郷の外側にあって 分離のある世界です。

自分と他者がある世界です。

ここではじめて 摩擦が起きることが可能になります。

人間界以下のエリアで激しい摩擦があります。

カルマの摩擦です

 

この6つの世界は 魂の故郷にはありません。

この世界にあります。

宗教の中では 死後の世界にそれらがあると言われたりしますが、

実際はこちらの世界にそれがあります。

私のイメージではこの世界に波動の違う別の世界が重なって存在しています

テレビの中にいくつものチャンネルがあるみたいに

「ドラマチャンネル」

「マネーゲームチャンネル」

「バトルチャンネル」

「オカルト・ホラーチャンネル」

「ミュージカルチャンネル」

「コメディチャンネル」

「サイエンスチャンネル」

などなど、多彩なテーマとそれぞれの波動のチャンネルが存在します。

もしかしたら、人間の数だけチャンネルはあるのかもしれない 

でも、概ね近い周波数のチャンネルは混ざり合って交信もしてますので、

数には数えられませんし、一人の人がいろんなチャンネルも行き来できます。

波動を変えさえすれば違う世界に行けます。

 

で、光の湖は とても波動の高いところです。

私たちは肉体から抜けると、肉体と共にそのカルマも一緒に脱いで

この高い波動の故郷に帰ります。

これを成仏する って言います。

成仏した人はみんな光です。

 

成仏していない側の意識が六道輪廻を体験しています。

それは死後の世界ではなく、生きている人間たちが体験しているものです。

もしかしたら、成仏していない霊界にはそれがまだ存在しているかもしれません。

そちらの肉体を持たない霊体は 私たちにささやきかけてくることもあります。

「やってしまえ」「奪え」「よこせ」 と。

思い通りにならないものは騙したり脅して取るようなことをします。

闇の世界の住人です。光になることを拒んだ存在。

それは執着が手放せないためにそうなってしまうようです。

 

怖いのは悪魔ではなく、悪魔の心になった 肉体を持った人間です。

肉体があると 刃物なんかを持てますからね。

邪悪な波動、低く重い波動には注意深く距離を保ちます。

心配は要りません。

こちらが波動を高くしていれば 接点は生じないのです。縁がつながりません。

話が逸れてしまいました。

死後の世界に話を戻します。

 

生きている人間は光の故郷を知ることが出来ないでしょうか?

答えは否です

個が消えている時 そちらと繋がっています。

もっと具体的に言うと、思考が消えている時

光の故郷と繋がっている状態になります

また、その時は意識は身体からはみ出して世界を体験しています

五感が拡がって世界を感じている状態ですね。

カルマの摩擦がすっかり消えた時も繋がります。

カルマに邪魔されることなく世界を体感することができるからです。

 

そういう時、先にあちらに戻って行った魂の愛を感じることができます。

それらの存在は、外にではなく

内なる深い所にある空(くう)で繋がっています。

目をつむって内側の深い部分で存在を感じ取ります。

自分側に摩擦の感情が無い時 その波動はよく伝わって来るでしょう。

ただ、愛をこちらに向けているのがわかります。

そして 生きている私たちが愛を感じると、一緒に幸せに共鳴してくれるのです。

「良かったね、嬉しいなshine」と。

彩雲

あるがままの自分とは

人は死を恐れます。

死後の世界が怖い、

今の世界から離れることが怖い のです。

多少困難を感じていても 慣れ親しんだところにはそれ以上の恐怖はありません

未知の場所では何が待ち受けているのでしょうか

人は未知のものを怖がります。

知らない ということは不安なのです。

どうなるかわからない というだけで怖がります。

それは 未知の場所に怖いものがある という前提に基づいています。

「知らない場所は恐ろしいよ。だから言ったらダメ」

そんな風に幼い頃に言われたからでしょうか?

 

怖がらない人というのは 好奇心が強い人

リスクやスリルを楽しんでしまう人です

この違いは 単に恐れることを知らないか

あるいは エネルギーに溢れていて、エネルギーを消費する場を求めている場合に起こりやすいです。

通常は 若い個体は生命エネルギーに溢れているため、困難や試練など、

エネルギーを消費する場を必要とします。

子供たちが無茶をするのは そういう理由ですね。

実際してみて その実態を知ったり 学んだり 懲りたりするわけです

知る体験は 経験の財産です。

生命体は 成長するプログラムを持っていますので、

いろんな体験をしながら成長します。

大人になってしまって、それ以上成長の必要が無くなってきた場合に

試練にもまれることから遠のいていきます。

穏やかに暮らしたい と 望むようになります。

でも、それぞれの個性も 人生全般にチャレンジし続けるエネルギーを持った人や、

逆に若いうちから 静かに暮らしたい人も中にはいるので

年齢だけで決まることではないです。

それらは本人の希望とかではなく、DNAによって左右されます。

本人の持つ宿命によります。

自分のあるがままに生きる ということは

自分の思い通りに生きることとはまた別なことです。

あなたのあるがままを受け入れて あるがままを生きると

あなたはとてもあなたらしく生きることができるのです

 

リンチェン・ウォンディ

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福岡アジア美術館のレジデンス事業で

半年に2~3名ずつのアジアの若手アーティストが招待され福岡でアート活動していました

2006年の招待作家として来ていたリンチェン・ウォンディも、いろんなワークショップや教育プログラムを企画しましたが、その中でチベットタンカを描くワークショップがありました。

地域の広報紙に募集が出ていて、私は急いで申し込みました。

1週間のワークショップでしたが、内容がかなり本格的なもので とても1週間では完成できないボリュームで

参加者の私たち20名はリンチェンが滞在する残りの期間1ヵ月、アジア美術館に通って制作することを許されます。

1ヶ月アジア美術館のスタジオで一緒に絵を描きながら

みんなリンチェンのことを大好きになっていました。

本当に心のキレイな青年だったのです。

それから 私はチベット式の仏画も描くようになりました。

チベット式仏画の描き方とその意味をリンチェンに教えてもらったからです。

アジ美ワークショップにて

当時の完成作品です

全員で撮った写真もあったはずなのですが、それは残念ながら見つかりませんでした (^_^;)

リンチェンが帰ってからも タンカを描く会を続けようということになり、絵仏師の私がサークルを開きました。

それが 今のアトリエ霽月仏画の会に繋がっています。

リンチェンはその後、母国ブータンで美術スタジオを開き、政府関連の美術制作にも携わり

数々の素晴らしい絵を残します

ブータン国王の絵

私たちもブータンにも行きました。

ブータンにて

Facebookでやり取りして
離れた所に居るけれど まるで家族のような気がしていました。

リンチェンとブータンにて

いつかまた来るからね!と言って別れ

本当に行くつもりでいたのですが

今月5日、リンチェンは帰らぬ人となってしまいました。

享年41歳 脳腫瘍だったそうです。
病名がわかってわずか3週間ほど

あまりにも若すぎる旅立ちでした。

リンチェン・ウォンディ

まだまだ生きてて、沢山の絵を残して欲しかった。
あなたのような素晴らしい心を持つ優れた画家を失ったことはこの世界にとっては大変惜しいことです。多くの人があなたに癒されていました。日本人だけではないと思います。

リンチェンは 多くの人の心の中に生き続けるでしょう。

毎年1月1日のあなたの誕生日は あなたのことを思い出すことと思います。

世界が平和になり人々が幸せであることを心から願っていた その意思を

私も引き継ぎたいと思います。

誰より家族や友の幸せを願っていたあなたのために

私たちは慈しみ合い、愛を持って 互いの幸せを願いながら幸せに生きることを選んでいきます。

安心して安らかに休んでください。見守っていて下さるかしら。

私たちがそちらに行くまで 待っていてくださいね。

その時は沢山の思い出話をしましょう。

 

裁きと愛

なんでそんなバカなことするのかしらね?(意味が分からない) 私は絶対しないわ

 
という言葉を聞いたとき、
なぜかとても複雑な感情が湧きます
 
それは、当事者にしか分からないことがあるということではないでしょうか。
 
もし、その愚かな人と同じ境遇で同じ運命で同じ体験だったら、あなたももしかしたらそうしたかもしれません

今のあなたならしなくても ・・・ あなたがその人だったら もしかしたら、やはりそうなっていたかもしれません。

あなたがあなたでも同じように追い込まれたら 同じ気持ちになったかもしれない ということです。
愚かさは能力の差ではないのです。
 
かかった圧と、持っているエネルギーと、些細なタイミングによって
流れは方向付いていきます。
 
ましてや、思いだけが行動を決定付けるのではありません。
 
衝動やほんの小さな助け、あるいは後押しがあるかないかで、運命は二股に別れるほど変わってしまう。
 
愚かな過ちを責めるほどの正義とは、いったい何の権限なのでしょうか。
 
カルマの行動は、あなたのすべてではありません。
それは悲しい宿命で、あなたはそれを越える学びを引き受けて生まれています。
 
人が人を裁く権利など、自然界にはないもので、
自然はただ、因果応報が 昔も今も変わらず世界中どこでも同じ圧で働いています。
神や仏に嘘をついたりごまかしたりはできません。
それらは、あなたの目の奥から、あなたの内面までを全て見ているからです。
 
罪を見るよりも、内なる愛を育ててください。
愛は罪や傷を癒していきます。
 
罰ではなく、愛を
愛をあたえてください。
愛するあなた自身が その愛によって癒されます。
 
愛するということはどういうことなのかを理解する必要もあります
愛は闇を照らす光です
あなたが灯します。

サボテンの花

 

 

 

 

 

今この瞬間のバランス 

私たちのリアルは 今この瞬間です

意識が 今のこの瞬間にあると 今のいろんなことがわかります。

今 見えているもの 

今 聞こえているもの

今 感じること

今 味わっていること

匂い

暑さ 寒さ

感触

天からのメッセージ

私たちは五感をフルに使って この世界の高次元の意識を読み取ることもできます。

高次元の意識はこの世界の意識です。そう全体の。

世界に起きる微細なエネルギーの流れや変化を使って 私たちにいつも語り掛けているのです。

それをしっかりと感じている時、私たちは世界と共に在ります。

私たちが世界そのものであることも感じることができます。

 

一方、頭の中のイメージだけで世界をとらえようとしている時

それは煩雑な思考と共にあります。

ああでもないこうでもない という思考は

世界を自分の既存の価値観にはめ込んでとらえようとします。

そして 理屈に合わないことは 排除してしまいます

世界を切り刻んで自分の小さなお弁当箱に詰めようとする時、

入りきらないものに腹を立てたり、自分に不要なものを 世界の不要物として

断罪しています。そんな無駄なものは要らない と。

世界の何も見えていない ということに気付かず

世界を裁きます。

これまで見てきた物、見聞きしたものは表面的なごく一部分でしかないのですが。

そして 自分が経験した記憶のイメージだけで世界をとらえようとする時、

偏見が生まれますね

もし、自分が何かを裁きたくなったら

自分が何も知らない ということを思い出してください

裁くことはできません。

この世界は 大きなバランスによって 常に均衡を保っている世界です

世界にとって無駄なものは何一つ無いのです。

 

もし人間にとって とても不都合な事が起きているとしたら

人間は自分たちの都合を守ることだけ をしていても 世界は思うように動きません。

全体のバランスが偏っているとしたら バランスがとれない間は何も変わらないからです。

世界を平和にしたいと思ったら

世界が調和するように働きかけてください。

調和 平和 安心 のことです。

奪い合っても平和は来ません

癒しが世界を安定に向かわせ そして 救います。

 

世界の真実を見る 『啓発』 すなわち『悟り』は

人々がとらわれを手放した時 見ることができます。

全ての人がそれを知る可能性をもっています。

エゴの意識を緩め、カルマに支配されなくなった時

それは誰にでも起きるのです。

 

瞑想リトリートはあなたの浄化を劇的に進めます

とらわれからの解放とニュートラルな意識へ。

11月20~23日 雲仙リトリートでお待ちしています

詳細情報はこちらです。⇓


イベントを終えて

怒涛の一週間が過ぎました。

仏画ライブ

十夜一夜出演アーティスト

盧舎那仏

 

日曜日のライブペインティングが無事終わりまして、

とり憑かれたように 倉庫の掃除をしております (笑)

解放のエネルギーを掃除で消費

倉庫(クローゼット)に詰め込まれた資材を全部出してしまったので、1日では片付きませんでした。

まだ 片付け中。

新しい制作をする前の儀式みたいなものですね。

これ、意識的に ではなく衝動的に始まるので

自分のことながら不思議です。

 

今日からブログ再スタート。

 

11月は 20日から雲仙リトリートです。

連休をりようしての 11月20日~23日の3泊4日の瞑想リトリート

瞑想リトリートは 行く前は 費用が、時間が、 と色々躊躇するのですが、

いざ参加してみると 凄い浄化が起きるので また来たい!と思ってしまいます。

何ヶ月か瞑想を実践しつづけたのと同じくらい浄化が進むそうで、

本当に意識が開きますものね。

瞑想経験の浅い方でも十分効果があります 

一気に瞑想と啓発の真髄に近づくチャンスです

どうぞご参加ください。

https:/bobfickes-retreat.jimdofree.com